ここはどうしてくらいの?
「どうしてこんな事を…っ」
どうしてみんなはなれていくの?
「こんな子供が」
「まさかそんな訳」
「でもこの血は…」
「人殺し」
あぁそうか
びちゃ、と一歩踏み出した足音は、昔々に聞いたことのある音だった。
その日は、真っ赤な真っ赤な、晴れた日だった。
「有罪だ」
瞬きをすればそこは昔々に見た眺め。
見下げられるその目に、発せられた言葉とは真反対の感情が生まれていた。
「こんな子供になんてことを」
「取り消せ」
はっと振り向くと、顔の見えない観衆共がいらない正義感を振りかざしている
やめろ、やめてくれ
「…黙れよ」
その言葉は誰にも届かない
「静粛に。静粛にしたまえ」
聞き慣れた、変わらないその姿から感情のない言葉が吐き出され
「子供を護れ」
「こんな裁判やめさせろ」
「降りろ」
ヌヴィレット…その言葉とともに投げられたナイフは、その綺麗な瞳に突き刺さり、鮮血が…
「ぅわぁぁぁーーーっ」
「きゃっ」
ありもしない現実から引き戻され、自分が冷や汗をかいていることに気付く。
ここは、ベッドの上…?
「イタタ…公爵ったら悪い夢でも見てたのね。…ほらまだ寝てないとなのよ。横になって」
驚いてイスから転げ落ちた看護師長が、そのまま手のひらで額に手を当てて熱を確認する
ぽふりと置かれたその手のひらはうっすら暖かかった
「あぁ、…悪ぃ」
ここは、寝室だ。俺の上着は、コート掛けにある。身に付けているのはシャツにズボン、タオル…
「もうびっくりしたのよ?ヌヴィレット様が公爵を担いで来たんだもの」
「…は?」
「だから言ってたのよ。3日も寝ないでいるなんておバカなんだからねはいこれ飲んで」
コトリと置かれたソレは、不毛な味のする飲み物だった
「…あぁー、気持ちだけは受け取っておく」
「ダメ罰なのよこれは…んもう、うちが入れたのを罰で飲まれるのも悲しいんだからね」
…やっと思い出した。
書類整理が終わらなくて、整備不備もあって手を貸して、出しに行かなきゃいけない書類があって、シグウィンが止めるのを無視してパレ・メルモニアに行って、
そっから覚えてないんだ。
「…、わかった。俺が悪かった。飲むから水も持ってきといてくれ…ほんとに悪かったよ」
むくれたシグウィンの表情には悲しみも混じっている。俺を心配してくれてるんだ。
「これに懲りたらもうしないでよね。雑務もしてくるから、飲み終えた頃にまたくるわ。飲んだら寝てること。いーい?」
「はいはい。看護師長の仰せのままに」
ひらひらと手を振り返して一人。
一口飲んだが次に行けず。
「…具合悪い時に飲むもんじゃねぇんだよなぁ…」
独り言を漏らしてぼすりと横になる。
…熱を出すなんていつぶりだろうか。
収監されてから数日寝込んだきりか。
あの時は、緊張の糸が切れたようだった。
安心した、という方が正解かもしれない。
目を閉じると、吸い込まれるようだ。体が重い。このまままた寝てしまおうか。
「なんだよ」
ぱっと払い除けた手
「ふむ、子供と歩く時は手を繋ぐと聞いたのだがな」
「ふん、これから監獄送りにするやつにそんなのいらねーよ」
「そうか」
並んで歩く。
これは夢か。
今思えば、歩幅を合わせてくれてたんだな。
不器用な優しさを後になって知る。尚更、響く。
この時に手を繋いでおけばよかったな、なんて。まだ10代だった俺にはわからなくて。
突っ込んだポケットに、何か硬いものがあって。それを何だろうと転がしていたくらいだ。
「それは…そうか、おめでとう」
「は?何?」
