観用少女パロなぎのの観用少女(ブランツドール)。
『名人』と呼ばれる職人によって作られた至高少女たち。そのどれもが目を惹く美しさを持ち、かつ生きて私たちに語りかけてくる不思議な存在。
その摩訶不思議な存在を知るようになったのは、大学生のアルバイトとして選んだ、昔ながらの古本屋に勤めてからだった。
「遅くなっちゃった…帰りのバス間に合うかな…」
こつこつと軽いヒールの音が響いていたのが、赤信号をきっかけに、ピタリと静かに止まる。信号が赤になっているままなのを確認して急いでスマホで調べると、まだバスの到着まで10分ほどあることを指していた。
よかった、と胸を撫で下ろすとともに、
ーー視線を、感じる。
普段感じることのない、えもいわれぬ強い視線を感じ、全身を硬直させた。恐る恐る視線を送る主を確認しようと横を振り向くと、そこには西洋風のおしゃれな外観をしたショーウィンドウと、可愛らしく着飾られた美しい人形たちが静かに眠っていた
………が、明らかに一体だけ、こちらを強く見つめていた。透き通る白い肌に、繊細に編み込まれた銀髪の美しい三つ編みの、可愛らしいビスクドール。
そしてそのビスクドールは、自分と目が合っていたことに気づくと、
そっと、微笑んだ。
この世とも思えないぐらいに美しい微笑みだったと思う。
けれど、
「お、おば、おばけええええぇぇ!!!!」
赤だった信号が青に変わったのを横目で確認して、猛ダッシュで横断歩道を駆け抜けた。夜もふけ、人通りの少ない時間だったために、なおのこと情けない悲鳴があたりに響く。
だって、信じられないだろう。人形に微笑まれたんだ。
生きてないはずの人形に、微笑まれたんだから。
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「え、お使い…ですか?
………………………本気ですか?もりくぼに虎の巣窟に飛び込めと……?」
明らかに警戒心むき出しに尋ねる私に、店主の高橋さんは困ったように笑う。自慢のロマンスグレーの髪の毛が、光に照らされきらりと光った。
私が大学に入学して一人暮らしを始めてからというもの、一番難航したのはバイト探しだった。
多少なら、貯金と親の仕送りがあるので特に生活に困ることはないが、流石にずっとこの二つに頼り切って生活するのはリスクが高すぎる。いつ何が起こるかわからないこの世の中で、貯蓄以外に何か一つでも収入を得られる場所が必要なのだ。
人の目線がこの世で2番目に怖い私にとって、バイトというものは大変鬼門だ。本当はオンラインでできる仕事に就きたかったのだが、最近は闇バイトが横行するなんとも物騒な世の中になってしまい、無闇に手を出すのが怖い。仮にあったとしても、何かと対面したり、電話したりすることが前提のものが多く、早い段階で諦めがつく。だから必死に、人と接する機会が少ない、安全なバイト先を必死に探し続け、ようやくこの古本屋のアルバイトとして雇われたというわけだ。
店主の高橋は、本当に素敵な人だ。自分はたまたまこの店に立ち寄っただけなのに、カバンの中に入っていた求人誌を見て、「うちで働かないか」と聞いてくれたのだから。しかも、自分に合わせて対人系の接客業務は極力少なめにしてくれている。来たとしても、常連の穏やかな年配の方々か、優しそうな人ばかりだ。
時給はそこそこ、自分にとっては唯一無二の最高のアルバイトであると思っている。
だから、この店主さんの頼みならばできる限り大体聞くようにしているのだが、こればかりは地獄でしかなかった。
「ちょっと街を歩くだけなのに…
預かってた本の査定が出たから、査定表とお金を持っていくだけだよ。店主さんは穏やかな人だし、いつもお得意にしてくれる人だから大丈夫。それに、店主さんも乃々ちゃんに会いたいって言っていたからね。悪いようにはしないさ」
なぜ…。
「会いたい」その言葉を聞いて、余計に行きたくなさが募る。こんな自分に会いたがる酔狂なんて、おそらくろくなやつじゃないだろう。いや、それとも…。
「…な、なぜもりくぼなんかに…」
「そりゃあ、いつも人が来るたびに会計以外で顔出そうとしないからでしょ」
「うぐっ…」
