子供の頃の話してもいい?
あれは私がまだ小学生で、夏休みに家族で離島に旅行へ行った時の話なんだけど。
そこはエメラルドの一枚板が延々と水平線の向こうまで永久に続いているかのように美しい海が眼前に広がっていて、見たこともない美しい海の色にずっと見惚れてたのをよく覚えてる。
母に「日焼けするからそろそろ移動するよ」って言われても全く動こうとしなかったら父に強制的に抱きかかえられてしまってギャン泣きしたのも懐かしいな。
そんな私に「じゃあ海の中を見に行こう」って、両親が海中散歩ができる施設に連れて行ってくれたんだ。
入場料を払って建物の長〜い階段を降りて、地下の海中展望室に行くと、あちこちにアクリル板の窓がたくさんあって、そこから海の中を見ることができる場所。
展望室は海の中だから青みがかかってて、普通に息ができるはずなのに本当に海の中に浸かってるようでさ…… 最初混乱して息止めちゃって…
とにかくそれで、嬉しくて窓から興奮して、夢中で海の中を眺めてたら何かが突然視界を横切ったんだよ。
なんだろうと思ってたら次は上から下に縦断して泳いで現れて、よくよく見たらそれは人なんだけど、下半身にヒレがチラッと見えてさ。
エッ!ってびっくりしてたら下からひょこって顔見せてくれて。確か髪の毛は緑色のツーブロで、目は片目だけルビーみたいな赤色、両目に縦の傷が入ってたかな。あまりにも印象が強くてキレーな顔してたからよく覚えてる。
緑の髪の毛を漂わせてアクリルごしに目を合わせてくれて、あまりにも驚いて「本物の人魚さん?」って呟いたらニヤニヤしながら人差し指を口に持ってこられてあまりの驚きに声出なくなっちゃった。
「人魚さんは本当にいるんだ!」って思って感動してたら、目の前でくるくるお魚さんと一緒に踊ってくれて、それが本当に本当に素敵で美しかった。
真珠のように白いヒレや、海と同じ色の髪の毛を揺らめかして踊る姿はあまりにも印象深くて、未だに脳裏に焼きついて忘れられないんだよね。
踊り終わった人魚さんはまた私のところに近づくと、アクリル越しに私と手を合わせてくれて。
「バイバイ」って言ったら微笑みながら手を振ってくれて、遠くの方へ泳いで帰っていっちゃった。
彼が小さくなって見えなくなってもずっとずっと見つめてた。
「人魚さんに出会ったこと、絶対に内緒にしなきゃ」って子供ながらに強く誓ったの、すごくよく覚えてる。
まぁ結局大人になってから、あれは人魚さんじゃなくて現地に住んでるか定期的に遊びに来てるプロダイバーの人だったってことを知ったんだけどね。ゴーグルにボンベ背負ってたし。
それでも私の中ではあの人はずっと人魚さん以外の何者でもないと思ってるよ。
もしかしたらダイバーに擬態した本物の人魚だったかも、なんてね。
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そうして私の一連の思い出話を聴き終わった目の前の男は、話の途中で空になってしまったコーヒーカップを両手で落ち着きなくいじりながら俯いてしまっている。
おそらく彼は一体どう反応すればいいのか、まったく分からなくなってしまったのだろう。
「ゾルタン」
名前を呼ぶと肩をビクッと振るわせてしまった。
種明かし?するのはまだ早すぎたかな。
「…………あの時のガキ、まさかのお前だったのかよ」
「そうだよ、私だったんだよ」
「………………」
「ゾルタン?」
もう一度呼ぶと肩を縮こませた。
「恥ずかしい………….」という彼のか細い声が室内にそっと響く。
穴があったら入りたい…いや、彼の場合は貝殻があったら入りたいって感じなのかな。
「コーヒーのおかわりいる?」
「………よこせ」
「はいはい」
次はどのコーヒーパックにしようか考えながら私は立ち上がった。