17 フラゴラの巡礼 フラゴラが最初に『おかしい』と思ったのは、鏡の城で黒猫を倒したときでした。フラゴラの精霊『パープル・スモーク』のウイルスは、全身を溶かしてしまう殺人ウイルスです。ですが、そのウイルスで倒した黒猫は、全身が溶けるどころか、石のように固まって、そのままの姿で残っていたのです。
フラゴラのウイルスでは、これはありえないことでした。この時すでに、普通ではないことが起こっていると考えていました。他の動物たちもそうです。あの時は先を急いでいて、戦った場所からすぐに立ち去っていました。ですから、倒した後に死体がどうなったかを誰も見ていないのです。
そして、戦ってきた動物たちが、地位や財宝ではなく『誰かのため』に戦っているような気高さを持っていたことも奇妙でした。王に騙されているような気がしていたのです。
極めつけは、動物たちが揃って着けていた、宝石のついた首輪でした。秘密に動いているのに、目印となるようなものをそろって着用しているのはおかしいことです。となると、『着けさせられた』と考えるのが自然でした。そうなると、どうして彼らには外せないのかが問題になります。いくら彼らの大半の手にかわいい肉球がついていたとしても、少なくとも器用な子猿がいるのです。首輪を外すくらいはなんでもないでしょう。
そこで、フラゴラは仮説を立てました。
なぜ首輪を外せないのか?
それは、ただの首輪ではないからです。魔術的な――もっといえば、呪いの首輪だからです。
では、どんな呪いがかけられているのでしょう?
恐らく、姿を変えられる呪いです。
つまり彼らは、本当は人間なのです。
彼らの精霊は、釣り竿や冷気の精霊を除いてみんな『人型』でした。精霊は本体の精神の映し鏡です。つまり、彼らの魂は人間の形をしているのです。
フラゴラはその手の呪いについて本で読んだことがありました。人間を動物に変え、絶望によって心を失わせ、しまいには、なんでも言うことをきく家畜にしてしまうのです。命を絶とうにも、呪いが続いている限り、完全に死ぬことはできません。この呪いは、ただ人間を自分の思い通りに働かせる家畜にするのではありません。絶望し、人が人でなくなっていく様子を楽しむための、残酷な呪いです。
では、一体誰にそんな呪いをかけられたのでしょうか?
――王様しかいません。
呪いを解くには、術者の命を絶つのが手っ取り早いのです。彼らがトリシアを誘拐しようとしたのも、王の秘密を探り、弱点を知るためだったのです。
でも、どうして王様がそんな呪いを彼らにかけるのでしょう?
どうして王様がそんな強力な呪いをかけられるのでしょう?
フラゴラの頭に、ずっと変わっていないコインの肖像が思い浮かびました。二年前に突然亡くなった王の後継者のことが思い浮かびました。
王様は、すでにあの王様ではなくなっているのだと察したとき、フラゴラはあの呪いを編み出したとされる、血にまみれた皇帝――ティラブロスの名を思い出しました。
「それじゃあ、フラゴラは最初から気がついてたのかよ!?」
フラゴラがそこまで話すと、オランチアが声を上げました。
フラゴラは肩をすくめました。
「気づいていたってほどじゃあないんです。自分で考えておいてなんだけど、僕だって、途方もない仮説……もっといえば妄想だと思っていたんだ。とても信じて貰えないだろうし、誰かに聞かせられる話じゃあないと思っていた。それにこんな話をしているのを誰かに聞かれたら――わかるでしょう?」
「そうですね。反逆の意志ありと見なされて、全員逮捕されていたかもしれません」
と、そもそもはじめから反逆の意志しかなかったジョジョが言いました。
「でも、ペリラスさんのことや、ウェネトゥスでの出来事で確信しました。あの人を人と思わないやり口。神殿を我欲で穢してはばからず、邪道を操る。昔から悪い奴なんて山ほどいるけれど、これらすべてをたった一人でやりきろうとするのは一人しか思いつきませんでした」フラゴラは大きく息を吐きました。「ティラブロスは、この国の礎を築いた英雄が、周辺諸国を束ねてようやく倒したような相手です。その上、強い精霊を操るのなら、僕たちだけじゃあ立ち向かえません。僕は、死の恐怖に負けたんです」
そうしてブルーノたちと別れたフラゴラでしたが、彼はすぐに気がついたのです。死ぬことより何より一番恐ろしいのは、フラゴラの世界からみんながいなくなってしまうことでした。というのは、十章でお話しした通りですね。
