ふわふわにゃんことストロベリーライフあの人の事を、好きになってしまった………
恋に気付いたと同時に、失恋してしまうなんて事が、あるのだろうか。
でも、きっと私にはあるのだろう。
あの人との恋の花は、実らない。
花びらは開く事なく、蕾のまま、土に落ちる。
ズキ……と、ここ数日間感じていた痛みとはまた別の痛みが、胸を襲う。
せっかく彼が側にいてくれて、ゆったりとお茶を飲みながら、本を読んでいるのに。全然内容が頭に入ってこない。
早く、封印の力に目覚めなければならないのに。
恋なんて、そんなものにうつつをぬかしている時間など、私にはない。
そう思うのに頭の中は勝手に、この国の行く末でもなく、手元にある本の内容でもなく、全く別の事を考え出している。
…もしも、厄災の復活の予言が成されていなかったら?彼と私は結ばれる事ができただろうか。
例えば私が姫ではなく、普通の村娘だったら。何の障害もなく、彼の腕の中に躊躇わず飛び込めたのだろうか。
考えても詮なき事が、次々と浮かび上がっては、消えていく。
だから、いつの間にか雲行きが怪しくなってきていて、心配した彼が話しかけてきている事に、全く気付けなかった。
「姫様、雨が降ってきそうです。そろそろ城の中に…」
そう言われているのに、私がずっと物思いに耽っていたから。
とうとう最初の一粒が、空から落ちてきてしまった。
(何の躊躇いもなく、彼の腕の中に飛び込める存在に、なれたらいいのに…)
そんな事を、心の中で呟いた時だ。
ビュウ…!と一陣の風が吹いて、数粒の雨がガゼボの中にも入り込み、ゼルダの背中を打った。
(さ…寒い…っ)
ようやく周囲の状況が変化している事に気付いて、視線を上げる。
すぐそこに、こちらを覗き込む青の瞳を見た瞬間。
ぶるっと体が震え、同時にくしゃみが出た。
「は…っくちん…!」
「姫様…!!」
慌てた様子のリンクの声が聞こえて。一瞬だけ、景色が真っ白になった。
(いやだわ、私ったら……)
ずっと考え事をしていてリンクの声に気付けなかった事も。リンクの前で思いっきりくしゃみをしてしまった事も。どれも全部恥ずかしい。
「姫…様……??」
恥ずかしすぎてどんな顔でリンクを見ればいいのか分からないと悩んでいたのに、どうした事かリンクは呆気にとられたような声で私を呼んだから、何かあったのだろうかとヒョイと首を上に上げた。
(あれ……?)
リンクがなぜだか、ずいぶんと遠い。
先程まではすぐそこにあったはずのリンクの顔が、やけに上の方にあるのだ。
(リンク、背が伸びました…?)
この数秒でそんな事が起こるわけがないのに、思わずそんな非現実な事柄を考えてしまった。
「姫、様……」
また、リンクが呼ぶから。何ですか、と返事をした。にゃーー、と。
………………にゃーー??
最初、先程まで椅子の足元に一緒にいたネコが返事をしたのかと思った。
でもネコはもうどこかに行ってしまっていて、どこにもいなかった。
では、一体誰が……??
もう1度、喋ってみる。
「にゃーーーっ」
結果は、同じだった。
まさかという思いで、自分の体を見やる。
身に付けていたロイヤルブルーのドレスはどこにもなく、代わりに至るところにもふもふの白い毛があった。
手にも、足にも、胸にも。
震える手の平を開いて、凝視する。
そこには自分にはあるはずのない、ぷにぷにと触感が心地よさそうな、ピンク色の肉球。
…………え?
(え、えぇええぇえ!?)
言葉にならない叫び声をあげる。
な、なぜ…?どうしてですか!?
私、ネコになってます!?!?
吐き出したい言葉はたくさんあったけれど、残念ながらネコには語る事はできなくて。そこにいるリンクに今の心境を訴える事もできず、手の平を見つめたまますっかりと固まってしまった私に。
リンクが、躊躇いながら聞いてきた。
「ゼルダ……様ですか?」
返事をする。やはり声は、にゃー。
するとリンクは少し考えてから。別の質問をしてきた。
「ええと…あなたのお母様は、ウルボザですか?」
…え、突然何を言っているのですか?リンク
私のお母様が、ウルボザのわけないじゃないですか。
あなたが冗談を言うなんてとても珍しいですけれど、今はそんな場合ではありません…!
