いつかアナタの味になる 水風船を割ったように、“帳”が解けた。
「お二人とも、お疲れさまでした」
帳の外では伊地知さんが迎えてくれた。
「お疲れさまっす」
「お待たせしました」
「お怪我もないようでよかったです」
車に乗り込むと気にしないようにしていた疲労がじわりと広がっていく気がした。足が重い。もう今日はなんもしたくない。
「今日の呪霊は逃げ足が速かったですが、それだけでしたからね」
「強くなかったのはいいけどさー。俺、あちこち走り回ってさすがに疲れたわ~」
「いい走りっぷりでしたよ」
「ていうか、ナナミン俺のこと囮にしてたよね?」
「……してませんよ?」
「いや何その間!」
ふふ、と伊地知さんが笑う声が聞こえた。
「ねぇ~ひどくない伊地知さん?」
「伊地知君に絡まない」
「……なんかナナミン、伊地知さんには優しいよね?」
「私は五条さん以外には皆さん平等に優しくしてるつもりですよ」
「なんそれー」
「……ともかく、伊地知君にウザ絡みしないように」
「へーい」
どっちかっていうと絡んでるのはナナミンにだったのだけど。
伊地知さんは困ったように笑って、話題を変えようと「どこかに寄って行きますか?」と聞いてきた。
「あ、伊地知さん、ケーキ屋寄って! おすすめのとことか、どこでもいいから」
「ケーキ屋……ですか。まだ夕方なのでデパ地下スイーツも間に合うと思いますよ」
「あ~、じゃあそれで!」
「わかりました。じゃあここから近いところに向かいますね」
そうしてデパートについた俺たち。伊地知さんも来るか聞いたけど、車で待ってるとのことだった。
「というか、私まで来る必要あったんですか?」
「まぁまぁいいじゃん。たまにはさ~」
「釘崎さんのお使いなら、リスト的なものがあるでしょう? 荷物的に厳しいのならもちろん手伝いますが……」
「なんで釘崎?」
「え?」
「ん?」
お互いに「?」が浮かんでいたように思う。
そこでようやく俺は、ナナミンも伊地知さんも俺がまた釘崎のお使いを頼まれてるのだと思っていたのだと気付いた。
「違う違う! 今日はナナミンの誕生日用のやつ買おうと思って寄ったんだよ! ほら、誕生日当日は忙しかったじゃん?」
もちろん日付が変わった瞬間にメッセージは送ったし、その後電話でもおめでとうは言ったけど。
ぽかんとしたままのナナミン。考えが止まってるなーという感じのナナミンはなかなか見ないからこれはこれで新鮮でいいよな。味わい深いっていうか!
「あ……それとも、なんか、いまさらって感じ?」
あまりにもナナミンの反応がなかったので、もしかしてと思った。
「ああ、いえ。そうではなく……少し、想定外だったもので」
「あ、そうなん?」
「はい。でも虎杖君、こういうのってサプライズとかで買ってくるパターンが多いのでは?」
「あー、それも思ったんだけどさ。俺ナナミンがなんのケーキ食べるかとかいまいちイメージがつかなかったから、いっそ自分で選んでもらおうかなと思って。それでつい連れて来ちゃった」
「……なるほど」
ナナミンは照れ隠しかサングラスの位置を直していた。目つきのこととか気にしてるぽいけど、気にせず外したらいいのに。
デパート内では長身・白スーツ・サングラスなナナミンにちらちらと女性の目線が行ってるのがわかる。わかるよ。ぱっと見怖そうだけど、よく見たらスタイリッシュだしカッコイイよな。声も良くてさ……まあ俺の恋人なんですけど。
「というわけで、気を取り直して誕生日ケーキ買ってこう!」
ナナミンのケーキで悩みまくったのは事実だ。甘すぎても良くない気がするし、だからといってあまり甘くないものってなんだ? ケーキなのに? と考えていたらもうわけがわからなくなった。
釘崎に聞けばいいのに、と伏黒につっこまれそうだが、それはそれでなんか嫌というか……『そもそも誕生日当日からもう数日経ってるんだけど』と怒られそうで嫌だったのもある。俺だって当日祝いたかったよ? というか祝いたかったの知ってるくせに言ってくると思う。愛でどうにかしなさいよ、とかそんな理不尽な感じで。
「伊地知君をあまり待たせるわけにも行きませんし、早めに決めてしまいましょう」
「応!」
