焼肉を食べるカミコー男子(続かない)焼肉が食べたい。
それは、男子高校生ならふとした瞬間に抱いてしまうであろう願望である。
東雲彰人はここ数日、その焼肉が食べたいという願望で頭がいっぱいであった。
練習の帰り道、バイトへ向かう途中、ライブ終わりの他のグループの打ち上げの会話──焼肉の香りが、メニューの話が、妙に頭に入って来るのだ。
彰人はもう我慢が出来なかった。
次のライブの打ち上げで行こうと提案しようかとも思ったが、しばらく間が開いてしまう。
前に行ったのは先々月、バイト先の先輩に誘われた時くらいである。すぐにでも食べたい。炭火で焼きたての肉と白米を飽きるほど食べたい。あとスイーツ系も美味しかったのでまた食べたい。
幸い週末にはバイト代が入って来るのだ。焼肉とは縁が無さそうな相棒の冬弥を誘って行ってしまおう、そう思った。
しかし、そこである問題が浮上した。
バイトの先輩達と行った時に選んだ食べ放題コースはお得ではあるのだが、先に盛り合わせを片付けなければ好きな肉が頼めないのである。
そしてその盛り合わせには当然のように野菜が含まれており、そう、アレが、あったのだ。
人参が。
大人数で行くとだいたい残っているものはさっさと食べてくれる人が居るので食べずに済んでいたが、しかし、冬弥と2人で行ったらどうだろうか?
冬弥は彰人が人参を嫌いなことは知っているし、率先して食べてくれるだろう。しかし、それでは彰人が嫌いなものを食べさせるために連れてきたみたいな感じがしてなんか嫌であった。
誰か誘ってみるかと、真っ先に思い浮かんだのは同じVivid BAD SQUADのメンバー、白石杏と小豆沢こはねである。彰人はすぐさまグループトークを開き、予定を聞こうとした。
するとその瞬間、ちょうどいいタイミングで杏のトークが入ってきた。
『ごめん!今週末急に予定入っちゃってさ〜、午後の打ち合わせちょっと厳しいかも……』
何だと……。
彰人は動揺のあまり『何だと……』を送信してしまった。
確か杏はこの週末、店が忙しいから練習は午前中に、今後の打ち合わせは店の手伝いが始まるまでの時間にしようと言っており、それに承諾した覚えがある。店のピークが始まる夕方までは時間があるはずだから昼まで練習してそこから打ち合わせを兼ねて焼肉チャンスがあると思ったのだが、そうか、厳しいのか。
『なに?どしたの彰人』
杏が爆速で『何だと……』に反応してくる。彰人は冷静を装って『悪い、ミスった』と適当に返信してトークを閉じた。こはねだけ誘えば……とも思ったが、お嬢様学校に通う小柄な女子と男2人が連れ立って焼肉屋に行く絵面を想像するとなんか微妙な気持ちになったのでやめておくことにした。こはねは4人で行く時に誘おう。
彰人は深く溜息をつきながら他に誘えそうな人を思い浮かべる。彰人の友人関係は広く浅くタイプのため、わざわざ焼肉を共にするような友人はそんなにいないのである。相棒に焼肉を食わせてやりたいという気持ちがあるので冬弥と一緒でも気にならない奴がいいのだが、焼肉を共にするレベルの共通の友人なんかいただろうか。
そう言えば冬弥は文化祭で一緒に周った暁山とはたまに話しているのを見る。しかし彰人はそれほど暁山と仲良くはない。というか姉である絵名の話題で茶化されるので落ち着いて食事できる気がしない。
「あ」
ふと、文化祭の流れである人物が思い浮かんでしまった。いや、焼肉を共にする仲というほどでは無いのだが、会えばなんか向こうから話しかけてくるし反応が面白いからついイジってしまう、変人で有名な奴。しかも冬弥と仲が良い、というか冬弥が滅茶苦茶に懐いている人物がいるではないか。
何故か成り行きで連絡先を交換してしまって以来開いたことのないトークルームを開き、適当に思いついた文章を打ち込む。
『司センパイって焼肉行くタイプですか?』
『突然何だ、質問の意図がまったくわからんのだが』
通知音が届いたのでスマホ画面見ると、至極真っ当な返事が来ていた。
