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    やしろ

    @yashiro_kk

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    やしろ

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    『ミチ』(15)私は奴隷だ。
    施設で平和に過ごしていたはずが、その施設は奴隷商と裏で繋がっていたという。私達の暮らしは一変した。薄暗い部屋の中、ヒンヤリとした地面は岩のようで外と繋がる階段には鉄格子が連なっている。
    私達はボロ切れのような服を着ていて、自由に動くスペースも与えられず、ゴミのように扱われた。

    誰かが泣く声がする。誰かの腹の虫が鳴く。
    カリカリ、ザリザリ、
    耳を塞ぎたくなるような雑音が、辺りに木霊する。

    施設で出会った、姉のような存在のペコッタお姉ちゃんは、いつも私の手を握っていてくれた。ふんわりとした紺色の髪に美しい瞳、まるで遠い国から来たお姫様のような、そんな人だった。施設でも、そしてココでも、ペコッタお姉ちゃんが傍に居てくれるから、私は今を生きている。

    そんなお姉ちゃんは今、購入されてしまった。

    桃色の髪をした男が、私のお姉ちゃんにベタベタと手を触れる。
    (触らないで、連れて行かないで、ペコッタお姉ちゃんは、私とずっと一緒に……)

    「キミ!僕はセアリアスだよ!名前はなんて言うの???」
    「……50135番です。」
    「あはは!違うよぉ、キミの本当の名前。どんな名前?」
    「…………ペコッタ・ドメールです」
    「ペコッタ・ドメール?……うーん、麗しいキミには似合わない名前だね!!そうだ!マリア!マリアなんてどうかな??キミは今日から、マリア・オノールだ!!うん!ピッタリ!」
    「……。」
    (……………は?)

    男は気持ち悪い程曇りのない笑顔で、私の″ペコッタ″お姉ちゃんと話をする。そしていとも簡単に、ペコッタお姉ちゃんを奪った。
    激しい怒りに涙が流れそうになる。
    私のお姉ちゃんは、あんな悪魔に買われてしまえばいったいどうなるの…??私ともう一緒に居てくれないの…?私は……私は…どうなっちゃうの?

    「父上、私は彼女にします。」

    もう1人の男の声がした。
    このフロアに入って来てからひと言も話さなかった男は、単調な声でそう言い放つ。男のさす指は、
    私に向いていた。


    ー * ー


    私達は奴隷を購入すると、早々に帰宅した。
    「いやぁ、良い女が見つかって良かったな2人共。」
    「はい!ありがとう父さん!」
    「…そうですね。ありがとうございます。」

    2人の奴隷は、父の名義で購入した。
    つまり、この奴隷達は私の妻であったとしても一生父の命令には逆らえないのだ。……周りの人間関係まで支配されてしまうとは、…いや、わかりきっていた事だったな。
    「2人で少し親睦を深めると良い。ヒペリカ、お前は30分後からまた仕事だ。いいな?」
    「わかりました。」
    父はそう言うとリビングを後にする。
    セアリアスはすぐに奴隷に声をかけ、一方的に言葉を押し付けていた。私はチラリとヒスを見る。ヒスは隠す素振りも無く、もう1人の奴隷とセアリアスを見つめていた。赤暗い瞳は狂気的で、静かに、怒りに震えていた。なるほど、君はそういう人なのか。
    「君。……ヒスだったな?」
    「…はい」
    私が声を掛けると、ヒスは渋々こちらを向いて頷いた。年齢はわからないが、推定だと歳は近いらしい。薄汚れた衣服に、痩せ細った身体は、以前の自分を思い出して嫌だった。
    「私はヒペリカと言う。君があの女性と縁があるのは知っているが、関わろうとするのは諦めなさい。……辛いだろうが、それが奴隷である君達の運命だ。」
    「……なんで、あんな奴にお姉ちゃんが?」
    初日から買い主の実子を、″あんな奴″呼ばわりするこの奴隷に少々驚きはしたが不快ではない。…まぁ、アイツはそう呼ばれても不釣り合いではないからな。
    「アイツに気に入られた、それだけだ」
    「……私、アイツ嫌い。」
    「……」

    『嫌い。』ヒスは今、そう言った。
    私が未だに思う事の出来ない感情の名を、彼女は出会って数時間、会話も交わさないうちに、いとも容易く言ってしまった。
    ……実に、愉快だ

