1123の日のお話「うわぁぁぁん、にーちゃーん!!」
一人の子供が兄とおぼしき者に泣きながら駆け寄る。
「なんじゃ、鷹彦。また犬にでも追い回されたのか?」
泣き声に気づいた兄は作業の手を止め、弟と目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「ひっく…ぐすっ…うぇっ…」
子供は涙と鼻水で顔が汚れている事も気にせず、兄の懐に顔を埋める。
兄は柔らかい表情を浮かべ、弟が落ち着くまで黙って弟の頭を撫でている。
「いっ…いぬっ…にっ…ぐすっ…追いかけ、ひっく…転んっ…」
顔を上げた弟の断片的な言葉から状況を察し、視線を落とすと膝に擦り剥いた跡がある。
「大丈夫じゃ、ほれ、あっちで軟膏を塗ってやろう」
兄はそう言って立ち上がり、弟の手を引き部屋を移動する。
弟は少し落ち着いたのか、涙を裾で拭きながら大人しく座って兄を待っている。
「少し沁みるが我慢するんじゃぞ」
そう言いながら兄は弟の傷に軟膏を塗っていく。
弟は目を逸らし、手をギュッと握りしめながら我慢している。
「よし、イイ子じゃったな。これで大丈夫じゃ」
兄は弟の頭をワシワシと撫でる。弟も照れながらも安心したのか笑顔になる。
「だがお主もこの里にいる以上はいずれ立派な忍びとなり数々の任務をこなす身となる。
泣いてばかりではなく、少しずつ強さを身につけねばならんぞ」
「うん!にいちゃん!」
「よい返事じゃ。楽しみにしておるぞ。
あぁそうじゃ、そう言えば豆大福を貰っての。折角じゃ、茶にでもするかの」
「わーい!」
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「む…いつの間にか寝てしまっていたか…」
ふと兄が微睡から意識を戻すと何やら身体が重い。
視線を落とすとそこには寝息をすぅすぅたてながら、布団代わりになっている弟がいた。
外で遊んでいたのだろうか、手や頬が土で汚れているのも気にせず兄の服をギュッと握りながら眠っている。
「すまんがワシは用事を済まさんといかんからの…」
そう呟きながら兄が手を解こうとするが固く握っているのか解けない。
「やれやれ…」
暫くの試行錯誤の末、兄は弟を寝床に運ぶ。
「うーん…むにゃ…」
寝床に運ぶ頃には目が覚めてきたのか、手が解けた代わりに寝ぼけた目を擦っている。
「これ、汚れた手で目をこするでない」
「ふぁーい…」
兄の注意に弟は返事を返すもののまた眠りにつきそうである。
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「………」
「にいちゃん、何してるの?」
弟は兄が黙々とこなしている作業をしばらく興味深そうにじっと見ていたが、やがて首を傾げながら口を開いた。
「む、コレはな。ワシがいない間にお主を守ってくれるようにとグリフォンを彫っておるのじゃ」
「ぐりふぉん?」
「鷲の上半身と翼、獅子の下半身を持つ生物と聞いておる。
真偽は定かではないが、西方の国では勇気の象徴とされているとか聞くの。
お主が自分に自信を持って振る舞えるように願を掛けてな」
兄はそう言いながら淡々と木を削って人形を形作っていく。
「…よしっ!できたぞ」
数日後、兄が意気揚々と声をあげる。
「わぁっ!見たい見たい!」
兄の声を聞いた弟はドタドタと駆け寄る。
兄の手には実際のグリフォンとはなんとなく違う濃ゆい眉毛が付いている木彫りの何かが握られている。
「……コレがぐりふぉん?にいちゃんは見た事あるの?」
「いや、ワシは実際には見てはおらん。書物で見ただけじゃ」
「ふーん…ぐりふぉんって変な生き物なんだね」
兄から木彫りのグリフォンを受け取った弟は不思議そうな目で見ている。
「にいちゃん、ありがとう!大事にするね」
ひとしきり手に取ると笑顔になり、そのまま飛ばす真似事をしながら部屋を駆け回る。
兄はともかく弟が喜んでくれて何よりと満足気に微笑んだ。
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「う゛ー…」
弟は難しい顔をしながら書物を読み込んでいる。
「どうした、鷹彦…あぁ」
弟が目を通している書物の内容を見て兄は合点がいく。
里で最初に覚える忍術の基礎知識について記されている物だ。
「あっ…にいちゃん…」
弟は少しバツの悪そうな顔をして目をそらす。
「よく頑張っているな」
兄はそう言って弟の頭を撫でるが、弟は浮かない顔のままだ。
「にいちゃん…里のみんなは簡単だって言うけど難しいよ…このままじゃぼく…」
消え入りそうな声で今にも泣きそうに弟は俯く。
「ふむ…」
