11 嘘より出づるまことアルテルーナ島を離れたブルーノたちは、朝早くからやっているレストランを見つけると、転がり込むように入り、運河に面したテラス席に座りました。テラス席には朝の清らかな風が渡り、いっそうお腹が空いてきます。トリシアを護衛している間はろくなものを食べていなかったのです。
注文してしばらくすると、テーブルの上に美味しそうな魚貝料理がたくさん運ばれてきました。アバティーノやオランチアやミシェレは、運ばれてきたそばからむさぼるように食べます。しかし、ジョジョはテーブルを離れて、周囲を警戒していました。ブルーノはジョジョに言います。
「ジョジョ、今はコソコソしていても仕方がない。堂々と食べよう。襲撃があったらその時だ。今はメシをしっかり食べて、ガッツをつけないとな」
ブルーノは大きなエビにがぶりとかじりつきました。ジョジョも席について食べることにしました。「しかし、ブルーノ。これからどうするんだ?」
しばらくしてアバティーノが言いました。
「うん。王の精霊の能力だが……時間を消し去り、その時間の中を王だけが自由に動いていた。消し去られた時間の中では、俺たちは何かを感じ取ることもできない。『無敵』だ」
ブルーノの言葉に、みんなは途方に暮れたように顔を見合わせました。
「ただし、王の正体がわかれば話は別だ。王の顔がわかれば、真正面から戦わずに倒すことも可能になる! 俺たちは、王の素顔を探ることにする!」
「けど、今の王の顔をどうやって知るんだ? 直接見ようたって、宮殿の奥じゃあさすがに忍び込めないぜ」
と、ミシェレが言いました
「トリシアはどうだ? 反逆者も、王も、トリシアが王の正体に繋がることは確信していた。彼女自身が何か知っていなくても、なんらかのヒントがあるんじゃあねえか?」
アバティーノが言いましたが、みんな難しい顔をしていました。そのうち、オランチアが口を開きました。
「そ、そのことだけど……俺、トリシアをこのことに巻き込むのは嫌だよ。今まで、ずっと人の都合に翻弄されてきたんだもの。その上、父親に殺されかけたなんて――」
「いいのよ、オランチア」
テーブルの影から声がしました。目を覚ましたトリシアが、亀の外に出てきていたのです。
「もう、状況は理解しているもの」
「ト、トリシア……」
「一つ、思い出したことがあるの。私の母が探していた昔の恋人――父とは、サトゥルーニャ島で出会ったって。母が旅行したときに出会い……『見せたいものがある』と言って約束したのに、そのまま姿を消したって」
「サトゥルーニャ島――だって?」アバティーノが言いました。
「サトゥルーニャ島よ! サトゥルーニャ島に行けば、あの王に繋がる何かがあるはずだわ!」
トリシアはきっぱりと言いました。
「だが、トリシア。俺たちは、王を倒そうと決めている。どうしてそんなことを教えてくれるんだ?」
ブルーノは聞きました。
「王を倒すとか倒さないとか、そんなことは私にとっては別問題! ただ私は知りたいの。自分が何者から生まれたのか! それを知らずにただ殺されるだけなんて、まっぴらごめんだわ!」
みんなは驚いて、目を見開きます。今のトリシアは、あの不安げな少女とは全く違う顔をしていました。アバティーノはふ、と表情を和らげます。
「オランチア。トリシアは俺たちが思うよりもずっとタフみたいだな」
とにもかくにも、次の行き先はサトゥルーニャ島に決まりました。サトゥルーニャ島はラティニア半島から少し離れた場所にある大きな島です。今はラティニアの領土ではありますが、独立国家であった時期が長く、独特の文化を持った島です。トリシアのお母さんは、その島でトリシアの父親――つまり王様と出会ったということです。なぜそんなところに王様がいたのか、ブルーノたちには想像がつきません。けれど、真実への道筋に光が差したような心地でした。
それからしばらく、みんなは美味しいご飯を楽しみました。すると、オランチアが急に顔色を変えて立ち上がります。
「て――敵がいる! スープの中に、サメがいるぞ!」
オランチアは即座にリル・ボマーをだすと、スープ皿を撃って粉々にしました。他のみんなは周囲を警戒し、トリシアを亀の中に入れます。
