明日の夕食はお赤飯『っつーわけでェ!俺っちたちのゲリラ配信聞いてくれてありがとな!』
『みんなもびっくりしただろうけど僕もびっくりしたんすよ!いきなり配信すンぞ〜とか言い出すからさぁ…』
『しょうがねえだろォ?俺っちやりたくなっちまったんだもん』
『かわいこぶったって気持ち悪いだけなんでやめてもらっていっすか?…ってイダダダ!!足踏むのやめろぉ!!』
軽快な掛け合いが繰り広げられている様子を画面越しに眺めながら私は何度目かわからない安堵のため息を吐いていた。
珍しく定時で上がれたため、家で最近気に入っている酎ハイを煽りながらのんびりとサキイカをしゃぶっていた時に突如スマホの通知が飛び込んできたのだ。
『【ゲリラ生配信(燐音、ニキ)】が配信開始されました。』
目を疑った。それと同時に今日定時で上がれたことを神に感謝する。
慌ててタブレットを開きつつスマホでSNSのアカウントをチェックするがもちろん何の告知もない。クレビに関する全てのアカウントの通知が来るように設定しているから、前もって告知があれば今頃慌ててタブレットを開いていたりしないのだが。
生配信の内容は至っていつも通りの、二人でニキくんお手製の夕ご飯を食べながらの雑談という内容だったが、ほぼ最初から見られたという優越感と満足感でどんどん酒が進んだ。
酎ハイが3缶空になったところで、締めの挨拶が始まりそろそろお開きになることを悟る。
『…っと、これ以上グダグダやるわけにゃいかねェな。またこういう配信やっから見逃さず着いてこいよォ!』
『いやいや告知はちゃんとした方がいいっすよ!?でもみんな今日はいきなりだったのに見に来てくれてありがとっす!今度は4人でやりますね〜』
『んじゃ今日はこの辺で!あばよ!』
『ばいばーい!』
私は配信を切ろうとするニキくんが大写しになってやがて暗くなるのをなんとはなしに眺め続けた。
充足感と終わってしまった寂しさが同時にやってきて、毎回配信が終わるとしばらく画面の前でぼうっとしてしまうのだ。
…え?
暗くなったはずの画面はまた明るさを取り戻し背景のグリーンバッグだけを写し続けている。
これ配信切れてない…?
コメントを見ると同じようなことを思っているファンたちの戸惑う様が右から左に次々と流れていた。
『終わったっすね〜』
『今日も楽しかったなァ』
『やっぱファンの子たちと直接やりとりできる場があるのっていいっすよね』
とりあえずそのまま画面を消さずにいると左奥の方から二人の声がうっすら聞こえてくる。
燐音くん…ニキくん…オフでもちゃんと私たちのことを考えてくれてるなんて…!
…っていやいや!切れてないよ!早く気づいて!!
私たちがどれだけ祈っても声を直接届けられるわけじゃないからこの場に戻ってきて画面を見ないと気づかない。コメント欄には切実なコメントが嵐のように流れ続けている。
そんな私たちのことは露知らず二人は呑気に会話を続けていた。
『そういや明日どうする?』
『んぃ?どうするって、明日は早起きして話題になってたモーニング食べに行くっすけど』
『は?』
『ここから割と遠くて結構早起きしなきゃだから僕一人で行くっすよ。朝ごはんは用意しとくから燐音くんは寝てて大丈夫っす』
なんか、推したちのプライベート音声を聞いてるのってすごい背徳感…。
本人たちのためを思えば聞かない方がいいんだろうけど、ハッキリ言ってこんな美味しい場面に立ち会えることは今後ほぼないだろう。私に画面を消すという選択肢はなかった。
『ンだよそれ』
『いやいや燐音くん絶対明日起きれないっしょ。僕なりの配慮っすよ』
明らかに機嫌が悪そうな燐音くんと、そんな燐音くんを不思議そうに嗜めるニキくん。
なんだか空気悪い?コメント欄も二人を心配するコメントで溢れている。
(勝手に)ハラハラしている私たちを尻目に二人のやり取りはどんどん険悪さを増していく。これホントにヤバい?
『せっかく久しぶりに二人揃ったオフだってのに結局ニキくんは燐音くんよりご飯を選ぶんでちゅねェ!…勝手にしろ』
ん?
『ごめんね燐音くん…。全然そんなつもりじゃなくて…僕だってホントは燐音くんと二人で過ごしたいって思ってたっすよ』
んん?
【私たちは何を見せられてるの?】
【ガチ喧嘩かと思ったら痴話喧嘩だった】
【おさわがせがすぎる】
【あまりんめんどくさい彼女じゃん】
【椎名の彼氏面心に来る】
コメント欄にいる名も知らぬオタクたちが私の心を全て代弁してくれていた。
二人一緒に住んでるのは知ってたけど、いつもこんな同棲カップルみたいなやりとりしてるの?
