『ミチ』(10)「…オノールといえば桃色の髪だったから、少し寂しいねぇ」
あぁまた、まただ。また、私は騙されていた。まさかこんな、ただの髪色に関しても嘘をつかれていたなんて。
私は両親に対して果てしない憤りを感じていた。何が白はオノールの色だ。蓋を開けてみれば桃色なんじゃないか。最初から全部、父親の自分勝手な思考に私達子供は付き合わされていただけなんだ。あの人は子供のことをなんだと思っているのだろうか。
私は握った拳にさらに力を込める。きっと父は、自分だけ白髪に生まれた事になんらか思う所があり、歪んだ、自分のための世界を作り上げたのだ。私達はその世界を形成するための材料に過ぎなかった。
そう考えると全て辻褄が合う。私達を隔離し、自分が特別な存在だと見せていただけ。真実を知られることがないように。
「本当……気持ち悪い。」
私は行き場のない感情をどこに当てるでもなく、自分の中で整理がつくまで、街を歩いた。目的地なんてなくて、ただ時間が過ぎていくばかり。
そんな時、誰かに声をかけられた。
「アルバちゃん?」
後ろを振り返ると、セアリアス叔父さんがいた。…そしてもう1人
「この間ぶりだね」
聖夜祭のあの日、私の本を見て「くだらない」と吐き捨てた老人がいた。
*
「……こんにちは」
私はこの老人にどんな反応をすればいいかわからず、思わず後ずさる。
「あぁ、聖夜祭の時に父さんはアルバちゃんと会えたのか。ねぇアルバちゃん。せっかくだし、少し話さない?」
(父さん…?)
「…そうだなぁ。私も、アルバに聞きたいことがあるんだ」
老人は私を見てニコリと微笑むと、こちらを手招きした。…なんとも気味が悪い。まるで逆らってはいけないかのような圧を感じる。
老人と叔父はそのままどこかへと歩き出した。
私もその後をついて行く。
「……いったい、何がどうなってるの…?」
空は、紅く染まっていた。
ー * ー
『今、アルバちゃんと僕と父さんで会って少し話をしてる。兄さんもちゃんと、皆をまじえて話さない?これからの事。待ってるから、××公園で』
私は全身の血が引いてしまうほど、戦慄していた。こんな事が起こりえてしまって良いのか。神様は私にこれ以上何を失えと言うのか。
マズイ。そう感じるや否や、娘から告げられた言葉も忘れ、駆け出していた。
会ってはいけない。
会わせてはいけない。
関わらせてはいけない。
娘であるアルバと、父が一緒に居てはマズイのだ。
「…本当にやってくれたな、セアリアス……!!!!」
ー * ー
「お爺さんは、叔父さんのお父さんなんですか?」
アルバは白髪の老人にそう投げかける。実家付近にある公園で3人は話していた。
「あぁ。その通り。私はセアリアスの父親であり、……ヒペリカの父親だよ」
「……私の、おじぃちゃん?」
「あぁそうだとも。うんと幼い頃に会って以来だね」
老人は笑みを絶やすことなくアルバを見つめる。その後ろでセアリアスもまた、微笑みをアルバに向けていた。しかし、果たしてその笑みは何を意味しているのか。アルバは、目の前のどこか異様な光景に身震いをする。何かがおかしい。この2人と関わりたくない。2人は優しく微笑んでいるだけのはずなのに、本能がサイレンを鳴らしている。
されとて自分には、オノール家について気になる事があるのだ。確認しなければならない。それに、きっと大丈夫だ。セアリアスも自分によくしてくれている。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、アルバは口を開く。
「……ねぇ、いくつか質問してもいい?」
「もちろんいいよ?……だけど私からも、後で質問をさせてほしい。」
「…わかった。」
アルバは背筋の凍るような緊張感の元、質問を始める。
「おじぃちゃんは、私のお父さんの前の工房長だったの?」
「そうだよ。私は十二代目の工房長さ」
「おじいちゃんの地毛は、桃色だった?」
「そうさ、今は年老いて白くなったけれど、若い時はセアリアスのような桃色の髪をしていたよ」
「………おじいちゃんの前の代も、桃色の髪をしていたの?」
「……先代か。あぁそうだよ。オノール家に産まれてくる男の子はずっと、桃色の髪だった。」
「…私のお父さんだけが、白髪で生まれてきたの?」
「…………。」
老人は少し考える素振りを見せると、頷いた。
「そうだね…ヒペリカの地毛は白髪だよ」
