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    umeno0420

    @umeno0420

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    umeno0420

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    ルルハワでデートするビリーとぐだ♀です。概ね浮かれポンチ。
    ありとあらゆることを捏造しています。
    ご承知おきの上でお進みください。

    本当はビリぐだ再録本の箸休め的な書き下ろしにするつもりでしたが、あまりにも軽い話で浮きそうだったので止めました。

    デー(ト)・ドリーム・ランデブーデー(ト)・ドリーム・ランデブー



    いつかフランスを業火へ堕とした竜の魔女は宣った。曰く、デートへ行きなさい、と。

    彼女は手慣れた仕草で、水着にパーカーを羽織った姿のままエナドリを飲み干した。背後のディスプレイでは、メーカーのロゴだけがくるくる点滅している。とぼけたままの私に舌打ちひとつ。ジャンヌ・オルタは細い湿布を貼り付けた手でこちらを指した。爪先で散り始めの桜色がつやめいている。

    次作は現代ものの青春ラブコメにするわ、なんて言うが早い。オルタが突き出した指をパチリと弾けば部屋のドアは開き、原理の分からない突風がその向こうへ私を押し出した。寝不足の頭は疑問符すら満足に唇へ運べず、尻餅をつきながらただ目の前で扉が閉まるのを眺めた。

    デート。むき出しの膝に、毛足の長いカーペットだけが優しい。デート? ほとんど寝巻きのようなくたびれた服が、不意に恥ずかしくなった。デート、なんて。服の裾を伸ばして。

    「どうしたんだい? 今なんか変な声」

    益体のない思考はドアノブの回る音で断ち切った。振り向く動作と一連に、微笑みをぴったり形成する。

    「ねえ彼氏、今日暇? デート行ってきてよ」

    仮眠室から顔を出したビリーは、舌打ち混じりに背後へ親指を向けた。ベッドはあっち。


    #


    「なるほどね。君の頭がまだ茹だってないって分かって僥倖だ」
    「僥倖とか適当なこと言わないでくれる? 込められてる気持ちが熟語の画数に追いついてないんだけど」
    「腹の立て方が独創的だな」
    「へへ」

    よく考えたら微塵も褒められていないのに、私はちょっと得意げに笑ってしまう。寝不足かな。寝不足だな。頭はへんにぼんやりしているけれど、何故かさほど不快感はない。すっかり力の抜けた私の顔を見て、ビリーは薄く溜息をついた。

    ホテルのカフェテラスのメニューには、モーニングのラインナップがぴかぴかと並んでいた。卵の色を素直に反映するフレンチトースト、かりっとした真円を描くパンケーキ、南国フルーツがぺかぺかと光るアサイーボウル。どれも捨てがたい。捨てがたいのに胃が追いつかない。

    先に選んでとビリーへメニューを差し出せば、無言でこちらに押し返された。そのまま彼は手を挙げ、ウェイターに端から端までを指し示す。その迷いのない指先に見惚れているうち、かっちりした服装のウェイターは歩き去ってしまう。私は恐る恐るビリーの耳元に口を寄せた。

    「ビリー、そんなにお腹空いてた?」
    「僕らが空腹になんかなるわけないだろ。好きに食べな。余ったら貰うから」
    「……愛じゃん」

    思ったより大きな声は、配慮された上でなお痛いデコピンで強制的に止められる。それでもまだ感激しきりの私を一瞥し、彼は薄い唇を歪めた。何か言いたげな溜息と共に。

    「なんだかな。……ねえ。そんなに食い気ばかり張って、青春っぽいラブコメの取材とやらをやる気はあるのかい?」
    「まあ頼まれたからには頑張るつもりだよ。ただ正直、何をすれば良いか分からないっていうか」
    「何って。そんなのやりたいことをやって、行きたいところに行けば良いだけだろ。あー。それにあの黒い方の聖女さんは依頼にかこつけて、慈悲深くも君にお休みをくださったのかもしれないぜ。今日くらいは楽しく出かけてきなさいってね」

