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自室に入った瞬間に、本当にあの緊張感から解放されたのだと思った。
何かの機会に、家の匂いが、などと聞いたことがあったが、これが家の匂いを感じるということなのかもしれない。
安心感の得られる帰る場所、という。
先を歩いていたブラッドさまが振り返って。
「改めて、おかえり、オスカー」
と言った。
息が詰まった。指先が一瞬冷たくなってすぐに血液が巡る感覚。
足元の感覚が曖昧になった後に明確になった。
拘束も監視もされていないのだ、今は。
そこまでのストレスではないと思っていたが改めて。
「ただいま、戻りました」
帰った、のだ。俺は。
何かの衝動が湧き上がる。
何かに縋りたいような、そんな。
それがわかったのだろうか、ブラッドさまが腕を広げたので、今日ばかりはそれに甘えることにする。
そっと身を任せるようにそれを寄せて重ねる。
背中に腕が回ってきたことにどきりとした。自分の腕を回すことには躊躇いがあって、だらりと腕は下げたまま。
こんなふうに誰かに身を任せるように柔らかく優しく抱き締めてもらうなどあっただろうか。
記憶を辿りたいがそれよりも今を感じることに精一杯だ。
じわじわと帰ってきたことの実感と、ブラッドさまのわずかな香水の匂いと体温に浸りたくて目を閉じる。
離れ難い離すことができない。
ポンポンと背中がわずかに叩かれる。
まるで子供をあやすように。
それが、あやす、という行動であることを知ったのはビームス家に来てからだ。
俺は戸惑いながらブラッドさまの背中に腕を回す。
そうすると一層体が近づいて、心まで近くなったように感じた。
感じてしまったら、更に離れるタイミングを失って。
ささやかな身じろぎ、その筋肉の動きすらも感じようとする。
離れなければ、これ以上はブラッドさまの怪我への負担やブラッドさまの時間を消費することに。
そう思うのに。
ブラッドさまからの動きは感じられなかった。
そろそろ離れたい、というような。
そして。
耳元で、小さな声で。
「よかった」
とブラッドさまの声が。
聞こえてきた瞬間に視界が歪んだ。
俺の気配を感じだのだろう。
「泣いてもいいぞ」
と言われて。少しその声に揶揄するような含みを感じて。
「な、泣きませんっ」
と言えば。
「そうか」
それは残念だ、と。
言われた瞬間にぽろりと水がこぼれた。
ブラッドさまはわずかに濡れたことを肩口に感じただろうか。
そんなふうに考えていたら、沈んでいた思考がゆっくり浮上してくる。
ああ、俺は本当にブラッドさまのことが。
そこまで浮かんで、どきりとした。
その先を俺は何と続けようとしたのだろうか。
俺は。