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    misora0111

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    misora0111

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    燐ひめWebオンリー展示小説です。

    『HiMERUが燐音に告白するだけの話』
    推しCPが告白して付き合うだけの話を100万回見たい。書きたい所だけ書いてます。

    ##燐ひめ

    「あなたの事が好きなのですが、お付き合いをして頂けませんか」
    「…………はっ?」
     それはあまりにも唐突だった。
     誰もが寝静まった夜更け。酒が飲みたい気分でつまみを調達するために共有ルームまで降りるとHiMERUがひとりテーブルの上にファンレターや便箋を広げていて、燐音は適当に冷蔵庫からつまみになりそうなものを頂いてHiMERUの隣に腰掛けて、何故隣に来るんだと言いたげな胡乱な視線を無視して晩酌を楽しんでいた。
     HiMERUもすぐに無視を決め込んでファンレターの返事を書くのに集中していたはず、そんな何でもない日常のひとときに何の脈絡もなく受けた告白だった。
    「いまなんつった、メルメル」
    「あなたの事が好きです、お付き合いをして下さい」
    「あーあー、俺っちが酔って聞き間違えた訳でも幻聴を聞いた訳でもねェんだな。熱でもあんのかおめェ」
    「HiMERUは体調管理も完璧なので風邪などひかないのですよ」
     HiMERUは全くこちらを見ずに便箋に筆を走らせ続けている、まるで明日のスケジュールでも確認しているかのような態度でとても愛の告白をしたばかりの様子には見えない。それとも田舎者の自分には分からない、都会ならではの何らかの意図を持った合図のような言葉だったのだろうか。
    「いま馬鹿な事を考えているでしょう、『俺』は間違いなくあなたの恋人になりたいと要求していますよ」
     我ながら無理があり過ぎると自覚しながら、自分の中で納得出来る答えを模索するが心を読まれたかのように瞬時に否定される。
    「ああうん、そうかよ……『俺』とか言っちゃっていい訳? 『HiMERU』としての言葉ではないんだな?」
    「『HiMERU』とあなたのような男との交際など認める訳ないでしょう、殺しますよ」
    「えっ、俺っちいま告られたンだよな? おめェ俺っちの事好きなんだよな?」
     酒のせいもあってかいつもはよく回る頭でも全く理解が追い付かず混乱していると、HiMERU──『彼』はようやく筆を止めて燐音の方を見た。
    「好きだよ、俺のものになって欲しい」
     いつもの穏やかな言葉遣いや雰囲気は消え失せて、『彼』は落ちていた横髪を耳に掛けてずいと不敵な笑みを近付けて来たかと思えば、その距離はゼロ距離になった。



