恋願う。7「んっ…、んぅ、……、ん、っ…」
眉間に皺を寄せて困った様に強く目を瞑る天馬くんに、何度も触れるだけのキスを贈る。首まで真っ赤にして、小刻みに震える様まで可愛らしい。軽いキスだけに留める、と自分に何度も言い聞かせ、もう少し、あと一回、がどんどん続いていく。終わりにしなければと思うのに、胸の奥が満たされるような充足感が堪らなく心地いい。
「…っ、はぁ……、ん…」
時折聞こえる吐息の音さえ愛おしい。
震える手で僕の服を握る天馬くんは、逃げるように顔を横へ逸らそうとする。それを片手で支えるようにして止め、最後にもう一度だけ、と口付けた。
名残惜しく感じながらも唇を離せば、真っ赤な顔で必死に呼吸を整える天馬くんが涙で潤む瞳を僕へ向けた。
「…どうかな? 少しは、好きになってくれたかい?」
「うぅーー……」
僕の問いに、天馬くんが唇を引き結んで首を弱々しく横へ振る。ぎゅ、と僕の服を握って離さない所を見ると、満更嫌だという訳では無さそうだ。
「まだ、ダメかい?」とできるだけ優しく問いかけるも、天馬くんは答えない。片手で胸元を強く握って、何かを言いたげに僕へ視線を向けては逸らしてしまう。そんな彼女の唇を指でそっと撫で、ほんの少し顔を傾けた。
「それなら、もう少し付き合ってもらおうかな」
「っ、ま、待てっ…、もう駄目だっ…、だめ…ゃ、んぅっ…」
口では“駄目”と言いつつも、逃げる素振りの無い天馬くんの唇に、もう一度僕のを優しく重ねる。柔らかい感触と、じんわりと伝わる熱が心地いい。彼女の脚の間へ膝を割り入れ更に体を寄せると、胸元を掴む天馬くんの手が僕の肩に触れた。
あまり怖がらせないよう触れるだけのキスを何度か繰り返せば、天馬くんの手が僕の肩をそっと押す。震えるその手に苦笑して、ゆっくりと唇を離した。
「ん…ふぁ……、っ、…はぁ、………はぁ、……」
「気持ちいいかい?」
「……も、…むりだ…」
肩で息をする天馬くんの頬に口付けて、彼女の手を掴んだ。僕としては全然物足りないのだけど、天馬くんは軽いキスだけでも精一杯のようだね。そんな所も可愛らしい。けれど、彼女のためにももう少し慣れてもらわなければ困ってしまうかな。こんなキスだけで止まれるはずもないのだから。
天馬くんの手を僕の肩へ誘導し、顔をさらに近づけて行く。「怖いなら、僕の首にしがみつくといいよ」と彼女の耳元で声を落とし、彼女の腰に手を添える。と、彼女は涙の溜まる瞳をギュッと瞼の裏に隠し、首を弱々しく横へ振った。
「むりだっ…も、できなぃっ……」
「あぁ、泣かないでおくれ…、すまないね、怖いかい…?」
嫌々をするように首を振った天馬くんが、ぼろぼろと涙を零す。そんな彼女の反応に、胸がツキっ、と痛んだ。これは、さすがにやり過ぎてしまっただろうか。天馬くんには出来るだけ優しくしたいけれど、塩梅が難しい。
泣かれてしまっては罪悪感が勝ってしまう。もっと触れていたい欲をなんとか抑え込もうと目を瞑ってゆっくりと息を吐き出せば、彼女は ぐす、と鼻を鳴らし、僕から手を離すと両手で胸元を掴んだ。
「っ、…こ、れ、いじょう、はっ…しんぞうが、こわれてしまうっ……」
「……っ…」
「…きょ、は…もう、しないっ……」
必死に言葉を紡ぐ天馬くんに、心臓を強く握られた様な衝撃を受ける。
本当に、彼女は僕をどうしたいのだろうか。胸元を押えて泣く天馬くんがあまりに可愛らしくて、僕も心臓が痛い。下腹部の熱もそろそろ誤魔化せそうにないな、と心の奥でそっとぼやき、彼女の頬へ口付けた。「んっ…」と愛らしい声が、更に僕をその気にさせる。これでお預けというのは中々に苦行だ。
「もう少しだけ、頑張っておくれ」
「ひんっ…、…っ、ん…」
そっと天馬くんの脚に手を添え、ゆっくりと上へ這わせる。黒いタイツ越しに伝わる体温に、心臓の鼓動が早まっていく。ちゅ、ちぅ、ちゅ、と彼女の頬や唇の隅に口付けながら、気付かれないよう手を進めた。
