Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    shimotukeno

    @shimotukeno

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 114

    shimotukeno

    ☆quiet follow

    童話5部 19 選定の矢
    曾孫はさあ………………。

    ##ジョジョと結晶の王国

    19 選定の矢「この白い結晶が、全部薬なの……?」トリシアは呆然として、周囲を見回します。「それじゃあ、あの音ってもしかして……」
    「この結晶を採取しているんだろうな」
     イルーリヤが、鏡で壁を映します。鏡には、鏡の外で結晶を採取する男達が映っていました。男達の目はうつろで、だらしなく口をあけています。薬の中毒症状でした。
    「トリシア、ヤツはここにいるか?」
     ブルーノがきくと、トリシアは頷きました。
    「ええ、強く感じるわ! みんな気をつけて!」
    「まずはヤツの位置を特定しましょう。ヤツには鏡の中にいる僕たちの位置は知覚できない。その上、イルーリヤさんの鏡の能力は知られていないはずです。ヤツのみを鏡の中にいれてエンペラー・クリムゾンの能力を引き剥がせば、戦いやすくなるでしょう」
     と、ジョジョが言うと、みんなも頷きました。ミラー・マンの能力は、任意の相手のみを鏡の中にいれて、精霊と引き離すことができるのです。その瞬間を狙えば、勝機は十分あります。
    「イルーリヤさん、鏡を貸し――」
     ジョジョが言うと、既にイルーリヤは鏡を手渡そうとしていました。
     時間が飛んだのです。
    「危ない!」
     イルーリヤの足元で緋色の閃光がはじけるのと、フラゴラのパープル・スモークが、フラゴラごとイルーリヤを突き飛ばしたのはほとんど同時でした。
     小さな爆発が起こり、フラゴラとイルーリヤを数メートル先の壁まで吹き飛ばしました。二人は壁に跳ね返り、ぐったりと折り重なって倒れています。それと同時に、イルーリヤの鏡の世界が解除されてしまいました。
    「フラゴラ!」
    「イル!」
     ブルーノとホルマティウスが叫びました。すると、オランチアが言いました。
    「大丈夫。気を失ってるだけだよ。パープル・スモークのおかげで、直撃はしなかったみたい。でも――」
     みんなは後ずさりし、現れた影から距離をとります。
     イルーリヤがいた場所からわずか数メートルのところに、冷たい笑みを浮かべたティラブロスがいたのです。長く伸ばしたばら色の髪を後ろで一つにまとめ、仕立てのいい緋色の紳士服を着て、肩からは白く長いマントをこれ見よがしに垂らしています。右目の前には、片眼鏡のような水晶のレンズが浮かんでいました。
    「お前達の位置はさっぱりわからなかったが、あの女がこの位置から吹き飛ぶ未来は見えていたよ。殺人ウイルスのガキもろともな」
     ティラブロスは壁際で倒れているイルーリヤとフラゴラを一瞥して鼻で笑いました。
     ミラー・マンの鏡の世界では、鏡の外でモノが壊れると、鏡の中でも同じモノが壊れます。鏡の外のモノの動きを律儀に反映しているのです。つまり、鏡の外で爆発が起これば、中でも爆発が起こってしまいます。ティラブロスはその場所で起こる爆発で、イルーリヤとフラゴラが吹き飛ばされる未来を予知し、エンペラー・クリムゾンの『時飛ばし』を使って実行したのです。
     フラゴラはうっすらと目を開けます。頭の中が鐘楼になったかのような、酷い頭痛と耳鳴りがしますが、怪我はほとんどありませんでした。でも、それは奇跡などではありません。イルーリヤがとっさにフラゴラを抱えて、庇ってくれたからです。イルーリヤは女王様のように誇り高い女性でした。少年のフラゴラに一方的に助けられるだけというのは、彼女の誇りが許さなかったのです。
    「イ……イルーリヤさん!」
     フラゴラはイルーリヤのほっぺたに触れます。イルーリヤの目は固く閉ざされていて、当分、目覚めそうにありませんでした。額の切り傷からどくどくと血が流れ出て、顔を伝い、結晶の床を赤く染めます。白い手は、擦り傷がたくさんついて真っ赤になっていました。
     フラゴラはふらつく身体をはげまして、身体を起こしました。イルーリヤを守るような体勢をとり、ティラブロスをにらみつけます。動けないイルーリヤを放っておけば、慎重を期すティラブロスは確実にとどめをさすでしょう。
    「可哀想に、ふらついているではないか。最初から見捨てておけば、一人やられるだけですんだのにな?」
     ティラブロスが腕を振ると、袖口から小さなボールのような何かが飛び出しました。
    「させるか!」
     オランチアのリル・ボマーが、すかさずその『何か』を撃つと、空中で緋色の閃光が弾けて、小さな爆発が起こります。細かな破片がパラパラとフラゴラとイルーリヤに降り注ぎました。魔術で作った小型の爆弾のようです。先ほどの爆発も、それで起こしたのでしょう。