「僕も、正しいと信じる道を歩きたかった。だけど、その先に破滅しかないとわかっている道をみんなにそのまま歩かせることも出来なかった。もっと力が必要だと思ったんだ。もっとたくさんの力が」
「それで……敵対していた彼らを?」と、ブルーノが聞きますと、フラゴラは小さく頷きました。
「オランチア、以前君は僕にこう言ったね。『信じて貰えるように行動で示せばいい』って」
「うん」オランチアは、フラゴラが自分の言葉を覚えていたことがうれしくてにっこりと笑って頷きました。
「僕はそうしたんです」
◆ ◆ ◆
ブルーノたちと別れたフラゴラは、その足でナープラに戻ることにしました。ホルマティウスや黒猫たちの呪いを解くことにしたのです。彼らからすれば、ブルーノやフラゴラは『王の手先』です。王を倒すために自分達と戦ってくれと言ってきたところで、信用する気にはならないでしょう。ですから、彼らが切実に願っていることを命がけで叶えることが、信用を勝ち取るために必要なことでした。命がけといいますのは、もし彼らが休眠から目覚めたときに、散々敵対していた相手がに目の前にいたら、反射的に攻撃してしまうかもしれませんからね。
ナープラに着くと、フラゴラは大図書館にこもりました。大図書館にはあらゆる時代のあらゆる本が収められています。フラゴラが大学に通っていた頃は、大学の図書館を飛び出して一日のほとんどを大図書館で過ごしたものです。ですから、どこにどんな本があるのか、フラゴラはよく知っていました。フラゴラはあらゆる魔術の本を漁り、あの首輪の呪いを解く方法を探しました。
人が人にかける呪いというものは、『解く方法』も存在しなくては成り立ちません。解く方法は必ずどこかにあるはずでした。
「あった! これだ……」
フラゴラは半日かかってようやく見つけ出すと、必要なものを揃えて鏡の城に行きました。鏡の城に着いたときには、既に真夜中になっていましたが、石のように固くなった黒猫の身体は、変わらずその場所にありました。
フラゴラは黒猫の身体を外に運びだすと、麦で編んだお守りを黒猫の身体に乗せました。すると、黒猫の毛並みは輝きを取り戻し、身体のやわらかさもあたたかさも蘇りました。目をぱっちりと開けた黒猫は、フラゴラに気がつくとはじけ飛ぶように宙返りをして、全身の毛を逆立たせ、牙を剥き出しにして威嚇します。
「にゃッ! 貴様、さっきはよくもやってくれたにゃー! 許さにゃいにゃ! かかってくるにゃ! お前にゃんてもう怖くにゃいにゃー!」
そこでフラゴラは、余った麦の根元を持つと黒猫の前で猫じゃらしのようにちらつかせます。黒猫はちらちらと動く麦穂に飛びかかったところで、何かに驚いたようにハッとしました。そして、顔を伏せてさめざめと泣き始めました。まるで、こんな猫のようなことをしたくはなかったと嘆くかのように。人間としての魂が削れて、段々と正真正銘の猫に近づいているのです。
「黒猫さん」
フラゴラはそんな黒猫に優しく声をかけました。
「あなたたちの力を貸してほしいのです。王の命令とはいえ、あなたたちの境遇もしらず、僕たちはずいぶんひどいことをしました。今、僕の仲間が王を討つために戦っています。けれど、力が足りないのです。皆さんにかけられた呪いは僕が解きます。王を倒すまででよろしいのです。どうか力を貸してください」
フラゴラは黒猫に深々と頭を下げ、これまでのことをすっかり話しました。
「嘘じゃにゃいだろうかにゃ?」
と、黒猫はいいました。しかしフラゴラからは本の匂いがします。とても古い紙の匂いです。長い時間図書館の奥にいないとしないほど濃く残っています。
それに、嘘をつくときの汗の臭いもしません。一生懸命に走り回った正直者の汗の匂いだけがします。黒猫は納得して、
「ようかろうにゃのだ。まずは私の呪いを解くにゃ。そしたら他の奴も説得してやるにゃ。私の誇りにかけて約束するにゃ」
と、猫語まじりでいいました。
