Fear Fire, Fool. 炭化したギアの残火で吸う煙草は不味い。
わかり切っていたことだが、それなりに手間をかけて殺した数体の大型ギアが目の前で松明になっていて、火をつけるだけの労力さえ惜しみたいほどの疲労が骨を食んでいたのだ。
「ハア——……」
廃材を繋ぎ合わせた大剣を地面に突き立て、瓦礫に背中を預けてソルは不味い煙を晴天に吐き出した。生臭くて酸っぱくて薬くさい、培養曹生まれの生物の細胞が煮える味がした。
「……」
血を流しすぎている。ギア細胞はすでに組織の修復を始めていたが、眩暈がした。
ぐらつく視界を埋める空は青い。地上で繰り広げられる泥沼の殺し合いをいつも見ているくせに、ぽこぽこと綺麗事みたいな白い雲を浮かべていやがる。聖戦が始まってからも空だけは碧く美しいままでいた。海や森は戦火で汚されても、排気ガスを出さない法力は空を濁らせないからだ。
……ひとりで嫌な連想ゲームをしてしまってヘッドギアの下で眉を顰めていると、遠方から自分を呼ぶ当人の声が近づいてくるのが鋭敏な聴覚に届き、ソルはますます仏頂面になった。
「ソル! やっと見つけた、こんなところまで先行して……それに、通信にはちゃんと出てください! さっきから鳴らしていたのに一向に応答しないで」
「うざってえ……」
懐のうちでやかましく囀っていたメダルを極力意識に入れないようにしていたら、その五倍は口うるさいひよこが到着してしまった。げんなりとフィルターを前歯で噛みつぶす。
人もギアも動くものの絶えた戦場を軽快に踏みしめて——こんな戦闘の後でも快活な足音を出すのは彼ぐらいのものだ。おかげで呼ばれなくたって彼だとわかる——瓦礫の後ろから顔を出したカイは、開口一番説教から始めた。男が空に向かってくゆらす紫煙に柳眉を寄せ、座り込んだ男に苦言を呈そうとし、ハッと息を呑む。
「ソル、あなたそれ、返り血だけじゃありませんね。立てますか、足は」
「治療中だ。一服ぐらいさせろ」
白を基調としていたはずの法衣の全身をべっとりと塗りつぶす赤と、地面に広がるどす黒い痕跡にカイは顔色を変える。人ひとりの身体から流出した量だとすれば致命的だ。
ソルは面倒くさく片手を振った。下手に首を突っ込まれて自己治癒能力に感づかれたくはない。聖騎士団の看板となるにふさわしい殺戮機械ぶりを発揮する坊やに正体がバレたら、先の大型ギアより難儀な戦いがこの場でおっぱじめられること請け合いだ。そんな面倒は御免被る。
「でも、救護隊を呼んだ方が」
「やかましい。このぐらいどうとでもなる。俺は死なねえ」
「……私になにかできることはありますか」
「さっさと失せろ」
「……」
尚ももの言いたげにしていたひよこはややあってぱくんと口を閉じると、二歩離れた瓦礫の上に腰を下ろした。意図をはかりかねてねめつけると、カイはこちらを見ないままぽそぽそ供述する。
「失せろと言ったはずだ」
「他の部隊はもう撤退を開始していて、あなたが最後です。私は隊長ですから、部下のあなたが歩けるほど回復するまで待って、それで一緒に連れて帰ります」
「俺は子守が必要なほどガキじゃねえ。テメェと違ってな」
「それでも、これが私の務めですから」
動こうにも動けないことを一目で看破されてソルは苦々しく煙を吐いたが、カイは頑として退くつもりはないようだった。ここで言い争う方が面倒くさい。
支給品の紙巻一本。ちょうど燃え尽きるぐらいには、眩暈も治まっているだろう。
しばらく、風の音と、目の前のギアの死骸が燃えていく音のほかは何もしなかった。
「……このギア、あなたが倒したんですよね」
「見りゃわかるだろ」
「ええ、はい。力任せに頭蓋をつぶしてから炭化するまで全身燃やしてある」
もっと効率的に倒せと言わんばかりの口ぶりにソルはフンと鼻を鳴らした。
「ひとりでこれだけの数を相手取ったから、怪我をしたんですね」
「何が言いたい」
「いえその、今は責めているわけではなくて。そりゃもっと他の人と協力すればそんな深手を負わないで済んだんじゃないかとは思っていますが」
「説教はそれだけか?」
「団に戻ったらもっとします。……そうではなくて、生きているのが不思議なぐらいだと思ったんです。あなたが動けなくなるような怪我をするなんて今までなかったし……でも、あなたでなければ、きっと死んでいた」
「……」
生臭い煙を上げる死骸を空色の両眼に映し、カイは珍しく殊勝に口をつぐんだ。ソルの見ている前でかかえた膝に顔をうずめる仕草はやけに子どもじみている。彼の足首にまとわりつく白い法衣の裾は、彼のものではない血で汚れていた。
吸い込んだ息で煙草の先端がジジ、と燃える。青白く気まぐれな煙が深々とソルの胸中で滞留し、吐き出され、空へのぼっていく。
——炎にまかれたくないのなら、羽虫は無防備に近寄るべきではない。
坊やが見たくないものを、ソルは山ほど抱えて持っている。粗暴さ、身勝手、そして額のギアの刻印。
帰還を根拠なく信じ、ひよこが親鳥の羽の下にもぐるような顔をされたって、ソルは抱え込んではやれない。復讐だけでとっくに定員オーバーだ。
「……ヘヴィだぜ」
ふうっ、と一つ大きく息を吐き出した。同時に空間に術式が走り、炎が立ち、咥えた煙草を端から灰にしていく。
瞬きの間に塵になったそれに一瞥もくれず、ソルは膝に手をついて立ち上がった。まだわずかに視界が揺れるが、この程度なら支障はない。
「戻るぞ」
「もう大丈夫なのか? あっ、こら、待ちなさいソル!」
傍らから大剣を引き抜いて担ぎ、踵を返して大股で歩いていく背中を、カイは跳ね起きてあわてて追いかける。
こんな戦いの後は法力の炎で点けた煙草が一番良い。この世の理を書き換えて生み出した炎は一番ニュートラルで、無慈悲で、ギアや人間が生きようが死のうが同じ味をしている。
守れもしないのなら、汚さないだけの法力の炎が、良い。