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    佳芙司(kafukafuji)

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    リンク集【https://potofu.me/msrk36

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    POIPOI 71

    『二人称が「あんた」の京極真』からしか得られない栄養素がある。
    前日談?的な話→https://poipiku.com/3176962/8919526.html

    感想くれると励みになる→https://wavebox.me/wave/dc34e91kbtgbf1sc/

    京園⑧


     四〇〇戦無敗、の記録はとうに途切れたものと思っているのは京極真本人だけらしい。欧州空手道王者選手権もジョンハンカップも、止むを得ない事情があったとはいえ棄権しているのは事実だ。しかしマスメディアや同じく空手を志す有力選手達が首を振る。
     曰く、欧州空手道王者選手権の際に大会三日前から行方不明だったのは友人共々ジャパニーズマフィアが絡んだ事件に巻き込まれた為で、また被害者側であるにも関わらず日本警察と協力して犯人逮捕に一役買い、その後の聴取等にもしっかり応じたから試合に間に合わなかったのだから致し方ない。
     曰く、ジョンハンカップは元々のスポンサーが事件の被害者として亡くなってしまった為に急遽新たなスポンサーとして鈴木財閥をつけたが、レオン・ロー他彼等の率いる犯罪グループが大会を利用するなど不正行為を行っており、それに気付いたスポンサー側から危険だからと出場を取り止めるよう進言があった。また、ジャマルッディン選手はジョンハンカップのベルトを返上し、大会そのものは無効であると述べた上で、自分もまた罪を償い一から鍛え直す。等とコメントを残して辞退を固辞した。
     事実とは異なるような、しかし当たらずといえども遠からずのような。そんないくつかの真実を巧みに取りまとめて作った話が結論として世間に公表された結果、京極は再び勝利を四〇一、四〇二と重ねる事を許された。一方で話に尾鰭がついて、孤高の拳聖はその強さ故に妬み僻みを買いやすくまた事件に巻き込まれやすい、という噂まで流れ出した。それは流石に言い過ぎだろうと思いながらも、しかしそれも視点を変えればまた事実だと考えれば何も言えず、噂は言わせるままにしている。
     無傷の強者には試合前のルーティンや願掛けみたいなものはありますか。と、訊ねられた事がある。何かの大会前に受けたインタビューだった気がするが、京極はもう覚えていない。ルーティンとは結局合理的な活動がそのまま身に付いた結果として一連の動作になっている事が多い。意識してやっているルーティンがあるとすれば左目上‪眉と顳顬‬の辺りの傷跡を隠し且つお守りとして身に着けている恋人との写真シール(正式名称は知らない。彼女はプリ、と言っていた)を指先で押さえるくらいだ。だがそれを誰かに教えるつもりは毛頭ない。彼女本人にだって本当は知られたくなくて隠していたくらいなのだから。
     それでも食い下がられて、左手で左の‪顳顬‬を押さえるのは何故かと質問してきた記者には『左脳は理性的な思考を担っていると聞いたから』と答えた。これは以前マネージャーが「左脳が理性で右脳が直感。クールなマコトらしい所作だ」という旨の感想を言ってきた事があった為、その言葉を引用した受け売り文句ではある。だが強ちその場凌ぎの嘘とも云えない。対戦相手と対峙して、さて如何にして戦うかと思い付く限りの手を考える時、間違いなく頭の中には、相対する者を敵と見做して制圧し退けようとする攻撃的な衝動が存在している。その本能は適度に抑え込まなければならないという必要性も理解している。
     己の中の獣を巧みに飼い慣らす事だ。首輪を着け鍵のかかる檻に入れて解放するその時をコントロールする事だ。
     よくある言い回しだが、事実その通りだと思う。理性も攻撃性も本能も彼女という存在を意識すればこそ、自分は感情に飲まれず戦える。彼女によって守られている、だから。