「スープの中だって!?」
ミシェレは地面に落ちたスープ皿を調べます。しかし、何もいません。
「い、いたんだ! スープの中に、サメの背びれみたいなのが見えたんだ――」
オランチアの言葉が途切れたかと思えば、突然、もんどりうってその場に倒れました。そして、短いうめき声を上げながら、何かを訴えようとしていました。
「オランチア、どうしたんだ!?」
ミシェレが聞いても、オランチアはうめき声をあげ、あちこちを指さすだけです。
「まさか、声を出せないのか!?」
オランチアは頷きながら、水の入ったグラスを指さします。
「み、水が飲みたいのか!? 喉痛いのか!?」
「う、うぐう!」
オランチアは首を振ると、皿の破片を取って、口の中を思い切り傷つけました。口から血が噴き出ます。ミシェレはようやく、オランチアの身に起こっていることを知りました。
「お、おい! オランチアのベロがないぞ! 息も出来てないみたいだ!」
オランチアの舌が、半分ほどちぎられたようになくなっていたのです。舌というのは筋肉でできていて、喉まで繋がっています。その舌が切られると筋肉が痙攣を起こして収縮し、舌が内部に引っ込むようにして気道が塞がれてしまうのです。つまり、オランチアは倒れたときからずっと呼吸が出来ていません。
「ジョジョ、早く手当てしてくれーッ!」
「わかっていますミシェレ。でも、今から舌の部品を作ってくっつけるとなると時間がかかりすぎます」
そう言うと、ジョジョは地面に手を置き、そこから葦を生やしました。葦はみるみるうちに成長し、すぐに一生を終え、枯れてしまいます。
「オランチア、ナイフを借りますよ!」
ジョジョは枯れて固くなった葦の根元を切り取り、一方を鋭くとがらせました。そして、息を一度ふーっと吹き込むと、その先のとがった葦を、叩きつけるようにオランチアの喉に突き刺したのです。ブルーノもアバティーノもミシェレも、あっと息をのみましたが、すぐに葦の管からリズムの整った呼吸音が聞こえてきたので、皆はほっと胸をなで下ろしました。ジョジョは冷静に口の中をのぞき込むと、言いました。
「今のうちに、舌の部品を作りましょう」
しばらくして、オランチアは起き上がれるまでになりました。
「オランチア、大丈夫か? 早速で悪いが、敵はどんなやつだった? どうやって攻撃してきた?」
「ええと――」
オランチアはさっきの襲撃のことを思い出します。敵は小さなサメのような姿をした精霊でした。最初はスープ皿の中に現れ、スプーンに溜まったスープや、グラスの中の水にも現れました。水から水を飛び移るように移動していたのです。つまり水に近づくと、敵に襲われる可能性が高いのです。
オランチアはそのことを伝えようとしました。
「敵は、石ころみたいなやつで、でっかくて、建物の中に逃げてった!」
「石ころみたいなでっかいやつが、建物の中に逃げてったのか?」
聞き返してきたミシェレの言葉に、オランチアは耳を疑いました。
「え? 俺、今なんていったの?」
「だから、石ころみたいなでっかいやつが、建物の中に逃げてったって……スープの中にか? おかしくないか?」
「い、いや……!」
どうにも様子がおかしいです。オランチアの伝えたいことが、全く伝わっていません。それどころか、まるであべこべに伝わっています。オランチアはもう一度、言い直すことにしました。
「敵は……ドデカい精霊だったんだ! えっ?」
一体どうしたことでしょう? オランチアは、小さく、サメのような姿の精霊が、水から水を飛び移って素早く移動しながら攻撃してきた、と伝えたいのに、いざ言おうとするとまったく反対のことが口から飛び出してくるのです。
ブルーノもジョジョもアバティーノも、みんな首をかしげています。何しろ、最初に『スープの中にいる』と言ったことと、今の証言が矛盾しているのです。みんなも考えてはくれているのですが、イメージがまったく浮かびません。ブルーノは言いました。
「オランチア、確認するが、敵は石みたいなでっかい精霊で、素早く攻撃してきたんだな?」
「ううん! 亀みたいにのろいやつだったよ!」
オランチアの言葉に、みんなはますます困ってしまいました。