    右手の人差し指は白皙の頰を滑り上がり、目の下あたりを指し示した。ビリーの瞳を鏡にしなくとも分かる。今の私は相当疲れて、隈の浮いた顔をしているのだろう。この特異点が始まって、もう何度目のサバフェスなのかも分からない。きちんと数えていた気はするけど、じゃなくて。意識しなければどんどん本題から駆け出していく思考の手綱を握り直す。デート、だってさ。

    「そうなのかな。全然思いつかなかったや。なんかこう、気を遣わせちゃって申し訳ないかも。あ、いや、遠慮する方が逆に失礼かな?」
    「……正直、君がどう思おうと構わないな。うん。それなら僕が勝手に、良い思いをするだけだし」

    先ほどからやたらと多い言い淀みと、前半の言葉に気を取られて油断した。彼の眼差しは、瞬きほどの軽ろやかさで何かを切り捨てる。待って、良い思いって言った? この、殺気でぎんぎらの目をして、良い思いだって? 誰が、いつ、どこで、どうして、どうやって。唐突なコロケーションに動けなくなる。5W1Hと私を残らず捨ておいて、ビリーはいかにも悪党じみた微笑みを浮かべた。

    「それじゃあ、まあ。今日は1日僕とデートしようぜ、マスター」
    「正気!?」

    思わず立ち上がりそうになった体は、ばっちりのタイミングで運ばれてきた朝食たちに阻まれた。ビリーは行儀悪く、手にしたフォークをいくつものお皿の上で遊ばせている。それはもう、いやになるほど素敵な笑顔で。ああ。仕方ないから私は座り直し、ホットケーキをまっぷたつにした。考えるのは腹ごなしの後にしましょう。

    「あ、待ってこのグァバジャムすごい。すごく美味しい」
    「食い気に負けるの腹立つな」


    #


    片手に食後のコーヒー、空いてる方の手で私を引きずって、ビリーはミスクレーンの部屋を訪れた。おとぎ話出身のお姉様はデートの単語を聞いた途端に目をきらきらと据わらせ、ビリーのあざとさ満点のウィンクでお口とお手々の速度を人型生物の限界のちょっと上まで跳ね上げた。文字通りのマジカルパワーで自身がふわふわつやつやに取り巻かれていくのは、まあ何度体験してもあまり慣れない。

    己の顔の良さを理解ってる男のウインクからしか摂取できない栄養がありましてつまり今なら毎秒今世紀最高を更新できますカルデアの技術は世界いちぃ! と、おっしゃるミスクレーンにお礼を言いつつ私は部屋を転がり出る。

    手渡された大きな紙袋を自室へ滑り込ませたところで、席を外していたビリーが戻ってきた。しかもご丁寧に、彼まで現代の服装に着替えている。

    シンプルな作りなので顔の良さが際立つポロシャツにチノパン、柄のゴールドが差し色のサングラスまで胸ポケットにさしたフルセットだ。スニーカーだけはやたらおしゃれだった。いかついのに都会っぽい、赤と白のデザインが目を惹く。そういやこいつ、伊達男の伝承持ちだったな。こんにゃろ!

    「……へいお待ち。馬子と、衣装よ……」
    「笑わせたいなら恥を捨てな」
    「泣くぞ」
    「せっかく可愛くしてもらったメイクが落ちるぜ?」

    ビリーはじろじろと私を眺め、俯いた拍子に垂れた私の髪を額から弾いた。視線から逃げるようにしゃらしゃらしたカーディガンを掴むけど、常夏の島仕様の羽織ものなので縋るには頼りない。普段なら気後れするような大判の花柄のワンピースは可愛い、文句なしに可愛いのだけど、でもさあ。脳内を駆ける言い訳が私の足をずるずると後退させた。もうずっと居た堪れない。本当は朝から、ずっと。