    「勝てない訳がない」

     タオルを頭に被ったまま呟いた言葉は会場の声援で掻き消えた。


    ***


     まさか日本勢同士で決勝戦になるとは、と男は背筋を伸ばし唾を飲んだ。世界大会四〇〇戦無敗の京極真選手、その名を聞けば空手界の人間は皆、いつか教えを請いたい相手、と云うだろう。戦いたい相手ではない。何故なら皆何処かで、自分なら勝てる、なんて事は考えていないからだ。負ける事が前提で、学ぶ為に戦いたいと思っているからだ。自分もそうだ。なのに今日、此処で拳を交える事になるとは。
     このトーナメント方式の大会において、主催側から予め試合の調整をされる程の実力者。どの大会に出ても優勝候補の筆頭と目される、重量級に棲む怪物のような選手。パワーもスピードも然る事ながら技術でも自分は未だ彼に劣るだろう、何をどう対策すれば勝てるのか見当が付かない。
     だが自分もまた、この大会を実力で勝ち上がってきたのだ。全く自信がない訳ではない。闘志はある、気持ちで負けたくない。
     入場口から京極選手が登場する。相変わらずのポーカーフェイスだ。試合中は一瞬たりとも視線を外さないあの眼光に射抜かれたら動けなくなってしまうような予感がする、一つでも判断を誤ればきっともう立ち上がれないだろう。
     コートに足を踏み入れた彼が向かいの位置に立つと会場は一層盛り上がり、日本コールの歓声が高らかに響いた。唸りのような大合唱の中で、自分と彼の周りだけが異様に静まりかえっている。左‪の顳顬に貼られた絆創膏に一瞬触れた彼が息を吸い、口許が薄く開いた。

    「あんたじゃない」

     不意に聞こえた否定の言葉に首を傾げる間もなく審判が始めの合図を取る。最早それが幻聴だったのかどうかさえ、確かめる術はなかった。


    ***


     鬼気迫る。圧倒的な。鬼神の如く。
     思い付く限りの形容詞を思い浮かべる。ルールは詳しくは知らない。きっと親友の蘭が隣にいたなら説明してくれたのに、と園子は思う。しかし今日彼女は一人でこの場に来ているから誰も教えてはくれなかった。如何に彼が強いのか、会場の雰囲気と、技を受けて一〇秒以内に立ち上がれなかった相手選手の項垂れた背中と、隣の席の日本応援団が息を呑んだ気配で察するより他にない。
     あんな真さん知らない、と園子は思った。
     試合が始まる前、大きな声で日本コールを合唱する応援団の声援に乗じて彼女も『頑張って』と声を出した。応援団の声に紛れて届く筈もないと思っていたのに、彼は確かにその瞬間、此方を向いた──ような気がする。曖昧なのはあまりに一瞬だったからで、そして京極の面差しにオペラグラス越しにも関わらず気圧されたような感覚になったからだ。沈着冷静な凛々しい表情と評するには眼光は鋭悧で闘争心は強過ぎる。真さんによく似た別人なんじゃ、と一瞬考えて園子は頭を振った。そんな筈はない、見間違える訳がない。
     そもそも彼女は、京極真の試合を観戦出来るようになって日が浅い。以前は負けるところを見られたくないからと頑なに教えなかったが、シンガポールで開催されたジョンハンカップ以降、彼は事前に出場する大会日程などを連絡するようになった。無理のない範囲で都合が合えば中継を観戦したり、現地まで応援に行ったりなどが以前より頻繁に出来るようになって、その変化を素直に園子は喜んでいる。これまでに何度も怖い思いをして、その度に何度も助けられてきたから、間近で戦う彼を何度も見ているから、京極真という一人の格闘家が持つ強さは本物だと信じている。それが正しい力として使われる事も。
     けれど、と彼女は口の中で呟く。彼の強さは視点を変えれば、力の発揮する矛先を変えれば、容易く他人を平伏させるような強大な力なのだと痛感する。
     ──知らない人みたいで、こわい。
     胸の前で両手の指を組んで手を握る。力が入り過ぎて震える。礼を交わしてからコートを離れ、最後にもう一度コートに向かって一礼した二人を交互に見ていたその時、京極がふと日本応援団の席を一瞥した。
     その瞬間にはっきりと、園子と京極は視線がかち合った。