(…こういう服なら、下にショートパンツくらい履いているはず)
その上から、少し触れるだけ。まだしっかり触れたりはしないけど、少しくらいなら良いでしょ。天馬くん、そういう経験も無さそうだから、いきなりするのは余計に逃げられてしまいそうだしね。
する、する、とゆっくり掌を滑らせて、太腿の感触に喉を鳴らす。誤魔化すように彼女の顔にも触れるだけのキスを繰り返し、指先に意識を集中させる。
(……そろそろ、かな…)
身長差のせいだろうか、中々指先に触れない。予想以上に丈が短いようだ。なだらかな脚のラインを辿りながら、更に上へ滑らせる。擽ったそうに腰を捩らせた天馬くんは、眉を下げて固く目を瞑ってしまう。そんな彼女の顔を見ながら、手をゆっくりと上げていく。
(…ぁ、れ……)
予想していた感触は全くなく、手はどんどん上へ上がっていく。そうして指先に触れたタイツと肌の境に、思わず息を飲んだ。ほんの少し指を曲げれば、薄い布が指に引っかかる。その瞬間、ゾクッ、と背を何かが駆け上がった。
今更手を引くべきか一瞬迷って、天馬くんの耳元へ唇を寄せた。
「もしかして、今日一日この格好で仕事していたのかい?」
「んぇ…?」
「さすがに、こんな格好で外に出るのは危ないから、次からは下に何か履くのをオススメするよ」
極力見ないよう顔を上げつつ、彼女に危機意識を持たせるためにワンピースの裾を捲る。数秒固まったあとそれに気付いた天馬くんは、ぶわりと顔を赤らめると、慌てて両手で裾を押さえた。僕へ向けられた赤い顔に、にこりと笑顔を向ける。
わなわなと震える彼女は、何回か声の出ない口を はく、はく、と開閉した後、「ちがっ…!」と震える声を発した。
「この服は神代が急に来たから着ただけで、仕事に行ったのは別の服だっ…!」
わっ、と一息に言い切った天馬くんは、恥ずかしいのか目を強く瞑って顔を逸らしてしまった。
「………へぇ…」と低い声が自分の口から出て、思わず彼女をまじまじと見つめてしまう。ゆったりとしたニットワンピースは淡い色合いで、黒のタイツと良く合っている。体のラインが誤魔化されるデザインだけど、この下に何も履いていないとなると話は変わる。どう見ても異性を誘う装いにしか見えないというのに、それを突然来訪した僕の為に着てくれた、というのは、そういう意味に捉えられてもおかしくない。僕の為に準備してくれたのだ、と。
それを聞いて、お利口に『待て』なんてできるはずがない。
「僕の為に着てくれたのかい? それは嬉しいねぇ」
「んなっ……!?」
「この状況でそんな可愛らしいことを言われては、キスだけで終われなくなってしまうな」
「っ、…んっ、…ぃ、やだ…、やめ……」
本気で抵抗する気は無いのか、彼女の震える手は僕を押し返そうとするけれど力が入っていない。眉を下げて泣きそうな顔をする天馬くんに罪悪感は多少あれど、誘ったのは彼女の方だ。散々僕を煽るような事ばかり言ってくれたのだから、少しくらい自分の発言に責任は持ってもらわなければ。
ちゅ、ちゅ、ちぅ、と柔らかい頬に口付けて、裾を押える彼女の手を掴む。ほんの少し引くだけであっさりと裾を離した天馬くんが、戸惑ったように顔を横へ背けた。嫌々をするように首を左右に振り、「か、みしろ…」と僕の名を呼ぶ。それがまた可愛らしくて、つい意地悪をしてしまいたくなる。
「怖いなら、目を瞑っているといいよ」
「…んっ……」
「安心しておくれ、初めては優しくするから」
「っ……、…だ、だめっ…」
態とらしく天馬くんの腰に手を添えて、ゆっくりとしたへ撫で降りていく。思っていたより腰が細い。胸も平らな印象を受けたけれど、肉が付きにくい体なのかな。今後を考えれば、彼女の体力も心配になるね。会社員だと聞いたけど、普段の運動量はどれ程か。まぁ、僕に付き合う内に体力も付いてくると思うし、問題はないかな。