    「君ねえ、一体全体何をそんなに悩んでるだい? だいたいデートぐらいしたことあるだろ」
    「そ、う、なんだけど。だけどね」

    そうだけど、そうじゃない。言葉がうまく出ない。だって、デートってさ。こんな常夏の、煌びやかな街にいても、上着を手放せない自分が嫌になる。傷跡の上に塗ってもらった化粧はウォータープルーフだったっけ。ミスクレーンはちゃんと教えてくれたのに、どうしても思い出せない。意味も理由もない、だからこそどうしようもない吐き気が喉を揺らす。

    「マスター? 聞こえてる?」

    聞こえてるよ。デートなんでしょ? なんて、その果たして言葉は口から産まれ落ちられたのか。言葉に空気を震わすほどの力が足りていないかも。どうなんだろう。分からない。忘れてしまったね。忘れていた、随分遠くなってしまった、学生の頃の記憶が目蓋を落とす。来週末なら花火大会の予定があるよ、なんて私が言い出したんだ。だからおめかししてさ、あ、あたし浴衣持ってたわ! 良いじゃん! それで手とか繋いじゃったりして、ねえ立香、聞いてるの? ごめんごめん。聞いてるよ、デートでしょ? 聞いてるの。聞こえてる。聞いて、いたんだけど、あの子の声を、今の私はうまく思い出せなくて、思い出せなくなってしまった。聞いてるの。聞いてたよ。聞こえて、聞いて、聞こうとして。

    「ねえ、彼女。僕にデートへ誘われるの、いや?」

    私の産まれるずっと前に死んだ少年悪漢王が、こちらを覗き込んでいた。最早どこにも存在しなかったはずの声は、既にひどく私の耳に馴染んでいた。

    「本当に嫌、ならさ」
    「サイコー」

    あーあ、お手上げだ。間違えた。手遅れだ。だってこんな感傷、今更でしょう?

    「やじゃないよ。嫌じゃないから、今日はデートに連れてってよビリー。ううん、一緒に行こ!」

    少年悪漢王は微笑んだ。そのくせ、差し伸べられた私の手をひたと見据える。思い返せばそれは、宙に浮いた手がほんのりとした寒さを訴えるほど充分な空隙だった。言葉も、感情も、明示されない。記憶をなぞるような眼差しは、私には向けられなかった。そうして螺子を巻き直すほどの不自然さと必要性でもって、ビリーは私の手を掴む。

    「もちろん。君となら、どこへでも!」


    #


    「どこ行く? 射撃場?」
    「わあ、とっても素敵な提案だね! デートって言っただろ、行かないよ」

    そんな会話をしながらホテルを飛び出して。

    「なんでアメリカ内陸部出身、諸説あり、なのにサーフィンが上手いの!? 腹が立ちました……」
    「島国育ちなのに海に慣れてない方が驚きだけど。だいたい僕にはほら、そういうスキルがあるだろ?」
    「陽キャ?」
    「騎乗だよ馬鹿だな」

    借りたサーフボードで海に繰り出して。

    「このハンバーガーって自分で閉じて良いやつ? にわかとか言われない?」
    「気づいてなかったかもしれないんだけど、実はハンバーガーってサンドイッチの一種なんだぜ。挟んで、食べる。ね?」
    「はいはい、そりゃ知りませんでした」
    「まあ僕も今ググって確かめたんだけど」
    「はあ? ビリーはスマホなんて、待って。いま聖杯にアクセスして知識引いてくることをググるって言った?」
    「ほら、聖杯って英語でグレイルだし」
    「やかましいわ」

    ハンバーガーショップで軽く腹ごしらえして。

    「ハワイのお土産と言ったらアカデミアナッツだよね」
    「イメージ古くない?」
    「古典は外れないから良いでしょ。それにほら、うちはみんなチョコ嫌いじゃないし。丁度良いの」
    「……へえ。君の家族、チョコレートが好きなんだ」
    「特別好きってほどじゃないよ。でも嫌いでもない。というわけで、すみませーん! このいちばん安いやつふたつー!」
    「高級取りの貧乏性!」