……前から接客態度が悪いのは自覚していたけど、こうもすっぱり言われると、何も言い返せなくなる。
今度からは、もうすこしカウンターに座って本を読むとかしておこうかな…などと頭の中で反省を繰り返しながら、カウンターの上にぽつんと置かれた査定表とちょっと膨らんだ封筒を恐る恐る手に持った。
「わ、わかりましたよ…終わったらすぐ帰りますから…
…そのお店の名前、なんて言うんですか…」
「ああ、それはーーー」
神様は、もりくぼにいぢわるをしようと思っているのか…。
店主さんに教えられた住所と名前をもとに訪れたお店には、ものすごく見覚えのあるショーウィンドウがあった。
笑う人形の並ぶショーケース、一見するとシンプルにホラー映画かと思ってしまうものだが、昼間のおかげでそこまで恐怖を感じない。むしろ、夜ではまともに見えなかったドレスやヘアスタイルに込めた意匠まで感じ取れるぐらいに一つ一つが輝かしく見える。
なんだ、ただのお人形屋さんか…と、ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、ショーウィンドウの中に、あの夜に出会った白髪の人形はいなかったのを確認して、静かに肝か冷えていくのを感じた。
(え、ま、まさか本当に、呪いのにんぎょ…)
「お客様、お客様」
「ひええぇぇぇ!?!?」
急に真横から声がして、情けない悲鳴を上げながらその場に尻餅をつく。怯えながら声の主を見上げると、そこにいたのはすっきりした美形の青年だった。エプロンにこのお店と同じロゴが入っているのを見ると、どうやらこの店のスタッフのようだ。
人の良さそうな笑みを困ったように歪めて、私を助け起こそうと手を差し伸べていた。
「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが…うちの観用少女が気になっているものかと思いましたので」
観用少女ーーそうか、あの人形たちは、ビスクドールでもなく"観用少女"というのか。そして、この店が店主さんが言っていた…。
恐る恐る差し伸べられた手に向かって腕を伸ばすと、男の人は優しく掴んで助け起こしてくれた。
「あ、えと………くぼ、乃々です…」
「ん?くぼ…もりくぼ…ああ!あなた様が、高橋さんのお店にアルバイトとして雇われたっていう…お待ちしておりました。」
「あ、いえ、おかまいなく……えと、査定表とお金持ってきたので、お渡しを…」
「遠い中大変だったでしょう。お手暇をかけてしまったお詫びとして、よかったらお茶でも飲んでいってください、ささ」
「いや、お、おかま、おかまいな……あぁ〜〜……」
もりくぼの魂の叫びもむなしく、半ば強引にお店の中に押しやられる。
穏やかそうな見た目に反して強引さが目立つ男の人に連れられた店の中は、どこかフレグランスなお花の香りがした。あたりにはバラ、マーガレットと溢れんばかりに咲き乱れた花束と、その花々に負けず劣らずの華々しい衣装を見に纏う観用少女たちが、小さく造られた豪華な玉座にちょこんと鎮座していた。
「ハーブティーはいかが?それともアッサムの方が好みでしょうか?」
「いやほんと、お金を渡しにきただけなので、そんな丁重に…」
まずい、このままだと面倒臭いことになる。色々と中身のない話をされて、壺を買えとか脅されて、しかも法外な値段で身ぐるみを剥がされて…。
根拠のない不安がぐるぐると頭を駆け巡り、なんとかして話をさっさと切り上げて帰れないかと心の中の私たちが一人(?)論争会を始めたところで、背中に何かあたたかいものが抱きついてきた。
「ひゃっ、な、なんですか…おこさんですか…?」
なんとも人懐っこい子供だなあ、そんな安易な考えでそっと後ろを振り向く。
抱きついていたのは確かに子供だった。大体10歳ぐらいだろうか。しかし、その特徴的な白髪は見覚えがある。
桃色のレースが美しいドレスを見に纏う子供は、重そうなボンネットから顔を覗かせる。瞳はオブシディアンのように透き通った黒。丁寧に編まれた絹のような三つ編み、見るものを震わせる端正な顔立ち、何を考えているのかよくわからないが、だからこそ無意識に見つめてしまいたくなるような曖昧な表情。
ーーーーあの夜に見た、呪いの人形!!
