まよいごまよいごどーこだ「……ここどこ?」
雪は呆然としながら当たりを見渡す。今日の軍議は第二会議室と聞いていたからそれに参加するべく、雪は私室から会議室に向かおうと歩いていたのだが、物の見事に迷ったのである。
「えぇ……どうしよう」
近侍である鶴丸に今日の軍議に参加することは伝えてあるし、ほかの刀剣男士にもそのことは周知してある。
「明日は忙しくて迎えに行けないんだが、ひとりで行けるかい?」
「うん、だいじょーぶ!! まっかせなさい!」
「本当かねぇ……。迷子になるなよ」
「わかってるってぇ。大丈夫だよ、何度も行ってるもん。心配性だなぁ」
昨日の夜、鶴丸にそう問いかけられ雪は自信満々に大丈夫だと言い切った。そう言いきってしまったのである。
端末で時間を確認すればあと三十分ほどで軍議が始まってしまう。
そうなればきっとみんなは探しに来てくれるだろうが、そんなことになればあれだけ豪語しといて結局迷ったのか、と鶴丸に呆れられる、そう考えると顔が真っ青になる。
「と、とりあえず知ってるとこに出るまで歩こう!!! そしたら行ける!! 行ける行ける!!!」
そう意気込むと第2会議室に向かって歩き始める。
「なんっ……で……、え、ほんとにここ私の本丸……?」
雪はどこかも分からない場所で立ち尽くしていた。ついさっき時間を見た時、時間は十分ほどすぎていたし、連絡を取ろうにも端末は昨日充電し忘れたせいで電源が切れてしまった。
こうなる前に連絡を取っておけと言う話なのだが、一人で行けるとあれだけ自信満々に迷わない、と大見得を切っといてこれなのだから、連絡を取りにくかったのだ。
彼らのことだ、きっと探しには来てくれるだろう。けれど、やはり勝手知ったる本丸内といえども迷子になる不甲斐なさにほとほと嫌気が指してくる。
「とりあえず……、じっとしてた方がいいか……ごめんよ、鶴丸……言われてたこと今思い出したよ……」
幼い頃、幾度となく迷子になった際に言われた一言は「お願いだから迷子になったと気がついた時点でじっとしててくれ」、だ。
辺りを見渡してとりあえず目立ちそうな場所に腰かける。
本丸が複雑な迷路のようになったのも実際迷子になったのも全部後先考えず適当に増築してなんとかなると思って誰かを頼らなかった自分が悪いのだが、こうして一人でいると幼い頃両親と離ればなれになり、この本丸で暮らし始めた時のことを思い出す。
確か五歳ぐらいの時だった。ものすごい霊力の持ち主とかで時の政府に高い報奨金を提示され、報奨金に目がくらんだ両親はあっさりと雪のことを手放したのだ。
わけも分からないまま審神者に就任して、あの頃はよく寂しい、おうちに帰りたいと泣いてはみんなを困らせていた。
雪は幼い頃から方向音痴で、それこそ小さい頃ははぐれたり、迷子になったりする度に親に怒られ、呆れられ、それでも親のことが大好きだったからこそ、高い金を出されたからと言ってあっさりと手放されたことがとても寂しかったのだ。
今でこそ実家のことを思い出すこともまるっきり減り、たまに連絡が来てはああしろだのこうしろだの勝手なことばかり言ってきて辟易しているぐらいだ。この間も「いい人はいないのか」「お前はひとりじゃ何も出来ない無能なんだから誰か支えてくれる男を見つけろ」「早く次世代を産め」だのそんなことを言っていたのを思い出す。
きっと時の政府から次世代の金の卵を産んだらもっと報奨金を出すとでも言われたのだろう。
まぁ、それに関しては面倒で鶴丸にも一期にも言えてなくて二人の目に触れる前に執務室のシュレッダーにかけて捨てたのも記憶に新しい。そのことに関しては、雪の両親は彼女に感謝するべきだなのだ。何せ彼らは末端とはいえ神だ。
