大鴉の命題斬撃音の果てにある未来とは何だ。
「やるよ、オレの命」
碓氷アブトの中で覚醒を邪魔しているものがある。
じわじわと脅し続けたとしても心を完全に支配できるものではない。その時間もない。必要以上に傷つける訳にもいかない。ならば取れる手段があるならば迷わず利用する。
碓氷アブトを初めて肉眼で確認したのは横川だった。その時に偶々そこにいた少年とはこの頃はまだ知り合いではなかったはず。そして二度目、盛岡駅付近で出会った姿を思い出せば、すでにあの少年は当たり前のように隣にいた。次に九州で会った時も傍らにいた。
宇宙人と友達になるのが夢なんだ、とまっすぐに臆面もなく語ったあの少年。
ほぼ間違いなく緑のシンカリオンの運転士である彼。
もし彼と碓氷アブトの間にある絆なり友情なりと呼ばれるものが堰となっているのならば、それを決壊させる必要がある。
アリの巣のようなわずかな綻びさえあれば、そこから崩落させることは可能だろう。
ダークシンカリオンの座席すらない車両に今は閉じ込めている、私達の切り札。
わずかに発光しているとはいえ、狭く暗い空間に幽閉され続ければ精神は徐々に崩壊、意気は喪失していくはずだ。太陽と共に生きている生物はそうできている。ましてや、夜でも明かりを手放さないニンゲンの中で育った子供ならば。
よく精神が持っている方だとは素直に賞賛はする。でも、そろそろその強情な魂を劣化させてもらわなければ困るのだ。
なるべく眠らないようにしている様子だが、睡眠をとらずにいられる生物などいない。常に緊張に晒されている彼こそ例外ではない。眠った気配を感じて私は彼にとっておきの夢をプレゼントした。
「…シン君と久しぶりに遊べるわよ。良かったわね」
…俺は何をやっていたんだ?
気が付けばパイロットスーツ姿でダークシンカリオンの中に立っていた。
運転席にいない間は普段のツナギのはずなのに、どうして?
ここは幽閉されていた車両のはずだ。
手の拘束はない。代わりにダークシンカリオンの武器であるトライデントの柄を握りしめていた。
車両内でこの長い武器は邪魔なだけだ。すぐに壁や天井に当たって傷つけてしまう。
「自分を閉じ込めている車両でも傷つけたくないんだ。やっぱりアブトは鉄道が大好きなんだな」
久しく聞けていなかった声がして急いで振り返る。
…シン?
車両の一番奥、後続の車両と繋がるドアの前で入り口をふさぐように俺と同じくパイロットスーツ姿のシンがいた。モニター越しでは何度も目にしている見慣れた姿。適合率があるものだけが身に着けられるスーツ。…目を反らしたくなったのは何故だろう。シンの手にもE5の武器、エキスカリバーが握られていた。何だかその武器の色味が少し違う気がする…そんなに黒ずんでいたか?
そんな距離ではないはずなのに車両内が薄暗いためか、前髪に隠れて表情が分からない。
何故ここにお前がいるんだ。
「結局さ、アブトは何がしたいんだ」
そんなの決まってる、父さんと母さんと、皆を地球を護りたいんだ。
「全部か!それはすごいね」
バカにしてるのか。お前もそうなんだろ。
「オレはそこまで強欲になれないよ。さすが天才の話すことはスケールがでかいな」
俺は天才じゃない。
「それでも俺よりも多くのことが出来るだろ」
こんな攻撃的な口調で話す奴だったか?
それとも…隣から消え、武器を向けた俺に対しての態度がこれかと言われたら何も言えなくなる。
俺は、あんなふうに「倒す」と言い切っておきながらも、シンにこんな風に敵愾心を持たれることなど全く想像できていなかった。そう仕向けたのは俺なのに。仲間に武器を向け、銃弾を放ち、あの味方のエージェントに怪我もさせた。…俺はもう敵認識されているに決まっている。なのに、なんでこんなにも胸が苦しいんだ。
覚悟も見通しも何もかも甘かったのは認める。でもシン、お前なら分かってくれるよな。今なら俺の置かれた状況を説明できる。
一歩、シンへ近づこうとした時、遮るようにシンが口を開いた。
「Nevermore」
不穏な英単語に足が凍る。
「大ガラスの台詞なんだけど、知ってる?」
いつもの、オカルト話か?
「知らないならいいよ。ただ真似してみたくなっただけだから。じゃあ、始めようか」
何を?