    「……クスッ」
    「…あぁ、それでいいと思う。」
    ヒスがあの奴隷を心配そうに見つめていたから選んだ。ただそれだけだったが、私は良い選択をしたようだ。……皆もヒスを、気にいると思う。

    一刻も早く、皆に伝えなければ
    ヒスは私の婚約者だと。


    ー●ー


    「ヒペリカ、まだ子は生まれないのか?」
    「僕はまだ先だよ、マリアと2人でゆっくり関係を築いていくんだ」
    「早く生みなさい。本来であれば無駄な時間も原石を磨かせたいのに……」
    「お前の子供にもしっかり教育をするからな。立派なオノールの職人にせねばならん。」
    「まだ生まれないのか??」
    「……」

    どうやら自分の子供まで、この人に支配されるらしい。
    …わかっていた事だ。最初から、この人に逆らう事など出来ない。私はこの人にとって使い捨ての道具にしか過ぎない。…妻のヒスだって、もう何日も負担をかけている。ヒスの姉だというペコッタにも最近は会わせてやれていない。
    仕事で磨かなければいけない原石は、磨いても磨いても無くならない。
    ……私は全く、無力な人間だ。

    「…ヒペリカさん。」
    「なんだ?」
    「…あなたは、優しい人なのね」
    「……」
    ベッドでうつ伏せに眠っていたはずのヒスは、枕に垂れる髪の隙間から顔を覗かせた。随分と綺麗になった髪質に、栄養を取り戻した身体。愛らしさと儚さを持つ端正な顔付きで微笑む姿は、奴隷であった事など忘れさせるまでに官能的であった。
    「そうかな?」
    「そうよ、、。……あなたと共に過ごすうちに、嫌でもわかるもの」
    「…私は酷い人間だよ」
    「いいえ、あなたは優しい人よ」
    「…君にはそう見えているだけだろう?」
    「ええ。でも優しくない人を優しいと評価するほど、私の目は腐っていないわ?」
    ヒスはゆっくりと起き上がり、私を手招いた。

    少し大きめのベッドに手を付き、片足を乗せてヒスの近くに腰掛ける。
    「あなたはいつも、怯えているでしょう」
    そう言うとヒスは、手を伸ばし私を包み込んだ。

    ヒスの温かい体温が伝わってくる。
    石鹸の良い香りが漂う。ヒスの手は優しく私の頭を撫でた。
    …こうして優しく抱き締められ、頭を撫でられたのはいつぶりだろうか。

    「私には…そんなに申し訳なさそうな顔をしないで?」

    彼女は……あたたかい人だ
    私はそんな彼女の肩に、顔を埋めた。

    ー * ー

    2人の仲は日に日に親密になっていった。
    男は奴隷の女に、まるで赤子に触れるかのような優しさを持って接した。身を綺麗にし、奴隷に頼んだ事と言えば、花の世話くらいである。
    女は問うた。何故奴隷である自分にここまでするのか。すると男は答える「奴隷である前に君は、私の妻だ」と。
    男は女を護った。父や兄に近づけず、そして、己の中に眠る凶暴な魂達からも、男は女を守り続けた。

    相も変わらず男は父親に支配され続けていた。しかしある日、女の妊娠が判明したのである。
    男の父は言った。「やっとか。子が生まれたら性別はどちらにせよ、私に任せなさい。それと、奴隷も渡すように。赤子の世話係をさせる。」男は父親に信じられないという目を向けた

    「…妻も、子も、私から奪うのですか?」
    「最初から奴隷も、お前も、私の物だろう?」

    「…………はい。」

    男は肩を落とし、女の元へと向かう。
    男はすっかり、女に惚れ込んでいた。
    女は男にとって、地獄の中に咲く一輪の花なのだ。
    その女との間に生まれる赤子。愛おしくないはずがないではないか。
    男は口を紡いで涙を流した。

