雫型のマリッジリング「もう逃げられないよなぁ…」
リオセスリは大きなため息を着くと、時間稼ぎでもするかのようにゆっくりと馬車を降りていく。
リオセスリはうら若き公爵の子息である。その歳は二十歳。
そして今は所謂「お見合い」をすべくご相手の邸宅に訪れているところだ。
リオセスリは若者の自由を謳歌すべく今の今まで見合い話等は上手く躱してきたが、ついに親に追い詰められ、大人しく馬車に揺られていたのだ。
ゆっくりとした足取りで降りると、きっちりとした執事服を身にまとった召使いが待ち構えていた。その背後には、今まで見てきた中でもトップクラスに豪華で古めかしい豪邸が立ちはだかっている。
「公爵令息様ご機嫌麗しゅうございます。お待ちしておりました。大公様は中庭におります。案内はこの私めにお任せ下さい」
「…ああ、頼んだ」
今回の見合いには数え切れない程の不安がある。一つ目は先程執事が言っていたように、相手は同性なのだ。特殊な種族故に妊娠は可能らしいが、男だ。そもそも種族すら明かされていないのが不安でしかない。
リオセスリは乳母で筆下ろしを済ませたし、遊んでいた間も夜を共にしたことあるのは女だけだ。例え女でも愛せるか分からない見合いで、会ったことも無い男が相手で不安を抱かない方が難しい。
そして不安の種二つ目。
「悪いな。大公様はお忙しいというのに…」
「いいえ。近頃はお仕事も落ち着きまして、お見合いに前向きになってくれた事は我々も嬉しいのです」
そう。大公様で、リオセスリより上の爵位を有している。大昔は王族だったらしいが、現在はフリーナ女王の元で大公として公務をこなしている古き歴史を持つ貴族らしい。
年齢は同い年だが、父親が早くに亡くなった故、彼は十五の時から公務に当たってきたらしい。遊んできた公爵の息子とは色々と格が違う。
そういう訳でリオセスリは見合い話を断ったが「こんなチャンスはもう二度と訪れない」と貼り付けた笑みを浮かべた両親に一蹴りされてしまった。
エントランスホールやら長い廊下を歩き、しばらくすると外に出た。
「それでは、私の案内はここまでです。大公様は中庭の中央でお待ちしておられます」
そう一礼すると執事は去っていった。
さっさと芝生に足を踏み入れたリオセスリは辺りを見渡してみるが、どうやらかなり広い中庭らしい。
季節に合わせた様々な花が植えられ、バランスのとれた色合いが辺り一面に広がっている。小さな噴水が所々設置されており、水の流れる音に時々小鳥の囀りが混じる。リオセスリの邸宅にも噴水や中庭はあるが、規模の違いに思わず緊張が高まる。
そして中央には大きな噴水がある。高木も植えられており全体は見えないが、恐らく相手もそこにいるのだろう。リオセスリはゆっくり、ゆっくりと綺麗に整備された小道に沿って中央へと歩みを進める。
──
噴水の音がどんどんと大きくなり、そしてついに目の前にやってきた。
リオセスリは辺りを見渡すと、石造りの日除け屋根の下にテーブルと椅子が置かれているのが目に入る。そしてその傍には、噴水を眺める長髪の人影が。
「っ………」
話しかけようと近づき、人影の姿がはっきりと見えてくるとリオセスリは息を飲んだ。
長身だが、自分ほど幅のない体はシンプルだが綺麗なフリルシャツと紺色のベストに身を包んでいる。フルオーダーらしき靴は金色のハイヒールで彼のスタイルの良さを引き立たせ、長いチャップスは太ももを女性的に強調してしまっている。
ほう、悪くない。
「……?ああ、気付かなくてすまなかった。貴殿が公爵令息のリオセスリ殿だろうか」
「!……あ、ああ」
突如振り返った顔も酷く整っており、その気迫に思わず肩が跳ねる。偉いと外見までそれに見合ってくるらしい。
乾燥を知らなそうな肌に、淡い色を閉じ込めた目尻には青のアイラインが引かれている。
「貴方がヌヴィレット大公、でいいかい?改めまして、公爵家跡継ぎのリオセスリだ。お見知りおきを」
相手は大公とはいえ立場の上下はそこまでないと聞いている。それに同い年だ。あまり堅苦しい喋り方をしても気まずいだけだと思い、そこそこに口調を砕いて挨拶をする。
そして相手の手を取り甲に敬意の口付けを落とした。顔を上げると、ヌヴィレットはそっと会釈を返した。
「ご足労感謝する。それと、この見合いはほぼ婚約が確定している。普段の君の喋り方で構わない」
「おっと」
顔や身なりからしててっきりお堅い坊ちゃんだと思っていたが、どうやら思っていたより気さくな青年らしい。
「話の分かる奴で助かった。早速だがヌヴィレットさんって呼んでも?」
「ああ、構わない。私はリオセスリ殿と呼ばせてもらおう。普段からこの喋り方が身に染みているものだから、対等な話し方にはならないが…」
「気にすんな。あんたのそれは立派な功績で身についたものなんだろ」
同い年が纏う雰囲気にしては酷く大人びていて、若さ特有の活気が一ミリたりとも感じられない。年齢等を枷にしていたらとても働けない状況だった故に当たり前のことだろうが。
「先程メイドに紅茶を淹れさせたので、冷める前にかけてくれ。味は君の好みにしてある」
「気が利くな…」
