広い家 3 仗助が露伴と同居を始めてから、あっという間に三か月が過ぎた。十二月に入り、世間はすっかりクリスマス一色である。そんな中、仗助は上司からしばらく休むようにと通達された。
「東方くん、代休と有休ため込み過ぎだから、呼び出しかかるまで休んじゃっていいよ。幸い、急ぎの案件もないし」
本来、有給休暇とは自分が好きな時に休むものである。しかし、仗助は財団で働き始めてからろくに使ったことがなかった。そのせいで、消えてしまう有給が山のようにあり年内はその消失を防ぐために休めと言われたのである。もちろん、仗助が断固として使いたくないと言えば拒否もできるのだが、放っておいたら消えてしまう休みである。ならばと思い切って使うことにした。
「君さあ、毎日毎日そこで自堕落にテレビを見ることしかできないのか? 正直、邪魔なんだよ。こっちは仕事の息抜きがしたいのに、ダラダラしてるだけの奴がいるとさ。出かけるとかしろよ」
「師走っスよ。どこ行っても混んでるし、休むのも仕事の内なんですー」
「はあ? そりゃ休養も大事だけどさ、ソファに寝転んで菓子食い散らかしてるのはどうかと思うね。お前、ここ一週間で目に見えて太ってるぞ」
「ぐっ……」
「キッチンのゴミ見たか? お前の頼んだピザの箱でパンパンだ。ああ、そうだ。あれ捨てて来いよ。そこで置物になってるなら、せめてゴミ出しくらいしろ。あと、散らかした分掃除もしろよ」
「わーってますって」
「全然わかってないから言っている」
顔を合わせる時間が長いと露伴の小言も増える。元々気の合わない二人なのだ。これは想像できたことではあるが、できれば避けたい問題だ。それに、露伴に指摘されるまでもなく仗助は自分が無為に時間を過ごしているのは感じていた。
基本的に、仗助にはこれといった趣味はない。恋人がいる時には休みに合わせて出かけていたが、今は独り身である。TVゲームをしたり、パチンコを打ったりというのもあるが、いずれも趣味というほど打ち込んではいない。ひとまず露伴に言われた通り、乱雑に放っておいたゴミをまとめて集積場に捨てに向かう。玄関を出て、マンションの廊下を歩いている時にふと思い浮かんだ。
「飯、作ろうかな」
料理は苦手ではないが、得意ともいえない。そのため、手際があまり良くないため時間がかかる。幸い、仗助には有り余るくらい時間があるので手のかかる料理をしてみようかと思いついたのだ。
「露伴に食わせたら恩も売れそうだし」
仗助も露伴も自炊は全くしない。キッチンは元恋人の希望でかなり広いのだが、完全に宝の持ち腐れになっていた。冷蔵庫も大きいサイズのものがあるが、露伴が愛飲しているミネラルウォーターでほぼ占められている。
「あのー、夕飯作ろうと思うんですけど食います?」
部屋に戻り、ちょうどリビングにいた露伴に尋ねると怪訝な表情を浮かべた。
「君が……? まあ、タダなら頂くけど」
「金なんて取らないっスよ。じゃあ、二人分作りますね」
「どういう風の吹きまわしだ?」
「いや、まあ確かにダラダラしてんのも勿体ないかなって」
「そりゃそうだな」
「ちなみに好き嫌いってあります?」
「一般的に手に入る食料にはない」
「りょーかいっス」
微妙に引っかかりのある返答だったが、仗助は大人しく聞いておいた。恐らく質問したところで後悔するような返答しかないと判断したためである。
仗助は上着を羽織り、財布とポケットに突っ込んで外へ出た。杜王町にはほとんど雪は降らないが、風は冷たい。生まれも育ちもこの町ではあるが、仗助はかなり寒がりだった。マフラーに顔を埋めて、近くのスーパーへ向かう。料理をすると決めたが何にするとも決めていない。ただ、寒いので温まるものがいいなと思った。
「んー……」
店に到着しても、何も思い浮かばない。仕方なくブラブラと歩いていると、クリームシチューのルーが平積みされていた。安売りしているようだが、普段いくらで売られているのかわからない。手に取ってみると、裏側にシチューの作り方と材料が書かれていた。
「お、これにしよ」
素人が素材を見て料理の感性系を描くのは厳しい。仗助はパッケージの裏側に書かれているものを律儀に全てカゴに入れた。これでシチューが作れるはずである。
「米とかあったっけ」
