好意と悪意「あ、リコーダー教室に忘れてきた」
下校時の下駄箱で、履き終えたスニーカーを見ながら俊介が呟いた。
「一人ォ、お前まだ上履きだし取ってきてくれよ」
しゃがんだまま俺を見上げて言う俊介はほんの少しだけ甘えた声を出す。俊介には姉がいる。弟気質が出るのだろう。
「良いよ」
そう言うと俊介は満足そうに笑って、教室に向かう俺に手を振った。
廊下を曲がったすぐそこにあるのが俺たちの教室だ。もう誰もいないと思っていたその教室のドアを開けると、そこにはひとりの女子が残っていた。
「何してるの」「まだ帰ってなかったの」そう声をかけようとしたが、目の前の光景に言葉を失った。
女子がいたのは俊介の机のそば。手には何か細長いものを手にしていた。その子は俺を見ると、慌ててその細長い何かを机に置いて、俺がいた逆のドアから走って出ていった。
追いかける気はなかった。教室の中に入り、先ほどの机を見るとそれはやはり俊介のものであった。机に置かれていたのはリコーダーだ。手に取り名札を見ると、氷室俊介と書かれている。リコーダーのケースは、蓋が開いていた。ここで何がされていたか、想像がついた。
アルコール消毒。煮沸。滅菌。あらゆる方法が頭をよぎるが、どれも駄目だ。これはもう、駄目だ。
「一人ォ、どうした?さっき誰か走って出てきたけど……」
瞬間、俺は俊介のリコーダーを床に叩きつけていた。
床から響いたにぶい音と、俊介の声が重なる。
振り向くと、俺が入ってきたドアに俊介が立っていた。
俊介は驚いた顔で床を見て、それから視線だけをあげて俺を見た。
「……ごめん」
床に落とした、なんて言い訳はできない。おそらく俊介は俺がこれを振り上げたところから見ていたかもしれない。
床を見ると、リコーダーのケースは中身が入っているような膨らみは無くなっていた。あの音からして、中身は粉々だろう。
「弁償、するから」
「良いよ。俺もそれ乱暴に使ってたからボロかったし、ヒビも入ってたし」
俊介がこちらに歩み寄る。床のそれを拾おうとしたから、俺が先に拾った。掴むと手応えはなく中からガチャリと音がした。やはり砕けている。
俊介はそれを俺から奪うこともなく、触れることもなかった。
「家に姉ちゃんのお古もあるし、大丈夫」
俊介は俺の肩を叩く。
「それは捨てちまおう。このまま焼却炉行こうぜ」