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    ふきのとー

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    ふきのとー

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    『証明問題』 カリカリ、鉛筆の黒い頭が紙に削られていく音が心地よい。
     宿題のプリントと自立するタイプの筆箱を置いただけでいっぱいになってしまうローテーブルで、シンは背中を丸めて目の前の作業に集中していた。
     せっかくの休日、先日から独身寮の俺の部屋で『遊ぶ』約束をしていて、朝から春の陽気のように受かれていたのだが、どうしても進められない箇所があると眉を八の字に下げながら宿題を持ち込まれた時は機嫌が曇った。
     しかし俺の気分が完全に低落する前に、上目遣いでの「助けてよ」は効いた。
     誰もが自然と手を貸してやりたくなるような人望と魅力を持つ奴だが、真正面からそのワードを聞ける者は案外少ないのではないだろうか。何だかんだで自分の中で抱え込みがちな所は俺と似ている。
     稀少な一言で俺の天気は大方回復しているのだが、仕方がないといった態度を大きく示してやったら「後でこの借りは返すから」と自ら率先して墓穴を掘ってくれた。しめしめ、と口角が緩むのを背中を向けることで誤魔化し、部屋の中央にテーブルを用意してやった。
     それから暫くは優等生のような宿題タイムだ。俺の通っている学校の教科書とは出版社は違えど内容は変わらない。懇切丁寧に、鉄道の話をする時よりも噛み砕いて教えてやれば、尊敬の眼差しを向けられる。キラキラした蒼い視線だけで自尊心がくすぐられた。
     授業で指名されて回答した時にもクラスメイトたちから似たような視線を受けるが、特段その時は何も思わないのに。
     ちなみにシンや他のクラスメイトとは違って「まぁ、アブト(君)だから」で俺のやることなすことを右から左へと流す二人もいる。この二人は過分な感情を俺に抱かないから、シンとは別の意味で共にいて心地よい。
     そういえば、彼らは隣の部屋で朝から何をしてるんだろう…。絶対に寄るなとは厳命されたが。
     その時のハナビの、まるでこれから決戦に挑むかのようなあの剣幕はいったい…?
     壁の向こうについ思考を飛ばしていれば、順調に鉛筆を滑らせていた音がふいに止んだ。シンが苦手だと言っていた証明問題に差し掛ったようだ。ちらりと俺の方を視線だけで伺ってくる。これで良い?大丈夫かな?と口よりも雄弁な大きな目が面白くて、あえてどっちにも取れるような意地悪げな笑みを浮かべる。
     俺が助け船を出すつもりがないことを察して、むぅと唇を尖らせた。

    「ほら、手が止まってるぞ」

     早くしないと、その分俺と『遊ぶ』時間が減るからな。耳元に流し込むように囁いてやれば、慌てて視線をプリントへ戻す。その耳と頬、そして首筋までほんのり桃色だ。
     書いては止まり、消しては書き直す。
     頰肘ついて何となくその様子を眺めていれば、シンのプリントを押さえた指先にある問題文が目に入った。

    『AとBが同じであることを証明せよ』

     定型例さえ記憶しておけば解答できる基本的な問題だ。しかし、シンは自分の腹に理屈を落とし込むのに何かが引っ掛かってるらしい。何でもないことを先程教えたので、理解力のある彼ならば、もう一人で解けるはず。
     黒い線が走る様子を見守る。
     期待通り、几帳面な読みやすい字で拙い証明理由を最後まで書ききることができた。
     シンは鉛筆をテーブルに放った。

    「終わったー!」

     両腕を天へ伸ばして解放感に浸るシン。
     カランと転がる鉛筆を片付けるよりも早く、ぐるりと身体ごと俺に向いた。
     キラキラした顔は、誉めて誉めてと尻尾を振る犬のようだ。
     
    「なぁ、キスしてよ」

     こんなこと臆面もなく言う奴だったか?
     彼にとっての『壁』を乗り越えたテンションから少しハイになってるのかもしれない。正気に戻る前にと、ふさふさの深緑の髪に手を伸ばしてかきあげてやる。
     気持ち良さそうに細めたまなじりに、少し唇を尖らせて口付けを落としてやる。へへっと満足そうな笑いが漏れた。
     本当に犬みたいだな、とからかってやろうと口を開けば

    「アブトって犬みたいだよな」
    「…は?」
    「だって、ずっと良い子で『待て』してたからご褒美くれって顔してた」

     このやろう。眉がピクリと上がったが、どうせならそれを利用してやれ。俺は無言のまま、大型犬が飼い主にじゃれつくイメージで飛び付いてやった。頭を床にぶつけないようにだけ注意して押し倒し、ベロリと桃色の頬をなめあげる。
     「何するんだよ!」と文句が返ってきたが、笑いながらなので構わないだろう。俺の予測を裏付けるように、シンは転がったまま起き上がろうとはしない。
     仰向けの身体に乗り上げる。俺の影のせいで暗く映る顔に向け、犬歯を見せて笑ってやった。

    「あんな簡単な問題でお預けされてたんだ。しっかりご褒美くれよ。飼い主」
    「ちょ、待てって、待て…あははははっ」

     服をたくしあげてムードもなくくすぐってやれば林檎色になって身を芋虫のようによじる。
     先程言質はとったからな。遠慮なんかしてやらない。

    「か、簡単な問題だっていうけどな、ちょっと分からなくなっちゃったんだよっ」
    「あの程度は暗記の範囲だろ。この先のは理屈を考えれば」
    「簡単な証明問題だからこそ」

     俺の台詞を遮り、段々とくすぐったさからとは違う震えを纏いつつ、シンは続ける。

    「当たり前に分かってることを改めて説明するって、すごく難しかったんだ」

     シンは脇腹をくすぐっていた俺の手を掴んで胸元に引き寄せた。

    「問題。新多シンは碓氷アブトが大好きです。それを証明してください」

     とくとく、と薄い胸板から早い鼓動が掌に伝わってくる。
     とっさに何かを返そうとして、適切な言葉が見つからず黙った。
     なるほど、確かに簡単であるほど難しいな。こんなにもシンの気持ちは伝わってくるのに。
     俺はシンの腹の上に跨がったまま腕組みをした。

    「そうだな…」

     指先を石灰で真っ白にして黒板に解答を埋め尽くすように、お前を白に塗りつぶしたらマルはもらえるだろうか。

    「あー!今えろいこと考えただろ。最近分かるんだからな!」
    「悪いか」
    「開き直った!」
    「じゃあ、お前は分かるか?」

     俺はシンの手を取ると先程とは逆に、自分の胸部、心臓の上に導いた。
     さっきから内側を痛いくらいに叩くこの鼓動が伝わるように願って、シンの手を俺の手でぎゅっとそこへ押し付ける。

    「問題だ。碓氷アブトは新多シンが好きだ。それを証明せよ」
    「…………」
    「今えろいこと考えただろ」
    「アブトがえろカッコいいから仕方ないだろっ」
    「何だそれ」
    「いいから『遊ぼう』よ。ちゃんと証明してやるから」

     自ら服の裾をひっぱりながら強気で言ってきたので、俺もツナギのファスナーに指をかける。
     宿題は終わった。心置きなく遊びに耽り、簡単な難問に二人で挑むことに異議などない。

    「せいぜい及第点は取れるようにしろよ」
    「そっちこそ、赤点とるなよ」
    「安心しろ」


    「俺はこのかた赤点なんて取ったことはない」






     
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