お寝ぼけ那由多「あ、那由多おはよ〜」
間延びした声にふと顔をあげる。声の主である涼の視線の先には平常通りのしかめ面をした那由多がいた。返事代わりにくあ、と欠伸をひとつするとずかずかと遠慮のない足取りで向かってくる。ソファには深幸と礼音、涼が間隔を空けて座っていた。恐らく涼の隣に腰を下ろすつもりだろう。経緯は不明だが、最近の那由多は涼の隣を陣取ることが多い。大抵本人は「侍らせています」とでも言わんばかりの表情だがーーー深幸から見れば、人間に懐き始めた猫のようだ。と言っても、懐かれている涼は自称宇宙人である。
「はい、どうぞ」
那由多が隣に座るのがさも当然とばかりに涼が位置をずらして座り直す。那由多は黙って微かに頷いた。何なんだこいつら。先日打ち上げで焼肉を食べに行った時もそうだった。向かう途中、自分の隣は那由多と決まっているかのように「那由多は奥のほうがいい?」と涼が相談をしていたのを見た。那由多は「どうでもいい」と返していたが、いざ店内に案内されたら真っ先に奥の席に向かったのだ。終いには隣の座席と涼を順に見て「横に座れ」と視線だけで命令したところまでしっかりと深幸の記憶に焼きついている。素直じゃないのもここまでくるともはや微笑ましいが。
「チッ……」
眠いのか、また一つ欠伸をして那由多はようやく腰を下ろした。
「は?」
先程まで黙っていた礼音が困惑の声を上げる。深幸も目の前の光景が信じられなかった。確かに那由多は深幸の予想通り、ソファに座った。それは間違いないのだが。
「えっと……」
今の今まで平然としていた涼でさえも戸惑った様子を見せた。無理もないだろう。なぜなら那由多が腰を下ろした先は涼の隣ではなくーーー涼の膝と膝の間だったからだ。異様な光景に誰もが絶句し、沈黙が訪れる。一方那由多はというと、平然と涼にもたれかかってまた欠伸をしていた。この男、くつろぎ過ぎである。涼はここで現状を受け入れたのか、床にずり落ちていきそうな那由多を抱き寄せるように手を回した。それはまるでーーー
「シートベルトかよ……」
深幸の心の声が漏れたかと錯覚するほどに、一言一句同じ言葉を礼音が発した。
「あ?」
意味がわからないとでも言いたげに那由多がこちらを睨め付けてくる。深幸はまだ何も言っていないのに。しかし怯まない礼音はじとりと那由多を見つめ返した。
「だからさ……今のお前、シートベルト着けられてる子供みたいだなって」
礼音の例えは中々秀逸な気がするが、言われてみると確かにそう思えてくる。深幸は必死に頬の内側を噛んで笑いを押し殺す。不可解そうに片眉を上げた那由多が視線を落とすと、腹部で涼の大きな手がもぞりと気まずそうに動いた。
「……、……ッ!?」
ようやく状況を把握したらしい那由多は目を丸くして、弾かれたように立ち上がった。羞恥が込み上げてきたのだろうか薄い唇がわな、と一瞬震えた。しかし深幸と目が合うと那由多は途端に般若の形相に変わる。一般人は勿論、暴力団関係者すら裸足で逃げ出しそうな凄みだ。しかし表情とは裏腹に、吐き出されたのはなんとも苦しい言い訳だった。
「……今のは座標を間違えただけだ」
そう言うと那由多は気まずそうに涼の隣に座り直した。年相応なところを垣間見た気がして、深幸は思わず頬を緩める。人を惹きつける才能を持っていながら誰も寄せ付けない雰囲気のある那由多を、こんなに身近な存在に感じられる日が来るとは思ってもいなかった。煌めく銀髪から覗く耳が赤くなっているのもまた微笑ましい。
「まあ間違いは誰にもあるよな。那由多、寝ぼけてたんだろ?」
「うんうん、眠かったんだよね。ふふ…地球人の間違いはかわいいねえ」
深幸と涼は完全に「年下を可愛がりたい年上」の顔になっていた。涼に至っては那由多をぎゅうっと抱きしめてしまっている。距離感がおかしい。那由多は居心地悪そうにそっぽを向いたが、それがまた年上の心をくすぐっているとは知らないのだろう。
「いや何和んでんだよ……間違えたで済ませるのは無理があ…もごっ、何すんだよ深幸さん!」
「まあまあ礼音くん、那由多も人間だろ?」
冷静かつ真面目に反論をしようとする礼音も深幸にとっては微笑ましく可愛い年下ではあるのだがーーー那由多を再び鬼の顔にするわけにもいかず、やや強引に黙らせた。