喋る事はできないと先ほど学習したので。リンクに自分の意思を示すため、返事をせず、つぶらな緑の瞳を向けて、じっとリンクを見つめる。
するとリンクは、さらに次の質問を投げ掛けてきた。
「では…あなたのお父様は、ローム様ですか?」
……??
リンクの質問の意図が分からない。
分からないが、とりあえずはその通りなのであるので、なぁーっと返答をする。
するとリンクは今度は、納得したように首を縦に振った。
(ん…?もしかして……)
リンクは私に色々な質問をし、どう答えるかによって私が本当にゼルダなのかどうかを、見極めようとしているのだろうか…?
確かに、いくらその眼で見た出来事だったとはいえ。
目の前にいた姫君が、突然ネコに変身しただなんて、にわかには信じられないだろう。
本人である私だって、信じられないのだから。
しかしそういう事ならばと、次からもゼルダはリンクからの質疑応答に真面目に答える事にした。
幾つかの質問が終わった後、リンクは全てを悟ったように(あまり悟りたくはなさそうだったが)頷き。
失礼します、と一言告げて。私をその腕の中に、抱き上げた。
(リ、リンク…!?)
このネコの姿をした体は彼の両腕にすっぽりと収まってしまって。腕から彼の温もりや力強さが直に伝わってきてしまって。
恋を理解したばかりのネコには、もて余す刺激だったのに。
彼はそんな事は気にする様子もなく。手の内の高貴なネコが雨に濡れないようにと、ただそればかりを気に止めて。
足早に、城の中へと戻っていった。
まず最初に連れて行かれたのは、インパとプルアのところだった。
リンクは私を部屋の中にある机の上にそっと下ろし、ちょうど部屋に居合わせたインパとプルアの所へと行った。
どうせ話に混ざっても会話には参加できない。机の上でおとなしく待っていると、しばらくしてプルアだけがこちらにやって来た。
「ねぇ姫様、ガーディアンって鉄でできてるんだっけ?」
そしてプルアも突然、私に質問を投げ掛けてきた。
もうその理由を知っている私は、プルアの質問に沈黙で答えた。
その後も幾つか、ガーディアンの研究内容についての質問をされ、全てに回答すると。プルアは、うぅん…と唸り、いつの間にか背後で成り行きを見守っていたインパとリンクを振り返り、言った。
「間違いない、姫様だわ………」
「ほ、本当に姫様、ネコになってしまわれたんですね…」
インパが、真っ青な顔をして感想を述べる。
「何でこんなことになったのか分かんないけど、とりあえずは陛下のお耳には入れないと…分かってると思うけど、他の人間には極秘で。リンク、あんたはここで私と一緒に、何とか姫様を元に戻す方法を考えるよ」
プルアの的確な指示で2人は頷き、インパは急いで部屋から出ていった。
残ったプルアとリンクは、当時の詳しい状況をリンクが思い出し、同じ状況を再現して姫様を元に戻す、という方法を試す事にした。
しかし、あの時に起こった出来事と言えば…
ゼルダがお茶を飲みながら本を読んでいた。雨が降った。ゼルダがくしゃみをした、ぐらいだ。
お陰でゼルダは、ネコなのにお茶を飲まされたり、水をかけられたり、鼻を擽られてくしゃみをさせられたりしたけれども。
残念ながらどれを試してみても、ゼルダが人の姿に戻る事はなかった。
きっと、その当時のゼルダの心情なども、要因の1つであったのだろうけれど。
ネコになってしまったゼルダが、何を思っていたかなんて…
そこにいる誰にも、知る事はできなかった。
それからゼルダはずっとプルアの所にいた。
精密検査を受けたり、元に戻す方法を他にも試されたりしていたが、結局どれもうまくはいかず。原因が解明されないまま、丸2日が経った。
さすがにこれ以上、姫の姿を眩ませたままにしておくわけにはいかない。疑いを持つ者が現れる前に、姫は封印の力を得るための修行に出ているという事にし。
姫ネコの身柄は、今度は城から遠く離れたとある村に移された。