ニットワンピースの裾に指を入れ、親指と人差し指の間に裾を引っかけ、ゆっくりと持ち上げる。肌を掌で撫でるようにして上へ捲れば、天馬くんが顔を更に赤らめ、唇を引き結ぶ。
「…腰、上げてくれるかい?」
「………っ、…は、……」
「……天馬くん?」
ぷるぷると震える彼女が、小さく何かを口にした。上手く聞き取れず天馬くんの顔を覗き込めば、彼女は真っ赤な顔で僕を見ると、眉間に深く皺を寄せた。
「そういうのはっ、結婚するまでしてはいけないんだぞっ!!」
キーン、と耳が痛くなるほど大きな声で天馬くんはそう言いきった。思わず顔を顰めて耳を両手で押さえると、彼女は腕で赤い顔を隠してしまう。恥ずかしいのか小刻みに震える天馬くんに、少しからかい過ぎてしまったと心の中で反省し、彼女の上からそっと退いた。
ご機嫌を伺うように優しい声音で「天馬くん」と声をかけるも、一向に顔を見せてくれない。
「からかってすまないね。勿論、君の気持ちが追いつくまで、これ以上は何もしないよ」
「……か、神代とは、…絶対しないっ……!」
「……」
随分と怒らせてしまったらしい。震えながらもはっきりとそう言いきった天馬くんに、口角が引き攣る。
キスだけで精一杯な彼女に無理をさせ過ぎてしまったようだ。今更『手は出しません』なんて言っても信じられないのは仕方ない。けれど、少しくらいは大目に見てほしい。僕にとっては、初めて本気で好きだと思った相手なんだ。初恋と言っても過言では無いこの想いを制御出来るほど、僕もまだこの状況を理解しきれていない。
今すぐにでも手を出したいという衝動を抑えているだけ褒めてほしいくらいだ。
「困らせてしまってすまないね。もう少しお互いの事を知ってから、少しづつ…」
「そういう目的なら他を当たってくれっ…! …っ、…オレは、…神代の期待には、応えられん…」
「……天馬くん…?」
弱々しい声でそう言った天馬くんに、戸惑ってしまう。
彼女の発言は、毎回振り出しに戻されるような違和感がある。僕が好きだと分かるほどあからさまな態度や言動とは裏腹に、『僕だけは駄目』だと言わんばかりに拒絶してくる。
仕事帰りに押しかけた男を家に招いたり、僕の為にこんな格好で迎えてくれて、夕飯も作ってくれた。キスだって本気で拒まなかった。そればかりか、『好きになる』なんて可愛らしい事まで言って、僕を惑わせるようなことまで言ってくる。
なのに、あと少しの所で線を引かれる。これ以上踏み込まないでほしいと、はっきりした一線が。
彼女なりの防衛本能なのかもしれない。僕の女性関係を知っているからこそ、後戻り出来なくなることを恐れての線引きなのだろう。学生の頃に振ってしまったことも影響しているのかな。反応からして、天馬くんはあまり恋愛経験がないようだし。僕に振られたことをきっかけに、恋愛自体を遠ざけてきたのだろうか。もしそうなのだとしたら申し訳なさもあれど、他の誰かに手を出されることなく僕の前に再び現れてくれた事に感謝しかない。
「ほ、本当はっ、…別れてほしいと、ずっと、言うつもりで…」
「………うん」
「だが、言い出せなくて…、…神代を、騙していて……」
「…そっか……」
ふらふらと起き上がった天馬くんが、震える手で胸元を強く掴む。そんな彼女を見て、思わず言い出しかけた言葉を飲み込んだ。
ここで『嫌だ』と僕が遮ってしまっては、天馬くんはまた僕に流されてしまう。確信犯だからこそ、今回はそれではダメだと分かる。お互いに納得して付き合わなければ、天馬くんはいつまで経っても一線を引いたままだ。それなら、彼女が納得する形で、話をまとめたい。
「…だからっ…、別れて、ほしい…」
「良いよ」
「…………ぇ…」
震える声でそう言いきった天馬くんに、出来る限り優しい声音でそう返す。本音に邪魔されて、声が震えていなければいいな。