    されど、どれだけ涙を流したとて未来は変わらぬのだ。父親はこの家の中で絶対的存在。そして自分は、家系一番の愚かな人間。


    …生まれてくる我が子よ、こんな父親ですまない。君を生んでしまって、ごめんね……。
    「ああ。……情けないな」


    ー * ー

    「貴方、この子の名前はどうしますか?」
    小さな、小さな赤子の泣き声が部屋に響く。
    ヒスは嬉しそうに微笑んだ。
    ……どうしようもなく、愛おしい。
    「そうだな……。ノクス、ノクスはどうだろう?」
    「ノクス?どうして??」
    「ノクスとは″夜″という意味を持つ。………光は暗闇が無いと輝けないだろう?誰かを支える、居なくてはならない、そんな存在になってほしい。」
    「夜…ですか。……私も好きです、夜。ふふ、夜はたしかに、星や月、街明かりを支える暗闇ですが、人は皆、それらを含めて″夜″と呼ぶのですよ?」
    「支え手でありながら、主役というわけか。」
    「…ノクス、貴方はこの世界の主役よ」

    ヒスはノクスの額に優しくキスをする。
    いつまでもこの光景を眺めていたい。
    2人の傍に居ることを許されたい。
    愛しい2人を、手離したくない。

    「…?あなた?どうしたの?」
    「いや……なんでもないんだ。」
    「……話して。…何かあるんでしょう?」


    …奪われたくない_____。


    ー * ー

    ノクスが1歳になった年、ノクスとヒスは父の元へと行ってしまった。
    私は原石を磨き続けた。来る日も、来る日も、石を磨いた。父から工房長を引き継いだ後も、グランツ学園を卒業した後も、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、

    数年後、父は言った。
    「もう1人くらい生みなさい。」
    翌日、ヒスは家に帰ってきた。
    久しぶりに見たヒスの姿には、涙を止めることなど出来なかった。身体は細く痩せてしまい、出会った当時を彷彿とさせた。ヒスはぎこちない笑顔を私に向け、泣き止まない私を優しく抱きしめた。
    「ごめん。……ごめん、ごめんヒス」
    力を込めれば折れてしまいそうなヒスの存在を、私は必死に確かめた。

    ノクスはその時も、帰って来なかった。
    今まで生きてきた中で、これほど後悔したことはあっただろうか。いったいノクスはどんな目にあっているというのか、ノクス、嗚呼私の愛しい我が子。
    幼い頃の自分を思い出し、胸が締め付けられる。あんな辛い目にあっていたらどうしよう。
    私が父に逆らわないからだ、私が2人を苦しめているのだ。兄を壊しただけでは飽き足らず、私は自分の愛する2人にまで残酷な仕打ちをしているのだ。

    それから私は、毎日父の元へと通った。
    そして、ノクスとヒスを返してほしいと懇願した。皆も共に懇願してくれた。頼み込むばかりで仕事もしようとしない私に、呆れた父は第二子が生まれたら返す、と約束した。

    最低でもあと1年、2人には辛い思いをさせてしまう。愛する人が3人になったその日からは、もう手放さないでいよう。絶対に自分が3人を護るのだと誓った。

    そうして生まれてきた2人目、アルバの存在は私達を狂わせた。
    雪のように白い髪、そして小さく除く眩い赤。……その瞳は、父にそっくりだった。

    父はアルバの出産後、約束通りに2人を私の元へと返した。私は、見るも耐えない姿のノクスを抱きしめ、美味しいご飯としっかりした睡眠、きちんとした休養をとらせた。
    …にも関わらず、ある日気付けばノクスは私に恐怖の目を向けていた。見れば、ノクスの身体には打撲傷があり、私が近づこうとすると彼はたちまち逃げ出した。

    私の中の誰かが、ノクスを殴ったのだ。

    父に酷い暴力を受けてきた彼らにとっては、それが普通であり、オノール家の職人を教育するためには必要な事だと錯覚しているらしい。

    そして父も、ノクスを引き続き教育しようと近付いた。完全に逃してくれるわけではないらしい。

    ……だが、ここで抗わなければ同じこと。
    私は父、そして私の中に眠る魂達に向けて声を荒らげる。

    「真っ白な髪に赤い瞳は……っ、私の子である証だ
    私に許可無く、手を出すな」

    「父上、私は貴方の本当の子供ではないのですよね?……関係のない貴方が、私の子供にまで介入しないでいただきたい」

    私は何度も言った、「真っ白な髪に赤い瞳、それは私の子である」と。
    職人である前に、私とヒスの愛する子供であると。
    父に受けてきたあんな虐待は、……子供達に受けさせたくないのだ…。