     ティラブロスは小馬鹿にしたような視線を返してあざ笑うだけでした。
    「それにしても、サトゥルーニャ島のあの小島を見つけてからというもの、こいつらの行動に迷いがないとは思っていたが……貴様のせいか、ポルレルト。まさか生きていたとはな。バラバラになって滝壺に落ちていったように見えたが」
    「ああ、正直私も驚きだよ。目覚めたときには、神の思し召しなんじゃあないかと思ったよ」ポルレルトはいいました。
    「神の思し召しときたか!」ティラブロスは声を立てて笑いました。「ならば何故、私はここにいるのだろうな? 仮に神の意志が運命に手を加えるというのならば、神は、運命は、むしろ私に味方しているのだ! 星女神の矢は私に無敵のエンペラー・クリムゾンを与え、この場所に、お前達のような目障りな虫共を集めたのだからな!」
     ティラブロスはポルレルトを見て目を細めました。ポルレルトが隠し持つ矢と、矢の秘密を見透かしているかのように。
    「トゥルレウムで貴様らが集まってコソコソと話しているのは聞こえていた。この都は私の支配下にあるのだからな。矢が資格を持つ者の精霊を進化させる、だと? ふさわしいのはこの私よ。矢が私のためにお前達を連れて、私の元にやってきたのだ」
     みんなはごくりとつばをのみました。矢の秘密を知られています。トゥルレウムに――いえ、王都のあちこちに――会話を盗聴する魔術的な仕掛けでも施していたのでしょう。
     それに、ティラブロスも言っていましたが、どうして矢はティラブロスのような人間に(もはや人間かどうかあやしいものですが)エンペラー・クリムゾンのような無敵の力を与えたのでしょう? 殺人カビのゼッカラータにしてもそうですが、いくら本人にその精霊を持つに相応しい素質と精神があったとしても、流石に予知をして時間を消し飛ばすのは無法すぎますよねえ。それは皆疑問に思っていたことでした。見ようによっては、確かに、運命はティラブロスに大いに味方しているようにも思えます。
     ですが、矢は、あくまでも矢です。
     神のごとき意志があるわけではありません。
     素質がある者に反応しているに過ぎないのです。
     そのほかのことは、――例えば、指導者を選ぶだとか、盟主を選ぶだとか、そういった意味は、言ってしまえば結局みんな『人』が勝手に見いだしたことなのです。
     ジョジョが口を開きます。
    「矢はあくまでも、素質のある者から精霊を引き出すものだ。それをどう使うかはその者次第。自分で決めるんだ。強い能力だからといって何をしてもいいという免罪符を与えるものではない。それともお前は、矢にお許しを貰ったと思っているのか? ひょっとすると、本当に与えられたのは、お前が善く生き直すためのチャンスだったのかもしれないのにな」
     ティラブロスの眉が、ぴくりと動きました。ティラブロスは、神を恐れていません。しかし、ジョジョの物言いは、まるで自分が神やそれに近い存在の顔色を伺っているように聞こえます。
    「矢が僕たちをここに集めたというのならば、ある意味ではそれはそうかもしれないな。お前が矢によって与えられた能力をいいことに邪悪を重ね、その結果僕たちが集まったんだからな。僕たちが、それぞれ信じる道を歩いた結果、ここにいるんだ!」
    「貴様……」
     ティラブロスの意識がジョジョに向いた瞬間を逃さず、ミシェレとオランチアが一斉に銃弾を浴びせます。猛スピードで飛びながら機銃掃射を浴びせるリル・ボマーの弾と、シックス・バレッツの能力で複雑に描かれる弾道は、さすがのエンペラー・クリムゾンといえど、捌ききるのは難しい――ように思えました。
     エンペラー・クリムゾンの能力とティラブロスの残虐性は、予想を上回るものだったのです。
     蜂の巣にされたのは、結晶を採取している男達でした。避けきれない弾道を予知して、既に男達を空中に放り投げていたのです!
    「バカめ! 貴様らごとき下っ端のカス能力が、この私のエンペラー・クリムゾンを凌駕できるとは思わないことだ!」
     ティラブロスは少しずつポルレルトに迫ります。
    「やつを矢に近づけさせるな!」ブルーノは叫びました。
     オランチアとミシェレはその声に答えるように、苛烈に銃弾を浴びせます。しかしその雨の中を、ティラブロスは悠々と歩きます。エンペラー・クリムゾンの予知と『時飛ばし』を小刻みに使い、弾丸を避けているのです。
     ポルレルトは懐に隠した矢に手を這わせます。矢からはまだ、何も感じません。
     もし、なすすべなく奪われるくらいならば、命と引き換えにしてでも、守るしかないと思いました。
     ですが、まだ諦めるときではありません。
     若者達が、今この時もエンペラー・クリムゾンに食らいつこうとしているのですから。
     ポルレルトも自身の精霊、白銀に輝く甲冑の騎士、シルバー・チャリオッツを出しました。