思わず悲鳴をあげそうになったが、そのまえに後ろの人形に気づいた男の人が明るく声をかけてきた。
「やっぱり、あなただったのですね。我が自慢の観用少女がお気に召されたと言うお方は。」
「ど、どういうこと、ですか……?」
ずっと自分に抱き付かせているのもかわいそうだから、白髪の綺麗な少女を壊れないようにそっと抱えて、そばにある高そうな玉座に腰掛けさせようとした。けれど、少女はそれを察してなのか、頭をボンネットごとぐりぐりと私の胸元に押し当ててきて、顔で「座って」と訴えてくる。
男の人は、仕方なしに少女を抱えて私が椅子に座ったのを見計らい、腰を据えて私に向き直ると、一つ一つ紡ぐように語りかけてきた。
「……観用少女は、名人と呼ばれる職人が、己の生涯をかけて丹精込めて作り上げた至極のものしかおりません。
極上の少女たちは、買い手がつくこと以上に、極上に自分を愛してくれる者に愛でられ、その全てをかけて愛されることを望むのです。
そのため、いくら億を積まれようが、少女がその者に愛されることを望まぬ限りは、お渡しすることは叶いません。
しかし、あなたはその少女に気に入られました。あなたのものになりたいと願っているようです。」
「………それって、つまり、」
買えってこと、ですよね。
まさか、壺とかではなく、人形を買えときたか…。一周回って冷静になった私は、一呼吸おいてから恐る恐るずっと聞きたかったことを聞いてみた。
子供のようと言っても人形。しかも自分のより明らかに高そうなドレスを身に纏っている。しかも髪の毛もただのプラスチックのそれではなく、絹で造られた指通りの良いもの。そして何よりも、明らかに人工石とは違う鈍い輝きを放つ瞳の石。
「……いくら、なんですか。」
絞り出すように呟いたその質問に対し、男の人は、うーん、と考え込むようなポーズを取る。
「そうですね…観用少女単体でのお値段に加え、専用の観用少女用ミルクに、お菓子に、衣装に、メンテナンス代に…などを加味すると、このぐらいでしょうか。」
男の人はパチパチとそばに置かれていた電卓を鳴らし、こちらに見せてきた。………一瞬、目眩をしてしまった。
「……こんなのポンと払えるの、ドバイの石油王か有名Youtuberぐらいなんですけど…」
「分割払いも対応しておりますよ」
「そう言う問題では…」
「これでもかなり安く見積もった方なのですが…。この通り可憐ですが、すでに片割れを失っている状態で、なおかつかなりの訳ありですので。」
片割れ、という言葉に思わず首を傾ける私に、まるでとある物語の一節を語るように、男の人はこの摩訶不思議なお人形さんについて教えてくれた。
この少女は、元は2つで1つとされる、いわば「双子」の観用少女だったらしい。
いま私の膝の上で鎮座する少女が桃色のドレスが似合うのに対し、もう一人の少女はさらりと流れるような絹の髪と空色のドレスが似合う美しいお人形さんとのことだった。
しかし、この少女たちがお店で売られる前に、空色のドレスの片割れが、忽然と姿を消してしまったとのことだった。元々その双子を貰い受けようと目星をつけていた客人たちは、その知らせを聞いてなんとも残念がり、中には「片割れがいないならこちらの桃色の少女を安く手に入れることができないか」と失礼な交渉を持ちかけてきた人もいたらしい。
「その上、この少女はとても気難しく、美しい花よりもマンションの広告チラシというかなり変わったものを好む不思議な心をお持ちです。これまで何度もこの少女を億を積んでも買いたいとおっしゃるお客様はいらっしゃいましたが、残念ながら…」
男の人はため息をつきながら、手元の電卓をそっと机に置く。どうも男の人のため息の先がこちらではなく電卓に向けているということは、残念がる理由はそういうことなのだろうと、冷静になった頭で考える。
そっと視線を、さっきの白髪の少女に向ける。
