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    kuduchan

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    どこか遠い場所

    フィリピンでマイキーが死んだ時、イザナは荒れ狂った。その訃報を流したテレビに向かって、目の前にあったスマートフォンを投げつけ、画面が割れた。亀裂は画面に影を落とし、音だけはなんの異常もなく、不気味に流れていた。
    「なんでそんなとこにいるんだよ」
    フィリピンはイザナの父の故郷らしい。そしてイザナにも、その血が流れている。浅黒い肌と銀色の髪は、フィリピン人というよりは、どこか別の土地、人種の血も混じっているように見える。イザナの故郷も、両親の顔も、彼にまつわるルーツを本人はおろか、誰も知らない。
    「誰だよ、どこのどいつが殺したんだよ。鶴蝶、テメェ調べてこい」
    ヒステリックな怒号が飛ぶ。しかし鶴蝶は慣れたもので、狼狽えることなく部下たちに電話で指示を出した。おそらく数日で調べ上がるだろう。その間、イザナは殺意を込めた言葉を繰り返していた。
    「テメェがマイキーを見張ってなかったせいだってわかってんだろうな」
    「悪かっ」イザナの拳が鶴蝶の頬を捉える。手加減のない怒りがこもっていた。
    「テメェみたいな役立たずだけじゃ不安だろ。稀咲にも伝えとけ」
    吐き捨てるように言って、イザナは頭をかかえた。この場にいたのが鶴蝶でなければ、イザナは感情の赴くまま、人一人殺していたかもしれない。怒号と拳一発で済むなら、安いものだ。イザナは頭を抱え、過呼吸気味に息を荒くしていた。
    「大丈夫か?」
    殴られた側が殴った側に声をかける。イザナは紫の瞳で鶴蝶を睨みつけた。
    「うるせぇ。テメェも調べろよ。一秒でも早く、オレからマイキーを奪ったやつを殺すために」
    言葉に嘘はない。鶴蝶は人殺しを好まないが、他ならぬマイキーを殺されたとなれば、イザナに加担するしかない。これは止められないのだろうと、長年彼に付き添ってきた本能が理解している。黒川イザナのたった一人の家族、佐野万次郎。マイキーはイザナの弟であり、兄だ。ややこしい関係の発端はイザナと鶴蝶が児童養護施設にいた頃に遡る。

    佐野真一郎という男が現れた。イザナの妹だったエマを引き取った家の人間だ。イザナの兄でもあると名乗ったらしい。鶴蝶は真一郎と話したことはないので、全てイザナからの情報だ。背が高く細身で、遠目には好青年という風だった。その頃のイザナはよく笑った。兄とは手紙を頻繁にやり取りし、会える前日は興奮気味だった。以前は聞きたがらなかった鶴蝶の家族の話も率先して聞くようになった。イザナはクリスマスや誕生日の話をすることを嫌った。鶴蝶の家は裕福と言えるほどではなかったが、イザナに比べれば環境は随分マシな方だったのだろうと、子供の頭でもわかった。
    そんなイザナが真一郎と出会って変わった。その執心ぶりに、当時から舎弟であった鶴蝶が寂しい思いをしないわけではなかったが、家族の思い出や鶴蝶の話を聞くようになったのは喜ばしいことだった。
    けれどその時間も長く続いたわけではない。ある日突然、イザナは真一郎を捨てた。
    「あいつの名前を二度と口に出すな」
    強い口調で告げると、イザナはそれきり真一郎との交流を絶った。どうしてか聞くこともできないまま、真一郎は殺された。
    そしてイザナはどんどん落ちていった。家族が亡くなるのは、やはり悲しいのだろう。鶴蝶はイザナの側にいたものの、かける言葉がなかった。鶴蝶も家族を事故で失った時、死のうとした過去がある。中途半端な慰めなど、何もならない。
    そして新しく見つけたのが、真一郎の弟のマイキーだ。「マイキーを兄にする」とイザナが言い始めた時、頭がおかしくなったのか疑った。マイキーはイザナよりも年下だ。横浜ではあまり知られていなかったが、都内では有名な不良集団の総長らしい。イザナをマイキーと引き合わせるべく裏で糸を引いた稀咲からは、嫌な匂いしかしなかった。イザナが暴力の化身なら、稀咲は悪の化身だ。作る表情や仕草、発言、まるで善というものが感じられない。それでもイザナは彼を受け入れた。イザナが生きていくための燃料は、希望ではなく憎しみなのだろう。その昔イザナをリンチした少年たち、自分を捨てた親、自ら捨てた真一郎、一つ一つの記憶がイザナを形成した。誰かに向けるものというよりは、世界そのものを憎んでいる。悪と出会い、再び生き生きとしだしたイザナを、鶴蝶は止めることができなかった。マイキーを取り込むために作ったチーム名が、横浜『天竺』だったから。
    イザナが天竺に引き入れたのは、少年院時代の友人たちだった。
    「あいつらとダチ?くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ」
    イザナは鼻で笑った。利害関係が一致するから一緒にいるだけなのだと。
    「オマエも役に立たなくなったら、すぐに捨ててやるからな」
    鶴蝶はイザナの右腕として、役に立つから一緒に過ごすことを許されているだけらしい。一緒にいる理由がある限り、鶴蝶はイザナの側に居られるというのなら、鶴蝶はイザナに一生ついて行く。親も夢も失った幼い鶴蝶の拠り所になってくれたイザナの「奴隷になって自分のために生きろ」という言葉は、胸に生きている。それだけが、あのときの鶴蝶の明日も生きる理由だった。