さて、姫の修行にお付きの騎士が側に控えないというのはおかしな話であるし。例えネコの姿であろうと、姫君の身に万が一がある事は決して許されないので、リンクは当然のように同伴者として連れて来られた。
かくして、一体どういうわけか。リンクと姫ネコゼルダとの、村で与えられた一室での一時的な共同生活が始まったのである。
なぜ。なぜこんな決定が、成されたのだろうか。
本当に、成り行きというものは恐ろしい。
ゼルダは今はネコでも、リンクが男の人である事には変わりはない。
元の姿に戻すための実験がてらに、プルアがちょこちょこと様子を見に来るとはいえ。
(リ、リンクと2人きりで、ひとつ屋根の下で過ごすだなんて…っ)
しかしながら、父王を除き事情を知っているのは今のところリンクとインパとプルアの、この3人だけ。
インパは城から簡単に動く事はできないし、ゼルダを完全に護るにはプルアでは少々役不足…となれば。
やっぱり適任者はリンクしか、いない。
この厄災がいつ復活するかも分からない緊迫した時に、姫がネコの姿になってしまったなど。笑い話にもならない。
皆を不安がらせる事なくひっそりと。かつ迅速に、解決策を見つけなければならないのだ。
そうするためにこれは必要な事なのだと、必死に自分の心に言い聞かせてはみる。
ずっとリンクと一緒にいれば、必要以上に動悸が激しくなったり、顔が火照ったり、言動がおかしくなったりしてしてしまうだろう。
けれど人の姿ではそうであっても。ネコでは、そうはならないのかもしれない。
いつしかリンクに恋してしまった私の姿を、リンク本人に気付かせてしまう事は、ないのかもしれない。
でも、でもとても…
正気を保てる自信は、なかった。
ゼルダは思う。
これはきっと…自業自得なのだ、と。
なぜならば、こうなるように願った自覚が…あるからだ。
何の躊躇いもなく、彼の腕の中に飛び込める存在になれたらいい…と。
ひょっとして女神様は、私の願いを聞いてくださったのだろうか。
それならばなぜ、幼い頃からずっと祈り続けている、封印の力を与えてくださいという願いは、聞いてはくれないのだろう…
思い通りにならないからと、他の者に恨み言を吐いてはいけない。それはお付きの騎士であるリンクとの一連のやり取りで、ゼルダはもう十分に知っていた。
でも、どうしても。
なぜ…という思いは止まらない。
「姫様……?」
気付けば、リンクが側にいて。
気遣うように、こちらを見つめている。
返事に、なぁ~と鳴いたら。思ったより甘えた声が出た。
今…なら。
そう、今ならば。
この人に、甘える事が許されるのだろうか。
な~ん…、と鳴く。
それは、切なくも甘味をのせた声。
「ゼルダ…様」
その鳴き声に、リンクが何を感じ取ったのかは分からない。でもリンクは少し躊躇いながらも、さらに近くに寄って来てくれて。ふわふわの体に、手を乗せてくれた。
ぎこちなくも、ずっとずっと撫でてくれるその手のひらがとても心地よくて。
いつまでも、いつまでも。
リンクの温もりを、感じていた。
それからまた、5日。
心配していたリンクとの共同生活は、意外にも穏やかに流れていき。しかし元に戻るための試みも特に何の進展もないまま、すっかり村での生活に馴染んできてしまっていた。
だがずっとこのままここに居座るわけにはいかないだろう。そろそろ一旦城へと戻らなければならない時がきていた。
そして口には一切出さないが、全員が何となく気付き始めていた。
ゼルダがいつまで経っても元に戻らないのは、ゼルダ自身が戻りたくないと、そう思っているからではないかと。
しかしそうと感じながらも非難する事なく。姫様が心からそう望むのなら、それはそれでいいのではないかと思ってくれる3人だから…余計にゼルダは心苦しくなる。
このままではいけない。でも、どうすれば良いのか分からない。そんな不安が拭い去れないままの日々が過ぎていく中。
