苦しみの共有とても苦しそうな表情をしていた。
傷が痛むのだろうか。しかし適切な処置は施した。そう長引かずに完治するだろう。
そういえば傷の手当てをしてやるのも戦争時代以来だ。(あの頃はろくな薬も無くて、とりあえず出血が止まればいいという感じだった。)久々に触れた銀時の体は、暖かかった。
あの頃は、凍て付く空気をまとう時もあれば狂いそうな熱を帯びた時もあった。だから、この人間らしい温度は今の彼の暮らしが幸せだということを表しているのだろう。
布団に運んだ時、以前より体重が増えているように感じた。(いや、あの頃がキツすぎたのか。これが普通なんだ)
「 」
呻きの中にほんの微かに、しかし確かに聞こえてきたその名前は、攘夷戦争を共に戦い散った同胞のものだった。
銀時は相変わらず苦しそうにしている。
昔の夢を見ているのか…
そうだ、アイツは実に残念な死に方をしたな。守ってやることも、まともに弔ってやることもできなかった。後悔の念に未ださいなまれる。それがどれだけ苦しいことかはよくわかっているつもり。(何故なら自分も全く同じだから。)
自分は置いていかれて、苦しみに独りだけ取り残されたと思っていた。
そんな筈が無かった。攘夷を離れても、忘れられる筈が無かった。
置いていった方もあれからずっと独りだったのだ。
どうして二人ではいけなかったのだろう。
どうして 今幸せな彼の生活の中に 自分はいないのだろう。
自分も過去の象徴として 彼を苦しめているのだろうか。
立場の違いを自覚した。
それを踏まえた上で、彼に笑顔を与えてくれた人達に感謝したい。
彼の幸せを守りたい、だからこそ、自分は攘夷という道を貫く。
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うなされていた銀さんが「昔の夢でも見ていたのか」とわかるってことは、党首も昔の夢見てうなされてるんだなぁと…
なんだかこの時の党首は、俺は俺 お前はお前 と ある程度割り切っているように見えて、とても切なかった。
2007/5/4