驚いたように僕を見る天馬くんは、涙のあとでぐしゃぐしゃの顔のまま、呆然と僕を見つめた。その顔がまた可愛くて、衝動的に手を伸ばしたくなる。きっと、こんなにもあっさり頷かれるとは思わなかったのだろうね。そういう素直な所ですら愛おしくて、不安になる。
「その代わり、友だちから始めよう。もう一度好きにさせる自信はあるから、天馬くんは僕を好きになる覚悟だけしておいておくれ」
「……は…? …ぇ…、……え…??」
「それで、もし君が僕をもう一度好きになってくれたら、君の全てを僕に頂戴」
生憎と、僕はそう簡単に天馬くんを手放すつもりは無い。
別れたいと言うなら、一度だけ飲んであげる。元々ズルい手を使って付き合い始めたのだし、その時はまだ、天馬くんへの想いも気付いていなかったからね。
けれど、ここから天馬くんに『好き』だと言わせることが出来たら、もう僕のモノだと言っても良いよね。
「猶予は一年。天馬くんと僕の根比べといこう」
「…ぃ、いや、…オレは、好きになど……」
「今夜は遅いし、もう帰るよ。あとで次のデートのお誘いをするから、お休みの日を空けておいてね」
「えっ、…ぁ、…神代っ…?!」
彼女の眼鏡を返して笑顔を向ければ、天馬くんは戸惑ったように僕に手を伸ばした。引き止めようとする彼女の手を掴み、頬に一つ口付けてから立ち上がる。唖然とする天馬くんに手を振って、そのまま彼女に背を向けた。
「鍵はしっかり閉めるんだよ?」と一言残し、彼女の部屋を出る。念の為にと数分扉の隣で待てば、施錠する音が聞こえた。それに安堵して、自宅へ足を向ける。
(…悪くない、かな…)
脳裏に浮かぶ天馬くんの表情に、つい口元が緩む。
スマホを取り出せば、心配したマネージャーから何件も通知が来ていた。それを流し見して、通話ボタンを押す。
心配性なマネージャーにどう説明しようか、と考えながら、通りでタクシーを拾った。
―――
(司side)
「司さん、最近ずっと変だけど大丈夫?」
「…ぇ……」
「いや、すっごい集中してフリル付けてるから…」
「ん…?」
暁山に言われて手元を見れば、シンプルなデザインのジャケットに沢山のフリルが付いていて、思わず二度見してしまう。何故こんなことになっているのだろうか。袖口や丈下にイメージとは違うふわふわしたフリルが何重にも施されており、頭を手で押さえた。
今日は会社も休みなので、以前からの約束で暁山と衣装を仕立てている。本来はもっとシンプルな衣装を作る予定だったというのに、気付けば可愛らしさの増したものになってしまった。若い女性向けのデザインだ。色合いも淡い薄桃色なので悪くは無いが、次からは気をつけねばならんな。
「どうせなら、この生地でスカートも仕立てれば、上下セットで着られるな……」
「……もしかして司さん、次のデートでこの服を着るの?」
「は…?!」
「司さん、自分で着る服はいつもシンプルなデザインにしちゃうけど、こういう可愛い服も似合うと思うよ?」
横から顔を覗き込んできた暁山に、思わず息を飲む。
全くそのつもりはなかった。一見フリルが多くて幼くは見えるが、ジャケットとスカートがお揃いで、尚且つインナーは黒や紺のシンプルなものならば社会人でもそれなりに着こなせるかもしれんと、そう思っただけだ。自分で着る、なんて想像もしていなかった。まぁ、スカートを長くするなら悪くないかもしれんが…。
って、そうではない。
「で、デートっ……!?」
「違うの? 司さん、最近ずっと上の空だから、デートのお誘いが来てるんじゃないかなぁって」
「……」
「悩んでるのは服装? それとも、かっこいい彼氏さんをその気にさせるアプローチの仕方とか?」
にまにまとした顔でオレを見る暁山に図星をつかれ、何も言い返せない。
