夏に花火を見る鳴今 鳴子章吉は派手好きだ。自分も派手でありたいし、派手なもの自体が好きで、夏は特に派手な行事も多いので一番好きな季節だった。
「今度の花火大会、見に行くで。 空けとけや」
鳴子が花火大会に誘ったのは、いつも喧嘩ばかりしている相手、今泉俊輔だった。二人は犬猿の仲のように見えるが、実は恋人関係だ。今泉は、派手好きな鳴子とは反対で、静かに過ごす事が好きだった。花火はテレビの中継でも見られるし、音だって家にいれば聞こえてくる。だから今まで、多くの人間は何故わざわざ現地まで見に行きたがるのだろうと不思議に思っていたのだが、自分も案外単純なところがあるようだ。恋人から花火大会へ行こうと、デートに誘われたら行きたいと思ってしまった。花火に興味が無くても、好きな人と行く花火大会には興味がある。そんなこと、今泉の性格では素直に言えないのだが。
「行ってやってもいいけど……遅刻したら帰るから」
「カッカッカ! 家までむかえに行ったるわ」
それから花火大会の日まで、今泉は一応色々と調べた。そして過去の花火大会の写真を見るうちに、気づいたのだ。多くの人が浴衣を着ている事に。もしも自分が浴衣を着たら、きっと恋人は大喜びするんだろうな、と思ったら胸が脈打った。少女のような思考をする自分が心底恥ずかしいと思ったが、考えた結果スマートフォンを手にとって、一言だけのメールを送った。
『浴衣着る』
すると、すぐに電話がかかってきたのだが、思わず切ってしまった。折返しの電話が来ると思っていたものの、今泉の予想は外れてスマートフォンは一度、短く震えただけだった。
『いや電話でろや! あとワイも浴衣着たる』
短い文だが、思った通りテンションが高い、とどこかホッとして、そのメールにはあえて何も返さずに気分良く眠りについた。
花火大会当日、インターホンの音が今泉家に鳴り響いた。約束どおり鳴子は今泉を迎えに来たのだ。今泉は家の使用人に着付けてもらったので完璧な浴衣姿だったが、一応自分でもう一度、姿見を見てから玄関へと向かった。
「よう……遅刻しなかったじゃねぇか」
「うわ。 イケメンが浴衣着るとまた……モテそうで腹立つわ」
「まぁ、お前も……悪くないんじゃないか」
「せやろ? 人気あんねんで、ワイの浴衣姿」
「ふーん」
「おい興味持て」
恋人の初めて見る浴衣姿に、二人ともわずかに心拍数が早くなったが、お互い素直に褒めるような事は言えずに、じゃれるように軽い言い合いをしながら歩きだした。
「どこまで行くんだ」
「十分くらい歩くとな、見やすそうなとこあんねん」
「へぇ。 そんなもんなのか」
鳴子は下駄に慣れていた。小さい頃から父親の物を履きたがって、自分の物を買ってもらってからは特によく履いた。最近はサンダルを履くほうが多いけれど、歩き方は身に染みついている。
一方で、今泉は下駄などほとんど履いたことが無く、普段よりも歩幅が小さくなっていたので、鳴子は今泉の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩いた。そんなに遠くまでは歩けないだろうと予想して、近場で花火がきれいに見えるところを探したのだが正解だったなと鳴子は思う。
「屋台行くならもうちょい歩かなアカンけどな」
「混んでそうだからいい」
「そう言うだろな〜思ったわ」
「あっ……いや、おまえが行きたいなら……」
「ええよ。 コンビニ寄ろか」
今泉は何も考えずに自分勝手な発言をした事にハッとしてすぐに訂正するが、鳴子は気にした様子ではなく、むしろ予想通りだというように笑った。だからと言って今泉はすぐに気を取り直すほど単純でもなく、今のは自分の態度が良くなかったと反省した。コンビニに入ってからお互いずっと無言だったが、ドリンクを選んで会計待ちの列に並んだ時に今泉は小さな声で謝罪した。
「さっき、ごめん」
「え。 なに急にしおらしくなっとんの」
「俺、意識しないと嫌な言い方しかできねーのかなって」
「なんやそれ! そんなん今更やんか」
「は?」
素直に謝った今泉を見た鳴子は逆に驚きつつ、気にしいなところが可愛いなと思っていたが、あいにくこの恋人は自分が悪いと思ったことは結構引きずってしまう為、わざとからかってやった。すると、さっきまで落ち込んでいた顔は、俺が謝っているのにその言い方はなんだとでも言いたげに眉がつり上がる。自分も単純だが、今泉も大概だと鳴子は思った。へそを曲げられては困るので、本心を伝えることも忘れない。
「冗談や。 変にねこかぶられる方が嫌やって。 やりにくいわ」
「……わかった」
「ほら順番くるで。 なんか食うか?」
「肉まん」
「ピザまんも美味いで」
「……なら、おまえがピザまん選んで俺に一口よこせ」
「なんでワイが〜って言うとこやけど、ま、お前はそれでええねん」
気を使われる方がやりにくいと言った鳴子に、いつもの態度を思い出して、素直に思ったことを言うと、彼は楽しそうに笑って肯定した。それだけで今泉はホッとして、まとめて会計をしてくれている自分よりも小さな恋人の背中を愛おしそうに見つめた。
鳴子がレジ袋を受け取って、二人はコンビニを出ると、外にはそこそこ人が集まっていることに気がついた。もうすぐ花火大会が始まるのだろう。街灯も普段より控えめで、辺りは一層暗く感じた。
