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    ##毒を食らいて

    「すまない、先生……」
     夕刻近く、狩りから戻ってきたディミトリが苦り切った顔でベレスに差し出したのは、一掴みの香草だけだった。
    「せっかく弓矢もあるというのに、なにも狩ることができなかった。先生に肉を食わせてやりたかったのに。情けない限りだ」
     顔を歪め心底悔し気に言うディミトリに、そんなことないよとベレスは慰めた。
    「ちゃんと香草を見つけてきてくれたし、無事に戻ってきてくれた。それでいいんだよ」
    「だが」
    「もともと生き物がいない土地のようだと君は言っていたじゃないか。なにか狩れたほうが、幸運なんだよ。それになんの成果も得られなかったと言うなら、私も同じだ。今日しかけた罠は魚に逃げられてしまった。教師なのに、体力仕事を担ってくれている君に栄養のあるものを食べてもらいたかったのに、情けないよ」
    「先生……」
     不器用にベレスに慰められたディミトリは、情けなく下げていた眉尻をはっと跳ね上げた。
    「なあ先生、それはもう言わない約束だろう? ところで、こんなものしか持って帰られなかったが、これは料理に使えるだろうか」
    「そうだったね……うん、うん、大丈夫、使えるよ。こっちの実なんかは潰して使うことが多いんだけど、ピリッとしていて肉に合うんだ。素焼きと香草焼きと、ふたつ作れるね。君が採ってきてくれたおかげだよ。ありがとう、ディミトリ」
     ベレスは明らかに自分に合わせてくれているのが分かったが、強ばっていたひょうじょが和らいだだけでもディミトリにとっては嬉しかった。また気にしてしまう前にと、ディミトリはベレスを促した。
    「いや……使えるのならよかった。それじゃあ先生、そろそろ作りはじめようか。この谷間では、あっという間に暗くなってしまうから」
    「そうだね。じゃあディミトリ、この実を潰しながら、こっちの半身に刷り込んでくれる?」
    「ああ、任せておいてくれ。……すりつぶすための石を砕かないよう、気をつけないといけないな。せっかくの実も台無しにしてしまう」
    「……うん、気をつけてね。実もだけど、君の手が傷ついてはいけないから」
     ベレスが驚いたように瞬いてから注意を促してきた。けれど淡々とした言葉とは裏腹にその目元も声音も和らいでいて、不得手な冗談だが言ってよかったなとディミトリはほっとしながら、言われた通り香草の実をすり潰し始めた。
    さほど作業工程は多くなく、ベレスの指示どおりに下ごしらえを進めればあっという間に準備は終わった。並んで倒木に腰掛けながら、ベレスが留守を守りながら作っておいてくれた木串に蛇の開きを刺して焚き火の周りに差して炙る。上空はまだ薄明るいのに、辺りは焚き火の炎の明るさが目に痛いほど暗くなっていた。
    「そういえば先生、足はもう大丈夫なのか?」
     焚き火で炙る蛇の開き身を焼きすぎないようにくるりと返しながら、ディミトリはベレスに尋ねた。当初ベレスの怪我は一週間ほどは杖で歩くどころか立ち上がるのもできるかどうか、という見立てだったが、実際は三日目にして寝床にした洞からもう一人で出ることができるようになっていた。焚き火に照らされるその足もすっかり腫れも引いてすらりとした脚線美を見せている。痛々しい青黒いあざがなければ、ひどく足を痛めたなど信じられないくらいだった。
    ディミトリの痛ましげな視線を浴びて疼いたのか、患部をいたわる様に撫でながら、ベレスは平気と頷いた。
    「少しのあいだ立っていたり、短い距離なら杖を使わなくても歩けるくらいには良くなったよ。捻っただけで骨を折ったわけではなかったのが良かったのかも知れないね。とはいえまだ出歩くには不安があるから、狩りに関してはまだまだ君に負担をかけそうだ。ごめんねディミトリ」
    「いや、それは気にしなくていい。それよりすごいな。怪我の治りは人より早いと言っていたが、もうそれほどに回復するなんて。だからといって焦って無理はしないで、おとなしくしてくれよ、先生」