神代と別れた。あっさりオレの言葉に頷かれ、関係は簡単に終わった。はずだった。別れたにも関わらず、友だちから始めようと神代に言い出された。『もう一度好きにさせてみせる』と言って帰って行った神代は、宣言通りその夜の内にデートのお誘いをしてきたのだ。『次の日曜日に水族館でデートしよう』と。
その日曜日というのが、明日なのだ。
「……何故、分かったんだ…」
「司さん、顔に出るからね」
「ぅ……」
「そういう服も良いと思うよ。まぁ、司さんならもっとふんわりした服の方が合うと思うけど」
こっちの服はどう? とオレが持ってきた服の中から一着取り出した暁山がオレに手渡してくる。白と水色で仕立てた大人しめのデザイン。あまり目立ちたくは無いので、これくらいが丁度いい。それに、これは暁山の店で幾つか並べてもらう予定のものだ。売り出す前に自分で着てみるのもいいかもしれん。
「いつもすまないな」
「全然いいよ。それよりも、デートに誘われたってことは、向こうからなにかしらアプローチがあったんでしょ?」
「ぃ、いや……」
「気になるな〜、ブロックしてまで連絡を絶った司さんが、もう一度あの神代類とデートする事になった経緯とかぁ」
あからさまにこちらをチラチラと見ながら訴えかけてくる暁山に、そっと息を吐く。これは、何かあったと全てバレているのだろうな。話すまで執拗く聞かれそうだと察して、渋々この前のことを話した。仕事から帰ったら家の前にいて、一緒に食事をした、と。さすがに、キスをしたとかそういう話は避けたが、暁山の様子を見るに、何となくバレている気がする。
気恥しさに顔を顰めれば、暁山は藤色のリボンを手に取ると、それをくるくると巻いて針を持つ。
「連絡が取れないからって家まで来たんだ? 愛されてるねぇ」
「……女性が相手なら、誰にでも同じ事をするんだろ…」
「どうだろう。まぁ、簡単に縁を切れる相手なら、無闇に自分の情報を渡したりしないと思うし、連絡先を交換しただけ向こうにも気持ちはあるんじゃないかな?」
「…連絡先くらい、いくらでも交換するだろ…」
高校の時、神代の連絡先を知らないやつの方が少なかったと思う。女子生徒は勿論のこと、男子ともそれなりに交友していたからな。一度も同じクラスになれず、失恋したショックも相まってオレは話しかけられなかったが…。
オレの返答を聞いて苦笑する暁山から顔を逸らし、ジャケットを整える。拗ねているような返答しか出来ないのは申し訳ないが、オレもまだ、この状況を飲み込みきれていないんだ。
確かに、個人情報はあまり明かさない方がいいのは分かる。特にこのご時世何があるかわからん。神代はモデルという職業なのだから尚更だ。下手に情報を公開しては、言い寄る女性が後を絶たないだろう。連絡先程度は、ブロックしてしまえばいいので問題ないだろうが。
(…そう考えると、オレは神代から連絡が無ければ、会うことすら出来なくなるんだな…)
オレの家は知られているから、この前のように家に来られてしまえば会わざるをえない。だが、オレは神代の家を知らないから、会おうと思っても会うことすら叶わない。なんとも不釣り合いな関係だ。オレの方からは縁を切らせてはもらえないのに、神代の方からはいつでも縁を切れるのだから。
「やはり、オレも遊び相手の一人なのだろうな…」
「少しは信じてみればいいのに。意外と本気かもしれないじゃん」
「そうは言うが、相手はあの神代類なのだぞ」
「その人気モデルさんからデートのお誘いを受けてるのは司さんでしょ」
ばしっ、とオレの背を叩く暁山に、思わず顔を顰める。
暁山はそう言うが、相手はその人気モデルの神代類だ。女性関係が激しく、色んな女性と交際していたと学生の頃から噂があったあの神代類である。男だったから当時はすぐフラれたが、女装してしまったせいで中々本当のことを打ち明けられないままキスまでしてしまったというのに…。このまま流されてしまったら、もっと大変な事になる。