フラゴラは本に書いてあった通りに、黒猫のいう通りにしました。まず黒猫の身体を赤い布で包むと、首輪についている宝石をちぎりとります。すると、宝石は大蛇や、オオトカゲや、ライオンや大蜘蛛など、恐ろしい生き物に変化していきました。本にあった通りです。しかしフラゴラは決して手を離しません。呪いを解こうとするのを邪魔しているだけで、これらの生き物はまぼろしだとわかっているからです。すると、宝石は真っ赤に燃える鉄に変わりました。手が焼け付く痛みと、肉の焼けるいやな音に襲われます。しかし脂汗を浮かべながらもフラゴラは手を離しません。最後の悪あがきだとわかっていましたから。最後にナナカマドの葉を浸した井戸に投げ入れると、宝石は砕け散り、首輪は灰のように崩れてゆきました。フラゴラの手に負ったひどい火傷も、幻のように消えていきました。
すると、黒猫の身体が光に包まれます。光はどんどん大きくなって、やがて長い黒髪にリボンをいくつも結わえた美しい女性が現れました。
「ああ、もとの身体だ!」女性はよろこびの叫びを上げました。
女性の目はひいらぎの実よりも赤く、眉はずっと東の国に生えている柳の葉のように美しい形をしています。フラゴラより上背があるので、彼女の顔を見るには彼は少し背伸びをする必要がありました。
「礼を言ってやろう。私はイルーリヤだ。この王国一の美女がこれからお前を助けてやる」
王国一の美女かどうかはともかく、とにかく女王様みたいだとフラゴラは思いました。
次の目的地に向かう道すがら、フラゴラはイルーリヤに一番気になっていたことをききました。
「それにしても、どうしてあなた方はこんな呪いをかけられてしまったのですか?」
「私たちは亡きウェネトゥス公に雇われた秘密のチームだった。殿下は王の正体に疑いを持っていたから、精霊使いの精鋭を集めて、もしもの時のために力をつけようとしていたんだ。つまり王に対抗する武器だな」
「ウェネトゥス公といえば、二年前に落馬事故で亡くなった、王の甥の……」
「ばーか、落馬事故なもんかよ。王に殺されたのさ。目障りになったんでな」
「でしょうね……そんな気がしていました」
「殿下を狙って差し向けられた精霊使いを倒したり、密偵したり工作したり、時には暗殺を担ったり。とにかく頼まれたことはなんでもやったさ。金払いは良かったし、高貴な人に信頼されるのは悪くなかった。何より居場所があるのが嬉しかったんだ、私たちは」
イルーリヤは寂しそうに遠くを見ました。彼女は自分達のことについて、そう多くは語りませんでしたが、きっと社会から弾かれ、はみ出して、いいように使われ、一人ぼっちだった者達の集まりだったんだろうなとフラゴラは思いました。信頼し合うチームであり、互いが互いを必要とするかけがえのない居場所だったのでしょう。ですから、あんなに団結力があったのです。
「だが二年前に終わってしまった。殿下が乗馬をしていると思ったら、木の枝に心臓を貫かれて死んでいたんだ。二人の仲間も殺され、その上死体を弄ばれた。私たちは二人の葬式をしている時にあの忌々しい首輪をつけられていたんだ。王の手先に追い立てられ、迫害された。それから必死にこの呪いを解く方法を探し――ようやく見つけたんだ。だが、知らない方がマシだったかもしれないな」
「どうしてです?」
「『他者のまごころの祈り』が必要だっていうんだぜ!」イルーリヤはけらけらと笑いました。「そんなもの、私たちには縁のないものだからな。だから王を殺す方が手っ取り早いと思ったんだ」
そうしているうちに、二人はイタチのホルマティウスのところにやってきました。道端に置かれていたホルマティウスの身体を回収すると、イルーリヤの時と同じように目覚めさせます。
「ピュー! イルーリヤが元に戻ってるぜ! しかもブルーノのところのフラゴラと一緒とはな! 俺は幻覚を見てるのか!?」
と、驚くホルマティウスに、イルーリヤがすべて説明しました。
「よし、話はわかったぜ。高慢ちきのイルーリヤがここまで納得してるんだ。俺も協力してやろうじゃあねえか」
そういうわけで、イルーリヤと同じように、ホルマティウスも元の姿に戻れたというわけです。
「いやあ、まさか王をぶっ殺す前に戻れるとは思わなかったぜ」
とホルマティウスは短い髪の毛をじょりじょりと撫でながら、元の身体に戻ったことを喜びました。
それから三人は、朝一番の機関車で王都ロマティヌスの駅に行きました。別に、機関車内で戦ったプロシュガードやピスキスのことを忘れたわけではありません。ですが、二人が言うには、アナグマのメーロを早く元に戻した方が便利だということだったのです。
メーロを回収して目覚めさせると、三人がまだ何も言わないうちに、開口一番こう言いました。
