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    だいち

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    だいち

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    後々手直しする颯架世

    比翼連理の約束崩れる屋敷から逃げ出した後。気絶していた自分を見つけて声をかけてくれた彼女を、颯斗はまじまじと見つめていた。
     促されるままに歩いて、燃え盛る洋館から遠ざかった。丘から降りて、町から少し離れた道で立ち止まる。人気のない場所で夜の静けさが颯斗と彼女を包んでいた。
     目の前にいる彼女は、紛れもなく過去、いや現在の架世なのだろう。優し気な眼差しも、暖かな手も、ついさっきまで一緒にいた彼女と何一つ変わらない。
     ただ一つ違う事といえば、瞳の奥に溶けていた甘さがなくなっていた事だろうか。
     それに気付いてしまうと、どうしようもない寂しさが胸の内を走り抜けていくのを感じた。
     架世は、本当に自分の事を好きでいてくれたんだ。
     今更それに向き合ったってどうしようもないのに、その事実が胸を締め付けた。
    「どうしたんですか?」
     何も言わない颯斗を不審にに思ったのか、いや、その声色には純粋な心配だけが滲んでいた。差し出された白い手が、それを如実に語っている。
    「なんでもないです、ありがとうございます」
     この感情を見せるわけにもいかないから、曖昧に微笑んで彼女の手を借りる。立ち上がってみると、目線が思ったよりも近い事がわかった。もしかしたら颯斗の方が、ほんの少しだけ高いかもしれない。
    「じゃあ、病院に行きましょうか。夜だから救急の方かな……」
     彼女のその言葉ではたと気付く。今の颯斗は何も持っていない。荷物は全て地下室に置いてきてしまったし、取りに戻る事も出来ない。
    「あー……、病院はいいです。家に帰ります」
    「え、でも……」
    「実は今保険証とか持ってなくて。だからどっちみち家に行かなきゃならないんです」
     なおも心配そうな表情を浮かべている架世を安心させるように颯斗は言い募る。
    「実は家も歩いていける距離なんですよ。だから大丈夫です」
     何か言われる前に、とそう言ってしまえば、架世は未だ心配そうだったが納得した様子だった。
     もう夜だ。彼女も早く帰った方が良いだろう。架世を帰すためにもそれじゃ、と踵を返した時だった。
     ぐう、と颯斗の腹が鳴いた。二人の間に、どこか気の抜けた空気が流れる。
    「…………ふふっ」
     架世が笑った。"彼女"よりも幼い笑顔に、胸が締め付けられる。少し恥ずかしいけれど、架世が笑ってくれたのならよかったかな、とさえ思えてしまった。
    「あ、笑っちゃってごめんなさい」
     口許を押さえて目を伏せると、彼女は肩から下げたトートーバッグから何かを取り出して颯斗に差し出す。
    「よかったらこれ、どうぞ」
     それは、シンプルな茶色い紙袋だった。ほんのり温かいその中を覗いてみれば、中にはたい焼きが二つ入っていた。
    「私のバイト先で出た余りなんですけど、味は売り物と変わりませんよ」
     正直ありがたい申し出だった。朝食を摂って以降、今日は何も口にしていなかった。だが、良いのだろうか、と思ってしまうとそれを素直に受け取る事は出来なかった。
    「もしかして、あんことか苦手でした?」
     たい焼きを見つめて黙っている颯斗を、架世が伏し目がちに窺う。その顔を見てしまうとどうにも胸が騒いで、慌てて顔の前で手を振った。
    「いえ、そんな事はないです! むしろ好きですし」
    「よかった! 私が言うのもなんですけど、結構美味しいんですよ」
     ぱっ、と綻ぶように架世が笑った。その笑みに心臓が大きく跳ねる。それを誤魔化すように颯斗も笑みを浮かべた。もしかしたら歪な笑みになっていたかもしれないけれど、暗いからきっと分からないだろう。
    「ありがとうございます。じゃあ、ありがたく頂きますね」
     颯斗がそう言えば、架世は安心したようにほっと小さく息を吐いた。
    「それじゃあ、気を付けて」
    「はい、そちらも」
     別れはなんとも淡白なものだった。けれどお互い初対面、という体ではあるし、颯斗はもういっぱいいっぱいだった。これ以上架世の事を見ていると心の奥底から名状しがたい何かが沸騰してしまいそうだったのだ。
     架世のくれたたい焼きを齧りながら、三日振りに帰路に着く。少し冷めてしまっていたけれど、その優しい甘さは颯斗の身体中に活力をじんわりと染み渡らせていくようだった。