    その後私は、私と父からノクスを護るため、ノクスをグランツ学園に入学させた。学園で友人をつくり、暴力のない世界で過ごしてほしい。オノール家という悪から、解放された時間を過してほしかった。

    妹のアルバは大変可愛らしい女の子だ。
    花が咲いたように笑う、とても良い子で、聡明な子。
    …しかし、一点だけ。その瞳が父と瓜二つだったのだ。私の人格は、アルバと目が合う度に逃げ出し、誰も彼女…父の瞳に耐える事は出来なかった。その上、父と錯覚し、アルバを突き飛ばす者も現れた。

    愛する子供を普通に愛すことさえ、私には出来ないようだ。

    私が2人に会えば、2人を傷つけてしまう。……ならば、極力会わないようにしよう。私は部屋の扉を固く閉ざし、仕事に没頭した。


    ー●ー


    ヒスはヒペリカを愛している。
    こんなにも優しく、そして可哀想な人間がいるのかと衝撃だったのだ。彼は誰よりも、人の傷つく姿に恐怖を抱いている。……そして、そんな彼を護るために、人格達は生まれてきた。

    ヒスにとって、主人格である本人も、他の人格達も、ヒペリカそのものである事には変わりない。
    そして、ヒペリカに幸せになってほしい。その思いは皆共通しているものだった。

    アルバが大きくなってきた頃、私達はある決め事をした。アルバに常識は教えないという事だ。
    その頃のヒペリカは、自分の中に住む人格の制御が完全に出来なくなっており、その人格達も凶暴になってしまった、……いや、壊れてしまった人格が多かったのだ。
    私も何度殴られたかわからない。
    『ヒペリカ』という人間はもはや、凶暴で短気、普通が通じぬ男だった。

    そして彼は言った「私が2人にとって、完全な悪者になる。だから君は、2人にとって味方でいてほしい。」……自分だけが、2人の敵になろうとした。
    自分は2人を愛しているが、その愛が2人を疑心暗鬼にさせてしまう。人を信じられない人間になってほしくないのだ。それに、自分に暴力を振るう人間が味方なはずないだろう。ヒペリカは笑った。
    …苦しげに笑った。

    「子供は敏感だ、ヒスももう、私に極力話しかけないでくれ。優しくするな。ヒスにとって私は、敵だと思ってくれ。」……そんな事、あっていいはずが無い。心から愛する人をそんな目に合わせるなんて、私には出来なかった。

    「…じゃあ、誰があなたを愛するの?」

    結果、私達両親が、2人の敵になる事にしたのだ。
    だから、妹のアルバに「兄は自分にとって特別な存在である」と教えつけた。子供達2人は、何がなんでも協力し合い、愛し合い、互いで支え合ってほしかったのだ。そして、私達を悪者として生き、その怒りを力と変え、同じ敵を持つ者同士、2人には結束力を強めてほしかった。
    私達は……支えてあげられないから。

    そんなある日、とにかく磨かさなければ上達はしないと、義父に言われたヒペリカは、高値だったユウェルの奴隷を購入。家の地下に閉じ込め、強制的に原石を排出させることに。
    そしてヒペリカは言った、「アルバに強制排出を任せよう」と。私はもちろん反対した。ユウェルの強制排出、それは言わば″殺し″である。そんな汚れ仕事をするのは私達親でいいと。アルバにはこのような非人道的な事はさせられない。

    しかし、ヒペリカは続けた。「…この子の将来で、私達のしてきた事が邪魔になってはいけない。…奴隷だって人だ。それは私も、ヒスもわかっているだろう。……奴隷を購入し、殺している家。今からこの家は世間から見るとそうなるんだ。……いくらノクスやアルバが何もしていなくとも、世間から見ると人殺しの私達と同類なんだ。」ヒペリカは悲しそうに、眉を下げて語る。「関係ないが通用しない。…なら、いっその事2人とも被害者にしてしまえばいい。2人にとって私達が敵であるように、世間から見ても私達が悪になれば、2人は世間に守ってもらえる。受け入れてもらえる。……幼少期から親に洗脳され、正しい事を教わらず育ち、親のせいで非人道的な事もしてきた可哀想な子。……この子を守るには、こんな形でしかもう守れないんだよ」