少女は相変わらず、こちらを見据えたままだ。初めて目を合わせたときに見せてくれた微笑みは微塵ともせず、ずっと真顔だった。
しかし、その黒い瞳には、微笑み以上に吸い込まれる何かを感じてやまなかった。愛しい、確かにその感情が自分にあるのを密かに感じ取っている。これは果たして、自分が流されやすい性格故なのかどうかは、一旦置いておいて。
愛せるならこの子を愛してあげたい、自分の手元に置いておきたい。その気持ちは確かにあった。しかし、自分の中にある確かな道徳心と、後ろめたい汚い欲望が、あと一歩の気持ちを踏み潰していた。
「もりくぼには、この子を幸せにしてあげることはできません…。大学生だし、自分のことで精一杯だし…。もりくぼ以外にもきっと、大人でお金を持ってる素敵な人に買ってもらえた方が…」
「無理ですよ」
「やっぱりそうですよね……え!?」
予想外の回答に、思わず首を90度曲げて男の人の方に振り返る。どうして、さっき気に入られなくて売れなかったとか言ってたくせに。もしかしたら、自分以上に彼女を愛してくれるドバイ人かYoutuberがいるかもしれないのに。
「観用少女たちは、とてもわがままなのです。一度でも気に入ったお客様がいれば、それ以外のものを眼中に入れないものなのです。買われず、廃れ、朽ちる運命しか残っていないのです。
私があなたをここに呼んだのは、高橋さんのお店に新しく雇われたアルバイトと会ってみたいという理由もありますが、この件についてどうしてもお願いしたいと思ったからなのです。」
あまりにも切にお願いするものだから、さっきまで「うまいこと逃れてさっさと帰ろう」と思っていた自分の心に罪悪感が募る……いや、罪悪感の宛先はこの人ではない………自分を一心に見つめる、彼女に対してだ。
私があの時、ショーウィンドウ越しに見つめ返さなければよかったのだろうか。私と出会ってしまったせいで、不幸になってしまうのではないのだろうか。
私の安易なわがままのせいで、彼女はこのまま朽ちていってしまうのではないのだろうか。
いくらうちの店の常連とは言え、この男の人の話は、全てを信じたわけではない。だけど、せっかくこの世に生まれたであろう自分のたった一人の片割れと顔を合わせることがないまま、一人残されるこの少女のことを考えると、どうにも心が傷んでしまう。
(……お金の面ならあまり気にしてはいない……懐は痛いけど、払っても生活にはそんなに困らないぐらいのお金はある。だけど)
私は静かに、白髪の美しい観用少女に改めて向き直った。
オブシディアンの瞳は私をまっすぐに捉えている。その瞳の奥に、かすかに希望の光が差しているように見える。
「……もりくぼなんかについていっても、面白いことなんかありませんよ。
ろくに人と話しませんし、お金もないし、……嫌なことから逃げてばかりのダメくぼですし……間違えたくないのなら、今のうちですよ」
その桜色の唇は、微動だにしない。しかしその代わりに、白魚のように美しく小さな手のひらが、私の口の両端に触れ、目尻に向かってぐにんと伸ばしてきた。
皮が引き延ばされる感覚をひしひしと感じる。もしかして、笑わせようとしているのか。
次に私の首元に抱きついてきた。心許ない細腕で、ぎゅっと私の頭を包み込む。冷たいはずなのに、どこか暖かい。
(久しぶりに、誰かの腕に抱かれた。)
恐る恐る、自分の両腕を少女の背中に回す。それに呼応するように、少女も私の体に回す腕の力を強くした。そう感じた。
「そういえば一緒に住むには名前決めないと、ですよね…うーん…
マーガレット、アネモネ、アンナ、セシル…洋風はパッとしないのかな…
心愛、麗華、桃花……も、だめか………」
(…そういえば変わった者が好きとか言ってたなあ…うーん、いっそ、奇抜な名前…いや、あまり奇抜すぎるともりくぼが困ってしまう…そうだ!)