うぐぐ、と顔を顰めると、オレを見た暁山が苦笑した。慣れた手つきで糸を切ると、手に持ったものをオレに手渡してくる。
「不安なのは分かるよ。でも、司さんはもう少し踏み込んでみたらいいんじゃないかな」
「……これは…」
「少なくともボクは、司さんを応援したいと思ってるよ」
優しく笑う暁山に、言葉を飲み込む。藤色のリボンで作られたバレッタは、暁山が今作ったものだ。神代の髪の色と同じ色のリボンで作られたバレッタ。それを今オレに渡したと言うことは、これを明日付けて行けと言っているのだろう。さすがのオレでも、これがどういう意味か位は分かる。
こんなのを付けて行けば、ほぼあの告白に返事をしたも同然だろう。
「だから、全力で楽しんできなよ」
そう言って背中を押してくれた暁山に、オレは数秒黙って考えてから頷いて返した。
―――
だからといって、そうすぐに決心が決まるものでは無い。さすがにこの前のやり取りをしてすぐそんな話ができるはずも無い。暁山には悪いが、バレッタは丁寧に仕舞わせてもらった。もう少しオレの中で気持ちが固まってからにしたい。
「天馬くん」
「ぁ…、神代、くん……」
ひらひらと待ち合わせ場所で手を振ってオレを待つ神代に、早足でかけ寄る。寒い中待たせまいと約束の時間より二十分も早く来たというのに、神代の方が先に来ていたとは…。一体いつから待っていたのか。
「随分と早かったね」
「…神代くんも、かなり早いんだが……」
「天馬くんとのデートが楽しみで、早く着きすぎてしまったんだ」
「……また、そういう事を…」
当たり前のように差し出される手に一瞬躊躇ってから手を重ねる。ギュ、と握られて、恐る恐る握り返した。たったそれだけでも気持ちがいっぱいいっぱいで、煩い心臓を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐く。そこでふと、黙ったまま動かない神代に気付いて顔を上げた。
オレをじっ、と見ていたらしい神代と目が合い思わず息を飲めば、ふわりとその顔が柔らかくなる。
「君が手を握り返してくれるなんて、嬉しいね」
「は…、…ぇ、あっ……?!」
そう言われて、ハッ、と自分が何をしたのか気付いた。今までは手を握るのも断っていたのに、今日は何も考えずに手を取ってしまった。しかも、その手を握られて、そのまま握り返すなんて…。ダメなわけではないが、今まで避けていた分突然そんな事をしては勘違いされても致し方あるまい。
「ちがっ…、これは、……!」
慌てて神代の手を離そうとするも、何故かしっかりと握られてしまっていて、振り解けない。ぶん、ぶん、と手を振ってみるも神代に離す気は無い様で、にこにことした笑顔を向けられてしまった。ぅぐぅ…、と小さく唸って顔を逸らすと、神代がオレの方へ顔を寄せてくる。
するりと髪を一房掬うように取られ、その髪に流れるように口付けられた。
「まずは一歩前進、といったところかな?」
「っ〜〜〜……、…」
小説の中の王子様のような振る舞いがやたらと様になっていて、何も言い返せん。こういう事をさらりとやってのけてしまうのも、それが絵になる程かっこいいのも、神代がモデルだからだろう。それでなければ困る。惚れた弱みだなどと言われては、これ以上誤魔化せなくなる。
(やはり、デートの誘いに乗らなければよかったっ…!)
ご機嫌な様子でオレの手を引く神代に、何も言えないまま渋々着いていく。
結局、神代の策略にまんまとはまり、デートはとても楽しかった。途中でアピールタイムと称して好きだなんだと言われたのはさすがに困ったが、それすらオレが本気で嫌がっていないと分かっていてやっていたのだと思う。帰り際にさらりと次のデートの約束もされてしまい、大きなエイのぬいぐるみをお土産に持たされ解散となった。