そもそもクリームシチューと白米は合うだろうか。実家にいた頃はシチューを米にかけて食べていたが、露伴はパン派かもしれない。少しだけ考えて、ロールパンを一袋買うことにした。米が重いと思ったからである。
「よし」
材料の入ったビニールを提げて、仗助は帰宅した。露伴は仕事をしているようで、家の中は静かだ。なんとなく足音を気にしてそっとリビングからキッチンに向かい、まずルーの箱を取り出した。
「えーっと、まず材料を切る……」
料理はしないが、道具は一通り揃っている。恐らく誰も使ったことのない包丁とまな板を取り出し、仗助は材料を指定の大きさに刻んだ。特に肉を切るのに苦戦したが、普段やっていないことなので面白い。
「全部で30分でできる……? マジで?」
手順を確認し、恐る恐る調理しているため想定の時間はとっくに過ぎている。どうにか煮込み始めたところで、露伴がリビングへやってきた。
「それ、カレー?」
「シチューです」
「へえ~意外」
その反応に、仗助はなんとなく誇らしい気持ちになった。確かに、カレーは一瞬頭をよぎったのだ。あれなら作ったことがあるぞと。しかし、ルーを見た時に最近テレビでよく見るコマーシャルを思い出した。その映像の刷り込みもあり、冬といえばシチューという印象があったのだ。それに、米を買うのが億劫だったのもある。
「寒いしね、最近」
「でしょ~」
心なしか露伴も嬉しそうである。露伴はミネラルウォーターを1本手に取ると、再び自分の部屋に戻って行った。仗助はそれを見送り、腕時計で煮込んでいる時間を確認する。
「お、そろそろ」
火を止め、ルーを溶かして弱火で煮込む。牛乳を加えてさらに煮込み、火の通りやすい野菜を入れればほぼ完成である。そこで味見をして、仗助は思わずガッツポーズを取った。
「うまい……!」
やはり、書いてある通りに作ると料理は上手に作れる。仗助はそう確信した。これからも、レシピの付いている料理を作ればいくらでも作れそうだ。
「いい匂いがする」
「うまいっスよ!」
「へえ~。ちょうど仕事終わったし、いただこうかな」
「ぜひ食ってください」
上機嫌で仗助はシチューを二人分よそった。ついでにロールパンも軽く焼いてダイニングテーブルに並べる。ここに露伴と向かい合って座るのは初めてだった。
「いただきます」
礼儀正しく手を合わせてから露伴がスプーンを手に取る。最初にスプーンが口に運ばれるのを、仗助は緊張しながら見守った。
「おいしい」
「でしょ!?」
「……なんか、ものすごく嬉しそうだな」
「いや、考えてみればお袋とじいちゃん以外に飯食ってもらって、うまいって言ってもらったの初めてで」
しかも、あの岸辺露伴である。もっとお前なんかが作ったものがうまいはずがないとかなんとか、いちゃもんを付けてくるような気もしていたのだ。だが、さすがに三か月暮らしてきたのは無駄ではなかったようだ。
「こういう家のご飯って久しぶりに食べたな。康一くんのところを出てからは出来合いのものばかりだったからね」
「そーっスね、俺も実家出てから初めてだな」
「落ち着くね、こういうの」
そこで、露伴はふわりと笑った。いつかの居酒屋で見た、自分には絶対に向けられない笑顔である。驚きと嬉しさで思わず「おお」と呟いてしまい、露伴に怪訝な顔をされてしまった。
「なんだよ」
「いや、露伴先生が笑ってたんで」
「はあ? 普通に笑うだろ」
「いやいやいや、あんた今まで全然俺に笑ってなかったって」
「そうか? 気のせいなんじゃないの」
しれっとした表情で露伴はシチューを食べ切った。そして無言で立ち上がると自分でおかわりをよそってくる。それを見て、仗助は内心拍手をしていた。
「パンもいいけどさー、ぼくシチューはご飯派なんだよね」
「んじゃ、明日米買ってきます」
「明日もご飯作るの?」
「ヒマなんで!」
だらだらとテレビを見て過ごすよりも、料理をする方が節約にもなるし露伴の反応も楽しめる。食卓を囲むと一気に距離が縮まるのだと仗助は感じた。全く撫でさせてくれなかった野良猫を手懐けたような感覚である。
「朝と昼は?」
「検討します」
そう言いながら、もう腹は決まっていた。仗助は今月、週に一度か二度出社すればいいスケジュールになっている。それ以外の休みの日は全て家で料理をすることにしようと決めた。もしかしたら、今度こそ露伴と友人になれるかもしれない。出会ったあの頃に感じた友情を形にできるかもしれないのだ。せっかく一緒に住んでいるのだから、親しい方がいいに決まっている。
