愛されてるって当たり前!たくさんおしゃべりがしたいなら、小さめの手仕事をもっとたくさん用意しなさい。
そう教えてくれたのは優だった。だから今日の夕飯は、手作り餃子にすると決めたのだ。なんでって、凛ちゃんが久しぶりに日本へ帰ってきたからである。
ブルーロックとかいうイカれたフットボールデスゲーム施設で、私と凛ちゃんは出会った。そうしてたまたま踏んだ影の寂しさがほんのり重なったことをきっかけに、私たちはどうにも絡まってしまったようだ。ぐにゃぐにゃのままお互いの手を掴んでみたり、間違えた片結びでみんなをたくさん振り回したり、最終的に国境を何度も超えてターンしたり! めちゃくちゃに転がり回った末に、彼が私を捕まえた。
ここ数年は私が日本のチームでプレイしていて、凛ちゃんはヨーロッパリーグのあちこち武者修行中だから、凛ちゃんのオフシーズンだけ日本で一緒に暮らしている。そして今回のお休みのため、昨日の深夜に帰ってきたところ。移動の疲れと時差ぼけでとろけた凛ちゃんをお布団で包んだとき、明日は餃子を作ろうと決めた。
そうと決めたら朝から準備だ。手始めに八百屋さんでキャベツにニラ、生姜とにんにくとネギを買い込んでね。家に帰ってきたら次のステップ、薄力粉と強力粉をほろほろ混ぜてはまとめていく。凛ちゃんが起きてきたのは、餃子の皮をまとめ終わり、ボウルを洗い出したあたりだった。
「およ、おはよー凛ちゃん」
「………チッ」
リビングキッチンの扉から顔を覗かせた彼はまっすぐのそのそとこちらへ近づき、私の左肩に体重を預けた。ぱさぱさの髪が頬をくすぐる。思わず体が沈みかけて、泡まみれのスポンジを手放した。
「うおっ、と。重いよ凛ちゃん!」
「ぬりぃ鍛え方してんのが悪い」
凛ちゃんはデカいし重いしかさばる。だから本気で寄りかかってこられたら、私なんか5秒でぺしゃんこだ。でも今そうなっていないし、洗い物を邪魔するように抱きついてもこないから、これは構ってほしたがりのポーズだろう。つまり拗ねてるってこと。かーわい。あんまり可愛いので、お互いの髪を混ぜるみたいに頭を押し付ける。
「朝、起こさないで出てったこと怒ってんの?」
「……」
「体重で返事すんなー」
「返事じゃねえし」
ガキみたいなお返事だこと。口にしたら天邪鬼を発揮しちゃうから言わないけどさ。こういうところが、ちぎりんに甘やかしすぎだって言われるところなんだろう。分かってはいるのです。一応ね。
「これ、何」
「餃子の皮」
「皮から作んの」
「そそ」
「へえ」
相槌は微かで、少し面白そうだった。そういえば凛ちゃんの前で餃子って作ったことなかったかも。彼はするりと私から離れ、食卓の上の餃子の皮を見つけた。ターコイズの瞳はしげしけどラップに包まれた白い生地を眺める。あ、つついた。こらっ。
「まだ触んないでよ。あと10分くらい寝かせたら、こねて、伸ばして、切って、また伸ばすんだから!」
「……ふーん」
「凛ちゃんがね」
「あ?」
ぐわりとこちらを振り向くお顔は捕食者のそれ。まっしろの歯は切断も切削もお手のものって感じの鋭さを持っていた。低めの声も相まって、ぶちぶちにキレちゃってるっぽく見える。驚いただけなのにね。だから私はおおげさにきゃあと悲鳴をあげてみせた。ついでにボウルの泡を流していく。
「ええ、まさか働かないのにご飯食べるつもりだったの!? まさかそんな、ハンドレッドミリオンプレイヤーの糸師凛さんがですかぁ!?」
「ウッゼ、知るかよボケ」
「それともできない? 廻くんは小学生の頃からできてたんだけどなー」
凛ちゃんはもう口も開かなかった。嘘、舌打ちはした。ばしばしの下睫毛に縁取られたその目は動かないまま、ちろりとまあるく膨らむ餃子の皮の生地を見る。それから私の横にある野菜とお肉の山を。そうして最後に、にこにこの私を眼差した。
「………レシピは」
「ぴ?」
「だから、お前の言い方だと何やってんだか分かんねえからレシピ出せって言ってんだよ」
「ないよそんなの」
「分かった。帰る」
「残念! 凛ちゃんのお家はここなのでした!」
手を拭いた私はめん棒をバットみたいに構えた。凛ちゃんはでっけえ溜息をついて、いかにも面倒そうにそれを受け取った。私の勝ち!