神を怒らせたらどうなるのか、想像するだけで恐ろしいだろう。雪としては『私の事、捨てたくせに今更何事だ』、なんて考えていて、きっと今なら両親に言えるだろう。それは支えてくれる本丸のみんなのおかげだった。
それでも、幼い頃に背負った傷、両親に捨てられたのだと悟ったあの日はすごく傷つき、一晩中泣いて泣いて。それでも苦しさはしばらくはぬぐえなかったぐらいだ。その影響なのか雪はやたらと人に軽率に好きだのなんだの言うようになって、それは近侍と初期刀の悩みの種でもある。
そんなことを思い出していると涙が出てくる。雪はみんなに心配をかけないように、涙をこらえるために顔を上げ天井を見上げ、零れ落ちないように口を引き結ぶ。雪が泣いているとみんなの顔がつらそうにゆがむのだ。その顔を見るのは雪は嫌いだった。
雪はみんなの笑顔が何よりも大好きだったから。それでもこらえきれなかった涙がじわじわと溢れ、視界をぼやけさせる。泣き止まなければ、この場を見られたらきっと、家族からの手紙がばれてしまう、そう思うのにとうとう、涙の一粒が、掌に零れ落ちた、その時だった。
「あー! 主いた!!」
「……加州くん」
そこに響いたのは雪の初期刀、加州の声だった。そちらに目を向けるとちょっと怒ってた顔をしていた加州はギョッと驚いたような表情を浮かべる。
「えっちょっとどうしたの、なんで泣いてるの」
「……ごめん!!! 大丈夫!!」
「いや、大丈夫じゃなくて……なんかやな事でもあった?」
「な、なんもないよ! 大丈夫!」
「……ならいいけど。みんな心配してるよ。みんなには連絡しといたから、会議室行くよ」
加州は、納得していないような顔をしていたが、これ以上問いかけても雪が口を開くことは無いと諦めると雪の手を取ると大切なものに触れるかのように握り締める。人の温かさに雪は張り詰めていた糸が解けたように身体の緊張をとく。
加州は雪がホッと息を吐いたのに気がついてはいたが、特に触れることなく他愛のない「今度万事屋に一緒に行こう」だの「また主の作ったパンケーキが食べたい」だの迷子になった件には触れない会話を続ける。
「主!!!! 心配したのですよ、本丸内とはいえ、本丸は広いですからお一人は不安だったんじゃないかと!!」
会議室には既に探しに回っていたメンバーも集まっていて、長谷部は泣いていたし、鶴丸は酷くばつが悪そうな顔をしていた。大方方向音痴の「大丈夫」を信頼したことを後悔しているのだろう。
長谷部は宥めて、鶴丸には「迷子になってごめんね」と謝罪を入れると鶴丸は首を振った。
「主は悪くないだろ、やっぱりちゃんと迎えに行ってやればよかったな、寂しい思いをさせてすまなかった」
そう言いながら頭を撫でてくれたやさしい手に、少し擽ったさを覚える。それでも皆の前で少し恥ずかしくて、雪はほんの少し頬を赤らめながらその手を退ける。
「もう、子供扱いしないでよ」
「すまんすまん、君は大切だからな。……これからはなるべく一人では出かけないでくれよ、外で迷子になられたらさすがの俺たちでも探すのは困難だからな」
「はぁい。長谷部も本当にごめんね、もう迷子にならないように気をつけるから泣き止んで」
「鶴丸の言う通りですよ! 主はこれからひとりでお出かけしないでください、長谷部は、長谷部は……!」
「……迷惑かけて、ごめんね」
長谷部に泣きつかれて、雪はその頭を撫でる。みんなに心配をかけてしまった、と落ち込んでいるとそれを見ていた前田が裾を引く。
「主君、僕たちは別に怒ってはいません。気になさらないでください、僕たちはちょっと心配性なだけなんです。それだけあなたが必要なんです」
「前田くん……」
雪が前田の言葉に驚いていると少し困ったように、それでも雪に言い聞かせるようににっこりと笑いながら話し続ける。