    果てしなく大きいショッピングモールで、みんなへのお土産を買い込んで。

    「そういえばビリー。日本では昔、カップルは砂浜で追いかけっこするっていう風習があってね」
    「乗った」
    「やらないから。屈伸もしないの」
    「君から言い出したのに。仕方ないなあ。どっちが先に鬼をやるかは選ばせてあげるよ」
    「……礼装着ても良い?」
    「ガンド付いてないやつなら」
    「譲歩と見せかけて勝ちにくるじゃん」

    全力の鬼ごっこの後、夕暮れの浜辺でこういうことじゃない! と怒り。

    そうして私たちは、宿泊先のホテルへ戻る。

    ビリーを外に待たせて、私は部屋の扉をそっと開く。修羅場が済んだばかりだからか、室内はやけに静かだった。ジャンヌたち寝ているのかな。お休みの邪魔をしたら悪いので、私は自分のスペースとして使っている部屋の扉をそっと開く。朝に放り出すように置いてきてしまった紙袋は、そのままの姿でそこにあった。

    紙袋を開かずとも中身は知っている。心優しい仕立て屋さん謹製の、私のためのオートクチュールなドレス。濃紺のカクテルドレスには、銀糸で刺繍が入っている。きっとくるりと回るたび、流れ星が私を中心に落ちていくように見えるのだろう。こうして空想するだけでも、溜息をつきたくなるほど素敵なドレスだった。だから、部屋に置いてきてしまったのだ。

    でも、でもね。私はそうっと袋から布地を摘み上げる。重みのあるスカートは、とろりとその裾を広げてみせた。押し戴くような気持ちでドレスを胸元にあてる。鼓動が弾けた。シャンパンの泡のように、輝きと熱が胸の内を満たしていく。

    でも、今日はあんまりにも素敵な日だから、私も素敵なデートをしてみたくなっちゃったの。

    ホテルの外で煙草をくゆらせるビリーは、先ほど私が見立てたカッターシャツと革靴に着替えていた。路上喫煙は日本以外でも禁止されているだろうか。ああでも、所詮は人間の定めた法律だ。過去の英雄の影法師の何を制限できるというのだろう。現に彼は、私を見とめて手の内から煙草を消した。手品のように、魔術によって。

    夕闇が街を支配する、ほんの僅かな時間。空から滴り落ちてきた日差しの金色をまとって、ビリーは私を見た。その眼差しに耐えられず、口を開くのはいつだって私が先だ。

    「ねえビリー。どう、かな?」
    「似合ってる」

    自分の声の震えを気にするよりずっと早く、彼は完璧な答えをくれる。じゅくじゅくに親愛を含ませた呆れ顔で、ビリーは立ちすくむ私を見つめた。時折、彼の視線は絵筆に似ると思う。似合ってる。短い言葉と共に見つめられると、今まで考えていたことをすっかり塗り潰されてしまうのだ。

    「最初からそう聞いてくれよ。おかげで今まで言えなかったじゃないか。さっきまでのワンピースも、今のドレスも、とても素敵だ。君によく似合っている」

    くるり。ビリーは私の傷だらけの手を取って踊らせる。途端にドレスに刻まれた銀糸の流れ星は彗星となって、不規則に布地の宇宙を散らばっていった。そしたらもう、悩むのも、傷つくのも馬鹿馬鹿しくなっちゃった。私たちは明るい夜空の下で、砂混じりのアスファルトの上で、潮風よりも大きな声で笑いながら踊り続ける。誰も知らないリズムで、誰にも教えてあげないステップで、夜を更させていく歌を口ずさんだ。

    ハワイを遊び尽くした私たちが最後に向かうのは、カジュアルを着こなしながらも格式高いステーキハウスだった。遠目にも香辛料とバターの煌めきを帯びている。まさに、素敵におめかしした誰かたちのためにこそある場所。

    店内も大盛況で、老若男女問わずにこにことリゾートを楽しむ人々で満ち満ちている。あちこちで交わされる軽やかなお喋りを、生演奏のピアノがとびきり洒落たざわめきに変えていた。もしも私がフランス女王のお茶会にお招きされたことがなかったら、あまりのラグジュアリーさに緊張してしまっていたかもしれない。