やっぱりどうかしています! オランチアは心に思っていることがまったく言えないのです! 言おうとすると、でたらめばかりがでてきます。オランチアは鏡で自分の舌を見ました。きっと、さっき舌をちぎられたときに、本当のことを言えないような細工をされたのです。
「オランチア、本当に見たんだろうな? 敵の精霊の姿を! 見たんだろうな!」
ミシェレはすっかりいらついた様子で言いました。しかし、口で答えると反対のことが出てきてしまいます。オランチアは言葉だけでなく、思いっきり頷くことで意志を伝えようとして――
「もちろん見た――なあああああい!?」
しかし無駄でした。ものすごい力で、首を振らされてしまうのです。ミシェレは大きなため息をつきました。
「やっぱり見てないんだな!」
「でも、攻撃を受けたことは確かです」と、ジョジョが言いました。「となると、敵は遠隔操作をしているのでしょう。どこかで見ているはずです。今は運河を行って、追いかけてくる者をあぶり出したらどうでしょうか」
でも、運河はとても危険なのです。人食いザメがウヨウヨ泳ぎ回っているビーチに海水浴に行くようなものです。
オランチアはボートに向かおうとするジョジョの腕を掴み、引き留めて言いました。
「ジョジョ! 行こう! 運河をボートで行こう! 是非行くべきだ! 行くんだよォーッ!」
「ええ、だからボートに乗るんですよ! でもなんで引っ張るんですか?」
この始末です。でも、機転の利くジョジョなら、オランチアの異常に何か気がつくかもしれません。オランチアは手当たり次第に口走りました。
「ジョジョ! 二たす二は五だ! 三かける三は八だ! サメは植物だ! ネコは空を飛ぶ生き物だ! 俺は女だ! 今日の天気は土砂降り! トマトの色は黒! キャベツは紫色……もあるか! ねえ、ジョジョ! 俺の言いたいこと、わかる!? ねえ、俺のベロになんかついてない!?」
しかし、ジョジョは首をかしげています。あまりにも支離滅裂なことをまくしたてるので、伝わっていないのです。そもそも、ジョジョからすれば最初のでたらめな足し算とかけ算に関してはオランチアが本気で言っている可能性すらありました。それくらいには、オランチアの計算能力には定評があるのです。
「オランチア……大丈夫ですか?」
「うん! 大丈夫!」
オランチアは五歳児のようにこくりと頷きましたが、
「うわああん! 違う! 違う!」
と半泣きで頭を地面にぶつけ始めたので、なんかもうみんな気の毒な目でみていました。オランチアは途方に暮れましたが、
「いや、ジョジョ、オランチア。運河で行くより、今ここで迎え撃つべきだと思う。王にとって俺たちの反逆は予定外だったはずだ。精霊使いが都合良く何人もこのウェネトゥスにいるとは思えない。ここで敵を倒すことで、ウェネトゥスから脱出する隙を作るべきだと思う」
とブルーノが提案したので、運河を行かなくて済むことになりました。でも、ほっとしたのも束の間、今度はアバティーノがムーディー・ジャズを使って敵の姿を『再生』しようというのです! ムーディー・ジャズが敵の動きを再生するということは、水の中に入っていくということです。不意を突かれて攻撃されてしまうでしょう。
その時、オランチアは運河にサメの背びれを見ました。オランチアはとっさに運河を指さしながら、
「みんな! 敵があそこにいるぞ!」
と叫びましたが、得体の知れない強力な力で、指の先はレストランのトイレに向けられてしまいます。
「オランチア! 確実に見たんだな!」ミシェレはピストルを構えながらトイレに向かいます。
「ち……うん! 見たよ!」
「よし、敵との決着をつけるぞ!」
ブルーノもトイレに向かいます。トイレには手洗い場や便器など、水のたまり場がたくさんあり、運河と同じくらい危険な場所だということはオランチアにもよくわかっていました。
オランチアの言いたいことは全てあべこべに伝わってしまいます。それを逆手にとって、敵はみんなを『狩り場』に誘い込むでしょう。みんなに危険を伝えようとする思いが、みんなを危険な目に遭わせるのです。オランチアは悲しく、情けなくなって、目から涙があふれ出してきました。