    天竺対東卍は、勝敗をつけずに終わった。
    もともと狙いはマイキーを懐柔することで、欲しいものさえ手に入れば、チームのメンツや進退など、どうでも良かったのだ。東卍と天竺は融合し、新生『東京卍會』が出来上がった。
    結果、天竺は消えてしまった。西遊記に出てくる苦難の先にある土地。そんな先にあるのだから、それだけの価値がある素晴らしい場所に違いない。施設にいた頃、いつか身寄りのない子供が幸せに暮らせる国、天竺を作りたいと語ったのは、他でもないイザナだった。
    関東事変から、たくさんの障害を処分してきた。マイキーをイザナだけのものにするために、下準備には膨大な時間がかかった。じっくり内側から侵食し、最後は自分の手で帰る場所をなくす。追い込んで追い込んで、やっとマイキーはそれを実行してくれた。マイキーが殺されたのは、ようやくすべてを終えた矢先のことだった。長い時間をかけてきたものを潰された怒りは、当然ながら一時的なものではなかった。
    犯人である花垣武道と橘ナオトを割り出した後は早かった。銃弾は二人を打ち抜き、命を奪った。

    「イザナ」
    ダブルベッドで四肢を投げ出すイザナに鶴蝶が呼びかけても、無言で天井を見つめている。枕元や床には流通価格でいえば数万のカプセルが転がっている。その薬の何が良いのか、体内にいれたことのない鶴蝶にはわからない。
    生きる糧を失ったイザナは薬物にのめりこみ、昼夜問わずぼんやりとすることが増えていた。東卍という組織は、イザナにとってはマイキーを懐柔するためのもので、それ以外に意味を持たなかった。巨大な組織のトップの地位に、イザナは驚くほど執着がない。稀咲にほとんどすべてを明渡し、名前を貸しているだけの隠居に近い状態だ。高いところが好きだというイザナの意向とセキュリティの面を考慮し、住み慣れた横浜の中で引っ越した。
    鶴蝶の目はいつもイザナに向いているのに、イザナの目は鶴蝶を追わない。
    「かくちょう」
    名前を呼ばれ「どうした?」と問いかける。
    「殺さないと。あいつらを殺さないと」
    「あぁ、そうだな」
    「そうだ、鶴蝶、やっとわかったか。邪魔なもんは全部殺すんだ」
    クククと笑うイザナは満足気だった。
    マイキーを奪われたばかりのあの頃に、イザナは頻繁に戻ってしまう。最初こそ、もう終わったのだと説得を試みた。しかしそれはイザナを苦しめるだけだと気付いてからは、同意をするようにした。どうせ薬が抜けたら、全て忘れている。それならば、少しでもイザナの心に寄り添うのが、下僕としての役目かも知れない。
    こんなにマイキーにのめりこむとは、意外だった。彼を壊すこと、何も持たなかった自分の苦しみを彼にも味あわせること、それがイザナの目的だったはずだ。最初はそれを楽しんでいる節もあったが、結局イザナの方が彼に愛着を持ってしまった。
    「マイキー、待ってろ、オマエの仇はオレが討ってやるから」
    何度も聞いた台詞だ。目を閉じ、思いをはせるのは、自分好みに変えたマイキーの姿だろう。
    鶴蝶は床に転がるカプセルを摘まみ上げた。つけられた名前に合うのか合わないのか、忌々しささえ覚えるが、世間はコレを求める。
    その名は『天竺』。

    もともと日光を好まなかったイザナだが、夜にさえ外に出なくなった。日中に目を覚ましていることの方が珍しい。日の入らない暗い部屋に一人でこもり、食事さえまともに取らない。鶴蝶はイザナが自分を呼ぶようならいつでも起こすよう部下に指示を出し、睡眠をとる。安眠からは程遠く、鶴蝶自身も部下に心配されるが、一生を捧げた身として苦痛はなかった。
    日が沈みかけた頃、飲み物が切れたと言うので、イザナの部屋に入った。500ミリのペットボトル十数本を冷蔵庫に補充し、うちの一本を手渡すと、すぐにごくごくと飲み始めた。
    「イザナ、飯を食いに行こう。まだ店もやってる」
    「いかねぇ。オマエがすきなもんテキトーに買って来いよ」
    「それじゃ食わないだろ」
    「オレに指図すんのか?」
    「ずっとここに居たら、弱るだろ」
    かつて爛々と輝いたイザナの目は落ちくぼみ、肘の骨が目立つほど痩せていた。喧嘩で最強だった男は、おそらくもうここにはいない。イザナの手から、カプセルを奪い取ることも可能だろう。
    正気を保つほどの価値が、この世には残っていない。
    前にイザナは天竺を飲んでそう言った。注射よりも簡単に摂取できるカプセルは、なんの準備もいらず手軽に飛べる。
    記憶が無くなった先にあるのは幸福ではないのに、それを知らないイザナは同じことを繰り返す。