     釘を刺され、ベレスは肩を竦めた。ディミトリは時々、父であるジェラルトのようなことを言う。それは気にかけてけれている証なのだけれども、ほんの少し、もやもやとしたものを感じるのも事実だった。
    「分かっているよ。これ以上君に情けないところは見せられないからね、無理に出歩かないと約束するよ。でも、魚をたくさん食べさせてあげる。私は釣りが得意なんだ」
     そうそう世話ばかり焼かれてたまるものかと思いながら、ベレスは薄闇に暗く溶け込む川面を見た。明るいうちに魚影は何度か見かけたし、沢蟹も見つけた。素早く動けなかったので捕まえられなかったが、足の回復具合を見るに、明日にはそれもできるだろう。なにより、ほんの少し上流に足を伸ばせば釣りの穴場とも言える滝つぼがある。あそこなら、この辺りよりも魚も釣りやすいだろう。出歩くことになるが、無理に出歩くわけではないのだから、先程ディミトリに言ったことは嘘ではない。
    「どちらが多く食べ物を確保できるか競争だ、ディミトリ」
    「競争って……あのなあ先生」
     突然なにを言い出すのかとディミトリは呆れた。その内容だって、今の状態にはあまりにそぐわない。
    「救助がいつになるか分からないんでしょう? だったらこの状況を楽しんだ方が、気も滅入らなくて済むよ」
    「……なるほど、それは一理あるかもしれないな」
    「うん。それで、多く集められたご褒美に夜は洞で寝られる、というのはどうだろう? 少なかった方は火の番だ。君はもう蛇と香草を見つけて一歩先んじているから、今晩の寝床は君が使えるということだね」
     少し興味を引かれていたディミトリだったが、慌てて否定した。
    「待ってくれ先生、そんなつもりで蛇を仕留めたのでも採集したのでもない。休むべきは怪我をしているお前だ」
     けれどベレスは引かなかった。
    「もう平気だよ」
    「そうかもしれないが、怪我をいたわることが優先だ。その方が治りも早いだろう」
    「平気。怪我をしたばかりのときのような起きていられない状態ならともかく、今はもう寝ていようが起きていようが怪我の治りはたいして変わらないから」
    「先生……」
     頑ななベレスにディミトリは眉尻を下げた。
    「ほんの少しでも早く良くなるなら、俺は先生に休んでもらいたい。早く治して、一緒に狩りに行って、そこで勝負をしたいよ、先生」
    「でも、それじゃ……」
    「どうした? 言いたいことがあるなら言ってくれ。気になるだろう?」
     言いよどんだベレスをディミトリは促す。少し迷った末に、ベレスは口を開いた。
    「ディミトリ、君はこんなことになってからずっと休めていないでしょう? 君は私に休めというが、私は君にこそ休んでほしい」
    「先生……」
     引け目はずっと感じていたのだろう。まっすぐ、申し訳なさそうに眉尻を下げて見つめてくるベレスを安心させるように、ディミトリは微笑んだ。
    「気にしてくれてたんだな。ありがとう先生。だが俺はお前より体力はあるし、あまり寝なくても平気な方なんだ。だから寝床は先生が使ってくれて構わない。だから、その勝負はやめよう」
     ディミトリも引く気はないことを悟って目を伏せたベレスは、ようやく頷いた。
    「分かった……」
     パチパチと粗朶が弾ける音を聞きながら、黙りこくったベレスが串焼きの炙る面を変える。なにを話したものか分からずディミトリもつられて同じことをしていると、ベレスがおもむろに串を二本抜きとり、そのうちの片方をディミトリへと差し出した。
    「そろそろ食べ頃だよ」
    「そうか、ありがとう。……蛇肉は初めて食べるから緊張するな」
    「噛み付いたりしないから平気だよ」
    「それは、……安心だな」
     当たり前だろう、と言いそうになってから、ベレスが冗談を言ったのだと察したディミトリは慌てて言葉をすり替えた。ぎこちなく微笑むディミトリに、ベレスは満足そうに頷いた。
    「小骨は君が砕いてくれたから大丈夫だと思うけれど、あまり気になるようだったら吐き出してね」
    「ああ、分かった」
    「それじゃあ、いただきます」
    「……いただきます」