     * * *

     翌朝、颯斗は三日間監禁されたあの洋館を訪れていた。
     流石にスマホや財布などの貴重品をいつまでも手放しておくわけにはいかなかったからだ。
     しかし、全焼した洋館は殆どが瓦礫の山と化していた。所々太い柱が残っているもののそれらも黒く焦げ、今にも折れてしまいそうな程脆くなっている。
     大規模な火災ではあったが、人気のない洋館では事件性はないと断じられたらしい。町内で俄に噂になっていたようだったけれど、野次馬は一人も来ていなかった。
     玄関ホールがあったあたり、颯斗の足元で瓦礫がばきりと音を立てる。颯斗はぐるりと真っ黒な山を見渡した。遮るものがなくなったせいか、一際強く風が吹き付けている。
     颯斗はちら、と衣装部屋のあった辺りに視線をやった。一度入ったきりの衣装部屋にあった、あのドレスとタキシードを思い浮かべる。きっと未来の自分達が二人で選んだものだったのだろう。
     真っ白なドレスはきっと架世に似合った筈だ。大人の架世は今の自分よりも背が高かった。白いドレスが彼女の身体に映えるに違いなかった。
     今の自分には少し大きそうだったタキシードも、未来の自分は着こなせていたのだろうか。彼女の隣に立って、見劣りしなかっただろうか。
     並んだ姿を想像してみるけれど、上手くイメージが描けなかった。どこか薄いベールを一枚挟んでいるようで、二人で隣り合っている光景はどこかぼんやりとして見えた。
     颯斗は衣装部屋があった場所を横目に進む。瓦礫の上は足場がいいとは言えなかったけれど、どうにか進んで物置があった辺りに辿り着いた。
     確か、地下室の入り口はこの辺りにあった筈だ、と探してみれば、地下室への入り口となっていた扉は崩れていたものの見つかった。その隙間から覗いてみれば、中は地上よりも綺麗なようだ。炎が侵入した形跡も見られない。
     颯斗は慎重に地下室へ降りる。地下室には中央にある机と、その上の鞄しかない。地上とは打って変わって歩きやすいものだった。
     颯斗は鞄を開き、自分のスマートフォンと財布を取り出してリュックサックにしまった。香水瓶と日記帳、それから二人の写真は、そのまま小さな鞄にしまっておいた。見る事すら、しなかった。
     これは架世にとって大事なものだから。彼女は既にいなくなってしまったけれど、それでもこの場所に置いておきたかった。誰にも知られないように、彼女だけの想い出は綺麗なままにしておきたかったのだ。
     颯斗は鞄を閉めると、地上に出るための階段を登る。きっともう、ここには来ない。
     颯斗は眩しい陽の光に一瞬目を細めただけで、前を向いて歩き出した。その足取りに迷いはない。
     真っ黒な瓦礫の山を越えて、颯斗は町へと戻っていった。