すると、サメの精霊はオランチアの流した涙にジャンプすると、「ありがとよ!」と言って、またどこかの水にジャンプしていきました。
「ち、ちくしょう……! そうはさせるか!」
オランチアは、昨日フラゴラに聞かれたことを思い出していました。
『自分だけがある事実に気がついたとして、他の 皆にも知ってもらおうと話しているのに、誰も 信じてくれなかったら、どう思う?』
今にして思えば、まるでこの状況を予見していたような問いでした。オランチアはその時自分でこう答えたのです。
『信じてもらうまで話すしかないんじゃあないか なあー。あとは、信じてもらえるように行動で 示す! とかじゃない?』
オランチアは涙を拭いて顔を上げました。フラゴラに言ったように、行動で示すしかありません。オランチアはトイレに飛び込むと、猛烈な勢いで締まりの甘い蛇口を締めたり、手洗い器にうっすらたまった水を拭き取ります。喋るとろくなことにならないので、片手で口を塞ぎながら。皆が気づいてくれるまで、力尽くで守ることにしました。
ですが、そんなオランチアを敵は黙って見過ごすはずもありません。舌に取り憑いた敵の精霊はオランチアの舌をキリンの舌のように伸ばし、蛇口を緩めて水を出させます。これではいたちごっこもいいところです。
「むっ、この場所でムーディー・ジャズが変身を始めたぞ!」
というアバティーノの声に振り向けば、ムーディー・ジャズが便器の前で再生を始めようとしています。でも、そんなところで再生したら、特に意味もなくみんなで知らない人の排尿シーンを鑑賞する羽目になります。そんな虚しい思いをしているときに便器の中から襲撃なんてされたら泣きっ面に蜂、いえ、泣きっ面にサメです。なんとしても阻止しなくてはいけません。オランチアの身体は勝手に動きました。
「うおおおー! ここを覗いてくれ! こっち来てくれアバティーノ!」
「うおっ! きったねえ! お前、変態趣味になったのか!?」
あまりのことにアバティーノも顔を引きつらせて後退します。なにしろ、オランチアが便器におしっこをしながら「ここを覗いてくれ!」などと叫ぶのですから!
つまりオランチアは、知らない人の排尿シーンではなく、仲間の排尿シーンで上書きすることで、仲間を危険から遠ざけたのです。このオランチアのとっさの機転は功を奏しましたが、何か色々なものを失った気がするのでした。でも、初対面の相手におしっこをのませようとしたアバティーノはオランチアのことをとやかく言えないでしょうにねえ。
ま、おしっこはともかく、このオランチアの異常行動に、ジョジョはようやく何かを察したようで、こう言いました。
「オランチア、どうかしたのですか? やはりさっきから言動が奇妙です。口を押さえていますが、なにか喋れないわけでもあるのですか? それとも攻撃されたときに舌になにかされたとか……」
さすがはジョジョです。オランチアの心に希望が差しました。このままジョジョが推理してくれれば、彼のことですから、一人で真相にたどり着けると思って良いでしょう。
「そうなのか? 見せてみろよ、オランチア! 手で隠してたら見えねえじゃあねえか」
――邪魔が入らなければの話ですが。
ミシェレがオランチアの口を覆う手を無理矢理どけたので、オランチアは思わず、
「うん! 大丈夫! 何でもないよォー」
と心にもないことを言ってしまいました。
「口の中も変なところはないぜ!」ミシェレは口の中をのぞき込みながら言いました。「攻撃受けた屈辱で混乱しているのかなあ?」
「どうやら見間違いのようだな。やはり最初に攻撃のあったテーブルを調べてみよう」
と言って、アバティーノとブルーノも行ってしまいました。ジョジョだけは、オランチアの様子を気にしているようです。もしかすると、ジョジョが一人になった今ならうまく伝えられるかもしれません。
ですが、どこかでオランチア達を見ている二人組の敵も、ジョジョが気づきかけていることを知っていたのです。
オランチアの手に鋭い痛みが走りました。敵がまたオランチアの舌を伸ばしてオランチアのズボンからナイフを盗み取り、手を切りつけたのです!