「……。」
(嘘じゃない、フォコン先生の言っていた事は真実だった。)
「私のお父さんの小さい頃って、どんな感じだったの?」
「ヒペリカか……。気弱で、軟弱で、すぐに泣くし、何を考えているかあまり伝えてこない上にわかりにくい。存在感もなく、思えばいつも机に向かって何かを書いていたなぁ」
「兄さんは幼少期のほとんどを学園で過ごしていたからね、実の所僕達も知らない一面はたくさんあると思うよ?小等部1年生の頃から大学4年生で卒業するまで、家にはあまり帰ってこなかったしね。」
「……そうなんだ…。でも叔父さんとは学校内で会ってたりしなかったの?」
「あぁ、僕はグランツ学園にずっといたわけじゃないんだ。大学の時だけだよ。……兄さんとは結局同じ学校に通ったことはないなぁ」
「……くくっ。そうだなぁ、セアリアスはいつも寂しいと言っていたなぁ」
「な、そりゃそうじゃないか!実の兄と同じ学校に通ってみたいと誰でも思うだろう?」
アルバは親子の会話をぼんやりと聞いていた。あの父親が、気弱で、軟弱で、すぐに泣く…?それにしても、実の親からの評価は良いものではないらしい。やはり父親は幼少期から、おかしくなってしまったのだろう。
アルバが考え込んでいると、今度は老人が問う。
「今度は私からもいいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
「……ヒペリカは、白い髪を大事にしていたのかい?」
「そりゃもう……!!絶対に白以外には染めるなって!白髪はオノールを象徴する色だからって言っていたのよ」
「あはは!そうかそうか。しかしアルバ、髪を染めたのか」
その一言で、老人の纏う空気が変わる。アルバはその変化にドキリと肩を揺らす。
「……うん。」
「なぜ?」
「、、父のような白髪が…いやだったから」
「そうか。白髪が嫌か。そうだよなぁ。」
「……うん」
「ならもうひとつ。ノクスは最近見ていないが、元気か?」
その老人の言葉に、アルバもセアリアスもギョッとする。この老人は、ノクスが死んだことさえ知らないのだと。工房長継承に関わる重要人物が死んだ事を、現工房長であるヒペリカは自分の父親にすら言っていなかったのだ。
「…………、お兄ちゃんは。……ずっと前に死んだよ」
「……ほう。ノクスは死んだのか」
「うん、自殺……した」
老人は顎に手を当て、目を閉じる。
そして、ゆっくりと目を開け、アルバをじっとりと眺めた。
「……そうか。そうかそうか、……それで、キミは?」
老人はアルバの青い髪を手にとる。アルバは老人に対する、言いようも無い恐怖を感じ、後ろへと身じろいだ。
「ノクスが死んだのなら、次は誰に受け継がれるのかな?…………。」
「えっ……と。」
「まさか、いないわけじゃないだろうね?」
何も言わせてくれない、そんな気迫。どうしよう。助けてほしい。この人、こわい……
「アルバ!!!!」
聞き慣れた声がしてそちらを向くと、息を切らした父が立っていた。走ってきたのだろうか、息苦しそうに呼吸を繰り返しながら、こちらへと向かってくる。
「兄さん!よかった、来てくれたんだね」
「……」
「…」
その父を叔父は快く迎える。
…しかし
「父上、アルバと何を話していたかは知りませんが、私の子どもに関わらないでいただきたい。」
「くくくっそんな寂しいことを言うなよヒペリカ。…そうだ、死んでしまったらしいな、ノクスは」
「ーーっ!」
「兄さん、なぜ父さんには言っていなかったんだ?普通に考えておかしいだろう」
「惜しい技術を失くしたな。」
父の拳は強く握られ、震えていた。
「アルバはいただいていきます。」
「えっ」
そう言うと父は私の腕を掴んで歩き出した。
*
私には、父が今何を考えているのか検討もつかなかい。しかし父もまた、何かに怯えている事は確かだった。
「…どこに向かってるの?」
「……。家だ」
父は私の方を見向きもせず、ただ手を引いて歩く。
「…そっか」
私はどうすればいいかわからず困惑していた。先程のお爺さんと叔父さんの元には、絶対に帰りたくは無いが、このまま父に連れて行かれても良いのだろうか。しかし、狂気的な緊張感から抜け出せた安堵からか、はたまた私に歩調を合わせてくれている父の後ろ姿からなのか、抵抗する気にはなれなかった。
「…アルバ、髪を染めたのか」
「うん……。白髪はオノールの象徴だなんて嘘じゃない。」