そんなわけで男二人、デパ地下スイーツ店を回り始めたのだが、本当にナナミン、ちらちらと見られてる。
ショーケースを見ているナナミンにやたらと店員さんは声をかけている気がするし。(普通の接客かもしれないけど)
「ナナミン気になるのあった?」
「そうですね、どれも美味しそうですし、最近のケーキはデザインが凝ってるなと思ってついつい見てしまって……」
「いやいや、選んでよ?」
思わず顔がゆるんでしまった。パンを選んでいる時のナナミンもそうだけど、結構食べ物に対しては真剣になる気がする。
「つか、誕生日っつったらショートケーキのイメージ強いけど、そうじゃなくていいん?」
「たしかにホールケーキでイチゴのものは定番ですが、さすがにこの年でホールは厳しいですからね」
「さすがにホールは無理でしょ」
「それに、生クリームの甘さは店によって違いますから、私があまり得意でない味だった場合、かなりつらい戦いになるかと」
「いやだから無理せんでいいって。普通にカットされたやつね、オッケー」
デパ地下スイーツは値段も張るがナナミンが言っていたようにどれも綺麗だった。
俺も思わずまじまじとケースの中をのぞけば、フルーツタルトのケーキはどれもつやつやで瑞々しく見えるし、チョコレートケーキは綺麗な光沢に金粉が上品に乗っていたりする。ケーキに乗ったチョコレート細工は複雑な形をしているものまであって、見てるだけでも面白いなと思った。
「虎杖君」
「え、何? 決まった?」
「あぁいえ。虎杖君は食べたいものはありましたか?」
「俺? そういや俺のぶんまで考えてなかったな……」
「せっかくですし、君も好きなものを買ってください」
正直、俺は何でもいいんだけどな、と思った。
ナナミンが俺が買ったケーキ食べてくれるなら、それでいいかなって思った。
ナナミンなら俺が買ってったものなら、たぶん何でも食べてくれそうな気がするけど、それでもやっぱり好きなもの食べてほしいと思うじゃん?
「じゃあ俺は、ナナミンが選ばなさそうってわかったショートケーキにでもしようかな。ナナミンどこかのお店で気になるショートケーキあった?」
「そうですね……あそこの角の店舗のものは良さそうでしたよ」
「そか。じゃ、俺そっちの買ってきちゃうから、ナナミンも食べたいケーキ決めといて!」
ナナミンが言ってた店は何人か並んでいた。といっても、デパ地下のスイーツフロアなんて、どこも何人かは並んでいたりする。特に今日は休日の夕方。フロアは人で溢れていた。
前の人が自分の番が来たのに買うケーキが決まっていなくてまったく進まない。はよ進んでくれないかなと思いつつ、ようやく目的のケーキを買えた。
自分の番が来た時、そういやケーキは1つでよかったんだっけ? と突然不安になって、結局ショートケーキを2つ買った。まあ、ホールケーキじゃないから問題ない。
「虎杖君」
「あ、ごめんナナミン! お待たせ!」
少し時間がかかったのでナナミンがこっちに様子を見に来てくれていた。
「って! ナナミン買ってる」
「ええ、気になったものがあったので」
「ちょ、そこは俺に買わせてよ」
せっかくの誕生日ケーキ、俺から買ってあげたかったのに。
「まあまあ。そろそろ伊地知君のところに戻らないといけませんし、向こうのお店も混みだしてしまいそうでしたから……」
スマホで時間を見る。たしかにそろそろ戻ったほうがいいかも。
「それでは目的のものは変えましたし、戻りましょうか」
「うん。あ、ここだけ寄っていい?」
「わかりました。では伊地知君に電話しますね」
ちょうど接客が終わった目の前の店員さんに声をかけてお菓子を買った。
「伊地知さんお待たせ~! はい、これ伊地知さんのぶんね」
「えっ、私に? ありがとうございます!」
「安いやつだし、言っちゃあれだけどついでだから気にしないで! またせてごめんなさいぶんも入ってるから」と冗談っぽく笑えば、伊地知さんは「そういうことなら頂いておきますね」と嬉しそうに笑った。
「では、お疲れさまでした」
「お疲れさま~」
「お疲れさまでした」
伊地知さんの車を見送って、俺はそのままナナミンの部屋に上がり込んだ。