    私達は2人に役目を与えた。原石を磨く役目と、原石を排出させる役目。
    ノクスの練習用原石を得るため、ユウェルの奴隷を何人も購入し、アルバに強制排出をさせた。
    いずれこの事は明るみになる。いや、子供達が守られるために、世間に明かしてくれる。そしてこの一族を止めてくれる。
    ヒペリカと約束したのだ。ノクスがグランツ学園を卒業し、工房を継いだ後で、2人に少しずつ真実を伝え、時間をかけて2人を愛していこうと。2人に許されるだなんて思っていない、けれどそれでも、2人を愛したいと。


    奴隷を購入し始めると、私達は貧しくなっていった。日々の食事も貧相になっていき、私もヒペリカも瞬く間に痩せこけていく。アルバには栄養のある食事を渡し、部屋で食べるように。ノクスが寮から帰ってきた時は、食料が無いことを悟られないため、部屋に閉じ込め、アルバに2人分の食事を持たせた。アルバにはノクスの食事は無いということを伝え、2人で分け合うように事を仕向ける。もちろん、私達2人分の食事など無いに等しかった。私達は徹底して、悪になり続けた。

    ヒペリカは相変わらず、人格交代が激しかった。特に、ノクスを前にすると主人格は出てこれなくなってしまった。
    私達はノクスに嫌われているはずだ。ノクスは学園で友人と過ごし、アルバも学校で普通の人と過ごしている。私達両親のおかしさや異常さに気付いてくれるはずだ。……紛うことなき敵だと、きっと思ってくれる。

    ある日アルバは「小説家になりたい」そう言い出した。
    私達はそれが、たまらなく嬉しかった。オノール家という宝石職人から離れ、自由な夢を持つこの子が、なんと愛おしいことか。
    それにはもちろん皆で応援した。
    その時ばかりは悪にも敵にもなる事を忘れ、自由に羽ばたこうとする愛おしい我が子の力になりたいと、私もヒペリカも、…そして、ヒペリカの他の人格達も、皆で色んな小説をアルバに与えた。
    アルバは私達にとって”光”だったのだ。

    私達はすぐに元通り、2人の”敵”に戻ったのだが、職人である事を強制させたノクスにとって、それがどう映ったのか。…当時の私達は、気付けなかった。……気付いて…あげられなかった。

    ー * ー

    そうして時は流れ、ノクスが22歳を迎える頃。ヒペリカは心から嬉しそうに言うのだ。

    「なぁヒス見たか?見ただろうノクスは天才だよ」
    私もヒペリカを見つめて頷く
    「えぇそうですね、とても誇らしいです」
    「私がノクスと同じ頃はもっと下手くそだった!ノクスはよく頑張っているからな…努力の成果は確実に出ている」
    「きっと、良い工房長になりますよ」
    「当たり前だろう!ノクスはこの国一番の職人になるぞ」
    「あら、とんだ親バカですこと」
    「親バカなんかじゃないさ……ノクスの技術は本当に…努力の天才だよ。」
    「……本当に、私もそう思いますよ」
    「…………やっと……やっとだ……16年…」

    「やっと……ノクスに会える」

    自分が工房長である重圧から逃れたならばきっと、主人格である自分もノクスに会うことができるはず。そうしたら今までの分もたくさん、本人が嫌と言ってもやめないくらい褒めてやろう。信じられなくともいい、今さら受け入れてくれなくともいい、だけど伝えたかった事を全部伝えよう。
    4人で、家族になろう

    ヒペリカはそう何度も、何度も私に言った。
    ノクスの卒業を今か今かと待ち望んだ。



    ……そして、

    静かな家で、電話が鳴った。
    愛する少女が私を呼ぶ。
    私は赤い上品な絨毯の上を進み、受話器を取る
    「はい、お待たせいたしました。お電話代わりました、ヒス・オノールでございます。」
    『ノクス・オノールさんのお母様ですか?私、グランツ学園の者と申します。』



    ー●ー


    女はその知らせを聞くと、顔を真っ青にして崩れ落ちた。男は異変を感じ取り、廊下へと出て女の元へ向かう。「あなた……ノ、ノクスが…ノクスが……!あぁ、…私達のせいよ、……ノクスが…」「ノクスがなんだ、何があったんだ、言ってくれ、ノクスがどうしたんだ!?」「ノクスが……死んだわ。」