「それに主君が迷子にならないように本丸の改築に関して苦言を呈さなかった僕たちの責任でもありますからね」
「無計画なのは否定してくれないやつだ!!!」
「事実でしょう」
「ぐぅ……否定できない」
前田の言葉に否定の言葉が思い浮かばず唸る。前田はその雪の態度に苦笑をこぼしながらも慈愛に満ちた瞳で、雪に言い聞かせるような口調で話し始める。
「まぁ、ともあれ迷惑かけられたとは僕たちは思っていません」
「……本当?」
雪の酷く不安げな声に腕の中の長谷部が悲しそうな顔をしながら顔を上げる。隣に立っていた鶴丸はぐしゃぐしゃと雪の髪を掻き回すと覗き込むようにして目線を合わせる。
「なんだい、君は俺たちの言葉が信用出来ないってのかい。この本丸のみんなは君のことを慕っている。そんなことで迷惑だなんて思うわけが無いだろう」
「……でもあれだけ迷子にならないって言ったのにさ」
「別にいい、どうせ迷うと思っていたさ。君は気にしなくていい、むしろいつもみたいに元気に笑ってくれる方が皆も喜ぶ」
「あー! 酷い!! ねぇ、加州くん聞いた?!?! 今の!」
「事実じゃん? まぁ、うちの本丸複雑だしねー。迷うと思ってたから五分前ぐらいから探してたよ」
「否定できないのが辛い!!」
ケラケラと笑いながら加州は「だからさ」と続ける。
「これからもアンタは俺たちを頼ってくれていいんだからね。むしろ頼られない方が寂しいって」
「加州く〜〜〜〜ん!!! ありがとう、大好き!!」
「俺も主のこと大好きだよー」
にひ、と嬉しそうに笑う加州のことを抱きしめる。歌集も嬉しそうに笑いながら雪のことを抱きしめ返し、「うちの主は本当にいい子だなぁ」なんて言いながらいつものように頬をすり合わせる。
小さい頃の雪はよく加州に抱きしめられ、可愛い、可愛いと大切にされながら実の両親よりも可愛がって育ててもらった。
その時よりも雪も大きくなったしいつまでもあの頃のままなわけがないが、加州はそれよりもずっと大きい、安心する感覚だ。
「……ほら、君らいちゃいちゃしてないでいい加減会議始めるぞ、どれだけ遅れてると思ってるんだ。まず今回の特命調査だが――」
鶴丸が少しため息まじりに雪と加州のことを咎めると早速軍議を開始させる。今までわちゃわちゃしていたほかのメンバーも真剣な眼差しで部隊編成について話し合い始める。
雪は彼らの出した意見を参考にしながら、自分の意見も出して最終的に決まった編成はもう少しでカンストしそうな男士たちとそれを支える究めている短刀二振りに決まった。
「ありがとう〜! 悩んでたから助かったよ〜! もし途中で今行ってる子達がレベルカンストしたらまた編成し直すからその時また話しあおう」
雪の言葉に加州は飲んでいた湯呑をぷらぷらと振ると、第二部隊の編制のレベルを見ながら口を開く。
「気にしなくていいって! 二振り目の鶴と一も育てたいし、そろそろ鯰尾もカンストでしょ、修行道具は余ってっからすぐ修行に出しちゃえば?」
「そうしようかな」
「……あんた、三人がカンストしたらどうするんだ? 文久土佐で戦えるほどレベルの上がった男士そこまで居ないぞ」
「いいのいいの、どうせいつも勝栗余るし、無理そうなら編成考え直せばいいし、ゴリ押せばなんとかなるでしょ。それになんのために極入れてると思ってんのゴリ押すためだよ」
雪の言葉に山姥切国広が「それもそうか」と頷く。それを聞いていた加州と鶴丸からピシャリ、と窘められる。
「そうじゃないでしょ、主ももうちょっと考えなよ」
「加州の言う通りだ、ちゃんと考えとくんだぞ」
「はぁい……」
二人の言葉に唇を尖らせながら返事を返すも、本気で考える気は無いようで男士のデータを確認する気は無いようだ。その様子に加州は「も~主ってば」なんて言いながら時計をちらりと見始める。