    「結局さ、誰がこんな良いところを予約してくれたの? メニューも渡されずにコースが始まったし、多分お会計も済ませてもらってるよね?」
    「僕じゃないよ。んー。君のことが好きで、親切なひと」
    「私に教えないことが条件かあ」
    「どうだろうね? まあ、僕からは何も言わないけど」

    シュリンプカクテルをフォークの先で踊らせながら、ビリーはおどけて指を振る。これは、本当に口を割らないときの笑い方。無理矢理に詮索するのも本意ではないので、私は次に会ったひとから順番に日頃の感謝を伝えることにした。

    海産物がつやきら光る前菜から始まり、ニンニクのきいたクルトンが舌を驚かせるサラダ、生クリームでつるりと練られたマッシュポテト、そうして芸術的なミディアムレアのステーキ! 心地良い疲れすら吹き飛ばすほど絶品な料理を、私とビリーは片っ端から食べ進めていった。

    多分、私たちはずっと笑っていた。1日中一緒にいたというのに、会話が途切れることなんてなかった。それでも、楽しい記憶はすぐに曖昧になってしまう。まるで素晴らしく晴れた朝のいちばん初めに浴びる風のように、世界のどこにも残らない。ただ楽しかったという感情だけが、胸の内に息づくのだ。そういうものが、いつだってこの体に熱を与えてくれる。どれだけ冷えてしまったとしても、寒くてたまらなくても、正体を失いそうになるほど暗い中でも、いつか楽しかった一瞬を思い出すことが光を、熱を、幸せを、連れてきてくれる。

    ビリーはさ、知らなくても、良いんだけどね。でも今、私は笑っているでしょう? ほらほら、見てよ。ねえ。

    ねえ、ビリー。

    「本当に楽しかった?」

    気づけば、目の前のチョコレートムースパイはもうなくなっていた。ビリーは静かにソーサーからコーヒーカップを離陸させる。それよりもずっと静かに、彼は笑っていた。おそらく疲労ゆえの酩酊感が脳を揺らし、ぼやけた視界は電灯の輝きを幾周りも大きく見せる。だから彼の瞳を煙らせる切実さと、願いを推し量るための疑問符を、私は見逃した。

    本当に楽しかった? 後にして思えば、きっとこの質問はビリーなりの誠実さだった。それなのに私は、己の賭け金すら見ないまま大きく頷いた。だってあなた、イカサマする相手とタイミングは選ぶでしょ?

    「うん、楽しかった。ありがとうね、ビリー。本当に、すごく、楽しかったよ! だから、明日からはもっと頑張れる」

    ビリーはゆっくりと目を見開いた。彼のまっさらな目蓋は、思い出が投影されたスクリーンを一枚ずつ丹念に引きちぎる。随分と昔に固着しきった諦念は、真珠のように、重油のように、彼の瞳を一等輝かせた。薄い唇に食事の名残はなく、それは瞬間的に彼を人形に見せかける。ただ舌先の赤は誤解の余地もなく脈動を知る色だ。だから生を、だからこそ死を、予兆もなく突きつけられる。朽ちた青空の内側で、寂しいハイライトは瞬いた。誰にも知られず堕ちるはずであった星の光を、私は見せつけられる。

    「うん。そうだね、リツカ。そう言える君だから、君は、僕のマスターなんだ」

    淡い溜息の後で、彼はようやっとそんな言葉を口にした。そのままビリーは右手に小さなコーヒーカップを持ったまま、空の左手を振った。空の、空だった、今は拳銃の握られた、左手。

    「とても素晴らしい夜だった、だろう?」

    ばん。それは発砲音。あるいは、この夜の緞帳が降りた音。

    銃声は一度きりなのに、隣で談笑していたマダムが、後方で皿を片付けていたウェイターが、壁沿いで演奏しているピアニストが、それぞれ撃ち殺された。爆ぜた赤は全ての音を奪い去る。束の間だけ圧縮された悲鳴はどうっと、にんげんが三様に倒れ伏した音で弾けた。高音、低音、言語はそれぞれ全く異なるはずなのに、そこへ込められた感情は搾りたての絵の具みたいに均一な色だ。死にたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない! それはとっても、この身に馴染む響きだった。