    * * *



    「ファーストキスだったのによォ〜……そういうのは結婚するまでしちゃ駄目っしょ」
    「あんたほんと女百人斬りしてますみたいな顔して存在が詐欺っすよね」
    「ンだとこらニキこの野郎」
    「んぎゃあああ! ギブギブギブ!!」
     生意気なニキはヘッドロックで黙らせておいて、燐音は食堂のテーブルに突っ伏して頭を抱えた。
     あの後HiMERU……『彼』は何故か満足したように笑って、「返事はゆっくりで結構です、おやすみなさい」と広げていた手紙達を片付けて共有ルームから出て行ってしまった。
     何もかもが訳が分からない、自分で言うのも何だがどちらかと言えば尊敬より軽蔑の対象として見られていると思っていたし、彼の恋愛対象になる心当たりがまるでない。そのような素振りは微塵もなかったし、気まぐれにからかわれたのではないか、と思う方がずっと納得出来る。
    「HiMERUくんなら有り得るかもしれないっすね〜、暇潰しとか。何だかんだ燐音くんに甘えてるんじゃないすか?」
     いつの間にか復活していたニキは燐音の注文していたモーニングセットを運んで来て、邪魔だとばかりに突っ伏していた頭を軽く小突かれて顔を上げるとその位置にトーストや茹で卵、サラダが乗ったプレートを置かれた。
    「どんな甘え方だよ、突拍子もなさ過ぎるっしょ」
    「まぁそうなんすけどね、じゃあ何か恨まれるような事でもしたんじゃないっすか」
    「それこそ心当たりありすぎて分かんねェわ」
     だとしても人のファーストキスを奪われるほどの大罪を犯したつもりはないのだが。そう思うのは貞操観念が時代錯誤だからだろうか。
     悩んでいても腹は空くので燐音はトーストにジャムを塗って齧り付く。焼きたてのパンと、バターといちごジャムの甘じょっぱさが程良く味覚を喜ばせてくれて多少は気が紛れてくる。他に客もおらず退屈なのか、近くに立ってその様子を眺めるだけのニキをふと見上げた。
    「……ニキの初恋っていつ?」
    「うわっ、燐音くんからそういう事を聞かれる日が来るとは……え〜、小学生の頃、給食を美味しそうに食べてた子が可愛いな〜って思った事くらいはあるっすよ」
    「それはその子にときめいてたンじゃなくて美味そうに食われていく給食が美味そうに見えたンじゃねェの」
    「なはは、今思えばそうかもしんないっすね?」
     そんな事だろうと思ったが、全く役に立たない情報だ。人の事は言えないがニキも色恋には無縁だろう、食べる事に忙しくてそんな暇はないだろうし。
     何故唐突にそのような事を聞いたかというと、燐音にはあまりにも『恋愛』に疎過ぎるからだ。かといって恋とはなんだろう、などという問い掛けは流石に拗らせているだろうと思い口に出来なかった。
     普段からニキと結婚する、と宣言していてもそれは恋愛感情に寄るものではないし、色恋の類は完全に専門外だ。しかし此処は都会、分からない事は大体スマホが教えてくれるので検索エンジンに聞いてみたら『恋とは特定の相手の価値を高く感じて、精神や肉体的に接触したいと願う心理を指す』と書かれていた。それだけが答えだと鵜呑みにするわけではないが、少なくとも自分の中からは芽生えた事のない心理だなと思った。
     だが、全てが当てはまる訳ではなくともそれに類似した感情を『彼』は燐音に抱いたという事だ。しかし一晩どれだけ考えても、惚れた腫れたの対象として見られる理由が全く思い当たらない。まぁ恋は理屈ではないと聞くしそこは考えても仕方ないのだろうか。
    「あ、お客さんだ。ちょっと行って来るっすね」
    「おう」
     ニキはそう言って、来客の対応のために燐音から離れていく。かと思えばすぐに何故か慌てた様子で戻って来た。
    「り、燐音くん」
    「あ? どうした」
    「優雅にモーニングですか、似合いませんね。椎名、HiMERUにも同じものを」
    「は、はいっす」
     ニキの後ろからHiMERUの姿が現れて、呆然としている間にHiMERUは燐音の向かいの席に許可もなく腰掛けた。いやいや、何のこのこと席に案内してくれちゃってんだ、とニキを睨もうとするが彼は注文を受けて逃げるように厨房へ消えていった。
    「椎名に何か余計な事を言いましたか」
    「……余計な事ではねェよ」
     こちとら唇を奪われたショックもあって一晩悩み倒したのだから、一番身近な奴にぶちまけるくらい許して欲しい。その為に朝イチから食堂に駆け込んだのだ。そう思ったが特に気を悪くした訳ではないようでHiMERUはどこか機嫌が良さそうに笑っていた。
    「あなたが恋愛相談をするとは、柄でもありませんね」
    「おめェが言うのかよ、おめェが悩みの種なんだっつーの」
    「……ふふ、そうですか」
    「なァに笑ってンだ、そんなに柄にもなく悩んでる俺っちが面白いか?」
     やはり昨夜の出来事はからかわれただけだったのか。そうであればもう頭を抱える必要はない、ファーストキスを奪われた事はしばらく根に持つかもしれないがそれで話は終わる。そう期待したがHiMERUは、目の前の男は笑みを崩さずに口を開いた。
    「嬉しいのですよ、惚れた男の頭の中を自分の事で埋め尽くせた事が」
    「…………」
     絶句、そして確信。
    「……本気ィ?」
    「冗談だと思っていたでしょう」
    「思ってたよ、さっきまで」
    「お待たせしました〜っ」
     このタイミングでHiMERUが注文したモーニングを運びに来たニキを睨むと「ひえっ」と間抜けな声が上がった。



