きくよ後日談いちある街の、ある大きな病院の廊下にて。
「…いた……!見つけた……!!見つけたよ……!!!!!!」
患者服に身を纏っている細身の少年に向かって、今すぐダッシュで走り出したい気持ちを抑え何とか早足で少年の目の前に立つ。
「…………。」
「……あの……?」
「……??」
無言の見知らぬ男性が目の前で突っ立っているこの状況に少年が頭に疑問符を浮かべ始めた頃、
「……かわ、もと、くんっっ!!!君は河本怜くん、そうだねっ!?」
「えっ!?あっそうですけど、えっ、えっと……何か御用でしょうか……?」
突然の大声に驚き戸惑いながらもこの男性が自身の名前を知っている事、そして何やら自分を探していたような挙動を鑑みて患者の少年、こと河本怜は取り敢えず男性に事情を訊ねる事にした。
「御用!?!勿論あるさ!大アリさっ!!」
「……話してもいいかいっ!?!」
「えっあっはい!!どうぞっっ!!!……」
「……でも、場所、変えましょうか……」
しまった。つられて俺まで大きい声を出してしまった。病院で。ハッとした頃にはもう遅く、周りからの視線が痛い。
目をキラキラと輝かせながら今にも喋り倒してしまいそうなこの男性を連れて、病院の敷地内に併設されている庭まで急いだ。
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「……えっと……で、あなたは……?何故俺を探していたんですか?それと、何処で俺の名前を……?」
上背は今の成人男性の平均より少し低めな程度なのでおそらく義務教育は終えているだろうが、童顔気味の顔に更に厚い眼鏡をかけているため外見だけで年齢に目星をつけるのは難しそうだった。
その他にも職業、どこの地域からやってきたのか等聞きたいことは山ほどあるが、取り敢えず聞き出したいのは自分を探していた動機だろうか。
「河本くん、僕はね、3ヶ月前から君を探していたんだよっ!!」
「……え!?3ヶ月前から!?!!!?」
待て待て、早速わからなくなってきた。3ヶ月前……?何かあっただろうか?どうして3ヶ月前……??
混乱する自分を尻目に、彼は話を続ける。
「そう、3ヶ月前!!……おっと、自己紹介が遅れていたね、これは失礼!僕は噺 掬夜。気楽に掬夜とでも呼んで!……よろしくね!河本怜くん!」
……それから彼こと噺 掬夜さんは、これまでの経緯をこと細かく話してくれた。
「……で、俺以外にも女性がおふたり、小さな女の子と、掬夜さんと俺で、その謎の空間で一緒に行動していた、と」
「そうさ、てっきり君も覚えているものかと思っていたから、僕の事を知っていてくれているとばかり、いやはや、済まなかった!いきなり知らない男に迫られて怖かったろう!大丈夫、お金はとらないから!!」
「お金は最初から盗られると思っていなかったので大丈夫です……いえ、完全に記憶が抜けてる訳ではなかったと思います。どうしてでしょう、今の掬夜さんのお話をきくまで気にも留めませんでした」
覚えている。全てではないが、真っ白なあの空間で起きた摩訶不思議な現象と、少女の泣き声、……人を無理やり押さえつける感触と、____誰かの血の匂い。
思い出してはいけない記憶を思い出してしまったような、そんな気持ち悪いドロドロとした記憶。
「……。」
「……おっと、無理に思い出さなくてもいいよ。解離性健忘とは、人の心を想定以上に蝕んでしまう事もあるからね。何事も程々が大事ってことさ」
掬夜はこう言っているが、ならば何故わざわざ思い出してしまうような環境をつくったのだろう。気づけば当たりようのない感情を彼にぶつけそうになっていて、冷静さを取り戻すべく、ひとつ咳払いをして落ち着くことにした。
「…それで、掬夜さんは、何故長い期間をかけてまで俺の元に?"あれ"は夢と呼ぶにはリアル過ぎましたが、でもあの現象は夢以外に思いつきません。調べるにしても、都市伝説かフィクションじみたサイトくらいしか見つからないと思いますが……」
「…ちがう、違うよ河本くん、僕が気になるのはあの空間なんかじゃない。あれが夢だろうがなんだろうが結果的には僕にはどうでもいいんだよ!そうだね、大学の教授が授業中にする身の上話くらいにはどうでもいい事だねっ!」
