「あ。入江さん。よかった、探していたんです」
廊下で呼び止められて入江が振り向くと、見覚えのある子がいた。
「あれ、幸村くん。どうしたんだい?」
徳川のことだろうかと当たりをつけて入江が尋ねると、幸村は微笑み、頷いた。
「はい。徳川さんにはとてもお世話になっています。それで……」
幸村の言うことには、徳川と今以上に親睦を深めたい。そのために、入江と一日部屋を代わってもらえないか、そういった提案だった。
入江はそれを聞き、それは徳川もきっと歓迎するだろう、と頬を緩める。それから、部屋を交換するということは、自分が幸村の部屋に移動するのだということに思い至った。
幸村と同室なのは……そこまで考えて、入江の笑顔が僅かに引き攣る。
「……えっと……ボクは大歓迎だけど、跡部くんが嫌がるんじゃないかな?」
幸村と同じ部屋を使っていたのは確か跡部だ。内心で慌てている入江の気持ちをつゆ知らず、幸村は安心してください、と入江に微笑んだ。
「大丈夫ですよ。跡部とは話をつけてます。……むしろ、彼から提案してきたくらいですから」
幸村の言葉に入江は驚いたが、心のどこかでは納得もしていた。これは跡部が仕組んだことだ。跡部の思惑は、あまりに分かりやすかった。
幸村から提案させたのも、断りづらくするためだろう。実際、表立って断る理由などなかった。入江は内心でため息をつきながら、顔に笑顔を貼り付ける。
「そう……分かったよ。徳川くんにはボクから話をしておくね。彼も喜ぶと思うよ」
「はい。よろしくお願いします」
にこりと微笑み、一礼して去って行く幸村を眺めながら、入江は小さく息をついた。もし徳川が難色を示すのならば断ることもできるだろうが、彼のことだ、喜ぶに決まっている。それに、入江にとっても、徳川が後輩と交流を深めるというのは喜ばしいことだった。
断る選択肢など、初めから用意されていなかったのだ。