「じゃあ、期待しておくよ」
また露伴が笑った。二度目である。こんな風に数を数えなくてもいいくらい笑い合える関係になりたい。それが仗助の当面の目標に決まった。
料理をするようになってから、露伴との関係は目に見えて良くなっている。食事をすることで会話も増え、仗助が仕事に行く日も「今日は飯がない」などメールのやりとりもするようになった。
「こないだのキムチ鍋と今日の味が違うね」
「あー使ってる鍋の素が違うんですよね。どっちが好みっスか」
「今日のやつ」
「じゃあ、これからはこっち使お」
「まあ、どっちも美味しいよ。ぼくの好みはこっちってだけ」
「主に食わせる相手はあんたなんで、好みに合わせますよ」
キムチ鍋の素はエバラ。仗助はそう心に刻んだ。基本的に、仗助の作る料理は味付けの決まっているものが多い。鍋の素、炒め物の素、カレーやシチューのルー……裏側に作り方が丁寧に書かれているものばかりである。その内、もっと自分の舌で作れるものも挑戦したいと思っているが、まだ挑戦はしていない。
「もうすぐクリスマスですね」
「そうだな。もう外に出るとクリスマスソングしか聞こえてこないよ」
「そーいや、俺クリスマスは仕事なんですよね。」
「へえ。何か予定でもあったの」
「あるわけないっスね。あんたが一番知ってるでしょ」
「そうだな。お前、マジで女の気配しないもんなぁ」
「お互い様だろ」
酷い別れ方をした仗助だけでなく、露伴にも恋人の影は全くない。そういう話をしたこともないが、恐らく漫画が第一の男なのでそれについてこられる女性がいないのではと仗助は想像している。
「クリスマスなんてただの平日っスよ」
「もうサンタも来ないしな」
もう少し料理の腕が上がっていれば、七面鳥を焼いたかもしれない。仗助はそんなことを思ったが、クリスマスの話題はそれきり忘れてしまった。
「あ」
迎えた12月25日。早めに仕事を上がった仗助は、夕食の材料を買おうとスーパーへ立ち寄った。そこで、半額になっているローストチキンやオードブルを見つけた。店内に客はまばらで、大音量で流れるクリスマスソングが妙に寂しさを演出している。
「これでいっか」
半額ならと手あたり次第に総菜をカゴに入れ、ついでに浮かれた紙皿なども手に取り、仗助はレジに向かった。
そして少し浮かれた足取りで帰宅したところで、意外なものを目にしたのである。
リビングにクリスマスツリーが飾られていた。チカチカと光る飾りを見ながら、朝はこんなものはなかったはずと必死で記憶を辿る。すると、露伴が入ってきた。
「おかえり」
「あの、どーしたんスかこれ」
「やけくそみたいな値段で売ってたからさあ、つい」
「いやいや、あんた金ないのにそんな無駄遣いして」
「これがある方がクリスマスっぽいだろ。季節感は漫画家にとって大切なんだよ。まあ、キリスト教では今日から1月5日まで祝うもんらしいし、年明けまで飾っておけばいいだろってさ」
すらすらと言い訳を口にしているが、要するに露伴も浮かれて買ってしまったのだろう。仗助と同じである。
「君もずいぶん大荷物だな」
「あー、なんか食べ物も安売りしてたんで……つい」
手に持ったビニールを持ち上げると、露伴はなんとも微妙な表情を浮かべる。
「……実は、ぼくケーキも買っちゃったんだよね」
「ええっ!」
露伴は冷蔵庫の中から大きな箱を取り出してきた。いかにもケーキが入っていますという形のそれには、周囲に緑や赤の装飾がされている。そして、けばけばしい「半額」と印刷されたシールが貼られていた。
「今日、パーティーっスね」
「ふふっ、そうだな」
クリスマスの当日に何もかもが揃ってしまった。仗助が買ってきた料理を温めていると、袋の中から浮かれた食器を見つけた露伴がゲラゲラ笑っている。そうやってああだこうだと騒ぎながら、テーブルの上にはいかにもクリスマスという食卓が完成した。
「そういえばこないだホームアローンが放送してたから録画しておいたんだよ。あれも長そうかな」
「何回目っスか」
「案外通しで見たことは少ないんだよ。あれ、泥棒たちよく大怪我しないよな。ぼくなら最初のドアノブで諦めるね」
「本当に? あんた、全然そんなとこでへこたれなさそうだけどな」
「大やけどだぜ。無理無理」