兄は腕を組み考える。ここでうわべだけの慰めの言葉をかける事は簡単だが、
おそらくそれでは弟の悩みの解決にならないだろうと考えた。
「いいか鷹彦、人には得手不得手というものがある。
ワシは忍術に関しては問題はなかったが、刀術をはじめ白兵戦に関しては不出来な方であった。
確かにある程度知っておくという事は大事だが、できぬ事よりは己が得意とすることに注力するほうが
結果的に多くの成果が残せるとワシは思うぞ。忍術以外にも教われることは多いであろう?」
「でもぼくもにいちゃんと同じ忍術使いたいなぁって」
理屈ではわかれど感情がついてこないのだろう。弟は俯きながらボソボソとつぶやく。
「ふむ…先も言ったとおりワシは白兵戦が苦手でなぁ
ワシが困った時に将来立派に成長したお主が助けてくれることを楽しみにしておるじゃがなぁ」
言葉にするつもりは無いが、正直な所弟に忍術の才が無いことは見て取れた。
弟に刀術を始め白兵戦の才があるかは不明だが、
少なくともその労力を別の分野にかけた方が本人のためにもなるのではないかと兄は考えた。
「うーん…」
そんな兄の気持ちは知らず、弟は頭を抱えながら悩む。
「まぁ一つにこだわらずいろんな事に挑戦してみると良い。思わぬ所で芽が出るやもしれぬぞ?」
「わかった!じゃあ先生に刀教わってくる!」
そう言って弟は書物をほっぽり出して外に走っていった。
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「えっと…いちう、さん」
「なんじゃ、急に余所余所しくなりよって」
「……」
「どうした?鷹彦」
兄は屈んで悲壮な表情を浮かべる弟と目を合わせようとする。
「あのね…ぼくといちう、さんって本当の兄弟じゃないって…」
俯いている弟の声は消え入りそうなくらい小さくなっていく。
「ふむ、確かにワシとお主には血の繋がりは無い。
実の兄弟では無いかもしれぬが、こうして共に暮らしておるし、
ワシはお主の事を世話の焼ける弟だと思っておるぞ。
お主はどう思っておるのじゃ?」
「いちうさんみたいなにいちゃんは…好きだよ」
まだ俯いてはいるが、モジモジしながらも兄の身体をギュッと掴みながら弟は答える。
「みたいと言うな。もう既に兄弟じゃろ?」
その言葉を聞いて弟は少し間を置きコクリと小さく頷く。
「誰かがお主の事を話しているのを聞いたのか?」
弟は黙って頷く。
「そうか…じゃが他人がどう話していた所でワシたち兄弟は共に暮らしていけるじゃろ?」
「でも…ぐすっ…だって…ぼく…とうちゃ、えぐっ…かあちゃんに捨てられて…
ぼく…目が真っ赤で…ひっく…にいちゃんにも捨てられ…ひっく…たら」
「ワシはお主の目の色など関係なくお主を弟と思っているのじゃぞ」
兄は弟を優しく抱きしめ、頭を撫でる。
「うわぁぁぁん…ごめ、ひっぐ…ごめん、なさい…にい、ちゃん」
「よいよい」
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「鷹彦、いよいよお主も成人じゃ。」
「はい、兄さん」
「お主は忍術こそ不得手じゃが、それを補って余りある刀術や体術、懐柔策の才がある
その才を以て、主と里に繁栄をもたらすよう努めるのじゃぞ」
弟が成人の儀を迎える日、身なりを整え、居住まいを正した弟は兄の言葉に頭を下げる。
「コレはワシからの祝いの品じゃ。そなたの活躍を楽しみにしておるぞ」
兄はそう言って真新しく丁寧な装飾が為されている短刀を弟に贈る。
「ありがとうございます。今後も慢心する事なく精進して参ります」
弟は受け取った短刀を抜き、軽く指先を切って、流れる血で代々受け継がれている巻物に血判を押す。
それは里に伝わる伝統であり、契りでもあり、里に生涯を尽くすという証でもある。
「ねぇ、兄さん」
「…なんじゃ?」
成人の儀を終えた兄弟はいつもより少し豪華な食事を共に楽しむ。
箸を動かしながら兄は弟の言葉に耳を傾ける。
「俺さ、兄さんが昔よく木彫りに使ってた短刀、欲しいな」
「短刀であれば先程お主に贈ったばかりであろう?」
「あれはほら、里からの贈り物でしょ?なんていうか…その…」
「なんじゃ、ハッキリせんか」
「兄さんからの贈り物が欲しいな…って」
弟は言葉を濁しながらも口に出す。
それを聞いても兄は訳もわからずポカンとした顔をしている。
「まぁ構わんが…しかしそうなると木彫り用の短刀を新しく手に入れねばならんのぉ」
「兄さん…もう俺だって子供じゃないんだからね?木彫りの人形なんて…恥ずかしいよ…」
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