両親が恐らく情報を押し付けたのだろう。自分のことだけが一方的に知られてる状況はあまり好きでは無い。こちらも探りを入れながら紅茶を嗜むとしよう。
「では、こちらに」
「………感謝する」
リオセスリは椅子を引いてヌヴィレットに座るよう促す。レディーでもあるまいとヌヴィレットは一瞬戸惑うが、相手の厚意に逆らえないタチなのだろう。言われた通り大人しく座り、リオセスリに押してもらった。
「仕事の合間に悪いな」
「今日は女王陛下に積極的に休暇をとらされている。多忙でもないので気にしないでくれ」
女王陛下に直接休暇を言い渡される身分。
目の前にいる青年の偉大さを改めて痛感させられる。リオセスリ自身は舞踏会などで女王を目にしたことはあるが、挨拶や仕事のやり取りは自身の父親が行っている。自分は声をかける資格すら未だ持ち合わせていないのだ。
リオセスリは三段スタンドの一番下の皿に置かれたサンドウィッチを手に取り早速いただく。
アフタヌーンティーに出てくる食事は基本決まっており味にもさほど差はないと思っていたが、少しだけトーストしたパンに挟まれたジューシーな具材がよく合う。
素直に味を褒めればヌヴィレットは女王に仕える宮殿シェフに作らせたと述べる。やはりとんでもない方だ。
手始めにと二人はサンドウィッチを味わいながら軽い世間話でもしていると、リオセスリはふと気にしていたことを思い出す。
「そういえば、あんたが二十歳でようやく見合いとは…何か事情でも?」
彼の身分等から考えれば、生まれた時から婚約者がいてもおかしくないのだ。リオセスリのように婚約破棄や見合いの断りを続けない限り、二十歳まで独身でいられるわけがない。
「……婚約は以前していたのだが」
「話してくれるのか…」
てっきりはぐらかされると思って質問したのに。
リオセスリはそもそも、今回の見合い話を成功させる気はない。成功しても仕方ないし、失敗してもラッキーだ。その程度の心意気で挑んでいるので、好き勝手させてもらう算段なのだ。
「相手は既に複数の相手と裏で関係を持っていた上、私の婚約者という特権を乱用して女王陛下の私財に手を出した。婚約は破棄せざるを得なかった」
種族特有であろう尖り耳の先が微かに下がる。質問を投げかけたのはこちらだが、少し申し訳なくなってくる。
「思ったより酷いな…あと少しで結婚だったんだろ?心中察するよ」
それからは恐らく、此度の経験で警戒して中々相手を見つけられなかったか、そもそも見つけようとしなかったか。
「そんなことがあって俺なんかで安心できるのかい?」
「いずれ結婚はしなければならない。そして君はあまり立場や財産に拘りを持っているようには見えない」
「言い方遠慮ないなぁ」
嫌いではないが。
恐らく一般市民のように遊び呆けてることも両親が伝えたのだろう。
「君には不倫などのリスクはあるが、権利や財産で問題を起こすことは恐らくないと考えている」
しかし不倫や遊びの相手は貴族ではなく娼婦等にしてくれると面倒事が少なくて助かる。
そこまで言われるとリオセスリはぐうの音も出ないのか、気まずそうにカップに視線を落とすしかなかった。
正直不倫が許された状態で結婚するとしたら、恐らく自分はそうするだろう。そもそも好きなのは女だし、これは愛のない政略結婚だ。
「鋭い人は好きだ。けど、俺だって面倒ごとは嫌いだからな。するにしても細心の注意は払うさ。これまでだって相手には気をつけてきたつもりなんだぜ?」
リオセスリは腐っても公爵令息。それ故に「遊ぶ」となると面倒事はいつでもなりを潜めて機会を伺っているのだ。
しかしリオセスリは一度もそれらの面倒事には遭遇したことがない。
「けどまさか、許されるなんて思ってなかった」
「……君には申し訳ないと思っている。政治の事情で君の自由を奪うことになるのだ。それに私は妊娠が可能とはいえ男性だ。君の性的趣向とは合わないのも理解している。この程度は許すべきだと思っている」
所詮は結婚という名のビジネスなのはあちらも同じ考え方らしい。政略結婚に本気な令嬢じゃなかったことには感謝しなければならないかもしれない。
「お気遣い感謝するよ。いいビジネスパートナーになれそうで安心した」
「同じ意見を持っているようでよかった。今後ともよろしく頼む」
「ああ」
結婚と称して美人な男友達が手に入ると考えれば、そこまで悪いものでもないかもしれない。逆に、今回の機会を逃せば次の機会がこんなに都合のいいものだとも限らないのだ。
リオセスリは段々と婚約に向けて前向きになり、そして安堵の息をこぼす。
「さて、ビジネスパートナーとは言ったが夫婦になるんだ。互いの事は知っておこう」
「…一理ある。何か教えるべき事はあるだろうか」
互いの情報がある程度書かれたプロフィールカードは読んである。しかしそこに記されていたのは体の特徴や健康状態、そして残りは立場や仕事についてだった。個人的なことはほぼ知らない。
「手始めに好きな料理とかか?食の好き嫌いは結婚生活に大きく響くらしい」
「なるほど…料理……」
ヌヴィレットは手に持っていたカップを置き、しばらく考えるような素振りを見せる。
「普段は水を嗜んでいるのだが……強いて言うならスープ等だろうか。汁気のあるものは好みだ」
「ふーん…」
水を嗜む…?