    川べりを歩けば、昔からある風俗街が目に入る。JRの線路を挟み、反対側のみなとみらいの煌びやかな明かりは、イザナのマンションからは見えない。近いのに遠い。少し手を伸ばせば良いのに、それができないまま何年も経っている。呼ばれる可能性は低いだろうが、あまり遠くに行くつもりはなかった。この辺りでは繁盛しているという店に入る。もともと横浜は中華のイメージが強いが、ここ数年で異国の料理が増え始めた。ハングルが書かれた看板に惹かれ、店に入った。
    「テイクアウトで。醤油にんにくとチーズ、あとヤンニョム?これってどんな味ですか?」
    どれか一つくらいは手につけるかもしれない。フライドチキンを数種頼み、二十分ほど待たされた。出てきた量は、想像以上に多かった。冷めないうちに帰ろうと、鶴蝶は両手に袋を下げて歩いた。どぶ川は闇と同化することで、澄んでいる川と同じ色をしていた。
    家に戻ると、リビングに居るはずの人間がいない。しかもイザナの部屋の扉が開いている。まさか襲撃にでもあったのだろうか。それにしては部屋は荒れていない。警戒を強め、息を殺して部屋に近づく。床には組員が倒れていた。不審な物音はない。慎重に覗き込むと、イザナが窓の近くに立っているのが見えた。どうやら無事らしい。というよりは、イザナの癇癪が部下に及んだと考えてよさそうだ。
    「ただいま」
    そう言うとイザナはぐるんと首を回した。その顔は笑っていた。
    「鶴蝶、聞こえんだろ!?」
    なにが、と聞く前にイザナは興奮気味に話し始める。
    「生きてたんだ。マイキーは、生きてた」
    いつもとは全く違う反応だ。いつも通り肯定すべきか、それとも否定すべきか戸惑う鶴蝶の顔などイザナは見えていないのか、話し続けた。イザナの見ている風景を、鶴蝶は共有できない。窓の外を眺めていたから、その方から聞こえていると思っているのだろう。
    「オマエ、まさか聞こえねぇのか」
    無反応の鶴蝶に嫌気がさしたのか、イザナは眉間に皺を寄せる。大きなガラス窓を開け、イザナはベランダに出た。冷えた夜風は、部屋の外にいる鶴蝶まで届いた。
    「ほら、聞こえる」
    イザナが柵から上体を乗り出した。素面であれば心配することもないが、今は危険だ。しかし、あからさまに心配されることをイザナは嫌がる。気取られないよう鶴蝶が近づくと、イザナの独り言まで拾えた。
    「マイキー、真一郎、エマ、みんな生きてたのか、なんだよ、騙しやがって」
    イザナが柵に足をかける。その柵の向こうには誰もいないどころか、足場もない。
    「おい、イザナ!待て!」
    一瞬の出来事だった。あと数センチ。指先がイザナの足を掠めるか掠めないかのところだった。小さくなるイザナの体を、鶴蝶は掴まえられなかった。あと数秒後、何が起こるかわかっていて、鶴蝶は目を離さなかった。手を伸ばすのが遅すぎた。いくつかの小さな生活の光が、イザナの背に広がっていた。
    最後に『天竺』が見せたのが、イザナの求めていた場所だったのかは、もう誰も知る余地がない。
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    DONEどこか遠い場所フィリピンでマイキーが死んだ時、イザナは荒れ狂った。その訃報を流したテレビに向かって、目の前にあったスマートフォンを投げつけ、画面が割れた。亀裂は画面に影を落とし、音だけはなんの異常もなく、不気味に流れていた。
    「なんでそんなとこにいるんだよ」
    フィリピンはイザナの父の故郷らしい。そしてイザナにも、その血が流れている。浅黒い肌と銀色の髪は、フィリピン人というよりは、どこか別の土地、人種の血も混じっているように見える。イザナの故郷も、両親の顔も、彼にまつわるルーツを本人はおろか、誰も知らない。
    「誰だよ、どこのどいつが殺したんだよ。鶴蝶、テメェ調べてこい」
    ヒステリックな怒号が飛ぶ。しかし鶴蝶は慣れたもので、狼狽えることなく部下たちに電話で指示を出した。おそらく数日で調べ上がるだろう。その間、イザナは殺意を込めた言葉を繰り返していた。
    「テメェがマイキーを見張ってなかったせいだってわかってんだろうな」
    「悪かっ」イザナの拳が鶴蝶の頬を捉える。手加減のない怒りがこもっていた。
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    吐き捨てるように言って、イザナは頭をかかえた。この場 5231

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