    どんな狂乱の中でも、三連符は変わらない。踊るようなめくら撃ち。銃声が鳴るごとに人影はばたばたと地に伏せていく。ビリーは仄かな微笑みの、その影だけを唇に載せていた。緩やかに立ち上がって、その場でくるりとターンする。たたん、なんて革靴のタップ音ばかりがわざとらしい。銃口をあちこちへ出鱈目に向けているように見えるのに、放たれた弾丸は残らず周囲のにんげんに当たった。あっという間に発砲音、血飛沫、硝煙が世界の全部になったみたいな錯覚に苛まれる。私はぽつねんと、台風の目に座り込んでしまったような心地で殺戮の嵐を眺めていた。

    動くものから順に速度を失う。生きていないおとこだけが、生き生きと他者から命を奪う。踊るように。呆けた脳は視界の形容のための定型句として、地獄という単語を選んだ。ここは本物の地獄じゃないというのに。それは、生きている人間がまだ見ることのできないものだ。私は今、生きている、ので、これは地獄ではない。切断の、あるいは蘇生の気配がある。かりかりと螺子を巻くように、生存本能が再起する。無理矢理シャットダウンさせられていた器官へ酸素が巡っていく。

    私、なにを、忘れている?

    永遠に続くかと思われた悪趣味なワルツは、不意に終わりを告げる。モザイク混じりの返り血を浴びた、ビリーがこちらに向けた眼差しを知っていたから。

    「デートはおしまい。僕ら、現実へ帰る時間だ」

    彼は私を見る。帰り道を見送る、暮れ切った空の色を宿したふたつの目。二度と母親の柔い手でグラマーを教わることができなくなった、いつかの子供の死顔。

    ビリーだ、と思った。ビリー・ザ・キッド。私の、サーヴァント。

    ああ。それなら私は、マスターだ。

    だから、世界を救わなきゃ。

    目蓋を閉じて、上げて、そしたら私は私を取り戻す。白内障のように狭窄に陥っていた視野が広がっていく。その中心で、ビリーは私を待っていた。何もかもに置いて行かれたような、何もかもを置いて行くような、見慣れた表情のまま。けれど私の意識が覚醒したことに気づいたのか、わざとらしい心配の表情をしてみせた。

    「おーい、聞こえてる? ああ、その顔じゃまだ駄目っぽいな。ねえマスター。ねえ。我が君、マイロード、ご主人様、僕の引鉄、マイスウィート?」
    「ここぞとばかり煽るじゃん。ああもう、聞こえてるってば。やっちゃって、私のアーチャー」
    「仰せのままに」

    気づけば居並ぶにんげんたちは首がなく、足がなく、腕がなく、赤い血の代わりに青く光るゲルをぬらぬら流して、そのくせ私へ真っ直ぐ向かってきていた。つまりまあ、初めから人間ではなく化物だったのだ。だから私はひらりと手を振る。赤い令呪の煌めきは迷いなくビリーへ飛んでいった。そのまま彼は至極つまらなさそうに、もはや一塊になった宇宙色のゲテモノへ宝具をプレゼントしたのでした。ちゃんちゃん。


    #


    「つまり?」
    「新しいフォーリナークラスのエネミーが、マスターを傀儡化するために永遠の眠りに閉じ込めようとした。で、君にとって卑近な永遠の例かつ降臨の前例があった場所として、ルルハワの記憶が用いられたんだって」
    「永遠に眠らせる、ねえ。それは多分悪手だなあ。ていうか今なんか、中空にコズミックな洞が見えた気がするんだけど」
    「気のせいだよ。絶対に気のせいだから、振り返るんじゃないぜ。君だってまだ、あの自称グレートデビルなラスボス系後輩や、ピューリタンの女の子に味方でいてほしいだろ?」