特殊な返答に思えるが、まあ良しとしよう。そうなると恐らく乾燥した物は苦手なのだろう。
「あんたも知ってるみたいだが、俺が嗜むのは紅茶だな」
「うむ。私も紅茶は好きだ。水の味を殺さず味を加えられる」
「それで甘めが好きだな。コーヒーならミルクを入れるし、紅茶なら角砂糖二つだ」
そういうとヌヴィレットは少し目を見開き、そしてカップに視線を落とす。
「意外だな」
「よく言われる」
リオセスリはどちらかと言えばブラックコーヒーを嗜んでそうな見た目だといつからか言われていた。ヌヴィレットも恐らく同じ印象を抱いていたのだろう。
ほとんど動じない表情筋が驚きで少し動かされた事にどこか嬉しくなる。いや面白いのか?
「あとは、シンプルに肉だな。ソースや肉汁があるとより良い」
「ふむ。食事でトラブルが起こる心配はなさそうだ」
これで共に住むことになっても、シェフが手間を増やす必要はなくなったことだろう。
リオセスリは話しているうちに空になったカップに紅茶を注ぎ足した。
「他は……そうだな、俺はあんたからしたらぶっちゃけイケるのかい?」
「?…いけるとは…」
質問の意図が分からなかったのか、ヌヴィレットはカップを持ったまま首を傾げる。
鈍感なのか…?
「俺の見た目や性格があんたの好みか聞いてるんだ。政略結婚とはいえ、大事なことだろ?」
「…そうか」
ヌヴィレットはそう言われると、リオセスリの頭のてっぺんから下までを視線で辿る。
長いまつ毛と薄紫の瞳が上下する度、リオセスリは居心地悪そうに身じろぐ。
この人、反応が素直すぎるのでは。
「ふむ。君は顔も身体も美丈夫だと思う」
「そ、そうかい…」
「性格は一日で分かるものでは無いが、今のところは話しやすくて好印象だ」
「それは俺も同意見だな」
本人は至って真面目なようだ。リオセスリは軽い気持ちで聞いたつもりだが、ヌヴィレットは生憎こういった話題を話したことがない。
「…それで、その……私は君から見てどうなのだろうか」
「イケるかって?」
「そうだ。大事なことなのだろう…?」
「そうだなぁ…」
今度はリオセスリが視線を上下させる。
長髪は元々好みだ。全体的に明るい色素は儚さを際立たせているが、長いまつ毛と鋭い眼光が力強さと美しさを放っている。
身体は…うん。男で細身という訳でもないがスタイルはかなり良い方だ。悪くない。
そうこうして考えていると、眺めていた身体がソワソワと動き始めた。
顔の方に視線を戻してみると、ヌヴィレットは少し気まずそうに視線を逸らしていた。
ほう…
敢えて舐め回すような、色を含んだ目でもう一度下から上を見上げてやれば、いよいよ恥ずかしいのか微かに耳が赤く染る。
「そうだなぁ……イケる」
「…………それなら、よかった…」
──
あれから様々な事を話し合った。
休日の過ごし方、仕事の内容、アフタヌーンティーの好み、社交界の愚痴。
まるで友人と過ごすかのような気楽な時間をリオセスリもヌヴィレットも案外気に入ったようだ。
ティーポットと皿の中身が空になりしばらくして、ようやく二人はお見合いを終了させることにした。日差しは既に傾いており、辺りの風景はオレンジ色に染っている。
「今日は思ってたより楽しめた」
「私も同じだ。来てくれて感謝する」
「こちらこそ、お招きいただき感謝するよ。また呼んでくれ」
そう頼まなくとも、見合いが上手くいった以上いずれ会わなければならないが。
二人は立ち上がるとティーセットはそのままに中庭の入り口へと歩き出す。
「最初ここであんたを見つけた時、天使でも降りてきたのかと勘違いしたんだ」
「この場に及んで口説き文句か。血族故に多少色素が薄いだけなのだが…」
「一応これはお茶会じゃなくて見合いだしな」
それにこれは嘘では無い。今までも綺麗だと思う女性には何度か会ったことのあるリオセスリだが、これほど顔の整った者は見た事がないのだ。それはもう惚れそうになったくらいには。
