花開くまであと幾年 ……ここは、いったいどこだろう。いつかどこかで見たような、しかしシャドーハウスにはあるわけのない景色。暖かな日差しに小鳥が歌い、そよ風が額を撫で、通り抜けていく。見渡す限りに咲き誇る赤や黄色の花々は色鮮やかで、ちょうど花のさかりのようだ。
「わあ、きれいなお花でいっぱいですね、パトリック様!」
エミリコがくるくると小躍りしながら、花畑を駆け回っている。
「花は逃げていかないんだから、もう少しゆっくり見てもいいんじゃないか?」
「あ、確かにそうですね。ごめんなさい、少しはしゃぎすぎちゃいました」
照れ笑いを浮かべるエミリコは、ひだまりがヒトの形をしているようにきらきらとしていた。
「わあっ、あちらには、別のお花が咲いてますね」
エミリコはそう言ってさらさらと流れる小川の向こうを指差すと、ひょいと小川を飛び越えてみせた。
「パトリック様、お手をどうぞ!」
……このまま、彼女の手を取ってもいいのだろうか。飛び越えられずに、エミリコ諸共川に落ちてしまったら?ふと、改めて辺りを見渡すと、リッキーの姿が見えない。どうしよう。俺が一人で決めて、それでうまくいくだろうか。そんな心の翳りに苛まれた瞬間、世界は闇に落ちた。
「花々の咲き誇る場所の夢、ですか。あいにく夢占いの類は存じ上げてはおりませんが……きっと、いい夢ですよ」
リッキーに夢の話をした。そこにエミリコがいたことはもちろん伏せて。すると、『ひょっとしたら、温室の花が気になったのでは?』と様子を見に行くことを提案してくれた。
「リッキーは夢を見たりするのか?」
「……申し訳ありません。語れる様なものは、何も。見ていたとしても、きっと覚えていないのでしょう」
温室に着くと、先客がいた。彼女の名は確か、マーガレット。
「花の世話……しにきてくれたの……?」
「ああ、ちょっと気になって」
「鉢植えの花はね……狭い世界で生きてるの。こうやって手をかけて……ちゃんとお水をあげないと、いずれ枯れてしまう……」
花にとっては、鉢の中だけが世界の全て。雨も降らない温室の中では、誰かが水をくれるのを待つしかないのか。
「だからね、あなたの花……大切にしてあげてね」
如雨露から鉢植えに注いだ雫が、あっという間に土の中に吸われていく。硬く閉じた蕾がかすかに震える。生き延びる為、生き長らえる為の貪欲な現象。けれど、最後の一手は、俺の手に委ねられている……。
「生育も順調なようでしたし、よかったですね」
「無事に咲くといいな……」
たっぷりと水を遣り、温室を後にした。この調子なら、時期に花開くことだろう。きれいに咲いたら、エミリコに見せたい。夢の中で見た、あのきらきらと眩しい笑顔が脳裏に浮かぶ。俺に希望をくれた、あの花のお返しだ。そう、あくまでお礼として。この密やかな野心のためにも、鉢植えの花の世話は必ずやり遂げなくては。
「リッキー、図書館に寄ってもいいか?」
「はい、調べ物ですか?」
「花のことをもっと知りたい」
“鉢植えの仕立て方”
“ダリア長持ちのコツ”
“花を永久に楽しむ”
「とりあえず、このあたりのものを借りよう」
「パトリック様は勉強熱心ですね」
「おや、リッキー、その本は……」
リッキーが抱えていたのは、薄紫のハードカバー。タイトルには、”夢占い”と記されている。
「先程夢の話を聞きましたので。この本によると、花畑の夢は、やはり吉夢とされているようですよ」
「……そうか」
「なんでも、恋愛運が上がっているってことだとか」
「れっ、恋愛運!?」
思いがけず、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「いい出会いの前触れということでしょう。もしくは、もう会ったことのある方かも……」
「……!」
「パトリック様?」
「……うん。借りるものも決まったし、部屋に戻ろう、リッキー」
きっと想いを伝えることはない。悟らせることすら、きっと許されないだろうから。リッキーがいなければ、うまく行動できるかわからない……そんな俺の、俺だけが持っている感情。蕾の膨らみが、胸を苦しめたとしても……それで、いいんだ。