恋願う。8(類side)
「ふふ、天馬くんらしいねぇ」
届いた返信を見て、つい口元を綻ばせる。
一見素っ気ない文面ではあるけれど、気恥しそうにこの文を喋る彼女が容易に想像出来てしまう。そう思えば、この素っ気ない返信も全く違うものに見えてくる。
次のデートのお誘いに『構いません』という返答なのも面白い。
「類くん、最近楽しそうだねぇ」
「そうだね、とても楽しいよ」
「…類くん、あたしとの約束があるのに、あたしの前で堂々と連絡取るんだね」
「おや、本気で恋をするなら応援してくれるんでしょ? 可愛いマネージャーさん」
「ん〜〜…」
頬杖をついて じとっとした目を向けるえむくんに、にこりと笑って返す。
以前、本気で恋をするなら応援すると言ってくれたのは彼女の方だ。女性と遊ぶのは禁止されているけれど、“特定の子なら良し”のお言葉があるなら問題ない。それに、あの日以来他の子とは連絡も取っていないからね。
(連絡を取ろうにも、全て消してしまったし)
もう連絡をすることも無い。それなら、天馬くんに変な誤解をされる前に消してしまえばいい、と連絡先はこの前全て消してしまった。今は数少ない芸能界の友人と、マネージャーである えむくん、そして天馬くんの連絡先くらいしか入っていない。
今度『他の女性と』なんてはぐらかされそうになったら、この連絡先の一覧を見せてあげよう。君一筋だと、そう信じてもらうために。
「ふふふ」
「……類くん、お顔怖いよ〜」
「おや、それはすまないね」
スマホをポケットにしまい、ソファーを立つ。軽く体を伸ばせば、タイミング良くスタッフが呼びに来た。これから撮影だ。最近売り出し中の女性バンドグループの子だと聞いたけど、どんな子だろうか。撮影の話をもらった時、マネージャーがグループの記事を確認していたはずだ。確か、歳は僕より一つ下だったかな。当然だけど、その中に天馬くんはいないだろうね。
天馬くんと一緒に仕事が出来たら、きっと楽しいだろうな。今度撮影に呼んでみようか。
(デートの時の服装も可愛らしいし、撮影スタッフも気にいると思うんだよね…)
えむくんに手を振って、控え室をあとにする。
僕の隣で固くなるだろう天馬くんを想像して、つい口元が緩んだ。スタッフの指示に緊張した声で返事を返し、赤い顔で動けなくなっているのだろうね。そんな天馬くんを見ているだけでも楽しいだろうけど、優しく色々教えてあげながらアプローチをかけるのもいいかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えながら指示された部屋に入る。と、部屋の端に用意された椅子から、パッと女性が立ち上がった。
「初めましてっ! 今日はよろしくお願いいたします!」
「よ、よろしくお願いいたします…!」
スタッフに誘導されてそちらへ近寄ると、元気な声で挨拶をされた。グループの子なのだろう、先頭切って立ち上がった女性の隣で、他の三人も立ち上がった。つられて挨拶をする子が二人と、素っ気ない態度で頭を下げる子が一人。中心でにこにこする彼女に、「ちょっと、咲希…!」と仲間の子が声をかけている。随分と元気な子のようだ。
(……なんだか、天馬くんに似ている気がする…)
ふんわりとしたツインテールは金色で、毛先の方が淡い桃色に染まっている。可愛らしい笑顔も、どことなく天馬くんを思い出させる。僕の知る天馬くんより明るくて元気な印象はあれど、雰囲気もなんとなく似ている気がした。不思議に思っていれば、彼女がハッ、と何かに気付き、僕へ深々と頭を下げてくる。
「あ、アタシ、天馬咲希ですっ! 今日の撮影をすっごく楽しみにしてました!」
「……天馬…?」
「はい! お兄ちゃんが神代さんのファンで、前に握手会とかも参加させてもらってて…」