「オランチア! 怪我をしていますね。すぐに治してあげますよ。さあ、見せてください」
傷口からはどくどくと血が流れ出ます。恐らく敵は、この血に飛び移り、ジョジョを攻撃するつもりです。オランチアは怪我した手を後ろ手に隠して、
「うん! 治しておくれよ! ……あっ!」
「ええ! ですから、傷を見せてください!」
喋らないように手で口を押さえているとジョジョを危険にさらしてしまいますし、かといって手を隠せばうっかり喋ってしまいます。あちらを立てればこちらが立たず、といった状況です。しかし、この状況に慣れたせいか、オランチアの頭もかなり冴えてきました。
「リル・ボマー!」
オランチアはリル・ボマーをだすと、傍のパイプに弾丸を掠めさせます。弾丸の熱と摩擦熱によってパイプが赤く熱されたのを見ると、すかさず傷口を押しつけます。ジュー! と肉が焼け付く音と共に激しい火傷の痛みに襲われましたが、血を止めることはできました。
荒く息をするオランチアに、ジョジョは言いました。
「オランチア、僕らに真実を伝えようとして、うまく出来ない理由があるのですね? やはり先ほどの攻撃で、口に何か敵の能力を残されたんじゃあないですか?たとえば、思ったことと反対のことしか言えなくなる能力――とか」
やっと伝わりました! オランチアはうれしさのあまり、口を押さえながら鼻の穴を膨らませました。返事はできません。ですが、このオランチアの目を見れば彼の気持ちは手に取るようにわかります。
ですが、大きな誤算があったのです。
二人の足元に水たまりが広がってゆきます。さっき止血のため撃ったパイプが歪んで、根元から水が漏れ出ていたのです!
「し、しまっ……!」
深さ数ミリほどしかない水たまりから鯉ほどの大きさのサメが飛び出してきて、ジョジョの喉にかみつきました。サメは、ジョジョの身体を浅い水たまりに引きずり込もうとします。オランチアはすぐリル・ボマーで応戦しますが、弾が当たる前にまた別の水たまりに瞬間移動してしまいます。サメが獲物にかみついている間は、獲物もサメと同じように大きさを変えながら水から水を移動させられるのです。
その上悪いことに、リル・ボマーの機銃を撃つと、水が飛び散って、サメが飛び移る水たまりを増やすことになります。ですから、敵の動きを読み、先回りしてタイミングを合わせる必要がありました。オランチアはレーダーをだすと、ジョジョの呼吸を追いかけます。そしてようやく、リル・ボマーの前に敵が姿を現しました。
「今だ!」とオランチアが機銃を撃ったのと同時に、サメがジョジョの喉に入り込みます。ジョジョの身体が動いたので、機銃はジョジョの身体を撃ってしまいました!
「ああっジョジョ! そんなつもりは!」
ジョジョの身体はがっくりと力を失い、レーダーからも反応が消えてしまいました。オランチアは叫びました。
「そ、そんな! 呼吸が追えない! 逃げられた! 見失っちまったよォーッ!」
さて、賢い皆さんなら、おわかりでしょうね。オランチアの『舌』に取り憑いた精霊は、心に思っていることとは全く違うことを言わせる能力があります。その精霊の能力はまだ続いているのです。と、すると、オランチアはジョジョを完璧に追えているのです。敵は下水の中にいました。
ジョジョは噛まれたせいで動いたのではありません。わざと銃弾を受けることで、硝煙を発生させたのです。オランチアがレーダーで追えるように! オランチアは全神経をレーダーに集中させます。確実に、サメだけを撃ち抜くために。
「やつに逃げられたぜーッ!」
確実な手応えがありました。今度はサメについた硝煙を追うことができます。怪我をしたサメはたまらず別の水場にジャンプしました。サメは無人の厨房に逃げ込むと、オランチアの銃弾を避けながら水から水へ飛び移ります。けれど、傷を負ったせいか、動きは少しずつ鈍くなっていますし、水から水への移動もせいぜい二、三メートルといったところです。ですから、サメの移動先はある程度読むことができました。
「逃げられたあッ!」
オランチアはコンロに乗った大鍋を撃ち抜きました。弾はサメの喉を撃ち抜き、たまらず鍋から転げ出て、ジョジョを手放してしまいます。ジョジョは血を吐きながらも、息を吹き返しました。オランチアはこのままとどめを刺そうとしました。
「撃てるものなら、撃ってみやがれオランチア! 気がつかないか? このガスの臭いに!」