    ぴしゃりと言い切られてしまえば、私はもう前を向いて走るしかない。たとえ背後で、なんかこう、宇宙大戦? が見えたとしても、流石にもう振り向かない。

    レストランであったはずの風景はポリゴン状に崩れ去った。それどころかそこかしこの地面まで崩れ出したから、私とビリーはお手々繋いで浜辺まで走っている。うっかりBBちゃんのやり方を学習してしまったエネミーさんは、自身の本陣を火山に据えてしまったらしい。そこが今なお彼女の領域だと知らぬまま。まあ確かに、かつての敵が今こちらの味方になっているとは普通考えないだろう。ご生憎さま、汎人類史は悪食なのだ。謝りはしない。

    そんなことを考えながら、ふたりでルルハワの街を駆けていく。風景も人間も書き割りのようで、端からばたばたと倒れていった。戦闘に力を割くために、舞台装置の維持ができなくなっているのだろう。私たちの服装までいつも通りに戻ってしまったのは少し惜しいけど、それでも良い傾向だ。

    「ところで、なんでビリーがお迎え係だったの?」
    「僕らが仲良しだから」
    「単独行動のスキルと宝具の異様な効率の良さと見た」
    「まあそうだけど。夢のない回答だなあ」
    「夢の中なのにね」

    どれくらい走っただろう。ビリーの、カルデアからの指示に従って街を抜けると、コピーアンドペーストで描いた砂浜と海原が広がっていた。決まったサイズの絨毯を繰り返し並べたような、既視感すら覚えるほどの強烈な違和感。痙攣みたいなノイズが細波に見えて、少しだけおかしくなった。この海から潮騒は聞こえず、磯の香りもちっともしない。あらゆる五感が信じるに値しない、正しく夢、の景色だ。

    「帰還ポイントはここ?」
    「うん。すぐにお迎えがくるはずだ」
    「了解。ありがと」

    会話がふつりと千切れる。攻撃的な睡眠からすっかり目覚めた私は、ビリーの雄弁な沈黙に気づけてしまう。もちろん彼だって、私に見透かされていることを理解できているはずだ。だからほら、私たちの沈黙は3点リーダー、あるいは白い油絵の具のように、確かにここにあると無音の声をあげている。慰撫に似た、けれど含有する疑問符が安らぎを許さない私の視線は、彼のそれとは頑なに交わらない。

    不意に海の遠くの方で、ちかちかと光が瞬いた。自律的で、文明的な光。あれはきっとカルデアからの合図だろう。証拠にビリーは手を挙げた。エアコンみたいに一定に吹きつける風がまっかなスカーフを揺らす。

    「現実の今は、夜なんだ。日付変更線の、ちょっと手前」

    視線を海へ向けたまま、ビリーは語るともなしに呟く。仄かに青い光はぐんぐんとこちらへ近づいてきた。私は無意識に海岸線に歩み寄り、ビリーを追い越す。光はもう目の前にあった。これは、これはレイシフトのときに見る光だ。あるいはコフィンの中で閉じた目蓋を透かす光。

    「ほら、夜が明ける前に帰るんだ。きっと目を開ければもう朝で、君は君の明日へ辿り着く」

    ビリーはまるきり壊れものにでも触れるように、私の背を押した。けれど彼の優しさ、あるいは罪悪感に値しない私は、後ろ手にそのぬくもりを掴む。息を飲む音はしなかった。だから全部、思った通り。彼が私に押し当てていたのは掌ではなかった。もたれるようなのにまるで重さのない肩がその証だ。ビリーの手に、血なんかついているはずないのにね。そんなことすら、もう自分では分からなくなってしまった私たちだ。そのくせ、汚したくないものばかり増えていく。

    汚したくない。黒い皮手袋に指を重ねた。汚したくないのに。ひとごろし同士の指を互いちがいに絡ませていく。

    「うん。一緒に、帰ろっか」

    何もかも今更だと分かっているのに、だからこそ、振り解かれない指先が惨めなほど嬉しかった。悔しいくらい、私はまだ死にたくない。

    レイシフトの気配に目蓋を降ろした。存在が希釈され、棺の内側へと納められていく。小さな死の淵で、私は自分の手を握った青年のことを思う。それはまるで寝物語のように、走馬燈のように、夢見るように。