早口に色々と話してくれる“天馬”と名乗った彼女に、思わず目を瞬く。似ているとは思ったけれど、もしかして彼女は…。
次々に出てくる彼女の言葉を遮って「もしかして」と口にすると、彼女がハッ、と口を噤む。
「君には、お姉さんか妹さんがいるかい?」
「ぇ…? アタシにはお姉ちゃんも妹もいませんよ? お兄ちゃんはいますけど…」
「…そう……」
あっさりとそう答えた彼女は、はぐらかしている様子も、嘘をついている様子もない。心底不思議そうな顔をしている。という事は、彼女は天馬くんによく似ているけれど、全く関係ないということなのだろう。他人の空似、というものかもしれない。それにしてはよく似ているけれど。
「それより、今度一緒にお茶でもどうですか? アタシのお兄ちゃん、神代さんと同い歳ですし、高校も……」
「嬉しいお誘いだけど、遠慮しておくよ。可愛い彼女が拗ねてしまうかもしれないからね」
「あっ、…彼女さんがいたんですね…!」
「まだ公表はしていないから、内緒なのだけどね」
そう一言伝えれば、彼女は僕の言葉を察して口に手を当てた。「分かりました」と無邪気に笑う所も可愛らしい。天馬くんとは少し違うその明るさが、なんだか印象深い。もう少し仲良くなったら、天馬くんもこんな風に笑ってくれるようになるだろうか。
まだまだ距離の縮まらない天馬くんを思い返しながら、そっと息を吐く。仲間に話しかけられて僕から顔を逸らした彼女は、相変わらず楽しそうに笑っている。それを横目に時計を見やれば、スタッフが準備出来ましたと呼びに来た。
「それじゃぁ、よろしくね」
「はいっ!」
―――
(司side)
「……司さんにしては、かなりガードの固いデザインだね?」
「っ…」
「もしかして、彼氏さんとのデート服…?」
にま、とオレを見る暁山に、思わず息を飲む。ごほん、ごほん、と態とらしくも咳払いをすれば、じとりとした目を寧々に向けられた。
「司、まだあいつと付き合うわけ?」
「ぅ……、いや、…別れる、つもりではあったのだが…」
「…どう考えても、向こうは遊びなんだから傷付く前に別れちゃいなさいよ。司が女装してまで付き合うとか、馬鹿らしいし」
「ボクは良いと思うけどなぁ。結構本気でアプローチ受けてるみたいだし」
左右から違う意味の顔を向けられ、自分が小さくなったような気分になる。
暁山は、オレに気を遣ってくれているのだろう。好きなようにしていいと、オレの肩を持ってくれている。寧々も、オレのために言ってくれているのだと分かる。オレが学生の頃に落ち込んでいたのを知っているからこその、ハッキリとした言葉だ。
いつか、神代に“男”だと話さねばならん。その時、神代と離れるのが辛くなるなら、早い内に言ってしまった方が傷も浅い。今なら、幸せな夢を見たと、そう終えることも出来る。
神代の『好き』を、聞かなかったことにも出来る。
(できる、はずだ……)
目を瞑る度、オレに向けてくれる神代の顔を思い出す。『好きだよ』と優しく囁く声音も、唇に触れる熱も、手を握られる感触さえ思い出せてしまう。それを全て“夢だった”のだと、そう思う事も出来るはずなんだ。今ならまだ、もどれる。
そう分かっているのに、『天馬くん』とオレを呼ぶ神代の声を思い出す度、胸が苦しくて堪らなくなる。
「…なら、なんでガードの固いデザインになるわけ? 手繋いでデートするだけなんでしょ?」
「う゛……」
「まさか、それ以上に何かされてるとか…」
疑うような寧々の顔が怖くて、さっ、と顔を俯かせる。冷や汗が背を伝い落ち、肩に力が入ってしまう。寧々の顔が、怖い。はぐらかすべきか、正直に言うべきか分からん。だが、ここで正直に言えば、神代に殴り込みに行きそうな雰囲気がある。無いと信じたいが。
(あ、暁山っ…!!)