「…。……アルバ」
「なに」
「頼む、もうそれ以上は染めないでくれ」
この人は、髪色の何にそんなに怯えているのだろう。なぜそこまで白髪にこだわるんだろう。
「……。」
「…。」
「家に行ってどうするのですか?」
「……。」
「黙っていては何もわかりません。」
「……。」
「…っ、質問に答えてください!」
私は父の手を振りほどき、立ち止まる。父も数歩先に進み、足を止めた。父はゆっくりと顔をこちらに向ける。その顔は、
「…!……なっ…どうされたんですか、、?」
まるで死人のように血の気が抜け、目は虚ろに揺れていた。赤いはずの瞳にはその赤さが感じれず、目と目が合うことはない。衰弱。その言葉そのもののような父に、私は動揺を隠せなかった。
「帰ろう。家に」
「……」
今度は私の手も引かず、1人で歩き出す。逃げるなら今しかない。だけど、……何故か、できなかった。
せめてミリーに連絡しようと端末を手にするも、ソレに明かりはつかない。
(しまった、エネルギーが切れてる…)
辺りはすっかり暗くなっていた。
ー□ー
男は嘆いていた。受け入れろと言われ、素直に受け入れられるものではないのだ。客観的に考えると、それが当たり前であり、人として正しいことなのは百も承知。だが、男にはそれができなかった。
男は煙草に火をつける。
他人にあれこれ言われようと、まずは自分の気持ちが最優先ではないのか、自分を守るために日々生きていて何が悪い。自分を可愛がって何がいけない。
この人生を生きているのはお前たちではない、自分自身だろう。
男は家の扉をやや乱暴に開け、カバンをどさりと落した。そこにはまだ、可愛らしいストラップが揺れている。
男は少しだけ、鼻をすすった。
ー○ー
私が部屋に戻ると、そこにアルバちゃんの姿はありませんでした。どこへ行ってしまったのでしょうか。遅くなる際はいつも連絡をくれていたのに、今日はそれがありません。
たまには忘れていることもあるのでしょう。きっと、お友達とご飯を食べに行かれているのです。私はそう思うことにして、紅茶を淹れようとお湯を沸かします。今日は帰りに洋菓子店へと寄り、紅茶に合うお菓子を購入したものですから、ぜひアルバちゃんと食べようと思っていたのですが…仕方がありませんね。
…ですがなぜでしょう。なぜこんなにも、私は落ち着かないのでしょう。
*
「…あら、もう無くなっていたのね……。」
マリアは今日も至極一般的な日常をおくっていた。息子娘達が寮へと行ってしまってからは、夫と2人で暮らす毎日。寂しくないわけではないが、それもまた1つの形だと受け入れ、子供たちをあたたかく見守る母の瞳は、全てを包み込むかのような優しい瞳。
切れてしまった洗剤を買いに行こうと、エプロンを脱ぎバッグを肩にかける。あの人はいつ頃帰ってくるのだろうか。夫のセアリアスの帰宅時間は予測できたものではない。その上、帰宅した家にマリアがいないと少し拗ねるのだ。
(今日はお義父さんと会ってくると言っていたわね…。)
早く帰ろうと考えながら靴を履き、扉を開け、鍵を閉める。そうして足を踏み出そうと振り返ると、外門の所に1人の女性が立っている事に気付く。
「…ヒス」
「マリアねぇさん」
「どうしたの?珍しいわね」
「ちょっとね。ねぇさんと話したくて」
「うふふ、可愛いわね。歩きながらでもいい?これから買い物に行きたいの」
「もちろん」
夕暮れ時の空の下、ヒスは嬉しそうに微笑んだ。
「最近どう?元気?」
「えぇ元気よ、ねぇさんは?」
「私も変わらずね。そうだ、ホープは?元気?」
「ホープくんも相変わらず元気よ。ただ…人には見せない陰りは今もずっと抱えてる。」
「……やっぱり、そうよね……」
マリアは数年前のことを思い出す。雪が吹雪いていた極寒の日、病院からホープが危篤状態だという電話がかかってきた。どうやら荒れ狂う川に崖から落ちたようで、すぐに何者かによって引き上げられたものの、危ない状態で運び込まれたらしい。
ホープはその後、徐々に回復へと向かったが、痛ましい傷は家族を苦しませた。意識を取り戻した後も、事故当日の記憶が無く、そして、ヒスの息子であるノクスに関する記憶も全て無くなっていた。