    「真さん……?」

     呟いて見つめ返す。目線の先で、京極の頬の強張りは解かれて眉間の皺はなくなり、眦は瞬きと共に尖りをなくした。姿勢を正して応援団の席に向かって彼がしっかりと今一度頭を下げる。もう其処には先程の殺気立った男の影はない。
     気のせい、それとも見間違いだったのかしら。と園子は首を傾げた。


    ***


     日本勢同士という珍しい対戦カードだったから、日本人選手を応援する観客の熱狂は最高潮に達していると京極は五感で感じた。応援団の声量について気にした事は一度もない。仮に日本から出場する選手が自分一人だけで、自分を応援する人間が誰一人居なかろうが、目の前の試合でやるべき事は変わらないし、誰が相手であろうと関係はない。だから大丈夫だ、という意識で、園子に試合の予定を連絡出来るようになった京極の精神的成長は、本人の感覚としてはかなり大きな一歩だった。
     出来る事なら墓まで持って、それが無理ならいつか引退するまで黙っていたかった程の秘密。件の絆創膏の裏側も含め、弱く脆いところのある自分を晒しても尚信じ続けて離れないでいてくれた彼女を、その名前を頭の中でひっそりと呼ぶ。それだけで思考は冴え渡る。躊躇わず迷わずに体が動く。この試合でまた、何か手応えを掴める気がする。
     そんな一番心強く頼もしい人が、しかも今日はこの会場に来ると約束までしてくれたのだ。
     だから何度でも言葉にする。勝てない訳がない。
     いつか、会場に響く声で友人を懸命に応援していたあの日の彼女の姿を思い出す。当時はただ、自分には向けられていなかった声が、笑顔が、どうしようもなく眩しくて羨ましくて仕方がなかった。あんな風に真っ直ぐ自分を見て応援してくれる人がいたならきっと何も懼れる事なく立ち向かっていけるだろうという予感、方位磁石のような根拠を示す安心感。
     憧れていたものが、今日は、自分に向けられている。
     それを感知した瞬間、自ずと体が震えた。武者震いというのはこれを指すのかもしれない。この会場全体、否や地上からすべて、自分の味方など一切なくなったとしてもあの声は、彼女のあの声だけは。
     あんた﹅﹅﹅じゃない。
     あんた達﹅﹅﹅﹅へのものじゃない。


    ***


     選手控室の外の廊下から軽快な跫音が聞こえる。急ぎ気味の、ヒールを鳴らすような音が近付いてくる気配がして京極は居住まいを正した。ノックや声がかかるまで待つ必要もないが、大人しく迎える事にする。

    「京極選手。鈴木園子です」

     わざと澄ました声で園子が入室の許可を求める。その声音に京極の唇が僅かに緩んだ。どうぞと促せばドアノブが回ってドアが開かれる。隙間から先に顔を出した彼女は窺うような仕草で、何処か遠慮がちだった。

    「園子さん」
    「おつかれさま、真さん」

     京極はベンチから腰を上げて入口で立ち止まったままの園子の元へ向かった。試合中の闘志に満ちた鋭い眼光は鳴りを潜め、落ち着いた低い声色で名前を呼ばれて園子はほんの少し安堵した。試合前にはメッセージや電話でしか話していなかった為、直接顔を合わせると少々面映ゆい気持ちも綯交ぜになる。