「あー、穴場やと思ったんやけど、まぁ住宅街やし知れてるか」
「テレビでやってるような、川の方に比べたら全然マシだと思う」
少し歩いて広場につくとベンチは既に埋まっており、カップルや家族連れがまばらに座っていた。レジャーシートは持っていなかったので、鳴子はレジ袋から中身を取り出して、芝生の上に敷くとそこへ今泉を座らせた。その隣に、鳴子も腰を下ろした。
「え、お前は」
「ワイの浴衣は家で洗えるようなもんやから。 ええからお前はそこ座っとき。 なんやその浴衣たっかそうやし」
「……次はレジャーシート持ってくる」
「せやな、来年はレジャーシートいるな」
「さっき買った肉まん、よこせよ。 冷める」
まだ花火を見てすらいないのに、当たり前のように来年の話をしてしまった気恥ずかしさを隠すために、今泉は先程買った肉まんをねだった。
「ほら」
「ん、サンキュ」
一口かじると、予想した通りの甘じょっぱい味が口の中に広がっていく。鳴子を見ると、自分が選ばせたピザまんを食べていたので、約束通り一口貰うことにする。
「そっちも食わせろ」
「もうちょい可愛く言えんのか」
「……え、うま」
「美味いねんこれ」
「こっちがいい」
「せやから言うたのに。 ま、でもええよ。 これはいつでも買えるしな」
鳴子からもらったピザまんは、予想に反してしっかりしたピザの味がして意外にも今泉の口に合った。チーズも伸びるし、安っぽいがバジルの香りもちゃんとする。自分の手に持った肉まんに戻りたくなくて甘えると、鳴子はいつでも買えるからと言って交換してやった。こういうとき、鳴子はつい今泉を甘やかしてしまう。兄貴気質だからなのか、自分が恋人を甘やかしたいタイプだからか、とにかくいつも素直じゃない今泉から甘えられると弱いのだ。
鳴子は今泉から受け取った肉まんを三口程度で食べきってしまったが、今泉はゆっくりと食べつづけていた。ピザまんを味わって食べる恋人が可愛くて、なんだか愛しくなって、その横顔に魅入っていると、ドンという破裂音とともに辺りが明るくなり、ハッとして音の方へ顔を向けた。
「おー、はじまったなぁ! 最初からめっちゃ派手やん!」
「わ……」
一つ打ち上がると次々に打ち上がって、夜空が彩られてゆく。今泉はようやくピザまんを食べ終えたようで、空を見上げるが、慣れない音にびくり、びくりと身体を震わせていた。鳴子は今泉の肩を抱いて、大丈夫だと言うように優しくさする。
「怖いか?」
「怖かねぇけど、驚くっつうか、音でかいし……急だし……」
「そうか。 けどすぐ慣れるやろ」
鳴子の言うとおり、五分ほどすると、今泉も音の大きさや種類に慣れてきて、鮮やかな空を眺めた。テレビでみていた時も綺麗だなと思ったが、部屋の中で見ていた時とは全然違って見えた。音や光の大きさも、外が暗いというのもあってか迫力が段違いだった。
「結構、いいもんだな」
「花火は外で見るに限るわ」
今泉が鳴子の方を見ると、子どものような目で、しかしどこか大人びた顔で空を眺めていたので、つい見つめてしまった。コンビニでも思ったが、やっぱり好きなんだよなと思っていると、鳴子が今泉の方を向いた。
「花火より、ワイの男前な顔が見たいんか? んー?」
「自分で言うか」
「いや、横からあっつい視線送ってきとるヤツがいてな、穴あきそうやってん」
「勘違いじゃないか? みんな花火に夢中だ」
「おぉい!」
「俺も花火見よっと」
「うわマイペースぅ!」
今泉は鳴子に指摘されて何でもない風を装っていたけれど、内心は横顔を盗み見ていたことがバレていた、と心臓がドキドキ脈打っていた。顔もきっと赤いだろうが、外が暗いのでさすがにそこまでは分からなかったはずだと自分を落ち着かせる。
鳴子は、仕方ないなというような顔で、また空を見上げた。ふと、今泉は周囲を確認してから、そっと鳴子の手に自分の手を重ねる。それに気づいた鳴子は、すぐに今泉の手を取って、指を絡めた。外で手を繋いだ事は無かったが、人は皆、咲きやまない花火に夢中だ。見つかる心配はまず、無いだろう。
「なるこ」
「んー?」
「あのな……あー、やっぱいい」
誘ってくれてありがとう、嬉しかった、楽しかったと、そんなようなことのどれかを言いたかったのだが、天邪鬼な自分が顔を出してきて、言葉にすることが難しく、どうしても言えなかった。
「カッカッカ! ほんまに素直やないなぁ。 けど、その顔見せてもらえただけで十分やわ。 ほら、そろそろフィナーレみたいやで」
鳴子は、今泉の言いたかったことを汲み取ったのか、頭をくしゃくしゃと撫でると、空を指さした。空には、いままでとは比べ物にならないほどの数の花火が一気に打ち上がっている。
自分の声すら聞こえないだろうと思わせる程の音と光の中にいると、今泉は今なら言えるかもしれないと、心の準備をして、鳴子の耳もとに唇を寄せた。ささやくように、けれどしっかり伝わるように、口を開いてずっと喉にひっかかって出てこなかった言葉を紡いでいく。
「好きだよ、鳴子。 連れてきてくれて、ありがとう」
言い切ると、花火大会終了のアナウンスと共に、辺りは暗闇に包まれる。
街灯が戻らない数秒間、人々の目が夜の中に慣れないうちに、今泉はそっと、鳴子の頬に唇を寄せた。