     ◆
     
    「攻撃の手を緩めるな!」
     ブルーノは床を叩き、ジッパーを走らせます。ティラブロスはジッパーを避けるように移動しますので、足を取られたり、落っこちたりすることはありません。しかし、ブルーノの狙いはジッパーで開けた穴にティラブロスを落とすことではありません。
     避けさせることで、ティラブロスの進路を妨害しているのです。
    「ヤツの『時飛ばし』は長くとも十数秒。しかも、十数秒の時飛ばしは連続して発動できない。さらに予知できる時間もそれほど長くはない。俺やリベリウスの経験から察するに、予知は結果の『切り取り』なんだ。未来のほんの一場面なんだよ。先の先まで読むことはできない」
    「ええ。精霊の間合いもそこまで広くない。やつはエンペラー・クリムゾンで時を飛ばしている間に移動し、一人ずつ不意打ちしてくるでしょうね。やつに不意打ちの隙を与えてはいけません」
     ジョジョは足元の結晶を蹴り壊すと、ゴールデン・ウィンドで欠片に命を与え、毒蜂に変えました。
    「さあ、行け!」
     
     ◆ 
     
     亀の中では、メーロがゴブリン達に命令を出していました。ゴブリンを作りながら、その一方で、トゥルレウムにいるゴブリンや、プロシュガード達と一緒にいるゴブリンや、この場にいるゴブリンに指示を出しているのですから、頭が熱くなって湯気が出てきそうでした。
    「ああもう、採掘者たちをボールでもなんでもいい! モノに変えて、とにかくこの場から遠ざけるんだ! アイツの弾よけにさせるな!」
     メーロは金切り声を上げて命令します。ゴブリン達は呆けた顔で採取を続ける採掘者たちをボールに変えて、階段から転がして遠ざけます。
    「メーロ、採掘者たちはみんな塔の下に転がしておきました」
    「よし、よくやった!」メーロは声を上げました。「いいか、お前達。手でも、足でも、どこでもいい。ヤツから削り取るんだ。少しでもダメージを与えるんだ!」