    ____…………。


    男は呆然と立ち尽くす。

    そして次の瞬間、男の怒声が響いた。
    男の主人格は、絶望した。愛するノクスが死んだ。会いたかった。褒めたかった。愛していると言いたかった……。
    絶望したのは主人格だけではない。十何人もの他人格は、生まれてからずっと、父親に暴力を振るわれ、酷い圧力をかけられ、逃げられない監獄で原石を磨いてきたのである。もはやその姿は劣悪な環境下の奴隷である。しかしやっと、工房長の座を降りることができる、父から逃げ出す事ができる、あとは彼らと共に新しい工房長を父から守ればいいだけのこと。

    だのに、告げられたのは死。

    ……あと何年、この地獄で生きればいいのか。逃げられない、何人人格が代わろうと、何人人格が生まれようと、この恐怖からは逃げられない。アレに支配される、あと少しだった。あと少し耐えれば解放されたはずだった。

    ノクスが工房長になることで、全てが上手くいくはずだった……。


    そんな時、父の目を持つ少女が、不安そうに男を呼んだ。

    男は振り返る、そして、その瞳を見てしまった。赤い、赤い瞳。独特な瞳孔をした恐怖の瞳。たちまち人格達は震え上がる。そんな中、主人格は彼女だけでもと最後の力を振り絞り入れ替わる。
    「…アルバ。……アルバ、アルバ、アルバ」
    (アルバ、すまない。アルバ、キミはどうか、死なないでくれ、アルバ、ごめん。ごめん。…ごめん)
    男はゆっくりとアルバへと近づき、その小さな肩を弱く掴む。そして
    「アルバ、グランツ学園に入学し、職人になりなさい。」

    __私達から、逃げてくれ。



    それが、今自分が出来る精一杯の事だった。
    男の主人格は、深い、深い絶望に落ちた。


    ー●ー

    私はもはや屍だ。
    どうする事も出来ず、ただ死んでいないだけ。
    ノクスが死んだ事は父に悟られないように徹底して情報を管理し、たった1人の娘を護るため、死ねないで原石を磨き続ける。
    昨今では兄の戯言にも嫌気がさしてきた。罪悪感などもう無くなったに等しい。兄は変な正義感を持ち出し、見せかけの正常者であろうとし続ける。父やアルバちゃんと話せ。そう言う兄は何もわかっていない。

    私もアルバと会いたいに決まっているだろう、だが、会えば私は、アルバを殺してしまうかもしれない。

    グランツ学園に送ってから、ほぼ家にも帰らせていない。幸い財産には余裕があった。生きてくれているなら、家の財産は好きに使ってくれて構わない。生きていてくれるだけで、良いのだ。

    だから、外の世界で元気に、自由に過ごしていてくれ。

    そう願いながら、来る日も来る日も死なずに息を吸う。
    僕はもはや屍だ。

    ー * ー

    寒さも本格的になり、近頃では時折空から白い雪が振る。聖夜祭当日、街は随分と賑やかになっていた。

    私とヒスは初めてこの聖夜祭を楽しみにしていた。というのも、アルバの小説が選ばれ、売られているらしいのだ。こんなに喜ばしいことはない。

    伝手を頼り、アルバが持ち場を離れている時間を聞き出した。私達はちょうどその時間に本を買いに行く。明日からも本屋に並ぶらしいが、待っていられない、早く愛する娘のデビュー作を読みたいではないか。

    私達はアルバがいない事を確認すると、真っ先にアルバの本へと向かう。そして、他の本には目もくれず、アルバの本を手に取ろうとしたその時、

    アルバが居たのだ。

    「……アルバ」
    「父…様」
    「………なぜ今ここにいるんだ?」

    聞いていない、今の時間帯は持ち場を離れているはず、なのに、なぜ。会いたくなかった、いや、会いたかった。久しぶりだった。でも、……会っちゃいけなかった。

    アルバは黙って微笑む、辛そうに…微笑む。
    私は、愛する娘にこんな顔をさせてしまうのが辛かった

    「……まぁいい。」
    「…父様」
    「なんだ」
    「私、書籍を売っているんです。」
    「私、小説家になりたいんです、父様。」

    アルバは今にも泣き出してしまいそうなほど、目を潤ませ、はっきりとそう言った。
    嬉しかった。この子が健康に生きている事も、この子に変わらず目標がある事も、嬉しいのだ。自由に生きようとしている姿が、私達にとって救いなのだ。……でも、声が出ない、この子の″目″を前にすると、頭がぐわんぐわんと揺れ、全身に張り裂けそうな痛みが巡る。父に付けられた傷がジクジクと痛み出す。