サメから声がしました。サメの精霊を操っている敵が、精霊を通して話しかけてきているのです。
オランチアは鼻をヒクヒクと動かしました。コンロからはシューシューと何かが漏れる音がしています。ガスでした。さっき鍋を撃ったときに、水がこぼれて火を消してしまったので、ガスが漏れているのです。ガスが充満している空間でリル・ボマーの機銃掃射をすれば――どうなるかは、オランチアだってわかっています。
死なないにはしても――そこら中が燃えて、サメを追うことが出来なくなるでしょう。
「撃たねえでもよォー! てめえをやる方法はあるぜえー!」
オランチアはオーニソプターのはがねの翼を激しく羽ばたかせ、サメの柔らかいお腹を切り刻みます。サメは「ギャッ」と悲鳴を上げると、怒り狂って言いました。
「くッ! ペリラスさんの仇め! テメエら全員、魚の餌にしてやるからな!」
「な――なんだって?」
オランチアは耳を疑います。
その時、流石に大きな物音に気づいたミシェレたちが厨房に入ってきました。
「オランチア! この騒ぎ、敵だな!?」
「ああ、そうだ! 敵はあのサメだ! 水から水へ飛び移って――えっ?」
オランチアはいつの間にか、本当のことを話せるようになっていました。そして、オランチアが本当に敵のサメを指さしたので、ミシェレはピストルを構えます。ですが、今撃ってしまったら、漏れ出たガスに引火して大変なことになります。オランチアはミシェレを止めようとして――
「ミシェレ! 撃て! 今だーっ! えっ!?」
ミシェレは迷いなく引き金を引きました。たちまち爆発が起こり、みんな仲良く吹き飛ばされてしまいました。幸いにも軽傷ですが、オランチアのレーダーは爆発で起こった炎で、サメを見分けることが出来なくなってしまいました。
「ジョジョ! 俺――俺――」
「オランチア、探すんです。精霊ではなく……敵の本体を!」
ジョジョは息も絶え絶えにそう言うと、またサメに連れ去られてしまいました。
オランチアは厨房を飛び出します。オランチアはすでに敵のサメに何度も攻撃しました。敵本体も相応に負傷して、呼吸が荒くなっているはずです。そして、このレストランの様子をうかがえるどこかにいるはずです。
日も高くなってきて、ウェネトゥスの通りには多くの人が出てきていました。遊んでいる子供達もいれば、走ってどこかに急ぐ人たちもいます。ただ『息が荒い』だけでは短時間で見分けることは不可能でしょう。オランチアはリル・ボマーを飛ばします。できるだけ速く、人々の隙間を縫って翼を羽ばたかせ、ツバメのような曲芸飛行を披露します。
その時、レーダーに一際大きな二つの反応がありました。まるで、何かにひどく驚いたような――。そして、リル・ボマーから足早に離れようとしています。精霊が見えるのは、同じく精霊の保持者だけです。リル・ボマーがどれほど危なっかしい曲芸飛行を披露したとて、ほとんどの人は気づきもしません。リル・ボマーの動きに「ドキリ」とする者は精霊使いだけです。その「ドキリ」とした反応が二つあるのです。
オランチアはすぐにその反応を追いかけ、広場にやってきました。そこには、驚いた顔をした長髪の青年と、やけに厚着をした青年がいて、オランチアを見ています。厚着の青年の方は、負傷をしているためか、青い顔をしています。
「人違い……だったな!」
オランチアの言葉の真の意味をよく知る長髪の青年は、苦々しく顔を歪めました。
「スカルピアス、『クラッシュ』は今、どこに?」長髪の青年はそっと隣の青年に耳打ちします。
「そこの井戸だ! だが、オランチアまでは距離がありすぎる! 通行人に紛れられると思ったが……この広場はまずかった!」
「ぶちかませ! リル・ボマー!」
オランチアの声と共にリル・ボマーは羽ばたきながら二人の方に向かい、機銃をうならせます。長髪の青年が、とっさにスカルピアスと呼ばれた青年を突き飛ばし、その身に弾丸を受けました。傷口から血が噴き出し、オランチアの足元に血しぶきを飛ばしました。
「ティシアス!」
長髪の青年――ティシアスはぐったりとした様子ですが、幸い急所は外していました。しかし、スカルピアスは青白かった顔を、一気に赤くして言いました。
「よくも! 孤児の俺たちを拾ってくれたペリラスさんをゴミ同然に死に追いやり、そのうえティシアスまで……! だが、テメエの攻撃で『水場』は出来た! 二人の痛み、百倍にして返してやる!」