     ◆

     一方、ホルマティウスは、ティラブロスの目を盗んでイルーリヤとフラゴラのもとに行きました。
    「おい、大丈夫か? お前ら」
    「ええ、僕は、なんとか。でも……」フラゴラはイルーリヤを見ました。イルーリヤは眉間にちょっとシワを寄せるだけで、動けそうにありません。
    「しょうがねえなあ。イル、これ借りていくぜ」
     ホルマティウスはそう言うと、イルーリヤが背負っていた散弾銃を取りました。壊れてはいませんが、弾数はあまり残っていません。
    「その散弾銃で、ティラブロスに?」
    「ああ。やつは未来予知ができる。だが、それほど先までは見えねえし、限界がある。捌ききれる弾の数にもな。攻撃をたたみかければ、きっとチャンスはある。俺のタイニー・フィートでちょっとでも傷をつけてやれれば、やつは小さくなり、無力になるんだがな」
    「あの、それならちょっとした作戦が。上手くいくかはわかりませんけど――」
     フラゴラが作戦を話すと、ホルマティウスはニヤッと笑って戻っていきました。
     体力の戻ってきたフラゴラは、イルーリヤを抱き上げます。すると、イルーリヤはうっすらと目を開けました。
    「イルーリヤさん! よかった、気がついて……」
    「フラゴラ、私はここに転がしておけ」
    「でも!」
    「その必要があるからだ。今はな」
     イルーリヤは静かな、星のささやきのような声でいいました。

     ◆
     
     ティラブロスは苛立っていました。
     矢を持つポルレルトになかなか近づけないのです。無敵のエンペラー・クリムゾンを警戒して、ブルーノたちは休む暇もなく攻撃を仕掛けてきます。
     厄介なのはオランチアのリル・ボマーです。間合いの外を素早く飛び回って、絶え間ない銃弾の雨を注いできます。その上、ブルーノは進路を妨害してきますし、ジョジョの生み出す生物もうっとうしいことこの上ありません。さらに別の精霊が身体の一部を削り取ってくる攻撃――予知によれば、ですが――をしかけてきます。
    「こしゃくな真似を……」
     ですが、ティラブロスにとって、ブルーノたちが矢を一向に使おうとしないのは幸運でした。矢を闇雲に使えば、矢に拒絶されて死ぬ危険性があるのです。ブルーノたちは、それを恐れています。
     そして、彼らがいちいち助け合っているというのも、ティラブロスにとってはある意味幸運でした。
    「行け! リル・ボマー!」
     オランチアが叫び、リル・ボマーをティラブロスの方に突っ込ませてきます。
    「フン、いい加減、芸がないぞ!」
     すると、水晶のレンズに、数秒後の未来が映りました。リル・ボマーから、身体を小さくした坊主頭の男――ホルマティウスが、散弾銃を構えて飛びおりてきます。
    「そういうことか」ティラブロスはニヤリと笑うと、向かってくるリル・ボマーを見据えます。「まずは一人! だな」
     リル・ボマーは機銃掃射を浴びせながら急上昇します。すると、小さくなってリル・ボマーの上に乗っていたホルマティウスが飛びおり、散弾銃ごと一瞬にして元の大きさに戻りました。
    「くらいなッ!」
    「貴様の動きなど予測済みよ!」
     ホルマティウスが引き金を引くのと同時に、エンペラー・クリムゾンが拳を振るい、跳ね返します。ホルマティウスもただではすまない――そのはずでした。
    「な、なんだ、これは!?」
     触れた途端、小さな鉛弾が潰れ、腕にまとわりついたのです。まるでとりもちのようにくっついて、腕の自由がきかなくなります。発射されたのはただの鉛玉ではありません。トリシアのスパイシー・レディが触れ、発射と同時にチューインガムのように柔らかくなるようにしておいたのです。
     ガチャリ、と冷たい音がして、散弾銃から空薬莢が飛び出します。そして、背後からミシェレが回り込むのが見えました。ティラブロスは意を決し、叫びます。
    「エンペラー・クリムゾン!」
     