そんなことを言い合っていると、小さな噴水を通り過ぎた辺りの入口で執事が待ち構えているのが見えてくる。
「お二人ともお待ちしておりました。お見送りは私が致しましょう」
「リオセスリ殿、私はこの後ちょっとした用事があるのでここで別れになる。有意義な時間を過ごせた」
ヌヴィレットはほんの少し口角を上げ、優しく微笑む。恐らく作り笑みだが、リオセスリは悪くない気分に包まれる。
リオセスリはニコリと笑みを返すと、片手を降って別れを告げる。
「俺もあんたと話せてよかった。じゃあ、また今度な」
「ああ、また今度」
挨拶を終えると、ヌヴィレットはそのまま邸宅の玄関とは反対側の廊下へと進んでいき、突き当たりで曲がるとその姿は消えてしまった。
思わずその背中を目で追って見送ると、隣にいた執事が機嫌良さげにこちらを微笑む。
「上手くいったようで何よりです。さて、馬車までご案内致します」
「よろしく頼む」
上手くいったのだ。あのリオセスリの見合いが、だ。自分でもあまり信じられない。
しかし、あくまで仕事として互いに認識した上で上手くいったのだ。リオセスリも勘違いするつもりは無いし、しないと確信している。
確かにヌヴィレットはリオセスリから見ても話しやすく、礼儀正しく、そして気が使える美人だと感じた。惚れそうだと思ったのも本当だ。
しかしそこまでだ。感情自体が友情止まりだと言っている。自分はやはり女が好きだと思うし、結婚と聞くとやはりいい気持ちはしなかった。
「ではリオセスリ様、またのお越しをお待ちしております」
「ああ」
バタン、と馬車の扉が閉まると先程まで中庭から響いていた噴水の音も聞こえなくなり、代わりに馬が蹄を鳴らす音と車輪の音で空間が埋まってしまった。
「………んで、なんであんたが迎えに来てんだ」
「なんでって、早く聞きたいからよ」
リオセスリと対面して座席に座っているのは、彼の専属メイドの一人であるシグウィンだ。昔から喧嘩の多かったリオセスリを医療の知識がある彼女が手当を繰り返しているうちに、自然と専属となっていったようなものだが。彼女は以前働いていた場所でヌヴィレットと既に知り合っており、自分もついて行った方がいいと言っていた。もちろんリオセスリは断ったが、こうして迎えに来られたのだ。
「それでどうだったのよ?また失敗?ヌヴィレットさんのこと悲しませてないわよね?」
「初対面のお偉いさんを悲しませるわけないだろ」
流石にそこまで肝が座っている訳でもない。
リオセスリは「どうだった」の質問に対しての答えをしばらく考える素振りを見せると、ニヤリと笑ってみせた。
「体の相性が良かったらラッキーなんだがな」
「ちょっと!!」
「冗談だ。見合い自体は上手くいった。性格も俺と合うしな」
「じゃあ…!」
キラキラと目を輝かせるシグウィンに手のひらを掲げて「待った」をかける。彼女の期待してる「上手くいった」とは自分の「上手くいった」とは違うのだ。
「あくまで友人としてだ。婚約はするが、それは互いの私利あっての事。あちらも所詮はビジネスとして承認してる」
「まあ………そうなの」
シグウィンはピンと立っていた触覚をしょんぼりと下げる。彼女は以前からリオセスリの幸せを願っていた。となれば、結婚相手も愛せる人として欲しいと願うのと当然になる。
「そう落ち込むなって。愛のある結婚が幸せの全てとは限らない。俺はこれからもある程度自由にできると言われたし、彼とは友人になれると言っただろ」
よしよしと小さな頭を撫でてやると、下を俯いていた目線がリオセスリの方に向けられる。
「…そうね。それに、あとから愛が芽生えるなんてこともあるんだから、ね?」
「無いな。男には勃たないんだ」
今のところは。
「下品よ!もう……そんなの分からないわよ」
続く。