「そうだぜ! ペリラスさんを使い捨てたのは、俺たちだ! 俺たちの野望のために死んで貰った!」
「な、にィ~ッ!」
スカルピアスはティシアスの血だまりにサメの精霊をジャンプさせると、三角の背びれを水面からだしました。その時でした。倒れたティシアスの腕が、スカルピアスの脚を強く掴みました。
「スカルピアス! 待って! 待ちなさい!」
「なぜだ、ティシアス! こいつ、こいつはッ!」
「待てといっているんだーッ!」
スカルピアスは突然水をかけられた犬のように、びくりとティシアスの方を見ます。
「私の『トーキング・マウス』はまだ発動中なんですよ!」
「それが何――はっ!」
「そう。私のトーキング・マウスが取り憑いている間は、相手は心に思っていることとは逆のことを話してしまう! 裏を返せば、意図してウソをつくことも出来ないんです!」
ティシアスの精霊『トーキング・マウス』は、人の舌に取り憑いて能力を発動します。能力を発動すると、オランチアがこれまで散々苦労したように、心に思っていることと逆のことを伝えてしまいます。では、心に思っていることとは逆のでたらめなことを言おうとすれば正しい内容が伝わるのかといえば、その時は逆のでたらめなことをそのまま話してしまうのです。なぜなら、心の奥底ではちゃんと『真実を伝えようとする意志』が働いているのですから。 つまり、単に言葉の意味を反対にしてしまうのではなく、『自分の思ったように伝える意志』を妨害する能力というわけです。
例えば、トーキング・マウスに取り憑かれたミシェレが、フラゴラが楽しみにとっておいたイチゴケーキをうっかり食べてしまったとしましょう。ミシェレが正直に申し出ようとすると、口からは「オランチアが食べてたぜ」と出てくるわけです。では、「オランチアが食べてたぜ」という嘘をつこうと思ったら嘘とは反対の真実で「俺が食べました」となってしまうのかと思えば、そうではありません。「ブルーノが食べてたぜ」と本人も意図しない嘘が口から出てしまうのです。
つまり、オランチアが「俺たちがペリラスさんを使い捨てた」というのは真っ赤な嘘、ということになります。少なくとも、ペリラスの死については、オランチア達が強要したわけではないということになるのです。
ティシアスの能力ですから、彼はこの場の誰より一番そのことをわかっていました。
ジョジョが「本体を探せ」と言っていたのは、このためだったのです。二人はペリラスの言う『何も知らない部下』でした。何も知らないのをいいことに、王の都合で利用されたのです。ペリラスを慕うその心ごと!
ティシアスは言いました。
「思えばさっきの攻撃も本気ではなかった。『ぶちかませ』と言っていたのだからな。事実、急所は外しています。それに、このオランチアは、さっきから見ていればわかりますが――器用な嘘がつけないタイプだ。思ったことをそのまま口にしてしまう。ペリラスさんのことは、彼にとって『もっとも遠い嘘』なんですよ」
オランチアは一瞬褒められたような気がしてにっこりと笑いましたが、やっぱり気のせいだったように思ったので笑うのをやめました。スカルピアスは頭を抱えて言いました。
「じ――じゃあ、ペリラスさんは、どうして死んだんだよ!?」
「僕たちは、王の娘を護衛し、送り届ける任務をしていました。王と僕たちの仲介をしたのがペリラスさんだったんです」スカルピアスのサメから解放されたジョジョが、井戸から出てきて言いました。青い顔をしていますが、すでに自分の傷を治していました。
「違うよ! 俺たちはペリラスさんにトリシアを押しつけて、亀の駅に列車を用意して……」
「……能力を解除しましょう」
「俺たちはペリラスさんにトリシアを託されたんだ。それで、ペリラスさんは亀の用意とか、裏で支えてくれていたんだけど、王様の秘密を守るために……ピストルで……」
「ああ、駅でな。俺たちが遺体を家に連れて帰ったんだ。だが、なんなんだ? ペリラスさんが死ななくっちゃあいけないほどの秘密ってのは!」
「あとは俺が説明しよう」
いつの間にか、ブルーノやアバティーノ達も広場に集まっていました。ブルーノは二人に事の次第をすっかり話しました。二人も、自分達が見聞きしたことをブルーノたちに話しました。