     
     ◆   ◆   ◆

     城中の衛兵というか、老兵の山を見下ろして、プロシュガードは一服しました。太陽はすっかり傾いて、空の青はだんだんと褪せていきました。おじいさんたちの午後のお昼寝を邪魔しないようにそっとその場を離れると、階段を上り、地下室の扉を閉め、鍵をかけます。
    「よし、これで片付いたろう。ピスキス、念のためだ。なんでもいい。重そうな家具で扉を塞いでおくぞ」
    「わかったよ、兄貴! これでみんなの加勢にいけるね!」
     ピスキスがくるりと向きを変えると、壁際に飾ってある甲冑に肩をぶつけてしまいました。甲冑はぐらりと揺れて――
     音もなく、倒れていました。
    「なっ……!」
    「兄貴、今のは!」
     ピスキスもすぐに気がついて、プロシュガードの方を振り返ります。
     時間が大きく飛んだのです。
    「急ぐぞ、ピスキス!」
     プロシュガードは近くにあったソファを扉の前に置くと、走りだします。ずっと氷嚢に変身していたゴブリンも、元の姿に戻って、二人の前に飛び出しました。
    「メーロの元に案内します! さあ、早く!」

     ◆   ◆   ◆
     
     とりもちで腕を動かなくさせられ、前後を挟まれたティラブロスがエンペラー・クリムゾンの能力を使うことはホルマティウスも予測済みでした。あの男のことですから、時間を消し飛ばし、ホルマティウスに不意打ちするつもりでしょう。恐らく、背後に回って。
     しかし、ホルマティウス――もっといえば作戦を考えたフラゴラも不意打ちは予測済みです。この二発目の弾は、最初からティラブロスに当てるつもりはなかったのです。
     本当の目的は、ティラブロスにタイニー・フィートの一撃を食らわせることです。時間が飛んだと認識した瞬間に、タイニー・フィートの腕を振れるように準備していました。
    「そこだッ! タイニー・フィート!」
     しかし、振り向いた方向にティラブロスはいません。代わりに、小さな玉が三つ、浮かんでいました。
     今にも弾けそうな爆弾です。
    「やべ――」
     恐怖や絶望を抱いたとき、人は心を守るために笑ってしまうことがあります。ホルマティウスも、口元にそんな笑みを浮かべていました。みんなに悪いなあと、そう思ったときでした。
    「ミラー・マン! あの坊主頭を許可しろ!」
     仲間の女の声がしたかと思うと、ふっと浮き上がるような感覚を覚えました。そして全く別の誰もいない場所に、瞬間移動していました。元いた場所で、三つの爆弾が、緋色の爆煙と共に空しく弾けるのだけが見えます。
    「ようやく起きたかよ、イル!」
     ホルマティウスは心からの笑顔でいいました。
     イルーリヤが鏡の世界に誰かを入れようとするとき、相手を『鏡』に映す必要があります。『鏡』が出入り口となっているからです。鏡に映っていさえすればいいわけですから、引き込むときには鏡から距離があってもいいのです。しかし鏡の世界に入った瞬間は出入り口である『鏡の前』にいることになります。
     つまりドアの枠内に対象者の身体が入り込んでいれば、ドアまで強制的に引き寄せて、室内のドアの前に立たせられる、といったところでしょう。ミラー・マンの能力の副産物のようなものでした。
     もう一度世界が反転し、ホルマティウスは現実世界に戻ってきました。すぐそばには、イルーリヤがフラゴラに支えられながら鏡を掲げています。
    「まったく、もうちょっと気絶した振り続けて、ヤツだけを鏡の中に入れる予定だったんだがな」
     イルーリヤは、憎まれ口を叩きながらも、ほっとしたような様子でした。そんなイルーリヤに、ホルマティウスは珍しく素直に礼を言うのでした。
    「おかげで助かったよ。ありがとな」