「よーし状況は理解した! 協力するぜ」
「まだ何も言ってないのに?」とフラゴラがきくと、
「口先でイルーリヤとホルマティウスを説得するのは難しいからなあ。この二人が納得しているなら、俺からいうことは特にないだろうね」
と、メーロはいいました。
こうしてメーロも元の研究者風の姿に戻りました。ひとしきり元の姿に喜んでから、メーロは三人にいいました。
「さて、プロシュガードとピスキスの順番を抜かしてまで俺のところにきたのは、仕事を頼みたいからだろう? どんなのをつくる?」
「手先の器用なやつがいいな。最新式のモトがほしいんだ」とホルマティウスがいいました。
すると、メーロはホルマティウスの頭から短い毛を一本抜くと、手元に大きなトランクケースを出現させました。トランクケースをあけると、中は何かの機械になっていて、メーターやつまみやチューブがついています。メーロは耳当て――ヘッドセットと言った方が皆さんには想像しやすいでしょう――を装着し、抜き取った髪の毛を試験管に入れると機械に差し込みました。
「なんです? これは」フラゴラがききました。
「俺の精霊『ゴブリン・マーケット』だよ。生き物の一部からゴブリンを生み出して、助手や戦闘員にできるんだ。まあ、そのゴブリンの性能は、素材の性能によるんだがね。つまり、賢いゴブリンがほしければ、より賢い人間の髪の毛や血液を素材にしなくちゃあいけないというわけさ」
機械のメーターが動き、チューブに謎の液体が流れていきます。どういう仕組みかはわかりませんが、ともかくゴブリンの生産が始まったのでしょう。その様子を珍しそうに眺めるフラゴラに、メーロは目を輝かせてききました。
「ところで、あんたは十三歳で大学に入ったんだって? 髪の毛全部くれないか? 賢いゴブリンが山ほどできるぞう!」
「いやです……」
と、すげなく断られたので、メーロは頬を膨らませました。
でもフラゴラだって、まだつるつる頭にはなりたくありませんからね。皆さんも、いやなことは断った方がよいですよ。ただし、学校の宿題や、ちょっとしたお手伝いなどは、素直になさることをおすすめします。(私はそのように申し上げましたからね!)
しばらくしてゴブリン達が生まれると、イルーリヤとホルマティウスが『便利だ』といっていたわけがすぐにわかりました。
ゴブリン達はあっという間に最新型、いえ、それ以上のモトに変化したのです! ゴブリン達は八章でやってみせたように、生き物を組み替えて物質にしたり、自身が『モノ』に変身したりできます。素材が良ければ良いほど、複雑で高度なものになれますし、自分の頭で考えて行動できるのです。
世界のどこにもない、すばらしいモトを眺めながらメーロは得意げにいいました。
「プロシュガードとピスキスは線路沿いにいる。それならこっちの方が速いぜ!」
四人は風のようにプロシュガードとピスキスのもとに向かうと、メーロの時とほとんど同じようなやりとりをして、二人も元の姿に戻りました。
ピスキスは、若草色の髪をぴょこぴょこと揺らしながら、
「あの時、おいらはあんた達を殺そうと思っていたけど、実現しなくてよかったなあ」
と、しみじみといいました。すると、彫刻のように見目麗しいプロシュガードが、
「結果だけ見ればそうだ。だが、お前は仲間のため、最後まであがいたんだ。お前の成長ぶり、立派だったぜ」
と、いいましたので、ピスキスはうれしいやら照れくさいやらで、顔を赤くしました。
さて、残るはウェネトゥスで戦ったギアシウスです。ウェネトゥスについたころにはすっかり日が暮れていました。ギアシウスはこだわりが強い性格で、血の気も多いので、ホルマティウスとプロシュガードとメーロとイルーリヤの四人がかりでやっと説得しました。
しかし、なんだかんだいっても、やはり元の姿には戻りたい気持ちは強かったのです。ひとしきり元の姿で滑走を楽しんでから、ギアシウスはいいました。
「それで、リベリウスはどこにいるんだ? リーダーがいないことには始まらねえだろ」
「あいつの性格からして、一人でも目的を果たそうとするだろう。ブルーノを追っていると考えていいな」と、プロシュガードがいいました。
「私たちがこうなってるのを知らないでな。もし、リーダーがブルーノたちをやっちまったら、すべてご破算だ」イルーリヤが深刻そうにいいました。
「そんなに強いんですか」
「強い」