スカルピアスとティシアスは、ペリラスのなきがらを家に連れ帰ると、そのまま王から連絡を受け取りウェネトゥスに来ていました。何の用かは聞かされていませんでした。恐らく、万が一密書を反逆者に奪われた時のために、情報を攪乱させられる二人を呼んだのでしょう。そして翌朝早くに衝撃の事実を聞かされたのです。
『ブルーノたちが反逆した! ナープラ長官になったのをいいことに、野望を抱いたのだ! いちはやくそれを悟ったペリラスは、ブルーノたちによって死を強要された!』
二人はどれほど嘆き、怒り狂ったでしょう? なにもわからず、行き場のない悲しみを抱えた二人は、悪魔の囁きで悲しみを怒りと憎しみに変えさせられたのです。目標を与えられた深い悲しみは、導き手によって、良い方にも悪い方にもおおきな力を生み出すのです。
ですが、その呪いももう解けました。もともと薄っぺらな嘘だったのですから。それに、二人はオランチアの様子をずっと見ていました。嘘に翻弄されながらも必死に仲間を守ろうとするオランチアの様子を。口先だけの嘘はつけないし、思ったことをすぐに口に出してしまうオランチアだからこそ、「俺たちがペリラスさんを使い捨てた」という嘘が、本当に心にもない嘘であることがわかったのです。
互いに握手を交わしたあと、ティシアスはウェネトゥスを脱出した後にどこに向かうのかをききました。
「サトゥルーニャ島だ。そこで王の正体がわかるはずなんだ」
「だったら、空から行くといい」スカルピアスが言いました。「飛行船を手配してやる。ペリラスさんの名でな。その方が、きっと喜ぶ」
それは、意外な提案でした。陸路と海を行くよりは、空から直接行ってしまえば安全です。なぜって、生身で飛行船の高さまで登ってこられる人間なんていませんからね。
「とてもありがたいが、そんなことをしたら、二人が王に狙われるかもしれないぞ」ブルーノは二人を心配して言います。
「だとしても、それはあなた方の次だ。王は私たちをいつでも始末できると侮っているから。王はあなた方を『暗殺』しようとしている。堂々と天下に名指し出来ないのだ。ブルーノはナープラで人望を集めているので、公表するとかえって『ブルーノが反逆するとは、王はよっぽどだぞ』と思われます。そして今まで表面上は押さえ込めていた不満が噴出し、大きなうねりになることを避けたいのですよ。あなた方は少数の追っ手を返り討ちにすればよい。であれば、私たちの番が来るのは、当分先。でしょう?」と、ティシアスが言いました。
「そもそも、俺たちはペリラスさんに恩義を感じているんであって、王はどうでもいい。それにこの仕打ちさ。俺たちにも意地と誇りがあるってことを教えてやる。一矢でも二矢でも報いてやるさ」スカルピアスは不敵に笑いました。
そして、ブルーノ達はティシアスたちと『飛行港』に向かいました。二人は建物に入って五分ほどで人数分のチケットを持って戻ってきました。本当にペリラスさんの名前で手に入れたのか、それとも他の手段で手に入れたのかはわかりませんが、それはおいておきましょう。大切なのは、ともかくチケットが手にはいったということです。
港では大きく膨らんだ鯨のような飛行船が、空高く飛び上がる時を待っています。オランチアは飛行船を間近で見るのが初めてだったので、きらきらとした目で見上げています。アバティーノもミシェレも、オランチアほどわかりやすくはありませんがワクワクしている様子でした。一方、ジョジョは飛行船の壁に手を当てて、中の怪しい気配を探りますが、特に不審な気配はないのでほっとして、少年らしい顔になりました。
ブルーノはティシアスとスカルピアスとずっと話していました。二人は二人で、ペリラスの思いを受け継ぐそうです。ティシアスは別れ際にいいました。
「ペリラスさんのためにも、王の真実を掴んでください。――ペリラスさんは、一度だけ私たちにこぼしたのです。『王は人が変わったようだ』『私の知る王ではなくなってしまった』と。彼は何かをつかんでいたのかもしれません」
「ペリラスさんが――」
ブルーノは、ペリラスの最期の言葉を思い出しました。『王様のことをくれぐれもよろしく』といったのです。もし、ペリラスが何かを勘づいていたとしたら、彼の言葉の意味合いは、大きく変わってくるでしょう。
飛行船の船員が乗客を呼び集めている声が聞こえてきました。ブルーノはティシアスとスカルピアスと固く握手を交わすと互いに幸運を祈って別れました。