     ◆
     
     さて、消し飛ばした時間の中でとりもちを取り除いて、ホルマティウスに爆弾を投げたティラブロスは、ポルレルトの方へ距離を詰めます。標的はあくまでも『矢』です。
     ティラブロスとしては、正直いってエンペラー・クリムゾンがある限り負ける気はまったくしないものの、いい加減この戦いにケリをつけたい気持ちがありました。
     矢を使いさえすれば、手っ取り早く終わらせられるし、なにより、自分が頂点の存在だと知らしめることができます。
     ティラブロスにとって、対等な『人間』というものは存在しません。心を割くに相応しい人間などいません。つまり、自分一人が価値ある人間で、自分以外の人間は、自分のために働いたり、暇を慰めたり、役立ったりするための家畜や家具と大差ありませんでした。そんな家畜や家具のくせに、一丁前に歯向かってくるのは我慢ならないことでした。能力が及ばないくせに、君主としての正しさばかりを説いてくるじいやのように目障りです。
     ティラブロスはポルレルトに狙いを定めます。ポルレルトは傷だらけのみすぼらしい騎士の精霊で対抗しようとしています。これが滑稽なほどいじらしくて、ティラブロスは目を細めました。
    「させるかよ!」
     オランチアの声と共に飛んできたリル・ボマーは、突然急上昇して天井をめちゃくちゃに撃ちました。つららのように垂れ下がった結晶の根元が折れて、ティラブロスのもとに降り注ぎます。
    「ええい!」
     エンペラー・クリムゾンが降り注ぐ結晶を弾き飛ばしていると、今度は足元からブルーノとジッパー・マンが飛び出してきます。
    「ちょこざいな! 次から次へと!」
     ――その時、ティラブロスは未来を見ました。

     ◆

     ブルーノが床下から飛び出すと、案の定、予知していたとばかりにティラブロスが待ち構えていました。しかし、ブルーノは既にジッパー・マンの腕をジッパーで伸ばし、床下からティラブロスの背後に回り込ませていますし、ミシェレもピストルを構えています。
     ティラブロスはニヤリと笑っていました。やはり予知はしているのでしょう。ですが、予知が当たっていた時の笑みとは少し違う気もしました。残忍さが加わっています。
     ティラブロスの手元で、ナイフのようなものがキラリと光ったかと思うと、ブルーノの肩に突き刺さりました。
    「うぐッ――!?」
     鋭くとがった結晶の欠片でした。
     傷口から血が溢れ出ますが、痛みはあまり感じませんでした。頭にもやがかかったようになって、感覚が鈍くなっていきます。やがて視界がちかちかとしてきて、口から泡を吹いてしまいます。
     この部屋の結晶はあの薬の原料なのです。ブルーノは、じかに大量の薬を取り込んでしまったのと一緒でした。
    「ブルーノ!」
     みんなは息をのみ、ブルーノに気を取られます。
     トリシアは、たまらず飛び出して、ブルーノを助け起こそうとしました。
    「トリシア、危険だ!」
     ポルレルトは、思わず、トリシアを制止しようとして腕を伸ばします。
     この隙を、ティラブロスは見逃しません。
    「エンペラー・クリムゾン!」