    「本当は試合前にもこうして応援に来たかったんだけど、間に合わなくてごめんね。とにかくおめでとう!」
    「こうして直接労って頂けて光栄です」

     試合を終えて眼鏡をかけた京極の表情は、もういつもの、普段目にする彼の姿だった。園子はまじまじと見つめて、真剣に勝負をする時はいつもあんな表情でいるのかと考える。試合の時との差異が余計に際立っているように感じられて、今はいつもの優しい真さんだ、と悟られぬようにほっと息を吐く。園子の様子に気付いているのか否か、京極は続けて言う。

    「先程の試合の時、聞こえてました。園子さんの声が」
    「あ、ほんと? 結構みんなの応援の声凄かったから紛れちゃうかなーって思ったけど、意外と声って届くのね」
    「園子さんの声は絶対に分かります。どんな時でも」

     京極の迷いのない口調に園子は一瞬呆けた後、照れ隠しのように小さく笑う。その笑みを見つめながら、いつだってそうだ、と口の中でだけ彼は呟いた。
     自分がこんなにも誰かを想ったり想われたりする日が来るなんて想像出来なかった。彼女の存在がどれだけ大きな力の源となっている事か、彼女自身はきっとほんの少しの真実しか知らない。
     京極は彼女の肩に手を置くとそのまま引き寄せて肩口に額を寄せた。園子は驚いたものの大人しく腕の中に収まり、一瞬の逡巡の末に彼の頭を軽く抱いた。ミント系の制汗剤の匂いがする。

    「貴女がいてくれたから勝てました」
    「私のおかげ?」
    「ええ。だから、今日の勝利はすべて、園子さん、貴女のものです」

     彼の手が肩から背中へ移る。頬を擽る髪が揺れ、耳を掠める呼吸がくすぐったくて身を捩ると、京極の腕の力が強くなる。今更ながらに距離の近さが気になって園子の胸の奥が小さく跳ねた。
     真さんはちゃんと帰ってきてくれる。と、そんな言葉がふと浮かぶ。園子は目を閉じてゆっくりと息を吸って吐き、それからこっそり頬を寄せた。きっともう間もなく会場のスタッフか彼のマネージャーが表彰式の時間を告げに来る。そうしたら離れなければならないけれどもう少しだけ、戦う人ではない恋人を腕に抱いていたい。この人を抱き締められる存在でいたい。と、願った。
     互いの視線が交わらない腕の中は窮屈で、しかしこの世の何より優しい檻だった。



    〈了〉


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    Replies from the creator

    佳芙司(kafukafuji)

    REHABILI園子さんは正真正銘のお嬢様なので本人も気付いてないような細かなところで育ちの良さが出ている。というのを早い段階で見抜いていた京極さんの話。
    元ネタ【https://twitter.com/msrnkn/status/1694614503923871965】
    京園⑰

     思い当たるところはいくらでもあった。
     元気で明るくて表情豊か。という、いつかの簡潔な第一印象を踏まえて、再会した時の彼女の立ち居振る舞いを見て気付いたのはまた別の印象だった。旅館の仲居達と交わしていた挨拶や立ち話の姿からして、慣れている、という雰囲気があった。給仕を受ける事に対して必要以上の緊張がない。此方の仕事を理解して弁えた態度で饗しを受ける、一人の客として振る舞う様子。行儀よくしようとしている風でも、慣れない旅先の土地で気を遣って張り詰めている風でもない。旅慣れているのかとも考えたが、最大の根拠になったのは、食堂で海鮮料理を食べた彼女の食後の後始末だった。
     子供を含めた四人の席、否や食堂全体で見ても、彼女の使った皿は一目で分かるほど他のどれとも違っていた。大抵の場合、そのままになっているか避けられている事が多いかいしきの笹の葉で、魚の頭や鰭や骨を被ってあった。綺麗に食べ終わった状態にしてはあまりに整いすぎている。此処に座っていた彼女達が東京から泊まりに来た高校生の予約客だと分かった上で、長く仲居として勤めている年輩の女性が『今時の若い子なのに珍しいわね』と、下膳を手伝ってくれた際に呟いていたのを聞き逃す事は勿論出来なかった。
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