     * * *

     颯斗は遅刻をして登校すると、三日振りに普段通りの授業を受けた。いつもの様に真面目にノートを取って、当てられたら答える。何ら変わりない、平常な日常だった。
     授業を終えて昼休み。颯斗は友人と共に購買へ向かっていた。颯斗自身は弁当を持ってきているが、一人で食べるのもそれはそれで味気ないので購買へは付き添いとして付いてきた。
     そのの道すがら、友人は颯斗が三日も休んだ事に加え、今日遅刻をした理由を訪ねてくる。だが正直に言うわけにもいかないので、明言を避けつつ誤魔化しながら廊下を歩いていた。
     日常に戻っても、どこか颯斗の気はそぞろだった。どうしたって、何をしていたって架世の事が脳裏にちらつくのだ。
     しかし結局、架世にはあの夜以来会えていなかった。連絡先の一つでも聞いておけばよかった。スマホは手元になかったし、メモ帳やペンも持っていなかったけれど、一度聞いたらきっと忘れなかったのに。
     そんな風に考えながらぼんやり階下を見ると、長い黒髪の女子生徒が目に入る。顔ははっきりと見えなかったけれど、あれは架世だ。確信めいたその予感を抱いた瞬間には、既に足は動き出していた。一緒にいた友人が驚いた様子で颯斗の名前を呼ぶ。
    「ごめん、ちょっと急用!」
     叫ぶようにしてそう言うと、階段の最後の四段はジャンプで降りた。廊下を歩く艶やかな黒い髪を追いかける。
     移動教室から戻る途中なのか、ちらりと見えた彼女は教科書を抱えていた。友達と二人並んで歩いているから、走っている颯斗はすぐに追い付けそうだ。
     架世、と呼び掛けようとして、自分は彼女の名前を聞いていない事を思い出した。あ、の形に開いた口をきゅっと結び、呼びたかった名前を飲み込む。
     代わりに、追い付いた背中にあの、と声を掛けた。
     振り向いた架世は目を二、三度瞬かせる。忘れられてしまったのだろうか、と心が軋んだ。
    「えっと、俺……」
     嫌な想像のせいで言葉に詰まる。そんな颯斗の様子に、架世の友達は訝しげな視線を向けている。しかし、ここで退くわけにはいかなかった。
    「先に行ってて。ちょっと話があるから」
     何と言うべきか、と颯斗が必死に考えていると、架世がそう言った。忘れられてはなかったのだろうか。
     架世の言葉にほっと息を吐く。心臓が早鐘を打っているのは、架世の友達は釈然としない様子ではあったが、しぶしぶと頷くと廊下を進んでいった。架世はばいばい、と彼女の背中に手を振って見送る。
     少し移動して廊下の端、往来の邪魔にならない場所で二人並んで壁に寄り掛かる。
    「大丈夫だった?」
     架世の第一声はそれだった。昨夜とは違って少し砕けた口調で話してくれているのは、颯斗が同じ学校の生徒だと分かって警戒心が溶けたからだろうか。
     そんな憶測の中でそういえば、誘拐された時にも彼女はまず颯斗を心配してくれていたっけ、と思い返す。
    「はい。元々怪我もしてなかったので」
    「そっか、よかった」
     ふわり、と安心したように架世が笑った。現在の颯斗とは殆ど他人と言っていい関係性である筈なのに、心の底から颯斗を心配していたのだという事が伝わってきた。優しい人なのだな、と漠然と思った。
    「たい焼きもありがとうございました。美味しかったです」
    「ありがとう。良ければバイト先にも遊びに来てほしいな。出来立てはもっと美味しいから」
    「え、いいんですか?」
     架世の言葉に目を瞬かせる。もしかしたら社交辞令の類いなのかもしれないが、純粋に嬉しかった。彼女からそう言ってもらえれば、交流するきっかけが生まれる。どうにかして架世と繋がりを持ちたかった颯斗としては願ってもない申し出だった。
    「友達だって言ってくれればサービスするよ」
    「友達、ですか」
    「うん。友達」
    「じゃあ」
     颯斗はそこで言葉を区切る。たった一言を言うのにこんなに緊張するのは初めてだった。
    「名前、聞いてもいいですか」
     颯斗がそう言うと、架世はふわりと笑う。そのせいで颯斗の心臓が余計に早く走ったが、架世はその事に気付かないだろう。
    「ごめん、そういえば言ってなかったね。私の名前は小豆畑架世。よろしくね」
    「狛貫颯斗です。小豆畑、先輩は三年生なんですよね」
     上履きの色を見るに、架世は颯斗の一つ上の学年のようだった。それでも、大人の彼女よりは幼い顔付きは未だ可愛らしさを多分に残している。
    「うん。颯斗くんは二年生なんだね」
     架世は颯斗の足元に目を向けてそう言った。
    「はい。校内だとあまり会えるタイミングがなさそうですね」
    「確かに……。じゃあ、今日はよければ一緒に帰らない?」
    「えっ!?」
     思いの外大きな声が出てしまった。まさか架世の方からそんな風に言ってくれるなんて思ってもみなかったのだ。
    「あ、嫌かな。もしかしたら予定とか」
    「いえ、嫌なわけないです! 予定もないですし、一緒に帰りたいです」
     眉尻を下げた架世に慌てて首を横に振る。事実今日は暇であったし、予定があったとしてもどうにか都合をつけるつもりである。
    「あ、連絡先聞いてもいいですか?」
    「うん、勿論」
     架世は快く頷くと、スマホを取り出してメッセージアプリのQRコードを颯斗に見せる。颯斗のスマホがそれを読み取ると、友達の欄に架世が追加された。
    「アイコン、たい焼きなんですね」
    「ふふ、そうなの。バイトしてるからってだけじゃなくて、私自身もたい焼き大好きなの」
     少し照れたように架世が笑う。颯斗もつられて微笑みを溢した。
     この笑顔を、いつも隣で見ていられるようになりたい、と思う。気障な事とかは言えないけれど、少しでも笑ってくれるように頑張るから。
     だからどうか、いつかの未来で一緒に笑ってくれ。
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