手を伸ばせば届く距離 自分の心に気づいたあの時から、俺は自分に誓いを立てた。「この想いは絶対に表には出さない」と。けれど、想い人は手の届かない距離にいるわけじゃない。同じ棟の中で、等しい時を過ごしている。廊下でばったり会うなんてことも、それこそ日常茶飯事で……。
「おはようございます、パトリック様!」
色とりどりの花が一斉に咲き誇っているような笑顔が、俺の胸の鼓動を速める。いいや、ダメだ。ドギマギしているのを悟られてはいけない。
「リッキーも、おはようございます!」
エミリコは、今日も笑顔を輝かせている。きっと誰に対しても、分け隔てることなく……。俺はエミリコに微笑みかけられる中の一人にすぎないのだ。エミリコにとっての俺は、特別でもなんでもない一人のシャドーでしかない……わかっているさ、そんなことは。
「あら? どうしたのパトリック。貴方、すすが溢れているわよ」
「え?」
近くにあった窓に、黒いモヤが掛かった俺の顔が写っている。しまった。すすに嘘はつけない。
「パトリック様。もしかして、ご体調がよろしくないのですか……?」
リッキーが不安げな目で俺を覗き込む。
「……ああ、もしかしたら、そうなのかもしれないな」
そうだ。体調不良ということで誤魔化そう。心のモヤがすすになって溢れても、感情の中身まではわからないから。
「大変!お熱があったらどうしましょう!?」
エミリコが大慌てでパタパタと駆け寄ってくる。待って、君にそんなに近づかれたら……!
「パトリック様、少しだけ屈んでいただけますか?」
「ん……」
言われるがまま、頭をエミリコに寄せる。コツン、と額と額がぶつかる感覚がした。
「ん〜、ほんの少し、熱っぽいかもです」
「〜〜!!」
頭がくらくらする。今すぐにでも彼女の手を取って、「君が好きなんだ」と言えたなら……。いや。そんなことはしない。絶対にできないけれど……。
「ありがとう、エミリコ。そしてすまない。部屋で休むとするよ……」
「お大事になさってくださいね」
「お休みの準備は任せてください、パトリック様。さ、行きましょう」
リッキーに介抱されながら、二人に見送られた。俺もこんな調子ではいけないな。リッキーのためにも、しっかりしなければ示しがつかない。「想いは表に出さない」と決めたのだから……辛くても、届かなくても、俺はそれを受け入れなくては。頭の中でそっと、エミリコの笑顔を思い浮かべる。心のモヤが、少し晴れた気がした。
「大丈夫でしょうか、パトリック様……」
「……結構重症かもしれないわね」
「ええっ!? そんなぁ!」
「なんて、ね。きっと夜通し考え事でもしてたんでしょう。休めばすぐに良くなるわ」
「……そうですよね! そうだといいな……」
私は嘘をついた。休めばすぐに良くなるなんて、嘘。むしろ、日に日に悪化してもおかしくない。焦がれれば焦がれるほど、心の奥から灼かれていってしまう。
恋の病は、そういうものでしょう?