久しぶりにナナミンの部屋に入った気がする。
「ナナミンの匂いがする~!」
「……なんですかその感想」
買ってきたケーキをナナミンは大事そうに冷蔵庫にしまった。
「ほら、虎杖君のも」
「あ、うん。お願い」
「ケーキは夕食の後でいいですか?」
「あ、そだね。というか夕飯のこと何も考えてなかったわ」
「奇遇ですね、私もです」
今日は朝早かったしな、とふと思う。
思えば今日のナナミンはあまり頭が回ってない気がした。
もしかしたら仕事続きでまた寝不足なのかもしれない。俺もちょっと寝不足気味かも。まあ今日の寝不足は、「明日はナナミンに会える!」とテンションが上がりまくってなかなか寝付けなかったからなんだが。
「とりあえずコーヒーでも飲みますか。いまお湯沸かしますね」
しばらくしてシュンシュンと湯が沸く音に変わった。
「虎杖君、ミルクと砂糖はお好きにどうぞ」
「ん、ありがと」
コーヒーのいい匂いが部屋に満ちていく。なんかほっとする。
「ところで夕飯どうしようね? 正直に言うと、俺ちょっと眠くなってきてんだよね」
「奇遇ですね、私もです」
「それ、さっきも聞いたな。ナナミンも実は結構眠かったりする?」
「そうですね……」
「あー、じゃあさ。ケーキ食べてから仮眠して、起きれたら夕飯、起きれなかったら朝飯か昼飯になんか食べに行くのはどう? 明日は休みでしょ?」
「仮眠は賛成です。でも、甘いもの食べてすぐ横になるのはどうかと思うんですよ」
「それは思うけど、今日は動き回ったからプラマイゼロでしょ。あとさすがに風呂は入らないとだけど。浸かったら寝そうだから、シャワーだけにして……心配なら一緒に入る?」
「まあ、それもいいですね……」
「――ん?」
「はい?」
「あ、いや、なんでもないよ? ほら、とりあえずコーヒー飲もう?」
まさかナナミンからOKが返ってくるとは思わず、変な声が出てしまった。ふわふわした喋り方になってるし、これもう相当眠いんだろうな。
「ナナミン、使っていい皿ってどれだっけ?」
「ああ、それならこっちに――」
コーヒーで少しだけ眠気が飛んだのか、いつもの喋り口調に戻っていた。
「もう食べるんですか?」
「いや実はさ、俺ケーキ2つ買ったんだよね。俺のぶんだから1つでもよかったんだけど、なんか、つい」
「なるほど。そういうことでしたか」
ナナミンは冷蔵庫を開けて俺のケーキの箱を取り出してくれた。
「だから1個はいま半分ことかしちゃってさ、もう1個はあとで食べようかなって」
ナナミンはさらに自分のケーキの箱も取り出した。
「あ、それとも今食べちゃう感じ? 俺はそれでもいいけど」
「ああ、いえ。実は――」
そう言ってナナミンは箱を開けていく。
「私もつい2つ買ってしまいまして」
そこにはカップに入ったケーキが2つ並んでいた。
「俺たち、考えること似てるね?」
「そうかもしれませんね」
二人でお互い買ってきたケーキを1つずつ取り出しテーブルに運ぶ。
「じゃあ……ナナミン誕生日おめでとう!」
「……ありがとうございます。もう何回も言ってもらっていますが」
「こういうのは何回言ったっていいじゃん? あ、そうだ。忘れてた」
俺はケーキが入っていた紙袋を見る。しまい忘れていたチョコレートがそこに入っていた。
「はい、これもどうぞ」
チョコレートプレートには「Happy Birthday」と綺麗に書かれている。
伊地知さんにお土産を買った店舗に、個別に売っていたのを見つけたのでナナミンにばれないようにこっそり買っていたのだ。
「あまりこういうものをもらうような年ではないのですが」
「いいのいいの! 誕生日っぽさはでるでしょ? あ、それとも嫌だった……?」
「少し恥ずかしいですが……君にもらうものなら嫌ではないです」
「そっか!」
とはいえ、ナナミンの買ってきたケーキ? というかグラスに入ったムース? みたいな何かにはチョコレートプレートは乗りそうにない。ナナミンは少し悩んで、それから俺のショートケーキに乗せていいか聞いてきた。
すっかり誕生日ケーキらしくなったショートケーキがちょっと誇らしい。
「そういやナナミンのこれは何買ったの? めっちゃ綺麗だけど」