なんだか向こうの方がまともみたいでちょっとムカついた。
『焼肉が食べたいんすけど』
『冬弥も来るのでどうですか』
司は後輩からの誘いを無下にするようなタイプではない、と思う。とりあえず何か言っておけば時間などは向こうから聞いて来るだろうと適当に返信する。
既読はすぐについたが返信はすぐには来ない。考えているのだろうか。先に冬弥に予定を聞いておこうと『今週末焼肉行かね?』などと送信しながらしばらく待っていると、気の抜ける通知音と共にトークが現れた。
『返信早いなお前』
いや微妙に時間がかかった返信の指摘がそこかい、と頭の中でツッコミつつ、司はスマホ入力とか苦手そうだなと思った彰人は返信を待つのが面倒くさくなり、まあまあ早く返信が来ると言うことは暇なんだろうと決めつけて司に電話をかけた。
通話ボタンをタップして3コールほどで電話が繋がる。
「はい、天馬です」
ごく普通に落ち着いた電話対応をされ、彰人は思わず吹き出した。
「自分からかけておいて急に笑うとはなんだ、失礼な奴め!」
「声デッカ……いや、普通に電話かけたのオレだって分かるでしょうが」
「そうだとしてもマナーというものがあるだろう。それに万一電話に出た相手がオレではなかったらどうするんだ。本人確認は大事だぞ」
「何微妙に怖いこと言ってるんすか……」
天馬司は変わった男である。
人前で変なポーズを決めたり高笑いを上げたり、目立つことが好きな反面、面倒見が良かったり妙に真面目でしっかりした所があったりするので何を考えているかがよく分からない。
そんな変人相手なのでどうでもいい話で長引く前にさっさと焼肉に行く交渉を始めることにした彰人だったが、司は突然誘われた理由がどうも気になるようで結局話が脱線しまくった挙句、流れで司の変人仲間の神代類も一緒に連れて行くことになってしまった。
そんなこんなで彰人が焼肉屋に行く予定を立てるのにかかった時間は1時間半ほどであった。
だが彰人は達成感に満ち溢れていた。
やっと念願の焼肉が食べられるのだ。
長い電話中に返って来ていた冬弥からのトークを確認すると、彰人は満足気に笑みを浮かべてスマホを閉じた。
「冬弥、彰人〜〜!!」
人混みの中でも明らかに目立つ声が聞こえてくる。
その声を追って顔を上げた冬弥の妙に嬉しそうな顔を見て何とも言えない気分になりつつ、彰人はこちらの姿を確認できずキョロキョロしている声の主に軽く手を振ってやる。彰人につられて冬弥も大きく手を振る。お前は子供か。いや、司を子供扱いしているのか。
するとこちらに気がついた人物がぱっと笑顔になり嬉しそうに駆け寄って来る。なんだかその様子が彰人の苦手な犬と重なってまた微妙な気持ちになった。
彰人の、一応ひとつ上の先輩であり、相棒の冬弥の昔馴染みでもある変人、天馬司だ。
隣には変人コンビのヤバい方、神代類も居る。この人は何故こちらに気付いていた様子だったのに司にそれを教えてやらないのだろうか。何も言わずただ司を見て無駄にニコニコしているだけである。
「すまない、待たせてしまったか?」
「いや、今来たとこなんで」
彰人は内心、なんでこんなベタなやり取りを彼女ができるよりも先にコイツとやらなきゃいけないんだと思いつつ、司と足並みを揃えてすぐ近くにある焼肉屋へ誘導する。
普段であれば目が合う度に司の苦手な虫ネタでからかったりするのだが、焼肉に誘った際、司は週末バイトがあるので終わってからで良ければ是非行きたいと言ってくれ、今もだいぶ急いで来てくれたようでちょっと申し訳無さを感じているので、からかうのはやめておくことにした。今は。
なんかずっと横で喋っている全体的にうるさい先輩に、それをすぐ後ろで穏やかに微笑み見守る相棒。その後ろを何やらブツブツ言いながらついてくる先輩その2。
意味が分からないメンバーではあるが、彰人は正直楽しみで仕方が無かった。
そう、焼肉が食べられたらそれでいいのだから!