ある日リンクと散歩がてらに村を歩いていると、リンクに声を掛けてくる者がいた。
その人は村で畑仕事をしている男性で、リンクも村での滞在期間中、何度か彼の畑仕事を手伝っている。
リンクは、優しい。元々人が困っているのを放っておけない性格のようで、何度か村の人々を助けている内に、彼はいつの間にか村ですっかりと人気者になってしまった。
諸事情によりあまり目立ってはいけない2人だから、この村にいられるのもそんなに長くはない…とゼルダは思う。
リンクと男性との話が終わるのを大人しく待っていると。ふと風にのって甘酸っぱい香りがどこからか漂ってきたので、そちらの方へと鼻を向ける。
そんなに遠くではなさそうだ。
ゼルダは興味ひかれるままに、歩いていった。
匂いの正体は、すぐに分かった。
向かった先に行商が店を立てていて、ケーキを売っていたからだ。
ひょこっと店先に現れたネコに、店主はすぐに気付く。
「あれ?おまえ、この間も来たヤツじゃないか?ほら、あの人の良さそうな兄ちゃんと一緒に」
何と店主は1度顔を覗かせただけのリンクとゼルダの事を覚えていた。
不思議そうに小さな頭を横に傾けるネコに、店主は「いや~ネコを連れて歩いてる人間なんてこの村じゃ珍しくてさ。よく覚えてるよ」と律儀に答えた。
しかし会話をちゃんと聞いているのかいないのか、それよりも棚の上に並ぶケーキに興味津々なのか、よく分からない様子のネコに、「なんだおまえ、ケーキが欲しいのか?」と彼は問う。
「おまえ、高貴そうなネコだもんな。もしかしたら、ケーキも食べるのかもしれないな」
そんな冗談を交えながら、店主はケーキの上に乗せるつもりであっただろう苺をネコの目先に差し出した。
ほれ、食ってみろよと促されている気がしたので、ペロリとその表面を舐めて齧ってみる。
そしてゼルダは、みゃ…っ!と鳴いた。
酸っぱい……
リンクが作ってくれたケーキの苺は甘かったのに、この苺はどうしてこんなにも酸っぱいのだろう。
「ははは!やっぱりネコに苺はダメだったか!」
店主は愉快そうに腹を抱えて笑いながら、棚の上に並べてあったケーキを無造作に2個取り、横に置いてあった籠の中にそっと入れた。
「食えないものを食わせた詫びだ。これやるよ。おまえは食えないだろうけど、あの兄ちゃんと仲良く食べてくれ」
これならおまえにも、持てるだろう?と、籠の持ち手の部分を首にかけてくれる。
そんなつもりはなかったのに、ケーキを貰ってしまった事を申し訳なく思いながら。
しかし、お気遣いなく…と断る術も今は持ち合わせていないゼルダは、せめて感謝の意を込めてコクンと1つ店主に会釈すると。
籠を首にかけたまま、行商の店を後にした。
そんなに長い間油を売っていたつもりはなかったのに、戻るとリンクの姿はどこにもなかった。
あの男の人に用事を言われて、連れて行かれてしまったのだろうか…?
たいして遠くには行っていないはずだが、この小さな体では先を見通す事ができず、人探しも一苦労だ。
しばらく辺りをウロウロしてみると、横の草むらがガサッと揺れて、みゃ!?と毛を逆立てる。
茂みから現れたのは、小さな蛇だった。
こんな事にも、ネコの体ではいちいちとビクビク反応しなければならない。
蛇は小さいものだったが、ゼルダは全速力で駆けた。
走って走ってだいぶ草むらから遠ざかって、ようやく立ち止まる。
視線を落とし、籠の中を見ると、綺麗に2つ並べて店主が入れてくれていたケーキは、少し形を崩してしまっていた。
首に籠を掛けたままひたすら走ったのだから、まぁそうなるだろう。リンクと仲良くこのケーキを食べる事はできないが、せめてリンクにだけでも美味しく食べてほしかったのに…台無しになってしまった。
気落ちしているところに、タイミングが悪い事にまた雨が降ってきてしまって、ふわふわの白い毛がペタンコになって、小さな体がさらに縮こまりショボくれて見えた。
やがて雨粒に濡れた草を踏む湿った足音が聞こえてきて、翡翠に濡れる瞳を上げる。
