風に揺れて物悲しく、乾いた音が鳴る。どこかの竹藪から切り出された立派な笹に、数多の願いが靡いていた。
妖怪達はお祭りだなんだと騒ぎ立て、広場で宴会の真っ最中。妖怪横丁の一角に飾られたこの笹を見上げる者は、今は五官王ただ一人。
その隣に設えられた机には、色とりどりの短冊と、数本のペンが置かれていた。
まだなんの願いも背負わぬ短冊を一枚、提灯に照らされた薄暗い空へと翳す。
「お前とこの笹を見たのはもう何十年前だったか」
一人呟く彼の脳裏に浮かぶのは、あどけない表情で自身を見上げた、いつかの葉月。
「五官王様はお願い、書かないんですか?」
左手に短冊、右手にペンを持った葉月が五官王を見上げた。その手に握られた短冊はまだ白紙のままだ。よかったら、と、両手にある二つを五官王へと差し出す。
その手を軽く制し、薄い笑みを返した。
「儂はいい。織姫と彦星も、地獄の王からの願い事は荷が重かろう?」
「ふふ、そうかもしれませんね」
くすりと笑うその顔は屈託なく、淡く染まった頬のまま、五官王の隣で天まで伸びるような笹を見上げた。
「お前の願い事はなんだ」
「五官王様、こういうのは聞かないものですよ」
「どうせ飾れば見える」
「見ようとしないでください!?」
ささやかな冗談に笑い合う、ありふれていて尊い時間。
あの時の葉月の願い事は何だったか。
もう幾度となく葉月の隣で七月七日を過ごしてきた。毎年同じようで、少しづつ違う二人の距離。
それらの日々も、今となっては遥か昔の思い出に過ぎない。
葉月が地獄を離れた今も、こうして一人地上へ来てしまうのは、希望を捨てられないからだ。この短冊の中に葉月の望みが隠れているかもしれない。そんな思いが五官王を突き動かしていた。
見に来たところで、短冊を漁るような無粋な真似ができないことなど重々承知。
それでも、こうして笹を見上げる隣に、もう一つの影が並ぶことを夢想するのだ。
「お前たちを羨ましいと思ったのは初めてだ」
笹よりもずっと上。この妖怪横丁からは見えない遥か彼方の星空で、今頃逢瀬を遂げているであろう恋人たちにそうごちる。
小さな短冊にペンを走らせた。
けれどそれを笹に結びはしない。
自身の胸の前、願いを込めて柔く吹けば端から燃えて空へと舞った。
(この願い、誰にも預けぬ)
静寂の中、紺の着物が闇へと消えていった。
ただ幸せであれ───