    * * *



    「──多分、おまえの事が好きなんだけど、ちょっと考えてみてくれないか……」
     雑誌の撮影中。燐音は機材調整待ちの間にその辺の椅子に腰掛けて、現場に持ち込んだ台本を広げて適当に台詞を読み上げてみた。多分ってなんだ、多分って。そんな曖昧で良いものなのか。心の中でついそんなツッコミを入れてしまう。
     先日、冗談でもからかってもいない、あの告白は本気だと確信を得た所で。なんの因果か恋愛ドラマの準主役級の役に抜擢された。
     主人公の恋の当て馬のような役だが、原作によると恋に敗れるシーンは涙無しでは見れないという。
     惚れた女の心を手に入れる事が出来ず、他の男の元へ行ってしまう悔しさや虚しさ、けれどどうか幸せであって欲しいと願う健気な想い。どれをとっても燐音には縁がなく、理解不能とまでは言わないが想像する他なかった。しかし小器用である自覚はあるので演技はそれなりにこなせる自信はある、別に経験のあるなしはそれほど演技に影響しないだろう。殺人犯の役を与えられた俳優だって実際に人を殺した事があるわけではないのだから。
     そんな事を考えていると、ふっと台本に影が差した。
    「随分とこっ恥ずかしい独り言ですね」
    「……独り言じゃねェよ、台詞」
     いつの間にかHiMERUが背後に立っていて、あらぬ誤解にすぐに訂正する。しかし確かにメンバーやスタッフが集まっている場所で読み上げる台詞ではないなと思う。
    「少女漫画が原作なのですよね」
    「そう、なんだってそんな役が俺っちに回ってくんだか」
    「当て馬顔なんじゃないですか?」
    「どんな顔だよ」
     あの告白から、やたらとHiMERUから絡んで来る事が多くなった気がする。とはいえあからさまなアプローチをして来る訳でもなく、当然ほとんどが仕事やレッスンの合間によるものなので少し雑談を交わす程度だが。彼なりに燐音に近付きたいという心の表れであるなら、案外可愛い一面があるものだと思わなくもない。
     そんな何でもない雑談の中で、ふとHiMERUの顔を見上げてみてひとつの好奇心が湧いた。
    「おめェの初恋っていつよ」
    「……今、目の前に」
     誰にも聞かれないように周囲の様子を窺ってから小声で予想外の事実を返されて、嘘だろ、と思わず声に出そうになった。ニキにも投げ掛けた質問を軽い気持ちで聞いてみたが薮蛇だった。
    「そういうあなたはどうなのです?」
    「ねェよ、まだ」
    「それはそれは、だから台本とにらめっこをして難しい顔をしていたのですか? ただでさえプライベートでも色恋沙汰に頭を悩ませているというのに、難儀な事ですね」
     まるで他人事のように言う。確かに特に急かされていないのを良い事に、まだ返事は保留にしたままだ。お付き合いをして頂けませんか、と要求を受けたのだからなあなあにせずいつか返事をすべきなのは理解しているが、そのためには燐音はあまりにも『恋』を知らな過ぎる。
     恋とか分からないから断る、では単なる思考放棄でしかないので、断るにしろ受け入れるにしろそれなりの理由が必要ではないかと思うのだ。ニキにも『下手な返事をしたらユニット存続の危機っすよ』などと脅されたし。まさかHiMERUがプライベートの事でアイドル活動に支障をきたす真似をするとは思っていないが、今回の件は完全に専門外の出来事なので下手を打てないのは事実だ。何がどう転がるか分かったものではない。
    「難しく考え過ぎずに、どうです? 試しに一ヶ月だけ付き合ってみませんか、役作りの参考にもなるかもしれませんよ」
     当の本人はまるで一ヶ月この商品を試してみませんかというような気軽なノリで提案してくる。珍しく真面目に悩んでいるこっちが馬鹿馬鹿しくなってくる。
    「……情報が偏りそうだからやめとくわ、っつかおめェはそれで良いのかよ」
    「返事に迷って面倒になられても困りますから、試してみれば手っ取り早いでしょう」
     この台本の台詞といい、恋というものはそんなに手軽なものなのか。多分だとかお試しだとか、ますますよく分からなくなってくる。もっと特別で尊い感情だと思っていた、それこそ偏った知識だろうか。
     再び台本に視線を落とす。さきほど呟いた台詞のあとには「どうして私なの?」というヒロインの台詞が続いていた。
    「なんで俺っちなんだよ」
    「……こっちが聞きたいですよ」
     ヒロインよろしく問い掛けてみたら、何か気に障ったのかHiMERUはそう言って離れていってしまった。寄って来たかと思えば、構えば離れていく猫のようだ。しかし、燐音に向けるその恋情は本人も納得しているとは言い難いようだった。
    「……なーんだそれ、どいつもこいつも」
     多分、などと宣って曖昧に告白する心理、明確な理由もないのに好きだと言い切れる心理、形にする手段のない感情。それを恋と呼ぶのなら、とても息苦しいものではないだろうか。──ああ、だから言葉にして息をしているのか。なんで自分なのか理由が知りたいなんて、きっと傲慢なんだろう。