     ◆
     
     時間が飛んだと認識した次の瞬間、ポルレルトのお腹をエンペラー・クリムゾンの拳が貫いていました。いつものポルレルトなら、時間が飛んだと認識した瞬間に剣を振るうことができます。それほどに彼は熟練の精霊使いでした。ですが、構えを崩していたため、一瞬遅れたのです。
    「ぐあああ!」
    「ポルレルトさん! すぐに治療を!」
     ジョジョがポルレルトのもとに駆け寄ります。
     ティラブロスは勝ち誇ったような笑い声をあげて、いいました。
    「やはりな! 数さえ揃えば私に敵うとでも思ったのか? 逆だ! こうして誰かが死にかける度にお前ら全員が気を取られる! くだらん心のためにな!」
     エンペラー・クリムゾンが拳を引き抜くと、その勢いでポルレルトの懐から、『矢』が飛び出しました。
     矢は、くるくると回転しながら、綺麗な放物線を描き、ティラブロスのもとに飛んで行きます。
     ティラブロスが予知した通りに。
    「おお! 予知の通りだ! やはり矢の力は、私のものだッ! 私こそが頂点なのだ!」
     ティラブロスは天の恵みを受け取るように手を伸ばしました。その手を、――ああ! 矢が刺し貫いてしまったのです!
     ティラブロスの身体が、白い光に包まれます。
    「嘘、そんな――!」
     トリシアは悲鳴のような声を上げました。
     ジョジョも、ブルーノも、ポルレルトも、みんな顔を青くしてその光を見ているより他にありませんでした。
     光に包まれたまま、ティラブロスはゆっくりとトリシアとブルーノを見下ろします。
    「貴様さえ生まれてこなければ、こんなに我が手を煩わせることなどなかった! ブルーノたちも死ぬことはなかったのになあ?」
     エンペラー・クリムゾンは、右腕を高く振り上げ、トリシアに向かって重い一撃を食らわせんとしています。確実に命を絶つ一撃です。
    「トリシア! 逃げろ――」
     ブルーノは血を吐きながらも、声の限り叫びます。
    「あなたを見捨てて私一人だけ逃げるなんて、御免だわ!」
     トリシアはブルーノを抱えて後ろに飛び退こうとしましたが、床の結晶につまずき――ああ、その場に転んでしまったのです!
    「あ……」
     思わず天を――迫り来る拳を見上げたトリシアの口から、絶望と諦念の声が漏れました。
     しかし。
     奇妙なことが起こりました。
    「な、なんだ……!? 身体が、動かん……ッ!」
     拳を振り下ろそうとした姿勢のまま、エンペラー・クリムゾンもろとも、ティラブロスの身体が固まっているのです。右腕がブルブルと震えています。何がなんだかわかりませんが、トリシアはブルーノを引きずって後ずさり、エンペラー・クリムゾンの間合いの外に出ました。
    「よ、よくも――」
     ティラブロスの口から、怒りに満ちた声が聞こえてきました。ですが、ティラブロスのあの冷たい声ではありません。口元は痙攣して、まるで、二つの相反する意志が身体の中で戦っているかのようです。例えるならば、双頭のドラゴンが、左右の首で行きたい方向が違っていて、行こうにも二つの首の力が等しいために結果その場で足踏みしているだけで、傍から見ると何やってるんだかわからなくなるような、あんな感じです。
     双頭のドラゴンを見たことのない人は、左右の足を同じ力で別方向に進ませてみると――ただし、人のいないところでなさることをおすすめします――なんとなく感じがつかめるでしょう。
     ティラブロスの中で、ティラブロスならぬもう一つの意志が勝ちました。
    「よくも、私の身体で、あのようなおぞましい行いを――」
     振り上げた右腕を、左手が力尽くで下ろします。
    「よくも私のトレッポをいいように使い――」
     トリシアは目を丸くしてティラブロスを見上げます。いいえ! 目の前の男はもうティラブロスではありません。トリシアが誰よりもわかっていました。
    「よくもこの手で彼女の――私の娘を、傷つけてくれたな!」
    「お父さん……?」
     トリシアは呟きました。
     矢が貫いたのは、ティラブロスではありませんでした。ネイサスの魂だったのです。十五年前にあの墓で取り憑かれ、押し込められながらも、声なき声で叫び続けたネイサスの魂だったのです。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator