「主を怪我させるなんて、使い魔失格だね」
からかい混じりのその言葉が、空気を凍りつかせた。
「ち、違うんです、僕が、勝手に……!」
「はいはい、それより君は保健室に行って、治療をしないとね!」
腕を引かれ、廊下へと連れ出される。
続く足音はない。ざわめきが遠のくのを、僕はどこかで安堵していた。
保健室を通り過ぎ、それでもダリ先生は止まらない。
「ど、どこに、行くんですか?」
校舎の端の端、校庭に出たところで、我慢できずに問うた。
「んーちょっと待ってねー、たしか、このあたり……」
壁とそれを覆う蔦との隙間に手を入れ、なにやら手探りで探している。
「あ、あった、あった」
かちり、と硬い音がした。蔦か壁かわからない部分が重い音を立てて、ゆっくりと動く。
「とびら?」
驚き声を高くすると、先生はいたずらっぽく目を細めて、人差し指をくちびるに当てた。
身を屈めて小さな扉を通ると、そこは小さな庭だった。高い塀、蔦に隠された入口、まるで秘密の花園だ。
「さて、と」
ぱっと、なんとも食えない笑みを向けられ、反射で背筋を伸ばした。
「まったく、使い魔を庇おうとする主人なんて前代未聞だよ」
「で、でも……」
「でももなんでも、その結果がこれでしょう」
腕の傷へ視線を向けられ、思わず腕を後ろに回した。
「君の予期せぬ行動は、守りたくても守れなくなってしまう、分かるね?」
「はい……」
すみません、とうなだれる。
「わかればよろしい。お説教はここまでにして、少し休憩していこうか」
「え? あの、保健室に行くんじゃあ……」
「うん、でも、もうその必要はないかな」
とん、指先で腕を突かれた。ぱらりと包帯は意思を持つかのように解け、あらわれた皮膚には傷ひとつ残っていなかった。
「ま、魔法!?」
思わず、叫ぶ。
「ほんと、イルマくんはおもしろいねえ、そう、魔法だよ」
からからと軽い笑い声に、ほっと肩の力を抜いた。
慣れた様子で腰を下ろす先生のとなりに、並んで座る。
さわさわと木々が揺れる。休憩時間のはずだが、生徒たちの声は聞こえない。
「こんなとこ、あったんですね」
「いいところでしょ。たまにね、来るんだ。ゆっくりしたいときとか、ひとりなりたいときに」
宝物を見せてくれるような話し方に、胸の底がくすぐったくなった。
「そんな大事な場所、教えちゃっていいんですか?」
「イルマくんならいいよ、とくべつ」
肩が触れ、頬を寄せるように耳元で囁かれた。
「二人だけの秘密、ね?」
冗談めかした言葉に、確かな甘さと重さを感じた。それは鼓膜からゆっくりと内側へと滑り込む。
だめだ、と本能的に思う。逃げないと。でも、そう思うことが自体が、もう手遅れなのだと、僕は身を持って知っている。
「僕にしない?」
微笑みを消し、彼は言った。
「や、やだなあ、ダリ先生。使い魔契約は、そんな簡単に替えられませんよ!」
「イルマくん」
はっきりと名前を呼ばれ、叱られたみたいに、口を噤む。
「それじゃないって、分かるでしょう? それとも、分からせてほしい?」
舌が、喉の奥に張り付く。身動ぎもできずにいると、ゆっくりと抱き寄せられた。心臓が、大きく鳴り響く。いっそ、何も聞こえなくなるほど、鳴ればいいと願う。
「せ、んせい……」
きつく目を閉じ、縋るように伸ばした指が、教師服のどこかを握りしめる。
「……それは、どっちのかな?」
ふ、と小さな吐息が僕の前髪を揺らした。腕の力が緩み、恐る恐る目を開けた。
揺れる視界で、いつも通り穏やかな笑みが、こちらに向けられている。
「今の君を捕まえるのは簡単だけど、僕の矜持に反するから、見逃してあげる」
伸ばされた指がゆっくりと頬を撫で、離れていった。
「またここで、待ってるよ」
その時は。