【未完/パラレル】吸血鬼ネクくんと人間ヨシュア天才作曲家、桐生義弥というメディアの文字に、義弥は頭を抱えていた。
作曲自体は趣味で15歳にしては既に多くの楽曲を作り上げ、自分の産まれ育った街をイメージした組曲「SHIBUYA」は話題になり一大ヒットまで上り詰め、ついたあだ名は渋谷のコンポーザー。学業と平行しながら、それからも多くのアーティストに楽曲を提供する日々が続きテレビで取り上げられるのもそれなりによくある事だった。
その経歴に、今、義弥は悩んでいる。
夏休みに入った事もあり、義弥は作曲の仕事をいくつか請け負ったが、どの仕事も全く進んでいない。気分転換にとピアノを弾いてみたが、進まない仕事や天才作曲家への期待という重圧の事を考えてしまうと、こちらも思うようには弾けなくなっていた。
どうしよう、義弥は尚悩み続ける。
両親は音楽関係の仕事で海外を飛び回っており家には居なく、作曲の仕事で忙しく人付き合いの苦手な義弥には友達も居なく、相談出来る人間が周囲には居ない――昔は一人友達とも呼べる存在は居たのだが、その人物はもう彼の傍には居ない。
大きくため息を吐くと義弥は空腹を感じ、時計を確認すると夜中の0時を過ぎていた。どれくらいスランプに悩んでいたのだろうか。……あまりの時間を費やした事実を思い知らされたくなかったので、義弥は考え無いことにした。
今から料理をする気にはなれないし、お気に入りのラーメン屋は今の時間は開いていない。買い置きしてあったカップラーメンの塩味でも食べようと探してみたが、切らしていた事を思い出す。
「仕方がないね」
コンビニで塩味のカップラーメンを3つ購入し、袋をぶら下げながら少しだけ宇田川町路地裏の方まで足を延ばす。義弥は、ここに描かれたグラフィティが好きだった。
今を楽しめのメッセージ性の強さと合わせて心躍るのだ。
そうだ。スランプ気味の今の自分にとって、そういった感性のものに触れるのは良いかもしれない。
今を楽しむという心を忘れていたと義弥は思う。その心から沢山イマジネーションを得て作曲を育んできたと言うのに。
久しぶりに浮きだった感情を乗せてグラフィティ前にある階段を一段一段登って行く。
あと数段というところで、義弥は違和感に気付いた。
誰かがグラフィティの前に、仰向けになって倒れている。
死んでいるのだろうか。
橙の髪を逆立て、尖った耳にダークブルーの衣装が印象的な、自分と同い年くらいの彼。
「大丈夫ですか?」
義弥が声をかけると、彼は指先を小さく動かし、弱った、朧気な目で義弥を見つめた。
「追われて、」
か細い声で彼はそれだけ言うと、再び意識を落とす。
コレだけで訳ありであろうことは容易に見当がついた。
警察や救急車に連絡をするのか――それとも。
自分と同じ背丈の人間を運んだのだ。汗だくにならないわけがない。この時ばかりは路地裏からまあまあ近い家で良かったと義弥は思う。
謎の少年を家に連れ込み玄関先に常に用意してあった除菌スプレーを彼に振り付ける。コンクリートの上に寝ていたのだ。家の中に入れるなら少しでもキレイにしておきたいのが心情だ。
自室に連れて行くとそのままベッドに寝かせ自分はシャワーを浴びに向かう。前述の通り汗だくだ。ベタついて纏わりついた布が気色悪い。
シャワーから戻っても、まだ彼は寝たままだった。名前も知らない彼の寝息に不思議と安堵する。愛おしい気持ちが込み上げてくる。
カップラーメンを買いに行くだけの用事ではあったが、今を全力で楽しむ初心を思い出し、見知らぬ少年を拾うという非日常を体験し、今なら少しはスランプも晴れたのでは無いかという気もしてくる。まだまだ目を覚まさなそうな彼をそのまま放置すると、義弥は向かいの部屋――ピアノルームへと向かった。
試しに即興で弾いてみるも、やはりまだ何かが足りない。求める旋律が降りてこない。
気を取り直し、以前作曲した楽曲を片っ端から弾いていきピアノ自体が今まで通り弾けるのか確認をしていく。大丈夫だ、指は動く。けれども脳内に後一歩の所まで、近くにいる新しい旋律は、まるでノイズが掛かったかのように不鮮明で手元に届かない。
「こんなんじゃ駄目だ」
勢い良く手を叩きつけた鍵盤は、大きく、そして聞くに耐え難い音がした。
「どうかしたのかっ!?」
慌てた声の主がこの部屋に入ってきたのは、その一瞬後だった。
彼が目を覚ますと、そこは見慣れぬ寝室だった。英書も含んだ書籍が並ぶ本棚に、整えられた机。明るい照明と、まるで家具通販にあるサンプルのようにまとまってキレイな部屋だった。
「オレは、どうして……」
起きる前までの記憶を辿ろうと、彼は額に手の甲を当て考える。けれどもソレは、一瞬にして終わった。
耳に、心地の良いピアノの音色が届いたからだ。
この部屋には、ピアノも演奏している人間は居ないし、音もこの部屋の外から聞こえる。
もう少し近くで聞きたい聴きたい。
