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    huutoboardatori

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    特撮とか

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    huutoboardatori

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    翔太郎の過去捏造あり 別タイトルはふたひと紀行文です 半年くらいダラダラ書いてたのを勢いで仕上げました

     「なあフィリップ、明日、一日いいか?」

     茜の西陽は傾いて、薄いガラスを突き刺すように机に落ちる。
     ガサガサと散らばる紙ものが、青紫の影を長く伸ばした。アキちゃんが忘れていった秋のチェックの髪留めが、無くならないように窓の桟に載せてある。
     夕日に透けてくゆるのは、残念ながら紫煙ではなくマグカップからたつ湯気だった。翔太郎は憧れてるけどあんまり吸えない。下手くそなタイプライターが、人差し指でたどたどしく鳴らされ続ける。
     ぼくは少し考える。明日は何かあったっけ?月の後半が少し詰まっていたような気がする。思い出そうとして黙ったら、翔太郎は「べつになんかあんなら全然そっちいっていいんだからな」って変わらずかたかたキーを打ちながら言った。

     だから、ぼくはついて行くことにした。相棒がいやに殊勝なときは、ぼくがついていたいな、といつも思うからだ。言えばまた、保護者気取りかとはたかれるんだろうけど。

     翌朝は、今日はこの後お天気なんだろうな、と思わすぺかっとした秋晴れだった。乾いた空気は肌寒くてすがすがしい。
     着いてくるならこんくらいの時間に出るから、と告げられた時刻はけっこうな朝だった。おかげでいつもよりすこし早起きだ。その辺のトレーナーに黄緑のパーカーを羽織り、上着だけ引っ掴む。よふかししがちなぼくは、ぐしぐしと目を擦りながら事務所を出る。あとから出てきた翔太郎はがちゃん、と扉を閉めて、ぼくの頭を見て苦笑いした。

    「相変わらずの寝癖だな」

    「きみも似たようなものじゃないか」

    「馬鹿、俺のはちゃんとセットしてんだよ」

     被っとけ、と頭に置かれたのは、白っぽい色のキャップだった。雑に置かれたせいでぶかぶかする帽子をきゅっと被り直す。強くなりそうな日差しがさえぎられ、なんだか落ち着く気がした。
     いつの間にか前を歩いていた翔太郎がおいてくぞ、と振り返る。まだ誰もいない道路のまんなかで、全身に白の朝陽をひからせて立つ相棒は、なかなか決まっているように見えた。ぼくは軽く返事をして、ひやりとした音もない街へ、小走りに踏み出す。

    「ちゃんと上着てきて偉いじゃねえか」

    「あんまりこども扱いしないで欲しいな。昨日君が散々言っていたからちゃんと羽織った」

    「たまたまだけど、その帽子に色が合っててなかなかだぜ」

     部活の大会行くやつみたいだな、と目を細めて向けられる視線は、完全におめかしした子を見て満足気な親だ。不本意だ。たしかにぼくは着るものに頓着しない方だけど、ウインドブレーカーと帽子の色味を合わせたくらいで微笑ましく思われるほどセンスがないつもりもない。そもそも、ぼくの服を買うのには翔太郎が付き合ってくれているから、そこまでおかしな格好をしていることは無いはずだ。
     反論は山ほど湧いてでたけど、やけに楽しそうに笑う翔太郎の顔を見ていたら、ぼくはなんだか気勢が削がれてしまった。
     朝の回らない頭でぽつぽつとたわいなく話しながら、翔太郎とならんで歩いていく。
     陽がゆっくりと天へ登るのに合わせて、道のりが普段と少しづつずれていく。
     早起きの猫が、ふたりの足元を縫うようにかけていった。事務所からだいぶん離れて、風都の北の端ほどに着いたとき、ぼくはおどろいて声を上げた。