結局ホームアローンは流さずに、だらだらと食事をする。一緒に食べるようになって知ったことだが、露伴は体型に見合わないほどよく食べる。今日も買いすぎかと思われるくらいの量の食事と買ってきたにも関わらず、二人でほぼ平らげてしまった。テーブルの上には、サンタの乗ったホールケーキとローストチキンに付け合わせで乗っていたポテトだけが残っている。
「そういや、彼女と住んでたら今頃もうベッドの中だったんだろうな君」
「どーなんスかね。一緒に住んでたらそんなにしょっちゅうヤんなそう。あと、すんならイブなんじゃないですかね。今日はなんもしねーんじゃないかな」
「お前、そのナリで淡白なのか?」
「どースかね。別にそういう風に思ったことないけど」
露伴はそこで腕組みをして、何かを考えている様子を見せた。この同居期間で学んだことだが、こういう時にこの漫画家はろくなことを考えていない。
「お前、どんなAVで抜くんだ?」
「なんなんだよ、突然!」
「いや、お前みたいなやつがどんなのを選ぶのか興味が出てきた。今までそんなこと考えたこともなかったからな。今からAVを借りに行こう」
「はあ? 今から!?」
「ケーキは明日でも問題ないだろう」
「そこは全然気にしてねえよ!」
だが言い出したら全く聞かないのが岸辺露伴である。仗助は引きずられるようにして、深夜のツタヤへ連行されてしまった。
アダルトコーナーでああでもないこうでもないと言い合うこと三十分。お互いに一本ずつDVDを借りて戻ってきた。仗助が選んだのは、女性がリードする痴女モノである。
「痴女を選ぶのは意外だったな。なんか、お前はもっとスタンダードなのを選ぶと思ってた」
「人が選ぶAVの予想すんなよ……。あと、別にいつも痴女モノ選ぶわけじゃないんで。あくまでも、今見るならってやつだから」
「まあ、再生しようぜ」
とんでもないクリスマスになってしまった。仗助は借りてきたDVDをプレイヤーにセットする。自動で再生され、導入の安っぽいドラマが始まった。それを露伴とソファに並んで眺めている。
「こういうの一応見るタイプ?」
「まあ、一応は」
いかにも露出度の高い女性が地味な格好の男性の部屋を訪ねてきた。隣人の部屋に上がり込んできて、色々といやらしいことをするようである。
「君、こういう露出度の高い女が突然やってきたらどうする?」
「怖いんで追い返しますね」
「ぼくはとりあえず読むかな」
正直なところ、全く仗助の下半身はこの映像に反応しない。しかし、濃厚な絡みを見せる男女を見ていると、段々と隣の露伴の存在を意識するようになってきた。露伴はどのように感じているのだろう。そもそも、この異常な状況はなんなんだ。
「あっ、あ!」
画面の中の女性が喘ぎ始める。しかし、そちらからは何も感じない。露伴の反応が気になり隣を見ると、同じようにこちらを見た露伴と目が合った。
「どうした?」
その一言が、今画面の中で繰り広げられている痴態よりもずっと官能的に響く。微かに目を細めた露伴の目尻に、薄いほくろがあるのを見つけた。こんな風に露伴を見つめたことは今までない。
「すごい、ねえ、もっと! もっとぉ!」
はしたない声が聞こえてくる。しかし、仗助の目は露伴にくぎ付けだった。おかしい。こんなはずでは。背中を汗が伝い落ちるのを感じたのと同時に、露伴の口角が微かに上がった。笑ってる。そう思った仗助は、自然と露伴の肩に手を回していた。そして、そのまま顔を近づけて唇を重ねる。
「ああんっ! あ、あ!」
見知らぬ男女がセックスする音が聞こえるが、なんの意味も持たない。仗助は重なった唇を何度も食んでいた。露伴も全く嫌がらない。それどころか手を仗助の胸にあてて、優しくそこを撫でてくる。
「あの」
「ん?」
「もーちょっと、エロいことしてもいいっスか」
露伴はまた笑う。この笑顔はまずい。薄く開いた唇に舌をねじ込んで、そのまま口内を舐め回した。露伴も同じように応えて、お互い貪るようにキスをする。そうしていれば自然と下半身も反応する。頭をもたげ始めたそこに、露伴が手を伸ばした。
「もーっちょっとエロいことってのは、こーいうこと?」
するりと撫でられて全身がぞくぞくした。仗助も露伴の下半身へ手を伸ばす。
「こーいうことっスね」
そのままお互いに欲を吐き出すまで触れ合って、クリスマスの夜は更けていった。