彼はまるで導かれるかのように、歩き出す。
部屋のドアを開け、廊下の向こう側のドアの向こう側から、曲が流れているのだと彼は判別した。
流れるような旋律に、滑らかな音幅。曲も弾き手も綺麗だと、純粋に思う。
そういえば、この曲に聞き覚えがある。あれは、少し前に流行した……。
「こんなんじゃ駄目だ」
そこまで考えた所で、知らぬ声と鍵盤を叩きつけたような大きな激しい音が、彼の鼓膜を傷つける。
耳が良すぎた事と予期していなかった事が重なり、耳に起きたより大きなダメージに一瞬頭を抱えフラつく彼だが、すぐに体勢を立て直すと何があったのかと慌てて部屋の中へと入った。
「どうかしたのかっ!?」
立ち上がり、ピアノを一心に見つめていた義弥が、彼の方へと顔を向ける。
まるで刹那的で、それでいて長い時間経ったかのような、不思議な感覚を互いは覚えた。
これが、この世界で2人が始めて瞳を交わした瞬間だった。
「目、覚めたんだ」
最初に言葉を向けたのは義弥。
そこでようやく彼は、ここに連れて来たのが今目の前にいる少年だと察した。
「僕は桐生義弥。パパとママは僕の事を……いや、この話は良いかな。義弥で良いよ」
彼は桐生義弥という名前に驚き目を見開くが、義弥は特に気にも止めなかった。作曲家として中々有名な名前なため、そういうリアクションも稀にあるのだ――最も、彼にとっては違う意味での驚きなのだが。そうだ、別の世界の自分から流れこんだイマジネーションを辿ると、こういう顔だったかもしれない。
「オレは桜庭音操。助けてくれてありがとう。本当に助かった」
これ以上長居しても迷惑をかけるだろう。彼……音操はそう思うと左手に見えた玄関口へ足を運ぼうとする。
「ちょっと待ってよ」
義弥のかけた声に、音操は足を止めた。
何事かと義弥を見ると、顎に人差し指を添えて何やら考えているような彼の顔。
「これから夜食でもしようかと思うけど、君もどう?」
小さくお腹が鳴る音が、耳の良い音操までに届いた。
カップ麺の容器に、お湯を注ぐ音が静かな夜に響く。
音操としては早々にこの場を去っても良かったのだが、何せ相手はあの、桐生義弥である。平行世界……パラレルワールドの存在を知っていて、イマジネーションを通して少し見たことある音操としては、自分とは何かと縁がある相手なのを知っていた。時には呆気なく隣に立ったり、時には飄々と何処かへ行ってしまう相手なのだ。
例え今の自分自身には全く関係のない彼でも、呼び止められたのなら従ってしまう。離れがたい気持ちが強まる。
「きみ、どうしてあんな所に倒れてたの?」
テーブルの向かいの席に座り、義弥は、閉めた蓋の上に箸を置いたカップ麺を音操の前に差し出す。
それを受け取りながら、音操はどう説明すれば良いのか考えあぐね居ていた。音操の正体は、人間社会に、簡単に受け入れられるようなものではないからである。
せめて目の前の彼がUGのコンポーザーならば、話は違ったのかもしれないが。音操の目には、前に座る彼は普通の人間にしか見えないし、きっとそうなのだろう。
「まあ事情があるのは分かったよ。しばらく家で休んでて良いよ」
「は?」
キッチンタイマーから音が響く。三分経った合図だ。
目の前の彼は蓋を開けると、待ってましたとばかりに麺をすすり、幸せと笑みを見せる――至福のひととき……まるでそう言いたそうな顔だった。
「ここのカップ麺はカップ麺とはいえ良い仕事してるんだよねえ」
笑顔に微笑ましい気持ちになった音操は、つられるようにラーメンをすする。普通だな、と思った事は言葉にしないことにした。
黙々と食べ終え、スープまで一通り飲み込んでから、音操は先程義弥が言っていた言葉を思い出す。
「事情も話せない訳ありをしばらく家に置いといて良いとはお前、変わってるな」
「そうだね。普通そんな事しないよね。でもどうしても音操くんが放っておけなくて……不思議だね」
あんなに接点がある関係性な世界が存在しているのだ、ネクがヨシュアを何だかんだ友達だと称す世界が存在しているのだ。もしヨシュアもネクを似たような気持ちで想っているのなら、全然不思議でも無いのだろうな、自分と同じ顔だが自分とは違う彼を考えながら音操は思う。
落ち着き、安心すると、今度は音操がそういえばと思い出す。澄んだ音色のピアノが、大きなノイズに変わった瞬間。
「ピアノ……」
呟きを拾った義弥が、苦笑する。
少しだけ言うか言うまいかを考えて、義弥は自分の現状をはっきりと言葉にした。
「スランプ、何だよねえ」
*******
このあとなんやかんやあって、スランプ脱出、吸血鬼バレ&ネクが倒れてた理由の説明(ネクが力の強い先祖返り吸血鬼で、混血とはいえ吸血鬼の王になれる血が混じってて、王の座を狙ってる他の吸血鬼にこれ以上力をつける前にと命を狙われてる系)を経て一緒に暮らすようになるっていうお話で終わる予定でした。
続き書きたいけど期待はしないほうが良い。