「ここは、オレかアブト、どちらかが相手の息の根を止めないと出られないんだよ」
足だけでなく、思考も呼吸も何もかも凍る。凍る。凍結する。
手先がぴくりとも動かせない。
なん…だって
「あれ? 天才でも意味が理解できなかった? アブトがオレを殺さないとアブトはここで終わるってことだよ。今からオレたち殺し合いをするんだ」
言葉は分かる。だが意味は理解できない。
なんだそれは。そんな、馬鹿なこと…
「オレはここを出なきゃいけない。ダークシンカリオンを倒さなきゃいけないんだ」
武器を、俺に突き付けた。
前髪の陰に隠れていた顔が上げられ、やっと見られたシンの表情は、殺意にほの暗く燃えていた。
本気なのか、シン。
どの口がいう、と我ながら思う。でも問わずにはいられない。俺たちの時間は、そんな軽いものだっただろうか。
「アブトは確かに特別だよ。シンカリオンZやザイライナーを作っちゃうし、整備だってできる。研究所の大人たちはみんなアブトをすごいって認めている。それに比べてオレの代わりはいる。たまたまそこにいたオレの適合率が高かっただけで、他にオレみたいなやつがいたら、オレじゃなくてもよかったんだ」
それは…その通りだ。でも、シンでなくてならなかったと今なら強く思う。あの時、可能性はゼロじゃないと言ってくれたお前だから、俺は
「でもな」
シンの言葉は終わっていなかった。
続いた台詞に、何もかも見透かされたようなそれに、俺自身でさえ気づいていなかったものが、奥底をえぐるように掘り起こされる。
「お前はオレにはなれないよ」
シンでよかったと思った。
シンが来なければとも、思ったかもしれない。
突き付けられたのは剣じゃない。
オレの弱さだ。認めたくなかった、俺の醜い子供じみたただのわがままな…これをなんと呼べばしたらいいんだ。誰か教えてくれ。父さん
「いいんだよアブト。だってオレたち子どもじゃないか。だから思いっきり自分のわがままのために殺し合おうよ。それとも、アブトが護りたかったものってその程度だった?」
そんなわけないだろ。俺が一体どんな思いでいたと思ってるんだ!
「オレは護るために戦うよ」
おれだって、オレこそが護りたいんだ。オレが、俺だけが乗れるシンカリオンで、今度こそ。
でも、その護りたいもの中にお前だっているんだ。
「Nevermore」
すでにシンは踏み出す体勢になっていた。踏み出したら俺たちの関係は終わってしまう。
待ってくれシン、俺は…
「Nevermore(二度とない)。アブト、覚悟しろ」
俺の想いはいつだって虚しく無力で、足は踏み出された。
向かってくる、俺の心臓をまっすぐに狙う剣先にただ恐怖した。頭の一部は冷静に、手の中の武器でシンの剣筋を弾き飛ばす。
キイン…
金属同士がぶつかる鋭い音が、狭い車両の中で跳弾するように響いていつまでも消えない。
シンは一度飛び退り、再び構えて突進してくるつもりらしい。
まっすぐ、暗い目を向けられる。
その瞳に俺は………強い違和感を感じた。
そうだ、俺はダークシンカリオンに閉じ込められていた。シンがいるはずがない。そして戦うのもおかしい。息の根を止められないと出られない? なんだそれは、そうだとしても、シンはたとえ敵になったとしても、こんな風に迷いなく俺を、他人を切り捨てられる奴じゃない。シンは、シンは――
二度、三度、火花が散るような衝突を繰り返しながら、俺は違和感を必死に抱きかかえる。これを手放してはいけないと本能で感じていた。
俺は叫んだ。
「シン! 大ガラスとはなんだ!」
シンは答えない。再び、馬鹿の一つ覚えように突進してきたそれを俺は身を捻って交わす。背後を取った。トライデントの柄の方で背中を突く。べしゃりと床に倒れたシンは、急いで体を起こそうとしたが俺は背中にドンと跨るように座り込んだ。力任せに起き上がろうと暴れる身体を、全体重をかけて抑え込む。
「アブトぉぉぉっ!」
俺の名を型どったシンの咆哮は、怒り、怨み、そういったもので赤く染められている。
横目で俺を射殺さんと睨んだシンの鼻先に刃を突き立てた。
シンの体から抵抗する力が抜ける。
勝負は決まった。
「「はぁ、はぁ、はぁ」」
二人分の荒い呼吸。
それが落ち着いたとき、諦めた顔でシンは薄く笑った。
「これだけ戦えるなら大丈夫だな。やるよ、オレの命。それでオレの分まで皆を護ってくれ」
「…ちがう」
「なんだよ。さっさとしろよ」
「嫌だ」
「何をわがまま言ってるんだ。アブトは救世主なんだから」
「…? 何だ救世主ってのは。それよりシン、一緒にここを壊そう。扉が開かないなら壁を壊そう。幸いにも武器はある。俺とお前、二人なら可能性はゼロじゃない、だろう?」
「オレたち、また一緒に戦えるとでもいうのかよ」
「その通りだ」
「Nevermo……」
俺は最後まで言わせずに手で口を塞いでやる。
ほの暗かったシンの瞳は、俺のよく知る蒼さになっていた。
俺はシンの上から退いて立ち上がり、シンに手を差し出して立ち上がらせようとして…………
そこで世界は闇に包まれた。
寝息を立てる子供を見下ろして私は細く長い溜息を吐いた。
思った以上に厄介だわ。
子どもの強欲さを甘く見ていた。柔軟でまだまだ不十分で未熟だからこそ、一度手にしたものは手放さない。手放せない。魂に刷り込みさせ絡み合わせて死に物狂いで抱え込む。大人でないからこその強さに私は正直舌を巻くしかなかった。
欠落させることが出来ないのならば、代替品が必要かしら。
刷り込みの入れ替え。
そうであればあるいは……