「ああ、これは『サヴァラン』という洋酒を使ったケーキですよ」
「へぇ~知らんかった」
「店員さんが言うにはかなり洋酒をきかせているとのことですので、もしかしたら君にはまだ早かったかもしれません……」
「いやいや、それくらい――」
と言いかけて、俺ははっとした。
「ま、まあお菓子に洋酒入ってるやつとか結構あるじゃん? じゃあ今はお互いのをちょっとずつ食べ比べするとかはどう? ちょっと苦手かもって思ったら自分が買ってきたもの食べればいいし、俺はせっかくだからナナミンにショートケーキひとくちは食べてもらいたいし! ひとくちくらいなら、洋酒きいてても大丈夫でしょ、たぶん!」
「……まあそうですね」
何かを言いたそうにしていたように見えたけど、気のせいだな、たぶん。うん。
「じゃあ、はい。半分こってことで」
「わかりました」
「まずは、自分が買ったやつから食べてみる?」
「そうですね、そうしましょうか」
お互いにフォークをもってケーキを口に運ぶ。
甘いクリームのあとに、イチゴのさっぱりとした酸味がくる。
「うん、甘いけど美味いわ」
「……こちらも、洋酒がしっかりきいていて美味しいです」
「ナナミンの口にあったならよかったよ。じゃあこっちも食べてみて」
俺はフォークで一口大に切り分けてナナミンの口元に持っていく。あーんの形だ。ナナミンはためらわずにそのまま口を開けた。
「ん、甘い」
一瞬、ナナミンの眉がぴくりとした。
「思ったより甘かった?」
「クリームは……そうですね。でも、イチゴが美味しいです。コーヒーにもあいますね」
「そかそか」
「今度はこっちのもどうぞ」
ナナミンはそっとグラスごと差しだしてきた。
「ナナミン、俺にはあーんしてくれんの?」
「……洋酒でひたひたになっているといったでしょう? 零れてしまいそうですから」
「ちぇー。まあ、今度してもらうからいいか」
俺はナナミンの買ったケーキを食べてみる。
生クリームの甘さ、オレンジの風味がしたと思ったら、つよい洋酒の風味が広がって思わずむせた。
「大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。……思ったより酒の味強いんだなってびっくりしただけ」
「そういうお菓子なんですよ」
コーヒーを飲む。まだコーヒーの苦みのほうがいいかもと思ってしまった。
「は~、大人の味だったわ」
「ふふ、まだちょっと君には早かったですかね」
「ショートケーキは?」
「久々に食べましたが……もう少し生クリームが甘くないほうが私好みですかね」
「そかそか」
「もうちょっとイチゴが多ければいいかもしれません」
「それもうイチゴ食べたほうがよくない?」
ふふ、とナナミンが笑う。
もうすっかり眠気はなくなったようだった。
俺もやさしく笑うナナミンを見ていたら眠気なんかどこかに行ってしまっていた。
「虎杖君、コーヒーのおかわりいりますか?」
「ああうん。もらおっかな」
とぽぽ、とお湯を注ぐ音と、淹れたてのコーヒーのいい匂いがふわりと香ってくる。
漂っていた甘い匂いが少しずつ上書きされていくようだ。
「ナナミンが買ってきたケーキなんてったっけ? さ、さ、」
「サヴァラン、ですね。洋酒をきかせたブリオッシュ生地のケーキで、ドーナツやカップケーキみたいな形でクリームやフルーツがトッピングされていることが多いんですがどれも洋酒が――」
「待って待って、ブリオッシュってパンじゃないん??」
もしかしてナナミン、無意識にパンを求めてたりする?
そこからデザート系に振り分けられるブリオッシュがパンかデザートかでちょっとだけ盛り上がった。
皿とカップを片付け終えて、なんとなくナナミンをじっと見つめる。
相変わらず、かっこいいのにかわいいなと思って、俺は思わずキスをしていた。
「……洋酒の味がする」
「アナタは……甘いですね」
ふふ、っとお互いに笑ってしまった。
「……付き合ってくると、考え方とか好きなものとか似てくるっていうじゃん? いつかこの味もわかるようになんのかな?」
「……そうかもしれませんね」
ナナミンの声が甘くなる。
もう一回キスをする。
もうさっきまでの洋酒の苦さはなくなっていた。