    #


    「ひとつだけ謝罪させて」

    ノウム・カルデアの自室で目を開ける。耳鳴りみたいな眠気を、一呼吸で凪に変える声が聞こえた。言葉に連れられて、ベッドから体を起こす。ビリーはポートレートのようにドアの前で立ち尽くしていた。私の視線に気づき、彼は顔を歪めた。uh。告解になりそびれた声は小石として舌を刺す。ア。けれど視線だけは、決して私から逸らされない。僕は、さあ。

    「チョコレート、君の家族に届かないって知ってた。ごめん」

    ハワイのお土産と言ったらアカデミアナッツだよね。

    それはいつかの、私の言葉。彼の罪悪感は、予め世界から失われていた、小さなお菓子の形をしていた。眠りから醒めた私は、ようやっと彼に突き付けた銃口を自覚する。

    夢の中のいくつもの余白、言い淀み、固着した唇の記憶が脳味噌をぱちりと弾いた。一瞬の驚きが終わってしまえば、身を埋めるほどの納得がやってくる。ああ。だから、か。なんだかな。言いたいことが脳裏を過ぎるうちに言えないことに変貌していった。ビリーはそのうち、許しなんてまるで必要ないような乾いたえくぼを晒し出す。そうじゃない。そういうの、求めてないって。言ったじゃん。あなたが尋ねたことだよ。だって、だって私は、たとえ夢だったとしても。

    こちりと音がする。時計の針が12時に迫る音。あるいは、私が得た天啓の音。今から言葉よりも雄弁な理由と意味を作るための階だ。だから私は当然のように、ベッドサイドの目覚まし時計に手に取って。

    「えい」
    「は?」

    そのまま電池を抜き取った。惚けて動かないビリーに、好都合ねと微笑みかける。電池と時計をサイドチェストに転がし、私はまっすぐ彼に歩み寄った。

    哀れ時計は電池を抜かれ、私が望むまで天辺には帰れない。だからまあ、この魔法みたいに素敵な今日はまだ終わってないってことになる。ううん。まだ、終わらせてあげない。

    「謝罪もお説教も後にしようよ。だって今日は、私とデートしてくれるんでしょう?」

    私はビリーにしなだれかかり、金の髪から覗くまっさらな耳に囁いた。

    「ところで、ベッドはどっちだっけ? マイダーリン」

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    Replies from the creator

    umeno0420

    DONE巌窟王の召喚時からエデが見えているカルデアのぐだが、廃棄孔への螺旋階段でエデと「あんな良い人好きになっちゃうよね〜」と笑い合って失恋する話です。
    恋の話を聞かせてあげる[確認事項]
    ・英霊異聞ドラマCD発表時に書かれたパートと、奏章2以降に書かれたパートから成ります。
    ・あらゆる事実の誤認、捏造が含まれます。
    ・あなたの責任に基づきお読みください。



    ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ 💫









    彼女の話をしよう。
    いつかパリで、善人に仇なすあらゆる悪を打ち滅ぼした復讐者。
    その人を愛でもって救った寵姫の話を。

    私の話もしよう。
    いつか輪廻を瓦解されたマンションで、哄笑と共に立ちはだかったアヴェンジャー。
    その人と世界を救った共犯者の話も。

    恋の話を聞かせてあげる。
    愛の話は、教えてあげない。


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    彼女の話をしよう。

    彼女。可憐にして玲瓏な令嬢。その髪は朝焼けと夕焼けの空を抱く。頰は白磁の器みたいで、唇は日差しを照り返す果物に似ている。まとうターバンは新雪、あるいは花びら。満月のようでいながら太陽のような金の装飾品が体のあちこちに降り注ぐ。それは彼女が動くたびに、しゃらんしゃらんと音を立てた。地上のあらゆる美しさを摘みあげて、とびきり上手に仕立てあげた女の子。
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