    「もしかして風都を出るのかい?」

     翔太郎は駅の機械できっぷを二枚買いながら、ああ、と生返事をした。


     コトンコトンと揺られながら、窓の外を流れる家々を眺める。奥の山の手前に風車がひとつも見当たらなくて、ぼくは不思議だった。山には風車があるものだと思っていたから。住み慣れた土地を出た風景は、なんでも新鮮に目に映る。まばたきをするたびに、知らない土地の秋が更新されていく。
     山並みは、終わりがけの紅葉で赤茶に染まっていた。充分綺麗なんだけど、もこもこしていてどこかコミカルだ。
     なにかに、なにかに似ている、と思いをめぐらして、ぼくは思わず声を出して笑ってしまった。そうだ、アキちゃんに無理にたくさん着せられた照井竜に似ているんだ、赤いし。たくさん着せるのは愛ゆえなのだろうと、くつくつ笑って翔太郎は言っていた。外はどんどん寒くなるのに、照井夫妻の熱愛ぶりは過熱するばかりだ。最近何を見てもそれに紐づく話がゴロゴロ出てきていけない。
     相棒は隣で腕を組み、うつらうつらしていた。今日は珍しく、あまり固くない生成りのシャツにジャケットを着ている。翔太郎はぼくよりもう少し早く起きて準備していたから、やっぱり眠たいんだろう。ぼくは電車に乗るほど遠出をするとは思わなかったから、支度らしい支度もせずに来てしまった。
     傍に置かれた帆布のトートバッグを勝手に漁って、ペットボトルのお茶を飲む。平日の午前の電車はがらがらで、この車両にはぼくたちしか居なかった。ちいさな電車で、二両しかない。
     乗り始めは電車に乗るのが物珍しくてはしゃいだけれど、一時間も二時間も乗っていれば退屈だ。ぶらんと両足を投げ出して、履き潰しかけたブーツのつま先を見る。

     ぼーっとしていると突然、ごおおっとそこらをつつみ込む大きな音が鳴って、ぼくは飛び跳ねた。
     急に窓の向こうが真っ暗になって、淡いオレンジのあかりが目にも止まらぬ速さで流れていく。今まで着いているかもわからなかった蛍光灯が煌々とひかって目に痛い。向かいの窓ガラスには、目を丸くする自分と、すやすや寝ている翔太郎が映っている。なんだか耳も塞がるような、喉の詰まるような感覚。ぼくは大変だと、あわててとなりの肩を揺すり起こす。

    「翔太郎!翔太郎、起きて、大変、電車がなんかハードボイルダー出す時みたいになってる」

    「ん……別になんともねえって」

    「なんにもなんともなくないと思うんだけど、ねえ起きてよ翔太郎、これほんとに大丈夫なやつなのかい!?」

     首ががくがく揺れるくらい引っ張ると、さすがに暢気な翔太郎もぱちりと目を開けた。思い切り揺さぶられて、うおおお、と声を上げる。

    「待て、待ておちつけフィリップ、おい落ち着けって!」

     ばたばたと手を振りほどこうと、翔太郎が身動ぎする。いよいよぼくの焦りと翔太郎の三半規管が限界になってきたところで、ぱっと辺りが明るくなって視界が開けた。
     見渡しても、見渡しても、一面濃い藍色。真一文字の水平線は遠くて、ぶおお、と車体が強い潮風を切る音が聞こえる。空は、心なし灰がかって見えた。

     ぼくは思わず感嘆の声を上げ、窓に引っ付く。ようやく解放された翔太郎は、ぐったりと上をむいて息を着いた。

    「海だ!すごい、どこまで行っても海だよ翔太郎、広い、風都の海がすっぽり入ってしまいそうだ」

    「まったく忙しいやつだなお前……」

     呆れたように呟いた翔太郎は、もう一度ふう、と息を吐いて、窓の外を見やった。

     窓の外を見やった、そう平たく書き記してしまえばそれまでなんだけど、そうじゃなくて。目を細めるように、瞬きをゆっくりとして、瞼がとじられる。そしてまたひらかれての丁度中間だ。何かを見つめているんだろうけれど、傍目にはそれが何なのか欠片も悟らせてくれない。さびしがるようでどこか傲慢、ひとりよがりのようで共感を欲しがるような、つらつらと重ね連ねても仕方がない、言葉に上手くできることは多分ない、ただここに海を見つめる翔太郎がいることしかぼくにはわからなかった。