     迷うことなくかぶりつくベレスとは反対に、ディミトリは決心がつかない。口元に持っていったものの躊躇しながらちらりとベレスをうかがえば、ぴんと眉を跳ね上げ丸く見開いた目が、嬉しそうに細められるところだった。食堂でよく目にする顔だ。ようやく決心したディミトリは、手にした蛇肉にかじりついた。
    「……ん、これは」
     舌にピリリとした刺激が走り、独特の香りが鼻腔を抜けていく。すこし癖はあるが、すっきりした後味が実に爽やかだった。
    「うん、意外と甘みがあるね」
    「甘いのか?」
     思わず聞き返してしまい、ディミトリはしまったと内心で舌打ちした。けれどディミトリの焦りを知る由もなく、ベレスは少し首を傾けて咀嚼したあと、ああそうかと口の中のものを飲み込みながらなにやら納得したようだった。
    「君のは香草を刷り込んだほうのだったね。素焼きも美味しいよ。食べてみる?」
     囓りかけの素焼きを差し出され、ディミトリは慌てて首を横に振った。
    「いらない? 悪くないよ?」
    「……俺はこちらの香草焼きが気に入ってな。……その素焼きの方は、臭みやえぐみといったものはないのか?」
     いくら食べられるからといっても、毒を持つ生き物にはそれなりに強い癖があるような印象があるだけに、意外と甘いと述べたベレスの感想こそがディミトリには意外だった。
     尋ねられたベレスはまたかじりついた分を確かめるようによく咀嚼したあと、ごくりと飲み下して深く頷いた。
    「うん、意外かもしれないけれど、甘いね。私も蛇を食べたことはあまりないけれど、これは今までで一番甘いよ。この蛇は毒が強ければ強いほど甘みが強くなると、ジェラルトから聞いたことがある」
    「そうなのか。見かけによらないのだな」
    「それだけ毒をため込んだ蛇だったんだね。もし噛まれていたら助からなかったかも。退治してくれてありがとう、ディミトリ」
    「いや……当然のことをしたまでだ」
     ディミトリは照れながら、試しに素焼きの蛇肉にかじりついた。ベレスが言う味は分からないのは残念だったが、肉厚で食べ甲斐がある。とはいえやはり無味ではあまりに物足りないので、ディミトリには香草仕立ての方が好みだった。口に広がり鼻に抜ける香りも気分がよく、胃に収まった蛇肉から体中に力がみなぎってくるのが分かる。じわりと噴き出た生え際近くの汗を指で拭いながら、ディミトリはひとり頷いた。
    (食べてみれば、悪くないな……)
    最初はおっかなびっくりなディミトリだったが、労働を担っていることもあり、怪我を治さなければいけないベレスと分け合って、結局二人してぺろりと食べきってしまったのだった。
    「ありがとう先生」
     小枝を焚火にくべていたベレスは、突然の謝辞に顔を上げて首を傾げた。
    「今日はいい学びがあったよ。これも先生がいてくれたおかげだ」
    「そんなことないよ。礼を言うなら私の方だ。君がいてくれたからこうしていられるけれど、もし君が追いかけてきてくれなかったら、私はおぼれ死ぬか、運よく岸に流れ着いたとしても怪我で身動きがとれずに飢え死にしていたかもしれないんだから」
     ゆるゆると首を左右に振って、ベレスははたと口をつぐんだ。もう蒸し返さないと約束したのにさっそくしてしまった。眉尻を下げて黙りこくったベレスに、ディミトリは笑った。
    「本当に、間に合ってよかったよ。……いや、結局崖から落ちてしまったのだから間に合っていないのか……? とにかく、先生をひとりきりにすることにならなくて本当に良かった」
     言って、ディミトリは笑いを噛み殺した。
    「斜面をものすごい勢いで駆け降りていく先生を見た時は何が起きているのかと思ったよ」
    「……最初は段差か木の根に少しつまずいただけだったんだけれど、ちっとも立ち止まれなくて……」
     つんのめり、転ばぬよう反射的に足を踏み出し、それを交互に繰り返す。これが例えば運動が苦手な者だったらすぐさま転げていただろうが、幸か不幸かベレスはそうならずに済む身体能力があった。斜面も滑り落ちるほど急ではなく、すぐ立ち止まれるほどなだらかでもない絶妙な傾斜だった。そのせいで、ベレス自身もびっくりするほど足を止められなかったのだ。