「じゃあ、今日はお疲れ様〜。もう解散していいよ〜。鶴丸は文久土佐組でグループ作っといて〜」
「任された」
雪の号令に「あ〜、疲れた」なんて言いながら鶴丸以外の刀剣男士が続々と会議室を後にする。雪と鶴丸は全員を見送ってから会議室を片付けると、鶴丸は雪に手を差し出す。
その手のひらを不思議そうに眺めていると鶴丸が小さく笑いながら雪の手を握る。
「また迷子になられたら敵わんからな。部屋まで送る」
「もー、すぐ子供扱いする! 私もういい大人だよ、さすがに手を繋がなくたって平気だよ」
「俺が送りたいんだ、たまにはいいだろう。……それに、俺が繋ぎたいんだ。それじゃダメかい?」
小首を傾げながら寂しげに雪を見つめる。雪はブンブンと首を振るとその手を握り返す。握り返された手を見ながら鶴丸は嬉しそうに頬をゆるめた。
「ダメじゃないけど……なんだか小さい頃思い出すね、あのころよく鶴丸に手を引かれてたから」
「そうだったか? あの頃の君はすぐに迷子になっては泣いていたからなあ。それは今も変わらんが」
「否定できないの笑える」
雪が小さく笑うと鶴丸はほ、と息を吐く。雪が不思議そうに見つめると鶴丸は安心したように微笑む。
「いや、なに。良かった、ようやく笑ったな」
「……え?」
「少し暗い顔をしていたからな、加州も気にしていた。……何かあったか?」
鶴丸は射抜くような視線で雪のことを見つめる。その視線がほんの少し気まずくて目をそらす。きっとこの状態の鶴丸は言うまで許してくれない、捜査取って雪はため息交じりに口を開く。
「……この間、両親から連絡が来て」
「聞いてないぞ」
「言ってないから。それに、早く旦那を見つけろだのお前は無能だからさっさと結婚しろだの、そんな連絡だったしね! 私は審神者を辞めるつもりは無いし、本丸を辞めるつもりもないから無視するつもりだけどね。あっ、気にしてないから鶴丸は怒らないでよ!」
鶴丸が苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる。雪が宥めるように笑うと鶴丸はさらに眉間に皺を寄せる。どうやら気に食わない話があったらしくそれも直ぐに雪は察したがここまで話しておいて辞めたらそれこそ鶴丸は不機嫌になるだろう、そう結論付け鶴丸から目を逸らしたまま話続ける。
「……けどやっぱり迷子になった時思い出したのは、お母さんとお父さんに捨てられたって気がついた日のことでさ。ちょっと辛くて泣きそうになってただけ! だからみんなが迷惑じゃないって言ってくれたからもう大丈夫!」
そう言いながら目を細め口角を上げる。もう大丈夫、それは雪自身が自らに言い聞かせてきた言葉だった。
「……俺にぐらい甘えてもいいんじゃないか」
「は?」
「君が泣いてるのを見るのは心苦しい。……俺たちは神だが、人の子の心は言ってくれなきゃ全くもってわからん。辛い時は辛いと、伝えてくれないと分からない」
「……みんながいるから、本当に大丈夫! 寂しくないよ それに今は鶴丸も一期も優しいからね、お父さんもお母さんも勝手なことばっか言ってんなぁって思ってるぐらいだし!」
悔しそうな顔をしている鶴丸に抱きつくと胸に顔を埋める。鶴丸はやれやれ、と言いたげにほんの少し肩を竦めた後に抱きしめ返す。こうしているとまるで幼い頃に戻ったようで心が温かくなる。幼い頃は、雪が寂しいと泣く度に抱きしめてくれた鶴丸の腕をが両親のものよりも暖かくて余計に泣いてしまったこともあった。
「……主、これからも俺たちを頼ってくれよ」
「もちろんそのつもりだよ、それにみんな以上に頼りになる人、私知らないよ!」