    さっきまでの知らないものへの興奮はさあっと潮が引くように薄れ、あっという間によく知っているはずの翔太郎へと、ぼくは釘付けになってしまっている。

     ずいぶん久しぶりに、ぼくはこの、形容しがたい気持ちになっていた。歯がゆさ、水くささ。子供扱いされているようで、散々なわがままを言いたくなるような。きいっと癇癪を起こしてしまいたくなるような苛立ち。
     翔太郎の横顔から、背中から、かすかに匂うのだけどもはっきりとした形は見えず、掴もうとしても煙のようにしゅるりと抜けるような。ぼくに、まだ踏み込ませてもらえない、翔太郎の過去。相棒が、言葉にしてくれないこと。
     存在自体は知っているのに、内訳はちっとも検討がつかないのだ。抱えるだけでじくじく痛いだろうに、身体全部で包み込むように、翔太郎はそれをしっかりと抱いている。

    「なあフィリップ、お前、ここの海も気に入ったか?」

     悶々としているぼくの内心なんか知るはずもなく、翔太郎は頬杖を着いた手に顔をすり、と押し付けるようにしながら呟いた。猫みたいな仕草だな、と思う。セットしてんだよ、とか言っていた髪の毛がくしゃっとしていて、いいのかな、とか、やわらかそうだな、とか思った。ぼくは、気に入ったよ、とだけ返した。

    「そっか……。よかったよ」



     改札の無い無人駅に降り立って、ぼくは思い切り伸びをした。ぐうっと背中を伸ばすと、ぱきぱきと肩が鳴る。おもしろいから、ぐるぐる肩を回してパキパキパキパキやっていると、馬鹿に見えるから外ではやめろと腕を抑えられた。

    「本当に目の前に海があるんだね」

    「ここはそういうところだからな」

     ざああ、ざああと波の音がはっきり耳に届くほどに海は近かった。翔太郎は、風都の海よかグレーだろ、と言って笑った。

     駅前は閑散としていた。
     建物の外壁に沿って、色の褪せた看板と、コカコーラのベンチがいくつかあった。古びた自販機には見たことの無い百円のジュースが並んでいる。
     そこを出てしまえばあとは背の低い民家が並ぶばかりで、ぽつぽつとある背の高い建物からはもくもくと湯気が出ていた。ほとんどの家の壁はトタンで、漏れず酷く錆びている。
     アスファルトはひびわれて、かすかに道に傾斜が着いていた。電柱の根元を、太い茎をした雑草の根が盛り上げている。またすこし歩くぞ、と言われてぼくはありがたかった。座りっぱなしで凝った身体を動かしたかったのがひとつ、見知らぬさびれた土地に対する好奇心がひとつ。
     太陽がてっぺんにあるせいで、ほとんど影のない相棒を追いかける。

    「なんだか妙な臭いがする。前に冷蔵庫の電源を入れ忘れた時みたいな」

    「ああ、硫黄だろ。冷蔵庫は本当に大変だった、二度とやるなよ」

    「イオウ」

    「温泉とかに入ってんだよ」

    「オンセン」

     ばさばさばさばさ、と本がめくれる音が響く。いつもの風が、巻き付くように身体を包んだ。本棚の外側から、外であんまり急にやんなよな〜と翔太郎の気の抜けた声が聞こえる。手早く本に目を通し、硫黄と温泉についての閲覧を終えた。戻ってくると、翔太郎は手にがさがさビニール袋を提げて待っている。
     
    「わかったか?」

    「ああ!ばっちりさ、実に興味深かった。特に温泉!翔太郎、君は知らないだろう、一口に温泉と言っても色々あってね……」

    「なんかここだとお前のそれちょうどいいな。ここは静かすぎるから」

     翔太郎は、ぼくにも街にもいささか失礼なことを言って笑う。
     そうだ、これも調べたか?と言って、しゃべり続ける口にもぎゅっと何かが押し込まれた。ぼくは思わず「むぐ」と咀嚼する。もちっとした感触と、もそもそした中味。ふわっと鼻に抜ける、独特の香ばしさがあった。