そこにはゼルダが思った通り、リンクがいた。
「すみません、お側を離れてしまって……て、あれ?」
申し訳なさそうに謝罪しながら側に駆け寄ってきた彼は、ゼルダの首にかかっていた籠に目を止めた。
「これは……ケーキ?」
誰かに貰ったんですか…?とゼルダの顔を見やるリンクは、次にふ…、と少しだけ顔を綻ばせた。
「姫様、お顔にクリームがついていますよ」
リンクがそう言った途端、首がむずむずとして、ゴロゴロと甘えた声で鳴きそうになった。
どうやら顎の下側にくっついてしまっていたらしい白く甘いクリームを、リンクが指で掬い取ってくれたようだ。
指についたクリームをさてどうしようかと少し躊躇った後。結局リンクはそのままペロリと、クリームを舐めてしまった。
…ドキリとする。
ゼルダがゼルダ姫のままであったなら、きっと。
彼はこんな事はしなかっただろう。
姿形がネコであるから、ゼルダがリンクの腕の中に躊躇いなく飛び込めるように。
この姿のままであればリンクも、普段ならば取らないような行動も、気兼ねなくしてくれたりするようになるのだろうか…
でも、そうではないのだ。きっと
「ずいぶん濡れてしまいましたね。戻りましょう」
例え見た目がネコであっても、変わらず姫として私を大切にしてくれるあなた。
でも、姫のままであれば決して見せてくれない表情をも、垣間見せてくれるあなた。
どちらが、本当のあなたなのだろう。
そして…
どちらのあなたであって欲しいと…私は思っているの?
帰宅する間にも、リンクは私とケーキの入った籠を庇いながら走ってくれたけど。帰り着くまでに雨足が強くなってきてしまって、やっと室内に入った頃には2人共にずいぶんと濡れてしまっていた。
「すぐに温かい湯を用意しますね」
そう言って、リンクは柔らかな布で私と自分の体の水分を軽く拭き取ると。ずぶ濡れの服を着替えようともせず、浴室の方に入っていこうとした。
きっとリンクはそのままの格好で、私だけを湯に入れようとしているのだ。
私はリンクの服の懐に収まっていたからまだマシな方だったけれど。リンクはまさに頭の上から足の先まで全身びしょ濡れだった。
先ほど髪を拭いたのに、その毛先からまた雫が垂れようとしている。
どう考えても、先に湯で温まらねばならぬのは私よりもリンクの方だ。
なぁ~~と、リンクを引き止めるように一声鳴いた。
鳴き声に振り返ってくれたから、「リンク、ダメです」と伝えるように、首を横に2度振った。
もしちゃんと意図が伝わらなくても、意地でも伝え切るつもりであったが。
さすがだと言うべきか、リンクは正しくこの行動の意味を理解してくれた。
「そ…、それはいけません、姫様」
少し焦った様子を見せたリンクに、なおも首を振る。
ネコ語がリンクにちゃんと通じたのなら、こちらのもの。このまま一気に畳み込む事にする。
「なぁ~」(ではリンク、あなたもお風呂に入りましょう)
「し、しかし姫様…」
「なぁ~~」(ダメです!早く温まらないと風邪をひいてしまいますよ)
「……………」
「なぁあ~」(……リンク)
「わかり…ました」
ここに誰かがいたのなら、ネコを相手に一体何をしているのか、という奇妙な光景に見えただろう。
だが不思議な事に、リンクと私との会話は成り立っていた。
リンクは水分を吸って重たくなった服を、仕方なく上だけ脱ぎ捨てて、それから私を抱えて浴室に入った。
まずはちゃぽんと私だけ桶の中の湯に浸され、その後背後でザバッとお湯を被る音がする。
良かった、リンクもちゃんとお湯で温まってくれた。
あのままではいくら頑丈なリンクでも、風邪をひいて熱を出してしまいます…
そんな風にリンクの身を案じていると、後ろからひょいと抱き上げられ、桶から出され、ストンとどこか布地の上に下ろされた。
何となく不安定な足場のそこは、床の上ではない。
ではここは…
(もしかして、リンクの膝の上…?)