硬い何かを握っていた手をポケットから引き出され、両手に包みこまれる。
「それは、これから君を守ってくれるものだ。」
しゃがみ込み、目線を合わせたその瞳は、あの日、『公爵』として初めて出合った時と同じ微笑みに満ちていて。
きっとこの時、この時から、この気持ちは変わっていない。
冷たい。冷たくて暖かい。ヌヴィレットの手のひらはこんなにも大きくて。
「…好きだ。ヌヴィレットさん…」
「そうか」
耳馴染みのあるリアルな声に背筋が凍り勢いよく起き上がる。
そう、勢いが良すぎたため思い切り額をお互いにぶつけてしまった。鈍い音がして頭に響く
「っぁー…あ?」
その額に手を当てようとしたが手が動かないことに気付いた。
涙目になりながら腕の先をみると
「ぅわーーーっ何っ何してっ」
「?」
しっかりと握られていた。振りほどこうにも何だこの人全く振りほどけ無い
「手を握っているのだが」
「改めて言うな何考えてんだ」
嘘だろ何考えてんだ。
ひんやり冷たいその手のひらに、どんどん上がっていく俺の熱が吸い込まれていく
「ふむ、看病する時は手を握ると良い、とシグウィンが言っていたのだが」
「何言ってんだあの看護師長」
「嫌か?」
「イヤじゃない…っいや…はぁ…」
頭を抱えたい。逆の立場でやりたかったシチュエーション。全くカッコ付かない。この人の前ではカッコよく有りたいのにずっとうまく行かない。
「てか何でここに?」
「ふむ、ここに運んだ後仕事に戻らないといけなくてな。気になってシグウィンに言って戻ってきたのだ」
「そ、そうか…悪かったな…」
「驚きはしたが、そう謝らなくても良い」
心配、してくれたのか。この人が。素直に、嬉しい。
「そういや…どれくらい寝てたんだ…?戻ってくるって…あっヤベ」
飲んでない。これは怒られる
「どうした?」
「いや…ムリした罰として全部飲めって言われてんだ…」
「罰とは可哀想だな」
「どっちがだよ…って」
軽く微笑みながら俺が一口しか飲めなかったミルクセーキを飲んでいる。
…飲んでいる?俺が飲んだやつを?
「……っ」
「メリュジーヌの感性は素晴らしい。味の感想は言うまいが栄養があるのはわかる」
言葉にならない言葉を発しているのには目もくれず飲み切ったこの人は感想を述べている。
「栄養と言えば、」
握った片手を急に引き寄せられ、もう片方の手で腹に手を置かれる
「リオセスリ殿。見た目に反して軽すぎる。しっかり食べているのか?」
その引き込まれるような瞳を眼前に近付けられ思考が鈍る。
「へ…ぁ?た、食べてる、けど…」
「本当か?抱き上げた時に驚いた。筋肉もあるだろうにもう少し」
「待ってヌヴィレットさん…」
「…?」
その、両手の仕草。
まさかとは思うが…
「担いできたってシグウィンは…」
「病人を担ぎはしないだろう。こう…なんと言ったか…こうだ」
「どう見ても『お姫様抱っこ』、です…」
「そうか」
あの腕の中に俺がいたのかと思うと顔から火が出そうだ。
ここに来るまでに誰に見られたんだ。頭を抱えるしか無い。
「まぁヌヴィレット様ったら。それ言ったら公爵が恥ずかしがるから言わないほうがいいって言ったじゃない」
持っていたピッチャーを一旦置いてぴょんとドアを開けて戻ってきたシグウィンが真っ先に確認したのは…
「あら、全部飲んでくれたのね?嬉しい約束を守ってくれた公爵様にはお水をあげるのよ」
「…普通にくれよ」
ちら、と視線を送ると軽く微笑み少し首を傾げてくる
この人には敵わない。いつまでも。
いつまでも、叶わない思いを胸に。
変わらぬ想いを、今日も貴方に。