    「はまい」

    「甘いだろ」

     温泉まんじゅうってんだ、と教えて、翔太郎は自分もぱくりとひとつ齧った。そこそこ大きさがある。これを一口で食べさせるのはちょっと無理があったんじゃないの?とぼくは頬をめいっぱい膨らませながら思った。べつにぼくに頬袋はないんだけど。齧歯類では無いので。
     なんとか飲み下して、ごくごくとさっきのお茶を飲む。ぷはっと声が出た。
     翔太郎、と少し非難を込めた目で相棒を呼ぶと、でも美味しかったからいいだろ?と返ってきた。そのままさっさとたのしげに歩き出すから、ぼくはちょっと不満げなポーズを取りながら、その後について行く。
     今日はずっと、翔太郎の背中を追いかけてばかりだな、と思った。なんだか調子が狂うとも思った。昔みたいだからだ。今はいつも、並んで歩いているから。
     ご機嫌なような、胸がざわざわするような。でもそれはきっと、ここが風都じゃないから。旅先で、非日常だからだな。

    「鳥居がある」

     駅からはずいぶんと来た。でも一本道だ。海の反対側の、少し高台になっている側に、真っ赤な鳥居がぽつんとある。狭い奥行きに急な石段がぐわあっと切り立っていて、申し分程度に木の手すりがついていた。辺りの錆びた色味とは違って、不自然なほどてらてら赤い。やけにあたらしい。塗り直されたばかりなのかもしれない。

    「温泉知らなくて鳥居は知ってんだもんなあ」

    「だって風都にあるじゃないか」

    「まあな。ここはたしか稲荷だぞ。ついでにお参りしていくか?ちょっと登ることになるけど」

     ぼくはちょっと迷って考えこんだ。
     たしかに寄っていきたい気持ちはあるけど、あんな朝に家を出て、今はもう二時過ぎだ。翔太郎の用事の時間は大丈夫なのだろうか。
     まさか、わざわざただの小旅行をしに街を出たとは思えなかった。これが翔太郎でないなら、気分転換に電車に乗って海に来ましたで済むんだけれど、翔太郎だから。
     翔太郎ほど風都がだいすきな人をぼくは知らなくて、それでいてぼくたちの街にはなんだってあるから。翔太郎が風都から出た、と言うだけで、わりとぼくには一大事なのだ。変に、考えすぎなのかもしれないけど。だけど割り切る気にもなれなくて、やっぱり間が空いてしまう。

    「どっちでもいいぞ?」

    「翔太郎の時間が大丈夫なら」

    「……べつにこっちは、何時でもいいんだけどなあ」

     翔太郎はゆるゆる首を振りながら俯いて、腕時計の短針を見た。本当に何時でもいい、と呟いたあと、じゃあ寄り道は、ここで最後にしとくか、と言った。ぼくはわかった、と返事をする。


    「高いなあ!さすがによ」

     ひゅんひゅんと吹く風は刃物のように冷たくて、ぼくは頬が切れるんじゃないかと思った。鼻先がひどく冷たい。散々昇って上がった息を吸うと、泣くときに痛むところがきんとする。
     翔太郎は、石段の一番上から街を見下ろし、左手で帽子を抑えた。まるで寒さにはしゃいでいるみたいだ。ぼくにはあまり理解できない。寒さは寒さ。不快ではあれどはしゃぐことではないと思う。

    「見ろよフィリップ、あれ俺たちが歩いてきた道だぜ」

     こどもみたいに弾む声で指されたのは、うねうねとした太い一本道。

     ぼくは、示されるがままに眼下の景色を眺める。

     大きく、ぐわんと抉れたような形の湾。ちらちら繊細に揺れる度、ここからでもわかるくらいに午後のはじめの陽を反射して、細かなダイヤ形をひからせる。そこに沿って、細く線路が走っていた。
     岸から離れるにつれ、波の色は重たい藍。つぎに青みがかる灰色。そして、そのまま白っぽい空に似た透明になって水平線へと馴染んでいく。ぽつぽつと見えるのは、赤や白の漁船だった。こんなところで、魚なんて取れるのだろうか。

     一本道の両脇には、例のトタンの低い家々。ふわふわとたつ水蒸気も、ここの高さには届かず、下で平行に潰れて流れていく。かもめか、うみねこか、高い鳴き声を上げながら空をゆったりと旋回していた。