    「誰かにぶつかって巻き添えにしてはいけないことしか考えていなかったけれど、今にして思えば、勢いがついてしまう前にあえて木などにぶつかるなどしていれば、打撲は避けられなくてもこんな事態にはならずに済んだかもしれなかったね」
    「……そんなこと、できたと思うか?」
     冷静にディミトリに問われて、口をつぐんだべレスは首を横に振った。
    「できたらよかったんだけれど、あの斜面ではとてもそんな余裕はなかったよ」
     言って、べレスはため息をつくと天を仰いだ。
    「怪我を覚悟で木にぶつかったとして、打撲で済んだかどうかも怪しいしね。頭をひどく打って昏倒していたかもしれないし、そのまま意識のないまま崖から落ちていたかもしれない。結果論だけれど君が言う通り、同じ崖下に落ちて流されるにしても、君が一緒に来てくれてよかったよ。追いかけてきてくれたのが、君でよかった」
    「え、先生、それはどういう……」
     思わずどきりとして聞き返したディミトリに、べレスは至極真面目な顔で答えた。
    「君には春からこのかた、私の情けないところを散々見られているからね。今更格好つけて取り繕う必要もないし、助けられるにしても頼み事をするにしても、他の生徒たちに比べればずっと気が楽だよ――教師としては情けないけれど。だから、追いかけてきてくれたのが信頼する君で良かった」
     ああ、そういうことか。
     ディミトリ自身思わず感じた落胆は、言葉にすることなくくすりと笑って吐き出した吐息で誤魔化して頷いた。
    「俺は級長だからな、お前を補佐するのも務めのひとつだから任せておいてくれ、先生。それに、お前にそれほどの信頼を置いてもらえてとても嬉しいよ。困ったときはお互い様だ。俺もお前からは学ぶことがたくさんある。負い目に感じることなく、頼ってほしい」
    「うん、ありがとう。迷惑はかけるけれど、必ず一緒にガルグ=マクに帰ろうねディミトリ。きっとしばらくは土産話には事欠かないよ」
     べレスの前向きな言葉に、ディミトリは微笑んだ。
    「それでこそ、俺の先生だ」
    「うん」
     ベレスが穏やかな表情で頷き、指を組んだ両手を頭上に突き上げうんと伸びをした。どうやらようやく、後ろめたさや罪悪感といったものは振り切れたようだった。
     よかった、とディミトリは呟きながら、焚火に粗朶を投げ入れてふと顔を上げる。ベレスはなぜだか眉間にしわを作りながら、引き寄せた肩口に顔を寄せていた。そしてぽつりと一言。
    「……におう」
    「せ、先生……?」
     眉間にしわを寄せた渋い顔のまま、ベレスが先ほどよりもよほど真剣な顔でディミトリを見つめながら口を開いた。
    「ディミトリ、水浴びをしたい」
    「は」
    「だから君はしばらく洞で休んでいてほしい」
     突然の流れに瞬くことしかできなかったディミトリだったが、すぐに「わかった」と頷いた。思えば自分は採集や寝ずの番のあとなどで好きなように体を洗えたが、ベレスは足を怪我して動けなかったのだ。濡れた布を渡して拭えるようにしていたとはいえ、汗をかいた体を洗えなかった不快感は女性であるだけにひとしおだろう。くわえて、いましがたの食事でディミトリ自身も体が火照ってじわりと汗が噴き出している。ベレスもきっと同じ状態のはずだ。
    「それじゃあ、お言葉に甘えて少し休ませてもらおう。だが先生、まだ怪我も治り切っていないのだから遠くに行くんじゃないぞ」
    「分かってる。この焚火の範囲にいるよ。君こそ、火の番をするのをかすめとったりはしないから、交代の時はちゃんと声をかけるから、ちゃんと中で休んでいてね」
     けして水浴びしているところを見るんじゃないぞと言外の圧を受けて、ディミトリは苦笑した。
    「分かっているよ先生。ああそうだ、初夏とはいえ川の水は冷たいから、ちゃんと体を拭うのを忘れるなよ」
    「もちろんだとも。さっぱりしそうで、楽しみだ」
     ディミトリは焚火の炎と水浴びへの期待に瞳を輝かせるベレスに頷き返すと立ち上がると、背中にベレスの視線を感じながら、目隠し用の枝葉をめくって洞の中へと足を踏み入れた。


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