と、フラゴラの何気ない問いかけに、全員口を揃えて答えるのでした。
「つまり、リーダーより早くブルーノに追いつく必要があるってことだね」ピスキスがいいました。「でも、一体どこに行ったんだ?」
「それなら、興味深いニュースがあるぜ」ホルマティウスは今朝の新聞を広げました。その新聞には、サトゥルーニャ島近くの飛行船墜落事故が報じられています。記事には乗客と乗員の名前や、事故の状況などが書かれていました。
「へえ、こんなすごい事故なのに、お客さんは全員無事だったんだね」と、ピスキス何気なくは言いました。
「そうだな。だがちょっと妙じゃあねえか? 飛行船の定員に対してちょっとばかし乗客の数が少ない気がするんだよなあ。それに関しちゃ、そういうこともあるかもしれねえがな。それにだ、係留中なら救助の手も多いし、高度も低いんで生存率が高いのはわかる。だがこの事故は海のど真ん中を飛んでるときに爆発炎上したんだぜ。むしろよくほとんどの人間が無事でいられたもんだよな?」
と、ホルマティウスは意味ありげに言いました。メーロは新聞を取り上げると、詳しく読み込みます。そして、
「この飛行船、定員は十二人。新聞で発表された人数は六人だから、ちょうど六人足りないな」と、いいました。
「そうか。王の刺客に飛行船を襲われたんですよ。だが、乗客と乗員と共に生還した。名前が出ないのはおそらく、助けられた恩を彼らが感じているからでしょう。ブルーノ、人たらしだから」フラゴラはいいました。「それに、サトゥルーニャ島はティラブロスの故郷です。彼らも情報を掴んだのでしょう」
「よし、そうなりゃ次の行き先はサトゥルーニャ島に決まりだな!」イルーリヤがいさましくいいました。
その次の日はほとんどサトゥルーニャ島への移動に使いましたので、フラゴラたちがサトゥルーニャ島に着いたのはさらに次の日――つまり、大潮の日でした。
サトゥルーニャ島に来たのはよいのですが、サトゥルーニャ島は大きな島です。闇雲に探したのでは見つかりません。二手に分かれてティラブロスゆかりの遺跡を探しましたが、空振りに終わりました。
「俺たちのこの姿が見えれば、リーダーも姿を現すだろうけどね」メーロがぼやきました。
「全員元に戻っちまったのはあまりよくなかったかな? 動物のままだったら匂いで辿れただろうに。お前とか」
と、ホルマティウスは元黒猫のイルーリヤを見ながら冗談めかしていいましたので、イルーリヤは、
「なんだと? 死ぬか? 坊主頭」
と蛇女のようにホルマティウスをにらみつけていうのでした。なんとも物騒な会話ですが、彼らにとっては日常なのです。でも、計算間違いでほっぺたにフォークを刺してくるよりはまだ平和ですね。
ま、彼らの日常会話はともかく、一刻も早くブルーノかリベリウスを見つけないといけません。日も暮れ途方に暮れてきた頃、ゴブリン製の『小型無線』にプロシュガードから連絡が入りました。
「さっき、街の図書館に入ったときに司書に妙なことをきかれたぜ。『あなた方も十五年前の潮の満ち引きの記録を調べているのか』とな。聞いてみたら、三日前にそんなことを調べに来た妙なグループがいたらしい。十五年前といえば、トリシアの母親が身ごもった年もそれくらいになるんじゃねえか?」
「それに潮の満ち引きって――待ってください、今日は『大潮』じゃあありませんか?」フラゴラが答えました。「聞いたことがあります。普段は島だけれど、干潮時に道が現れて陸地とつながる島があるそうです。何か大きな手がかりがあるのかもしれません。その場に直接赴かないと確認できない何かが」
「じゃあ、ブルーノたちは引き潮を待っている可能性が高いね! でも海岸線っていってもすごく長いなあ!」と、ピスキスがいいました。
「いや、あの図書館で調べていたってことはこの近辺の海岸線の可能性が高い。行くぞピスキス、ギアシウス!」
そういうわけで、プロシュガードたちは王と戦って倒れたリベリウスの身体を回収したのでした。彼らは知らないことですが、もう少し遅ければ、近くに隠れていた王に血を啜られた挙げ句、本物の『家畜』にされるところだったので、間一髪でした。
リベリウスの身体は清らな月光の降り注ぐ砂浜に運ばれ、みんなに見守られながら眠りから覚めました。
目覚めたリベリウスは、鼻をひくひくさせながら、それはもう驚きました。幻でもなんでもなく、部下が元の姿で勢揃いしているのですから!