    「好きになる事に理由なんていらないね、これまで生きてきた中で培って来た自分の価値観が『好き』だと感じた事を否定しても意味はないし、心に従うべきだと思うね。それが良い日和!」
     寮部屋でそれとなく、連ドラの役作りを兼ねて恋とは何たるやについて話題に出してみれば日和大先生のお言葉はそれはもうありがたいものだった。なるほど、しかしその理屈で言えば燐音との交際を申し込んだ彼は相当趣味が悪いなと自分の事ながら思う。
    「『すき』があるのは、すてきなことですね〜」
     屈託のない奏汰の言葉はシンプルでいて、真理だ。ベッドのヘッドボードに背中をもたれさせながら既に何度か読み込んだ台本に改めて目を通して、「私よりもっと良い人がいるよ」というどこでも見掛けるような、ヒロインの断り文句に対する自身の役の理解が少し深まった気がした。残酷な言葉だな、と思ったから。惚れた相手の言葉であっても他人が他人の『好き』を否定する権利などない、それは恋愛に限った話ではないだろうし理解しやすい。
    「なぁに、好きな人でも出来た?」
    「なんで? ドラマの話っしょ」
    「それだけじゃないよね?」
     珍しく踏み込んでくる事に違和感を覚えて顔を上げると、日和のキラッキラと輝いた瞳と目が合った。遠回しとはいえ話題を振ってみた相手を間違えたかもしれないと今更後悔する。
    「いやマジで、そういうんじゃなくて」
    「じゃあ『こくはく』でもされました〜?」
    「…………」
     咄嗟に否定出来ず肯定したも同然だと気付いた時にはもう遅く、二人は燐音のベッドに乗り上がってまでずいと迫って来る。
    「だれだれっ、どんな人? ぼくの知ってる人?」
    「ぼくもきになります〜」
    「違ぇ〜〜よ、役作りの話だっつぅの!」
    「いいや、ぼくには分かるね! 愛の伝道師、巴日和の目は誤魔化せないからね?」
     訳が分からない。愛とは何たるやを語らせるなら日和の右に出る者はなかなか居ないだろう、それは否定しないが今の彼の目には興味、好奇心、とありありと書かれている。なんだこの状況は、修学旅行の夜もしくは女子会か。どちらも参加した事はないのでイメージだが。
     この同室メンバーでまさか『恋バナ』をする日が来るとは夢にも思わなかった、あの出来事がなければ一生する事はなかっただろう。
    「で、どうするの? アイドルに恋愛はご法度! なんて無粋な事は言わないね。寧ろせっかく芽生えた愛を見ないふりして閉じ込めてしまうなんて、愚の骨頂だとぼくは思うね。勿論ファンの子達を悲しませない事が大前提だけどね!」
    「今に始まった事じゃねェけどめちゃくちゃ喋るなァ」
    「それで、どうするんですか〜?」
    「どうするったって……」
     つい口籠ってしまい、目の前の二人の目がいっそう輝く。期待するな面白がるな、と思うが自分が二人の立場なら同じ反応をしただろうなと思う。寧ろ真剣に受け取られる方が気恥ずかしいだろう。
    「……俺っち明日ライブだから。お休みィ!」
     逃げるように布団を頭まで被ってしまうと、ベッドに掛かった二人分の重みが引いていくのを感じる。
    「ふふ、照れなくても良いのにね。お休み」
    「おやすみなさい〜」
     そんな声が聞こえて来て、自分が照れている自覚もなかった事に気付いた。胸の奥が擽ったくて、それは決して不快なものではなくて、何処か心地良いような気もするこの感覚は自分には甘過ぎる。