「は、はあ」
もうなんなんだこの人。ほんとに何しに来たんだろう。
そんな俺の心情を察してかどうかは分からないが、彼はやっと動機を話し始めた。
「ずばり、僕が気になるのは、君たちさ!」
「自分たち……ですか?」
「そう!素敵な笑顔の河相百々子くん、ミステリアスな黒咲こゆきくん、名前は分からないが小さな少女くん、そして河本怜くん、君さ」
_____正午を報せる電子の鐘が鳴って、小鳥達が一斉に羽ばたく音がした。
「君たちの絵を描きたいんだ」
___スケッチで。
そう付け加えた彼の顔は相変わらず笑顔だが、此方としてはなんとも_____
「……えぇ……」
「それは了承の合図かい?」
会ったばかりのような自分でも分かる。
この人は興味の湧く事柄に対して異常な執着を持っているようだった。
だがこれは____3ヶ月間もかけて、この人がやりたかったことがこれなのか……そう考えざるを得ない。
「絵を描くの、お好きなんですね」
「ああ好きさ!特に生物のスケッチ、その中でも人間のスケッチは大好きだよ!」
先程まで両脚の上で組んでいた両手を勢いよく広げて、興奮した様子で彼は語り始めた。
「時に河本くん!河相百々子くんの顔は思い出せたかな?!」
「え?ええ、朧気ですけど」
「あの子の表情筋のしなやかさは他に類を見ないほどに美しいと思わないかい!?」
「え!?」
""ひょうじょうきんのしなやかさ""
一体何を言い出すかと思えば、なかなかに強烈な言葉が聞こえてきた気がする。
「口の開き方、目の動かし方、それらの蕩揺さは、彼女の活発さからくるものなんだろうね……ああ!はやく彼女も見つけないと……」
何やらブツブツ聞こえるが、これは話を変えないと夜まで続きそうである。
「……そういえば今居場所を見つけられているのは俺だけなんですか?」
___俺の記憶違いでなければ、掬夜さんと自分を除けばあの空間にいたのはあと3人。
河相さん、黒咲さん、名前の知らない少女。
この記憶もまだ朧気であるが、河相さんはかなり明るい女性で、あの空間にいた時もポジティブな発言が多かった気がする。
黒咲さんは冷静な人というイメージがある。考え方が客観的で……そういえば、彼女は新聞記者だったっけ。
……彼女達が見つかれば、あの異空間の存在についてもっと知ることが出来るかもしれない。
今隣に座っている彼は全然興味が無い様子だが……。
「黒咲くんは見つけたよ!スケッチはさせてくれない様子だったけどね。あはは!」
「見つかってたんですね」
正直、自分としてはあの空間の存在など忘れたい気もするのだが、今少しずつ思い出してきてしまっている以上、このまま記憶が完全に戻る前にあの現象をはっきりと解明しすっきりさせた方が精神的なダメージが少ないのではないかと考える自分がいる。
「__とにかく、掬夜さんの要求は“”俺のスケッチをさせて欲しい””___これで合っていますか?」
「ああそうさ!あってるよ!」
「……分かりました。良いですよ。断る理由もないので」
「本当?!ありがとう!」
目をぱっと開き、あからさまに嬉しそうな顔をする彼もよほど表情筋がしなやかそうであるが、これは言わないでおこう。
「あっそうだ!僕も君の頼みをひとつ聞こうか?」
快諾してくれたお礼だよ、そう続けると笑顔でどこから出したか分からない鉛筆を取り出して、これもまたどこから出したか分からないスケッチブックに何やら描いている。さっき了承したばかりなのに、いくらなんでも行動が早過ぎないだろうか。
「……良いんですか?」
「ああ良いとも!」
「……じゃあ、ひとつ質問をしても?」
「……?勿論、どうぞ!」
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_____昔読んだ小説に、このような一文がある。
『人を殺したのは、太陽が暑かったから』
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_______「俺は、一度あなたを殺めたことがありますか?」