「話はちょいと長くなるが、こういうわけなんだ」
と、みんなを代表してプロシュガードがすべて説明すると、気難しそうに前足を組みながらも――リベリウスの昔からの癖なのでしょう――頷くのでした。
「にわかには信じがたいが、フラゴラ、お前の行動こそなによりの証拠だ。感謝する。共に王を倒そう」リベリウスは前足を出して、フラゴラと『握手』を交わします。
「だが私を元に戻すのは少し待ってほしい。先ほど私が戦った相手は、王だったんだ。この島に王が来ている」
みんなは目を見開きました。親鳥が餌を持ってきたときの雛鳥のように騒ぐ部下を制して、リベリウスは言葉を続けます。
「結論からいえば、王は『二重人格』だ。普段は気弱そうな小僧の人格で、体格も小僧だが、王の人格の時は肉体も成年男子となる。匂いからして年齢は三十代前半といったところだな。フラゴラの推理通り、王の正体がティラブロスならば、肉体が若いことにも納得がいくが、それは置いといてだ。私は奴の匂いを覚えた。今なら追うことができるかもしれん」
そう言うと、リベリウスは元いた場所に向かって風のように駆け出しました。みんなでその後を追いかけながら、ホルマティウスが言いました。
「え、もう奴と戦うのか?」
「戦いはしない。だが追う。ブルーノ達が何かを掴んだことは王も知っている。今はブルーノたちを狙うだろう。だが王は慎重居士にして用心堅固だ。見られることを極端に嫌う。大勢で近づいてくる者があれば、相手がなんであれ警戒して撤退するだろう」
そして、先ほど戦った場所に戻ると、リベリウスは地面の匂いを嗅ぎます。リベリウスは首をかしげました。王の匂いは海沿いの道路に残っている方が新しく、どうやら崖の下に行って戻ってきたようです。でも、ブルーノたちの匂いはしません。彼らの血の匂いもないので、戦ったわけではなさそうです。
「リベリウス、どうだ?」と、プロシュガードがききました。
「奴はもう近くにはいない。この道を――方面的には港だな。オートモービルを拾ったのだろう」
「ブルーノたちも港に向かったってことか」ギアシウスが言いました。「港からどこへ行くかは、あいつらが見つけたものを見ればわかるかもしれねえな」
「よし、行ってみましょう。海を見てください。潮が引いて、小島に続く道ができています」
フラゴラは海を指さしました。海には、月の光に照らされて岩の小島と、小島に続く海の道がしらじらと浮き上がっていました。
「僕たちはその小島に掘られたティラブロスの墓で、彼女の声を聞きました。そしてリベリウスさんを元の姿に戻した後、ロマティヌスまでみんなを追いかけてきたんです」
フラゴラが長い話を終えるころには、ブルーノは青い目にうっすらと涙の膜を張っていました。フラゴラの両手を自分の手で包んでやると、
「ありがとうフラゴラ、本当にありがとう。お前の勇気に、俺たちみんなが救われたんだ」
といって彼を抱きしめるのでした。フラゴラは目元を赤くして、ブルーノの肩に顔を埋めるようにうつむくと、細々とした声でいいました。
「ブルーノ、僕は今でも死ぬのが怖いです。それでも、何もしないで、ただみんなが死んだと風の便りで知ることの方がもっと怖かっただけなんです。あの時、ほんのちょっぴりでも勇気を出せばよかったと思って生き続ける方が怖かっただけなんです」
「いいや、フラゴラ」ブルーノはフラゴラを腕の中から離すと、彼の肩を力強く、奮い立たせるように叩きました。
「それこそが勇気なんだ」