    (自由に生きろアルバ。皆に認められる小説家になってくれ)
    「…………。」声が……出ない。
    「あなた、行きましょう。」
    「…ヒス。」
    ヒスは寂しそうに私の背中をさする。わかっているのだ、私がアルバに伝えたい言葉がある事も、あの目が私を苦しめている事も。
    「もう無理です。諦めましょう。」
    (これ以上は、”あなた”であり続ける事が出来ません。)
    ……そう、ヒスは語った。
    「……あぁ。」

    ここで私が入れ替わり、アルバの晴れ舞台を無茶苦茶にしてはいけない。もう、諦めるしかない。
    私達は聖夜祭を後にした。

    ー * ー

    翌日、どうしてもアルバの小説『便箋を君へ』を手に入れたい一心で、私は本屋を訪れた。
    しかし、そこにも彼女は居たのだ。
    ……神様は私で遊ぶのが好きらしい。

    結局この時も小説は購入出来ず、その上「自分の子ではないのなら、放っておいてください。」とまで言われてしまった。

    『真っ白な髪に赤い瞳は……っ、私の子である証だ
    私に許可無く、手を出すな』
    かつての言葉を思い出す。何度も何度も言い聞かせた言葉。

    父から、そして自分から、少しでも2人を守ろうとした言葉。

    家族になれなくとも、自分の子供であると思いたかった。

    しかし、

    アルバにとって、私は親である事も許されなかった

    ………………自業自得だ。

    「二度と、私の前に現れないで。」


    ごめんな……アルバ。


    ー□ー

    止まった。
    何が?俺の中の全てが。
    彼女の呼吸と共に、俺の全ても停止した。

    今日、2年先に生まれた彼女が死んだ。

    どれだけ時間を共にしただろう。
    どれだけ共に笑いあっただろう。
    どれだけ彼女の横顔を眺めただろう。
    どれだけ……彼女を愛せただろうか。

    もうこの小さな口は動かないし、俺の耳には彼女の声が届かない。
    綺麗な瞳を見ることも叶わないし、頬が赤らむこともない。

    手は、握り返してもらえない。

    君は俺をおいて先に逝ってしまった。
    俺は、そんな君を追いかける事ができないのに。

    …君がいない世界なんて、死んでいると同じだ


    ー○ー


    「殺さなきゃ。」

    父にバレてしまった。
    ノクスが死んだことも、アルバが真っ白な髪でなくなったことも。

    もうアルバを守れない。
    このままでは、父によって壊されてしまう。
    このままでは、ヒスもアルバも、皆、父がグチャグチャにしてしまう。
    アルバは自由になろうとしているのに、父はそれを許さない。

    ……そんな事は。

    あっていいわけが無い。

    アルバは誰がなんと言おうが私達の子供だ。
    例えアルバがそう思っていなくとも、親が子供の夢を応援する事に理由が必要なのか?

    父が、アイツが、アレが居なければ。
    アノカイブツガイナケレバ

    カイブツが

    怪物が

    怪物を殺せば

    アルバは真に自由になれる。

    怪物を殺せば、私達も自由になれる。

    殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ


    ___頭が、真っ白になっていく。

    ___今は本当に自分なのか、…そうだ、これは私だ。

    ___私が、望んでいるのだ。


    ___自由のために。


    あはははははははははははは!!!!

    ナイフが空を切る。

    怪物を殺す。そしてアルバとヒスを”オノール”から解放する。その事しか考えていなかった。

    怪物を、怪物を、

    あの赤い瞳の怪物を。


    ……そして、目が合ったのだ
    赤い瞳と。



    …………父と”瓜二つ”の赤い瞳と。


    「殺す。」
    自由のために怪物を____殺せ


    ー●ー











    赤…其れはダレの色?
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