気付いたと同時に後ろ側から手が伸びてきて、ぺったんこになった毛を泡立てられたから、体を洗おうとしているのだと気付いた。
触れてくるリンクの手付きは優しかったけれど。でも彼は、何も喋ってはくれなかった。
いつもならばきっと、失礼しますとか、寒くないですか?とか、何かと気遣う言葉が一言二言あるのに。
(もしかして、怒って…いますか…?)
こんな姿でなければ、あなたを気遣ってあげられない私を。
こんな姿になってまでも、横暴な態度を取ってしまう、私を…
一通り石鹸で綺麗にされ、ザバ…とゆっくりお湯で泡を流される。
温かい……
流れ落ちていくお湯も、あなたの指先から伝わる体温も。
自分はきっとこんな風に、彼の温もりを感じたかったのかもしれない。
私に触れるのはもちろん、話し掛ける事さえ恐縮して一歩引いてしまうリンクに。対等な立場で接してほしかった。
今彼は、以前よりも私に触れ合い、そして語り掛けてくれる。
しかしこれは、本当に私の望んだ形だったのだろうか…?
私は、彼と対等になりたかった。
一方的に護られるだけではなく。私も彼を心配してあげたかった。
他愛ない事でもリンクが私の事を何でも知ってくれるのが嬉しかったから。私もリンクの事を知りたかった。
けれど、私が願った事は…
きっと、違う。
人であろうと、ネコであろうと。未だ私は封印の巫女ではない。
すでに勇者としての資格を有している彼の隣に並ぶ事など、到底できない。
でも、それでも。
私はあの人との合せ鏡であり、対の存在。
(私は、リンクと等しい者になりたい…)
体を包んだお湯の後に、また冷たい空気がすぐに撫でていって。ペタリと直接地肌に張り付く毛が、体温を奪っていった。
(……寒い)
温もりが、欲しい。
体が震える。鼻が、ヒクヒクする。
「ふぁ……、ふぁっ、くちん!」
小さな体に似合いの、かわいらしいくしゃみが出て。
目の前が一瞬真っ白になった。
思ったよりも、雨に濡れた体は冷えてしまっていたらしい。
きっと、リンクも寒いはず。
早く、湯槽の中に浸かった方がいい。
そう呼びかけようと、彼の名を言った。
「リンク」と。
(……………あれ?)
私は今、リンクを呼んだ?
名前で…??
恐る恐る、手を開いて見てみる。
そこに、ぷにぷにとしたピンクの肉球はない。
周りにふさふさと生えていた、白い毛も。
あるのは、5本の指が綺麗に分かれた白い指先で。
…………え?
私…人間に、戻ってる…??
今、このタイミングで…!?
「ーーーーーッッ!?!?」
声にならない叫び声を上げ、後ろにいる存在を振り返る。
だが優秀で聡明な私の騎士は、すでに状況をきちんと把握し。そんなに回すと首がもげるのではないかというほどに、顔だけを後ろに向けていた。
「あ、の…姫様、お願いが…あるのですが……」
「あ!は、はいッ!」
降参するように両手を顔の位置まで上げながら、耳を真っ赤にした騎士に話しかけられて、慌てて返事をする。
「は、早く…そこから、どいて…いただけません、か…?」
え…?そこ??
そろーりと、視線を下げる。
行儀よく揃えられたリンクの膝の上に、ちょこんと乗っている、自分の尻。
「き…ッきゃぁあああ!?す、すみません!!」
ネコの時もそれほど素早く跳ばなかったのではないかという勢いで、すかさずリンクの膝の上から飛び降りた。
「いえ…………」
姫様のせいでは、ないので………と、決してこちらを向かず、フォローの言葉を入れてきた騎士は。
しかし恐らくこの場の空気に耐える事ができなくなったのだろう。失礼します!と一言叫び、脱兎のごとくその場から逃げ出してしまった。
びしょ濡れのままの姫を、置き去りにして。
「あ、あの……ッ!」
ゼルダの伸ばされた手も虚しく、バタン!と大きな音を立てて閉まる浴室の扉。
やがて手は、ゆるゆると下がっていって。
膝も折れ、ペタン…と床に座り込んでしまった。
「「ッ~~~~~」」
雨に濡れて、お湯で温まるはずだった2人は。
けれどお湯など必要ないくらい全身を真っ赤にして、その場にうずくまったまま、いつまでも立ち上がれないでいた。