彰人は3人に行きますよと声をかけ、焼肉屋のドアを開けた。
何名様ですか、と出迎える店員に、にこやかな笑みを浮かべて応える。
「4人で予約した天馬です」
お待ちください、と一旦奥に戻って行く店員を見送りつつ、隣にいた司が口を開いた。
「ほう、しっかり予約していたのか。確かに週末の夕方は混むだろうからな、偉いぞ彰人!……って、なんでオレの名前なんだ!!?」
彰人は大袈裟な身振りを添えつつ全力でツッコミを入れる司を見て、満足気に頷いてから案内に来た店員を追って中に入って行った。続いて冬弥も後ろについてくる。
「コラ彰人!なんだその含みのある笑みは!!」
「ほら司くん、置いていかれるよ」
類は不満げに口を尖らせる司を宥めるように言いながらもスっと司の前に割り込むように店内に入って行った。
「お前らなぁ……」
そこそこの声量でブツブツ聞こえる文句に笑いを堪えながら、先に席に着いた彰人は冬弥と類にも見えるように広げたメニューを眺める。
やはり食べ放題コースの写真の盛り合わせにはアレが載っている。
だが何も問題は無い。
何故なら今日の彰人には、チョロすぎる男、天馬司がついているのだから。
(ここから追加)
「食べ放題コースでいいですよね」
彰人はメニューをじっと見つめる3人に話しかける。
冬弥はまず来たことが無いだろうとは思っていたが、どうやら先輩2人もこういった店にはあまり馴染みが無いらしい。
よく分かっていなさそうな顔で頷いた3人を見て、彰人はとりあえず店員を呼んだ。
店員が来るまで彰人もメニューを見ていようと3人に混ざると、やはり男子高校生、全員肉が気になるのか妙に熱心にそのページを見ていた。
とてもよく分かる。彰人も早く頼んでしまいたかった。具体的に言うと牛カルビを飽きるほど食べたかった。
ふと、とりわけ真剣な顔でメニューを見ていた司が口を開く。
「ハチノス……は、蜂の巣を焼いて食べるのか……?」
「何の蜂でしょうか。蜂の子を食べる人もいるようですし、珍しくは無いのでしょうね……」
彰人は思わず吹き出した。
虫が苦手だからか引きつった顔で呟く司も可笑しかったが、それに真面目に返す冬弥が余計に可笑しかった。何だこいつらは。これはツッコミを入れた方がいいのだろうか。
「それは牛の第二胃袋にあたる部位だよ」
モツ系メニューをガン見していた類が、メニューに描いてあるデフォルメされた牛の腹部──前足の付け根近くを指差して言う。
司と冬弥が「おお……」と感嘆の声を上げて尊敬の眼差しで類を見た。いや、そこまで感心するものだろうか。少しテンションが上がったのか司は「これは?」「これは?」と次々にメニューを指差して類に訊ね始めた。なんだこの状況は。
そうこうしているうちに店員が現れた。
店員は盛り合わせをテーブルに置き食べ放題の説明をしながら火をつける。
「食べ放題コースは100分もあるのか。そんなに食べ続けたら腹を壊してしまわないか?」
冬弥がものすごく真剣な顔で呟く。本気で言っているのだろうか。本気かもしれない。
「絶え間無く食べ続ける気かよ……まあ肉以外にも色々あるんだから無理せずゆっくり好きなもん食えよ」
彰人は2本あったトングの片方を司に差し出しながら言う。司は少し戸惑いながら受け取ると「焼けばいいのか?」と首を傾げて聞いてくる。
「とりあえずその盛り合わせを片付けないと好きなもん頼めないんで、さっさと食べましょ」
「そういう仕組みなのか!よし、オレが焼いておいてやるから、お前達は飲み物を取ってきていいぞ!」
さり気なく司に焼く係を押し付けることに成功してしまった彰人は、善意に満ち溢れた司の表情にちょっと罪悪感を感じつつ席を立って冬弥を手招きする。
(続かない──)