頭にハテナマークが浮かんだまま全然消えてくれない。
『ごめんね、一緒にモーニング食べに行ってくれるっすか?』
『お前の奢りだからな』
『えー、二人の生活費っしょ?』
『絶対起こせよ』
『うん、起こすね。そのあと前に燐音くんが欲しいって言ってたやつ買いに行こ』
『ん』
それから突如何も聞こえなくなり、先ほどとはうってかわって甘い空気が漂い始めているのも相まって、これはもう別の意味でヤバいのでは…と思っていた矢先。
パタパタという足音と共に燐音くんが配信していた部屋に入ってきた。
そしてこちら(というか配信画面)をチラリと一瞥するなりギャハハと笑い声をあげる。
『どうだおめーら!ビックリしたかァ?』
突然のことについていけない私たちに、気を良くしたのか燐音くんはニヤニヤしながら画面を覗き込む。
『人のプライベート覗き見るってドキドキするよなァ?わかるぜェ。キャハ!刺激的だったっしょ?』
なんだ…。これも燐音くんなりのエンタメだったのか。安堵とがっかりで複雑な気分である。
『今度こそじゃあな!次の配信かライブで会おうぜ!』
燐音くんが画面外に消えてそして、
『またな』
左の方から吐息混じりの低い声とリップ音。私は高音質スピーカーに繋いで聞いていたけど、これイヤホンしてたら耳にキスされた感出せたやつだ。惜しいことをした。これは話題になるだろうな。
ブツリと配信が切れる。『配信は終了しました。』という無感情なテロップを見ながら私はなんとも言えない気持ちに襲われていた。
SNSを見ると、案の定TLはすっかり最後の擬似キスで盛り上がっている。
でも他のオタクたちは騙せても、何年も燐音くんを見続けた燐音担の私の目は誤魔化せない。配信が切れてないのを見た燐音くんの切長な瞳が一瞬大きく見開かれたのを、まったく顔には出さなかったものの二人の甘すぎるやりとりに対するツッコミコメントを見た燐音くんの耳が真っ赤に染まっていたのを、私は確かにこの目で見た。でもそれはきっと言いふらすことじゃない。自分の中でだけずっと秘めておけばいいのだ。
「お幸せに…」
一人きりの静かな部屋に呟きが漏れる。私は立ち上がって4缶目を取りに冷蔵庫に向かった。
・
・
・
「てめぇ!!ニキこの野郎!!!!!」
「うわっ!?なになに!?いきなりなんすかぁ!?」
怒り心頭の燐音はこめかみに血管を浮き上がらせながら、ベッドに腰掛けていたニキを問答無用で蹴り落とす。
「配信切れてなかったんだよ!!馬鹿ニキ!!」
「えぇええ!!!マジっすか!それはマジでホントにすんません!!え、声聞こえてた感じ…?」
「コメントチラ見したけどありゃ聞こえてたな。まぁなんとか誤魔化したけどマジで羞恥で死ぬかと思ったわ…」
「ごごごめんね、確認しなかった僕が100%悪いっす…ごめんなさい…」
「ハァ…。二度目はねェぞ」
「肝に銘じるっす…」
燐音は力が抜けたようで、ニキを蹴落とし誰もいなくなったベッドに横たわった。再度ベッドに上がり込んだニキは、壁を向いて丸くなる燐音にそっと擦り寄る。相当恥ずかしかったのか、未だ真紅の髪に負けないくらい耳が赤い。ニキは謝罪の気持ちを込めて骨張った背中をさする。相変わらずこちらを向いてはくれないけれど拒否されないだけマシだろう。
「でもちょっとホッとしたっす」
「はぁ?何もホッとするところないと思いますけどォ?」
「だってさっき、朝起きる起きれないの話ししてた時『燐音くんえっちした日の朝なんて絶対起きれないじゃん』って言おうとしたんすけど怒られそうと思ってギリギリで言うのやめたんすよ」
「それは洒落にならん」
「それに僕らの姿は見られてないっしょ?」
「まぁ、それは多分」
「僕とのちゅーでとろんとしちゃってる燐音くんの可愛い顔見られなくてよかったなぁって」
「うっせ、マジで黙れお前」
直前まで拗ねて怒っていた燐音が、モーニングからのお買い物デートのお誘いで嬉しそうに顔を綻ばせるのが可愛くてつい衝動のままキスしてしまったのだ。良い雰囲気になったところでニキの非常食が手元にないことに気づいた燐音が、キッチンから何か取ってこようとして例の場面に遭遇したというわけである。
「じゃあ残念だけど今日はえっちなしっすかね…。明日早起きだし」
燐音はまだ機嫌が悪そうだしすっかりそんな雰囲気ではなくなってしまったのを感じ取っていたニキはがっかりしながらもそのまま大人しく布団に潜ろうとしたが、それは燐音の手によって阻まれた。
「んぃ?燐音くん?」
「…今日シねェの」
「え、でも燐音くんもうそんな気分じゃないっしょ?」
「そんなこと一言も言ってねェ」
相変わらずそっぽを向き続けているため顔は見えないが、きっと可愛い顔をしているのだろう。
ニキは困ったように笑いながら燐音の名を呼ぶ。その声はどこまでも甘い。
「燐音くん、キスしたいからこっち向いて」
おずおずとニキの方に向き直る燐音の顔は予想通り可愛くて、こんな顔を見れるのはやっぱり僕だけでいいなと思うニキなのであった。