    「……いいとこだね」

     素直に感嘆の声が口をついた。寂れた、さみしい土地。ひともいないし、建物だってすくない。でも、不思議と好ましく思えるようなとこだな、と思う。淡くけむったような色彩にくるまれた雰囲気が、異邦のぼくにもどこか懐かしさを触らせてくれるのかもしれなかった。
     翔太郎は黙って聞いて、一枚だけここからの景色を撮った。

     いつのまにか山道に入った。海の背にこんな高い山があるなんてすごい地形だ。腰まであるような背の高い草がぱやぱやと生えている。砂利道に交じる大きめの石ころをつま先で蹴飛ばした。

    「もう少し早ければ、きっと真っ赤だったんだろうね」

    「ここらは寒いから紅葉終わんのもあっという間なんだよなぁ」

     上羽織ってるな?と翔太郎は振り返る。ぼくは頷きがてら、襟に顔をうずめた。ここらは寒いから。そう言った翔太郎に顔を見られないように。この土地は、相棒のなんなのだろうと、どうして翔太郎は、ここに何しに来たのか言ってくれないのだろうとか、どうしてぼくはそれを聞けないのか、こんなにもうじうじと考え込んでしまっているのか、全部ばれないように。言わないから伝わらないので、翔太郎は自分の黒いコートの襟を直して、枯葉を踏みつけて先を往く。

     ばっと開けた土地に出た。朝よりも色の薄くなった高い空が、ぽかりと木々の間から浮かぶ。 

    「ここって……」

     辺りを見渡したぼくは、思わず翔太郎の顔を見た。
     鬱蒼とした木々に囲まれた、段々に開かれ斜面になった土地。

     灰色の石が、辺り一面を覆っている。墓地だった。

     秋彼岸も過ぎた頃だからか、人気はない。風都よりも暗い色の無数のトンボがほとんど動かず、塊の群れになって宙に浮いていた。色彩の薄い風景だ。ぼくの着ている派手な服がすごく浮いている気がして、居心地が悪かった。

    「こっち」

     翔太郎は、迷わずずんずん進んでいく。ぼくは「ねえ!」と言いながらあとを追いかける。さっき買い物に行っていたビニール袋から、黄色と白の菊の束が見えた。本当になんで、翔太郎は。自分のためのことだけ、肝心なところだけ、こんなに臆病なのだろうか。

     ある程度登って、翔太郎が立ち止まった。ようやく、ぼくのほうを振り返る。

    「悪いな、突然」

     相棒はそう言って、丸い形の墓石に手を置いた。青みがかった灰色の石に、うっすらと滲むような色味が光っている。こんなに大きいのにどこか透明感があって、美しい石だった。

     真ん中の辺りに、彼の名字が彫ってある。つめたい石だ。ここに、翔太郎の家族が眠っているのだ。ただ単純に、そう思った。

    「……言ってくれればよかったのに。そしたらぼく、こんな格好してこなくて」

     なんて言ったらいいのか分からず、ぼくはただ慌てて服の裾を掴みうつむいた。子供っぽい色の上着がしわになるのを見る。気にしなくていいよ、そんなのと言って、いつもより柔らかい服を着た翔太郎が笑う。手伝ってくれ、と手桶を渡される。ぼくは見様見真似で水を汲み、墓石にかけた。桶の中の水は、水圧で泡立ち白く濁っている。かけた傍から水は透明になり、枝分かれして滝のように薄く、表面を滑る。濡れた墓石は薄曇りの空でもつやつやと光った。翔太郎はそれを、古い布で黙々と拭いていく。

     細い花瓶に菊の花を生けて、翔太郎はぼくに一本線香を渡した。黙って受け取って、火をつけてたてる。二本の線香が細く煙を上げながら燃えるのを見つめ、隣にいる相棒の真似をして手を合わせる。目を閉じている横顔は、帽子がないからか、幾分幼く見えた。お墓参りをしたのは、多分初めてだった。人が手を合わせて祈るのを隣で見るのも。少なくとも、ぼくが覚えているうちは。