    * * *



    『カノジョがいるわけないでしょう、HiMERUは古いタイプのアイドルなのです』
     そう言ったのはいつだったか、つい最近の事のようにも思えるし、ずっと昔の事のようにも思える。『Crazy:B』が結成されてから一年が過ぎた、『一年』とは長いようで短い、歳を重ねる程にそれは短く感じられるようになるというが確かに半端な時間感覚で一周した季節に思いを巡らせている。
     何故唐突にそのような台詞を思い出したのかは、己の中では明確に理由がある。
     『HiMERU』はどうかは知らないが、『十条要』に色恋の類の経験は皆無だった。これまでの人生の中で、特別で愛おしい、世界と引き換えにしても惜しくないと思えるほどに他人に心を寄せたのは『HiMERU』ただひとりだ。けれどそれは世間一般に謂れるような色恋とは別のものだと言える。『俺』は彼に愛されたいだとか、独り占めしたいだとか思うわけではないから。そんな事よりも彼にはアイドルとして大勢の人間に愛され、幸福であって欲しいと望んでいる。
     それは未来永劫変わる事のない、不変の思いであり願いだ。そして『俺』はそのために生きている。愛した人が愛されるためだけに。そしてアイドルに恋愛は不要、ご法度だ。
     ──それなのに初めて他人に対して『欲しい』と思ってしまったら、どうなる?
     恋は落ちるもの、唐突にやって来るもの。これまで読んで来た、観てきた物語で知識としてあったけれど、自分の身に降り掛かるとは微塵も想定していなかった。
    「メルメルほっせェから潰れちまうンじゃねェの」
    「あなたと背丈はそれほど変わりませんが?」
     燐音とHiMERUの二人に与えられた仕事のロケ先で、名物であるという甘味を土産に買って来て欲しいとニキとこはくに頼まれ、それを手に入れるために満員電車に揺られる羽目になったのだが最早慣れた燐音との応酬の中でそれは起きた。
     二人は扉の前で吊革に掴まる余裕もなく、どうにかバランスを保って立っていたが、不意に足元を崩しHiMERUに向かってサラリーマンらしき男の背が傾いて来た。HiMERUは咄嗟にその肩を押し返そうと手を伸ばしたが、その手の平は男の肩でなく──
    「おっと、危ねェ」
     いつの間にか目の前に燐音が立っていて、所謂『壁ドン』の体勢でHiMERUを庇い、ついでに空いた片手で男の肩を押し返してバランスを戻してやっていた。己の身を守る為に伸ばしたHiMERUの手の平は燐音の胸元に付いてしまい、先程言ったように背丈はそれほど変わらないので顔が物凄く近い。もう一度電車が大きく揺れたら事故りそうだ、色んな意味で。
     ただ、それだけの事だった。それなのにHiMERUの胸の奥まで電車の如く揺れた。近い、燐音の息遣いが伝わる、その体勢のまま「大丈夫か?」なんて聞いてくる。がたんごとんと耳障りな音より燐音の声が何故かやたらと鼓膜で拾ってしまうし、それと同じくらい自分の鼓動が騒がしい。自分の身に何が起きているのか分からない。顔が熱い。
    「メルメル? 酔った?」
    「……大丈夫、です」
     明らかに様子がおかしいのを自分で自覚していて、無駄に勘の良い燐音は不思議そうに首を傾げるが、そこで電車は停まり目的地に到着したのでどうにか有耶無耶に出来た。
     しかし異変は続いた。『Crazy:B』で仕事をしていても自然と燐音を目で追ってしまうし、『メルメル』とふざけたあだ名で呼ばれる度に胸は高鳴るし、肩に腕を置かれて絡まれる度に顔が熱くなる。極め付けには、燐音がニキに絡む度に胸に酷い不快感が襲うようになった。締め付けられような痛み、どす黒く重たいもの、この正体は恐らく『嫉妬』と呼ばれるもので。
     HiMERUは推理が得意だ、理解出来ないはずもない。これは──恋だ。
    「認められるか……!」
     同室の二人組は仕事で不在である寮部屋で、HiMERUはひとり壁に頭を打ち付けた。当然『HiMERU』の体に傷を作るわけにはいかないので軽くだが。
     理解はしたが、受け入れられるかは別だ。アイドルに恋は不要、しかもよりによって相手は天城燐音、意味が分からない。しかも何故あのような些細な出来事がきっかけで恋が芽生えてしまうのか。『HiMERU』はあのような男に恋などしない、してたまるか。だが『俺』はどうだろう。
     天城燐音に恋をした、そう理解した日からまるで自分の心が別物に変貌してしまったように思えた。どう足掻いても心は『あの男が好きだ』と言っているのだ。そんなはずはないしそうあってはならないとどれほど言い聞かせても、心は言う事を聞かなかった。制御出来ず、暴れ狂うばかりだ。彼が欲しい、あの男の心に入り込んでみたい、手に入れたい──と。それは『HiMERU』を想う心とも当然全く違っていた。
     心を制御出来ないなら、仕方がない。あとはこれからこの感情とどう付き合っていくかだろう、芽生えたものを否定し拒んだどころでどうにもならない事はこの数日で理解した。
     この恋を成就させたいと思うか否か、まずそこだろうという思考に至ったところで嵐が帰宅したので、HiMERUは共有ルームへ移動し思考整理を続ける事にした。
     そこで再び思考を巡らせながらファンレターの返事を書いていたら、幸か不幸か燐音が現れた。酒とつまみを持って来て、他にも席はあるのにわざわざ隣に座って来て、特に作業の邪魔をするわけでもなく晩酌を楽しみながら見守られている。人の気も知らないで。今どれほど燐音に意識していて騒がしいほどに鼓動を高鳴らせているか、こいつは想像もしていないんだろう。
     呑気に酒を飲んでいる燐音にだんだん腹が立ってきた。今この胸の内を明かしたらこいつはどんな顔をするだろう、何を思うだろう。流石のこの男もきっと呆気に取られて、愉快な表情を見せてくれる事だろう。
     そう思ったらむくむくと好奇心が湧いて、まだこの感情を受け止め切れていない事とか振られるかもしれないとかそういう事は全部頭から抜けて、気付けば口を開いていた。
    「あなたの事が好きなのですが、お付き合いをして頂けませんか」
    「…………はっ?」
     振り向くタイミングを失って表情を見逃した、勿体ない。だけど素っ頓狂な声が面白かった、あまり彼から聞いた事のない間抜けな声だ。それだけでも優越感を覚えてしまう。いま、きっと彼の頭の中は自分の発した言葉で埋め尽くされているに違いない。それはたまらない快感だった。
     その日の夜は当然眠れたものではなく、唇の乾いた感触を何度も思い出してベッドの中で悶える羽目になった。けれど、それがもし燐音も同じであれば嬉しいと思う。
     それから特になんの進展もないまま、なんの因果か燐音に恋愛ドラマの準主役級の仕事が舞い込んだと聞いた。待ち時間の合間に燐音がそのドラマの台本らしきものを開いていて、興味本位で覗き込んでみれば一生燐音の口からは出て来る事のなさそうな台詞を呟いているものだから噴き出しそうになったが、『HiMERU』は人前でそんな風に笑ったりはしないので堪えた。
     ──なんで俺っちなんだ。そう問われて、答える事が出来なかった。それは自分で自分に何度も問い掛けた事だったから。今も分からないけれど、心が動いたものはどうしようも出来なかった。明確な理由がなければ好きになってはいけないのだろうか、いや、本当に理由などないのだろうか?
     自覚した切っ掛けは些細な事だったかもしれないが、時間が経てば経つほど、彼と過ごして来た時間を思い返すほどに彼を好きだと思う事は必然だったように思えて来てしまうのだ。なんて都合が良いんだと自分でも呆れる。
    「おーし、どうよおめェら、昨日はよく眠れたか? 飯はきちんと食ったかァ!?」
    「もちろんっすよ! もぐもぐ!」
    「椎名は現在進行形ですね……」
    「はぁ、本番五分前やっちゅうのに気ぃ抜けるわ、わしは緊張か楽しみで興奮し過ぎたんかあんまり眠れへんかった」
    「大丈夫大丈夫無問題! ステージに立っちまえばアドレナリンどっばどばでちょっとやそっとの不調なんざ吹き飛んじまうっしょ、きゃはは!」
    「適当な事言うなや」
    「いいからいいから、おら、来いよ!」
     今日は久し振りのライブだ、既に『Crazy:B』の登場を待っているファンの歓声が聞こえて来る。燐音の合図でそれぞれ身を寄せ合って、肩を組んで円陣をする。
    「すっからかんになるまでぶちかませよ、ニキ、こはくちゃん、HiMERU!」
    「オッケーっす!」
    「了解や!」
    「ええ」
     本番直前だというのにまた心を揺さ振られる。そういう所だ、こいつは。いや、今は『HiMERU』でなければいけない、首を振って、頭を切り替えて。HiMERUがアイドルとして愛される最高の舞台が今目の前にあるのだから。『俺』は今日もあなたとして此処に立つ、『HiMERU』の居場所は今も此処にあるから、変わらずあなたを待っているよと。
     ライブ中は少し事故が起きたが、すぐに取り繕えたはず、問題ない。
     最後まで最高潮のままライブを無事に終えて、それぞれメンバー同士やスタッフとハイタッチをする。鼓動が騒がしい、顔が熱いのはきっと興奮が収まらないからだろう。そう思っていたのに突然燐音に手首を掴まれて心臓が跳ねた。
    「なァ、俺さ、おめェのこと──」
    「────」



    * * *



     昨今のアイドルに求められるのは、メンバー同士の仲の良さだ。仲が良い事をアピールするとファンは安心するし喜ばれる、ステージ上でもメンバー同士で絡むと歓声が上がるし盛り上がるので積極的にファンサとして組み込む。すれ違い様にニキに軽くヘッドロックをキメてみたり、こはくとハイタッチをしたり、HiMERUの肩に腕を預けてみたり。もちろん計算だけでなく最高潮のテンションのまま行動する事も多い、というか燐音の場合それがほとんどだが。ニキも燐音と似たようなもので、こはくはうちわに書かれているのをよく見ているのでそれに積極的に応えていて、HiMERUはだいたい計算で動いている。
     そうした協調性のなさが寧ろ売りで、出たとこ勝負の何が起こるか分からないステージはファンも巻き込みながら共にライブを作る。
     前方からHiMERUが走って来る。ライブも終盤、HiMERUはどうか知らないがもう計算も何もない、ただただ『楽しい』をメンバーと共有したい、それがファンにも伝わって欲しい。それだけのテンションでHiMERUの元へ駆け寄ったらこっちが先に手を伸ばす前に胸倉を掴まれて、ぶつかるように頬へ唇を押し付けられた。HiMERUから燐音にそういった接触をして来る事はほとんどないので驚いたが、汗を散らしながらHiMERUは笑っていて、楽しくて仕方ないんだなぁというのが伝わって来て。なぁ、それは『HiMERU』としてなのか『おまえ』としてなのか、知りたくなってしまう。
    「────!?」
     気付いたらHiMERUの肩を抱き寄せて唇を奪っていた。今日一番の歓声が響いて来る、すぐに離してHiMERUの顔を見ると、本当に一瞬だけ、きっと目の前にいた自分だけが気付けた驚愕と真っ赤に染まった彼の表情。ああ、そういやこいつ俺の事が好きなんだっけ、とか。そんな表情出来んのか、とか。可愛いなぁ、とか。そんな事が過ぎっている間にいつの間にかHiMERUは少し離れた位置で何事もなかったかのようにいつものキレでパフォーマンスを見せている。
    「ああ、なるほどなァ……」
     燐音はマイクを通さずに、薄く唇を動かして呟いた。なるほど、きっとこいつもそうだったんだ。今の顔をもっと見てみたいとか、出来ればそれは自分にだけ見せるものであって欲しいとか、そういう──こいつの告白がなければ一生気付く事もなかったかもしれないけど、理屈も何もあったもんじゃないけど、そうやって人を好きになるんだなぁって。


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