「これは、もりく…わたしの愛読してる詩集や本なんですけど…気に入る言葉があれば指さして教えてください。名前にするための候補にしますからね」
「…読んでる…いやでも、いいのかな…生きてるとは言え、最初から文字を覚えてるわけじゃない…」
「ん?何を見…………
ネギ……?」
パァッ!
「い、いやいや、いやいやいやいやいやきや
いやいやいやいやいや
ネギはないでしょうネギは!?もりくぼもしそんな名前つけてる親いたら児相に匿名で通報しそうなんですけど…!?
せ、せめて響きが似てるものにして……あ、
『凪』っていうのは、どうですか?」
「……!」
「……凪、凪……そういえば、この詩集に、凪について描かれたお気に入りの詩があるんです。
『凪はどこに連れて行く
いつもより早く目覚めてみた。
晴れた日の朝、海に沿って歩いてみる。
海風が気持ち良い朝だった。だけどどこか物足りない。
海風を離れて、凪を感じる。
ないはずの風を感じて、起きたての街を歩く。
焼けたパンの香りがする。
朝露がしたたる音がする。
子供たちの笑い声がする。
「おはよう」と笑い合う夫婦の声が聞こえる。
知らない誰かが落としたリボンがある。
どこかの子供が忘れたボールがある。
凪はどこに連れて行く。
きっと、今日とは違う、新しい世界を見せてくれると信じている。』
「……って感じです。
なんだか、あなたに良く似ていますね。
この家にきてから間もないのに、普段では知る由もなかったことを見つけて驚かせてくれます。
……だから、凪って名前はどうですか?……」
「………」
スクッ
ズンズンチャカチャカズンチャカズン🎵
「お、踊っている……
いや、踊ってるんですか?ふ、ふふ、あは、あはは!!
……気に入ってくれたみたいですね」
「……」
コクン。
「……じゃあ、あなたは今日から『凪』さんです。改めて、よろしくお願いします。凪さん」
「ついに、あの少女にも買い手がついたのか。長いようで短かったが、幸せになってほしいものだね。」
空になったティーカップを片付けながら、男は呟く。ふと、あの女性が置いていった封筒を見つけると、中身をみることなくそのまま懐に大事そうにしまった。
「見つけるのにも骨が折れたなあ。なんせ、手がかりは悲鳴のみ。観用少女は言葉を紡がず、ただ想い人が来るのを待ち続けることしかできないのだから」
ところで、この店の中には店主専用のテレビが置いてある。暇な時間はそのテレビを見ながら事務作業や少女たちのメンテナンスをすることが常なのだが、"その日"だけは違った。
『……何をしているんだい、そんなところで…』
白髪の三つ編みが特徴的な観用少女が、べったりとテレビに張り付いている。そして、その画面の中にいるだれかを食い入るように見つめていた。
せっかく綺麗なオブシディアンの瞳が劣化してしまう。少女を優しくテレビから離して抱えてテレビを消そうとしたところで、テレビの中から鈴のような歌声が聞こえた。
浅葱の透き通る美しい衣装を見に纏い、まるで人形のようにカールした淡い髪色をした、幼い少女。多くの光に照らされながら、彼女は高らかに歌を紡いでいた。
綺麗で、かわいらしい、観用少女と嘘をついても騙せてしまうぐらいの彼女を、たくさんの歓声と拍手が包む。そして、
『以上、奇才の歌姫、「森久保乃々」特集でした!』
快活そうなアナウンサーの声が画面内から響いてきた。
『そういえば、うちに新しいアルバイトを雇ったんだよ』
『うちは一人営業でもやってはいけるんだが、歳のせいで細かい作業をしづらくてね、事務作業が得意な子が欲しかったんだよ』
『あまり人慣れしていない子だったんだが、仕事を誠実にこなしてくれるし、とても優しい子だよ』
『森久保乃々さんというんだ。引っ込み思案だが、頭も回り、賢く優しい子だ。よろしくしてやってほしい』
頭の中に、この間茶を共に囲んだ、古本屋店主の高橋さんの言葉がリフレインする。
ずっと放置していた、整理途中の古本を片付け始める。あらかたまとめると、スマホを開いて宅配業者に集配依頼を頼む。そして電話帳から「高橋書店」の文字を探すと、それをタップしてコール音を鳴らした。