さらにその事故同日にノクスまでもが亡くなっていた事がわかり、両家とも慌ただしい日々を送っていたが、その中でヒスとマリアは1つの答えを導き出す。それは、ノクスとホープはその日会っており、ノクスはホープを自分の自殺に巻き込んだ。もしくは無理心中をしようとした、という事。ノクスの日記や、ホープの寝言、その他情報から2人はそれを事実として考えたが、その事を他の人物に知らせることはなく、あくまで考察の範疇に留めることにしたのだ。
やがてセアリアスは、ホープに事故の事を、そしてノクスの事を明かさない、触れない事を決め、それをヴィール達家族も了承した。
…しかし、その事に不安を感じたのは、マリア、ヒス、そしてヒペリカだった。「まだ子供だから」という理由で隠された事柄は、決して軽いものでは無く、本人に関わる重要なことである。
見覚えのない消えない傷、ぽっかりと空いてしまった心の1部、抜け落ちた記憶、主を思い出せない言葉、それらは知らないホープに重く伸し掛る。
家族に隠され続け、誤魔化され、無意識的ではあるが、まるで除け者のようにされるホープを3人は心配していたのだ。
だからこそ、ヒスはホープに近づいた。
家族とどこか一線を引かれ、従姉妹からも遠慮をされ、友人と常に命の磨き手である自分とでは距離感があり、学園の教師にも自分から相談できる相手はいなかった。そんな独りきりの関係図がホープを少しずつ苦しめているのだ。
こうした苦しみから、幼い頃にホープは、自分の本当の疑問に蓋をしてしまった。
ヒスはそんなホープとほんの数年前から、密かに話すようになった。マリア、ヒス、ホープの3人で集まってお茶をしたり、お出かけをしたりしているうちに、ホープは徐々に心を開き、誰にも言わなかった本心をヒスに告げるようになったのだ。
しかしこの事を知る人物は、マリア、ヒス、ヒペリカの3人だけである_____。
*
しばらくヒスと話しているうちに、マリアはある事について思い出す。
「…そういえばヒス、この間、街でアルバちゃんを見かけたのだけど……」
「…?アルバがどうかしたの?」
「……髪を少し染めていたわ。……大丈夫かしら」
そう聞くとヒスは大きく目を見開き、みるみる血の気が引いていくのが見て取れた。
わかりやすく怯え始めたのである。
「それ…本当なの??本当にアルバが?」
「えぇ…でも本当に1部よ?メッシュって言うのかしら」
ヒスは絶望の瞳をマリアに向けた。
「ごめんねぇさん、私帰らないと…」
マリアはこの瞳に弱いのだ
ヒスは来た道を振り返り、走り出そうとするが、マリアはその手を咄嗟に掴んだ。
幼い頃から妹のように可愛がってきたヒスが、マリアに向ける絶望の瞳。それはどんなモノよりも恐ろしく、マリアにとっては世界の終わりも同然である。
マリアにとって、世界で1番大切な存在。
それは夫でも、子供でもなく、ヒスだった。
「ねぇっ…。私に何かできることはある?」
「……ねぇさん、、。…セアリアスさんとお爺さんを絶対にアルバに近づけない!それが最優先よ!!」
「わかった。なんとか2人と連絡を取り合ってみるわ」
ヒスは小さく頷くと、暗くなった街を駆け出した。もしもの事態が起こってしまう前に、早くヒペリカに伝えなければいけない。
アルバが髪を染めたこと、そしてノクスが死んでしまったことは、お爺さんに知られてはいけないのだ。
知られたら、
知られてしまったら
「お願い神様、もう何も、私達から奪わないで…」
ー●ー
老人は2人が消えていった方を、静かに眺めていた。
「父さん…まさかノクスくんが死んでしまった事を知らなかったなんて…。てっきり、兄さんが伝えているものだと思っていたよ」
「私も驚いたよ…。」
老人はセアリアスの方にゆっくりと振り返り、言葉を続ける。
「しかし…アルバは白髪が嫌いときた。今まではヒペリカに止められ、傍観するしかなかったが…。完璧な白髪でなくなったのなら、アルバを救えるかもしれないな」
「そうか!アルバちゃんが一歩、こちら側に出てきてくれたから、兄さんの魔の手から助けられるかもしれない」
「ヒペリカの子供に対する教育は見るに堪えないものだった…しかしそれも、変えられるぞ」
「うん……。僕からもこれを機になんとか兄さんと話してみるよ」
セアリアスと老人は目と目を合わせ、力強く頷いた。全てはアルバをヒペリカの世界から助けるため……。
(待っていて兄さん……僕が兄さんを正しい道に連れ戻すから)
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