「初めてなのに上手だねえ。よ、餃子屋さん」
「うるせえ、な、クソ、ボケ、カス」
凛ちゃんは暴言のリズムに合わせて、餃子の皮をひらべったく伸ばしていく。本当、手つきは文句なしなのにね。私はやれやれと息を吐きながら、挽肉と野菜を混ぜ合わせていく。とりあえず私と優で食べるときの3倍で用意したから、記憶よりずっと掌が重たい。うーむ。こりゃ大仕事ですな。
生肉と野菜と小麦粉の塊を挟んで、会話はつるつると回っていく。お互いそんなに連絡を取り合う方ではないから、初めて聞く話がそこそこある。それは例えば昨シーズンの裏話とか、旧友たちの活躍とか、お互いの家族の近況とか。会話は細かに途切れつつもおしまいには辿り着けず、反復しながら展開していく。話が途切れないほど、会えなかったときのもやもやの輪郭がふやけいった。だけど直接会ったのは何ヶ月ぶりだっけとかは、もうあんまり思わない。あんまり普通の恋人っぽくない関係だなあとは、ちょっと思う。
でもそんなのは今更だろ。イカれてるから出会えたんだ。ひとりぼっちだったから、手を取り合えたんだ。
「……おい、聞こえてんのかオカッパ」
「あ、ごめんごめん。なんて?」
「………何でもない」
「そ? そういやいつまでオカッパって呼ぶのさ。もう結構髪伸びてんだからね、ほらほら」
「別に。通じてんだから問題ねえだろ」
顔を上げれば、凛ちゃんは私を見ていた。その視線が髪を柔らかに撫で下ろしていくのが分かる。ああ、やっぱり餃子パーティーは明日が良かったかも。きっと今凛ちゃんの手が綺麗なら、視線じゃなくてその指で髪をすいてくれただろうに。どうしようもないことなのにちょっとだけ悔しくて、私はつんけんとした口調になってしまう。
「いやいや、あだ名ならもっとかわゆいのがいーです! 世の恋人みたいに子猫ちゃんとか、小鼠ちゃんとかさ。どう?」
「畜生と同列に並んで満足か?」
「やな言い方だなあ。ま、凛ちゃんはそういうタイプじゃなかったね。逆に私が凛ちゃんのこと、子猫ちゃんって呼ぶのは?」
「やめろ。誰が猫だ目ん玉腐ってのか」
「猫っぽさはあると思うけどにゃあ。それなら凛ちゃんは、何のつもりなのさ」
不意に、めん棒が掌から落とされる音がした。
私の視線を受けた彼は、くしゃりと唇の片端をひしゃげる。挑発にしてはあからさまで、嘲笑にしては温度が高い。なによりとっても楽しそうだ。とびきり良いことを、底抜けに悪いことを、思いついてしまったように。私の緊張を正しく推し量り、トルコ石の瞳がぴたりと据わる。山を削り開く清水の碧の内に、破砕された地層の黒が蜘蛛の巣状に走り抜けた。不透明の貴石は安全色の青に、緑に光を封じ込めるのに、糸師凛の視界のうちにセーフティーエリアなんかないのだ。全てが全て、爆撃の下で、銃火の隣で、地雷の上。
獣で、ばけもの。壊れるために壊すいきものは今、真っ赤なべろで舌なめずりをひとつ。
「お前の大好きな、糸師凛様」
その言葉、に、いき、息が、詰まってしまう。
目の前の男はひどく満足そうに微笑んでいる。きっと私が自分の思い通り固まってしまったのが愉快なんだろう。馬鹿だな、違うよ。いや動けないのは本当なんだけど、それは呆れたとか驚いたとかじゃなくて。
当たり前の顔して、あなたは私の愛を語る。それが私にとってどれだけ可愛くて、眩しくて、嬉しいのか、知らないんだ。
なんだよ、それ。ああ、良いな。ずっと知らないでいてよ。ずっと、愛されて当然だって顔して、笑っていてくれよ。
「ん、そう。そうだよ。ね、私の凛ちゃん様、頭撫でて良い? 今ちょっと餃子のタネで手ぇべったべたなんだけど」
「死ね」
「死なないよ。私が死んだらお前、悲しむくせに」
返事はお行儀の悪い舌打ちだけ。でも私は、それが彼の降参であるって知っている。
それで結局、お互い手が使えないから、唇だけでキスをしたのでした。餃子食べる前で良かったねって言ったら、同じもん喰うんだから変わんねえだろと返された。そりゃそうだと、私は笑った。できるだけ長く、こうやって笑い合っていられたら良いのになと祈りながら、笑った。