    「ここさ、俺の生まれた街なんだ」

     墓地の端の柵に軽く腰かけて、山を見ながら翔太郎は言う。けっこう高いところだ。そんな端に座ったら落ちてしまうんじゃないかな、と思いながら、ぼくは翔太郎を見た。

    「お前に見て欲しかったし、会って欲しかった」

     あんまり覚えてないんだけど、ここに両親と三人で住んでいた時期があるらしい、と翔太郎は言った。俺が叔母さんの家に行く前、両親と。少しだけ覚えていたのは、海と神社だって。風都に来る前に、相棒が住んでいた土地。広い海の見える土地。高い鳥居のある故郷。翔太郎の故郷は、風都のほかにひとつあったのか。今まで匂わせてもくれなかったから、ぼくは想像することもなかった。翔太郎のほんとうの家族は、ここに居たのか。

    「……君の故郷と家族に逢えて、光栄だ」

     連れてきてくれてありがとう、と言うと、翔太郎はおう!と笑った。

    「お前がこの街を見ていいところだって言ってくれて、嬉しかったよ」

    「本当にそう思うよ。どこか懐かしいって」

    「一度、見てみて欲しかったんだ。俺の生まれたところと、家族を」

     翔太郎が少し目を伏せるのを見て、ぼくはすこし息が苦しくなった。翔太郎の生まれた場所と、ほんとうの家族が居たことが、それを相棒の口から聞くことが、どうしてか少し苦しい。血の繋がった家族が大切なのは痛いくらい分かるから。切れない縁もよく分かるから。敵わないなんて思うのも傲慢ではあるけれど、それでも苦しいから。
     また俯いてしまったぼくを知ってか知らずか、相棒は続ける。この顔をする時の左翔太郎を、ぼくは知っていた。何かを打ち明けようとする時の目だ。無防備な目だと思う。素のままの自分を晒していて、もしもぼくが酷い言葉を投げかけたりしたら、たちどころにぐしゃぐしゃに傷ついてしまうだろうに。それでも翔太郎はいつも、愚直な目で真摯にこちらを見るのだ。翔太郎はもしかして、ぼくのことを全部分かっているのかもしれないな、と思う。この目をされるとぼくは、どんなにわがままな自分でも、すっと背を伸ばして相手の目を見ることができるから。

    「俺はさ、お前とか、亜樹子とか、照井とか。他にも街のみんなとかさ、みんな。それが、俺の家族だと思ってる」

    「だから、お前にこの街を見て欲しかったんだ。俺の両親にも会って欲しかった。俺のもうひとつの家族と、故郷を紹介したかった」

     あのさ、また来てくれるか、と問われた。深い紫色の目は、いつもよりすこし潤んでいるような気がする。
     そうだからぼくは笑って、もちろんさ、と返すのだ。

     そして、ぼくらは風都に帰るのだ。

     風の吹く、ぼくらの故郷に。

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    huutoboardatori

    DONEオーブの文字です ブラックホール直前くらい?
    死人がガバガバ出てるので注意‼️
     ぐうううううと、そこらを思い切り鳴らすような音がした。

    「お前……」
     ジャグラーは、思わずガイの顔を見つめた。
     ガイは手に持った松明をぱちぱち言わせたまま、まだちょっと理解が及んでいないであろう顔で呆然とした。自分のお腹の音に。
     そこらの倒壊した柱で組まれた櫓が燃え盛っている。焼かれた死体はすっかり炎におおわれて、黒い影のようだ。濃いタンパク質の匂いが、辺りにたちこめていた。

    △△△

     辺境の戦いなんかにろくろく兵は出ない。
     駆け出しのガイとジャグラーが指揮を執るような、一小隊も組めずの分隊が二つ、それと通信兵が一人。軍医は居ない。元々救助隊のガイがいるから割り当てられなかったのかもしれないが、指示を出しながら怪我人の面倒なんて到底見られない。つまるところの使い捨てだ。兵の質もたかが知れていて、逃げたり、死んだり。夕刻あたりに燃えだした村は、日付が変わる頃には耳に痛いほど静かになっていた。小さな火事がいくつも起きて、月も無いはずの暗い夜は不気味に明るかった。燻った家の瓦礫は煤煙がぶすぶすと立ち、足元には息絶えた人間がごろごろ横たわる。ガイはもう一周だけ、と言って村の残骸を見回りに行く。もう悲鳴すらひとつも聞こえないことは、ガイがいちばんわかり切っていた。
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