頼む、助けてくれ…! と思いを込めて視線を送れば、それに気付いた暁山が、ぐっ、と親指を立てた手をオレに向けてくれる。それに安堵すれば、暁山は寧々の方へ顔を向け、にこりと良い笑顔を浮かべた。
「ボクが最高に可愛くしてるんだから、手を出されない方がおかしいでしょ! この前も路地裏に連れ込まれて あれよあれよという間に…」
「待て待て待てっ…!! 全くそんな事は無いから、勝手に話を大きくするでないっ!!」
更に怖くなる寧々の顔に、背筋がピンと伸びる。暁山の言葉を咄嗟に遮って否定してみたが、疑いの目が強くなっただけだ。暁山っ〜…! と心の中で唸るように名前を呼ぶと、それが伝わったのか、暁山と目が合う。にこりと良い笑顔を向けられてしまい、オレは急いで机の上を片付けた。
「この話は終わりだっ! そろそろ昼食の時間だからな…!」
「……それで、次のデートはいつなわけ?」
「……………………来週の日曜日、だ…」
「しっかりデートの約束を取り付けてるじゃない」
呆れたような寧々の顔に、オレはそれ以上何も言えなかった。
―――
「…こんにちは、神代くん」
「こんにちは。今日の天馬くんもとても可愛いね」
「ぅ……、そういうのはいいから…!」
目の前でにこりと優しく笑って そうさらりと言ってくる神代から、思わず顔を逸らす。言われたこちらが恥ずかしい。両手で顔を隠して顔を逸らしたオレを、神代は変わらずにこにこと見てくるから、余計に気恥ずかしい。
「きょ、今日は何処へ行く、ん…ですか…?」
話を逸らすようにそう問いかければ、神代は静かにオレの方へ手を差し出してくる。その手を見て、きゅ、と唇を引き結んだ。
恐る恐るその手を取れば、そっと握られる。手が引かれ、慌てて顔を上げれば神代と目が合う。
「今日は、買い物に行こうか」
「………は…?」
「君に服を贈りたくてね」
「…ふ、く…?」
オレの手を引いて歩き始めた神代に、首を傾ぐ。行き先はきっと、この近くのショッピングモールなのだろう。歩調はオレに合わせてくれているのか歩きやすい。握られた手が熱くて、心臓はずっと早いままだ。それでも、この状況が嬉しいと思ってしまうのは、相手が神代だからなのだろう。
握られた手を見つめて、ゆっくりと息を吐く。
(……早く言わねばならんのに…、まだ、終わりたくない…)
隠し事をしたままでいるのは嫌だ。だが、神代とのこの時間が終わってしまうと思うと、言い出せない。オレを気にかけてくれて、笑いかけてくる神代の隣が、気恥しいのに嬉しいんだ。もう少し、とどんどん欲張りになって、言い出せないまま会う回数ばかり増えてしまう。
無言にならないよう、何気ない話を振ってくれる神代に、胸の奥がきゅぅ、と音を鳴らす。
こういう所も、好きだ。
「天馬くんは、休みの日になにをしているんだい?」
「ぇ、あ…、……本を、読んだり…?」
神代の質問に、つい目が泳いでしまう。
さすがに女装用の服を作ってます、などと言えるはずがない。最初は自分で着るつもりはなかったが…。暁山に渡す服以外なら男性用の服も作るが、それも神代に言うのは少し憚られる。なにせ、神代に似合うだろうと思ったデザインのものを仕立てて、着ずにしまい込んでいるんだからな。
知られたくない自分の趣味を思い浮かべ、苦笑してしまう。読書は誤魔化すための無難な答えではあるが、踏み込まれたらボロが出そうで話を繋げられるか不安しかない。
「へぇ、どんな本を読むんだい? 最近女性の間で話題の小説は読んだかな? あの女学生がヒロインのミステリー小説で…」
「あ、それなら友人に勧められて読みました…!」
「天馬くんはミステリーも好きなんだね。ホラーとかは苦手かい?」
「…そうですね、苦手です」
「ふふ、そんな感じがしたよ」
くすくすと笑う神代が、オレの方へほんの少し体を寄せてくる。それにドキッとして、視線が逸れた。近い距離感が、落ち着かない。助けてほしい。心臓の鼓動を落ち着かせ、平常心を保てるよう手助けが欲しい。でなければ、ドキドキで死んでしまいそうだ。
するりと指と指の間に神代の指が触れ、そのまま滑り込まれる。先程よりもしっかりと握られてしまったその手に、じわりと顔が熱くなった。ぴったりと合わさった掌が熱くて、一層心臓の鼓動が早まっていく。
「時間があれば、本屋にも行こうか」
「っ……そ、うですね…」
にこにこと笑顔の神代から顔を逸らし、オレは震える声でそう返した。
―――
(類side)
「…やはりこっちの方が……、いや、こっちか…」
「………」
「これも良いな…! これとこれを合わせれば、かなり落ち着いた雰囲気に…」
一人でぶつぶつと何かを言いながら真剣に服を吟味する天馬くんは、僕の存在なんて忘れたかのように見向きもしない。眼鏡越しに見える蜂蜜色の瞳に映るのは、沢山並んだ様々な“洋服”だけだ。ちら、と時計を見てみると、十分以上経過している。女性の買い物は長いと聞くけれど、こんなにも真剣に選ぶのは天馬くんくらいだろう。
あっちへ、こっちへと店内をうろうろしては、手の中の服だけが増えていく。そんな彼女を黙って見つめながら、ゆっくりと詰めた息を吐き出した。
(…可愛い……)
はぁ、と息を吐きながら手で額を押さえる。ずっと放置されているのだから怒りが湧くはずなのに、一切そんな感情はない。むしろ、真剣に服選びに取り組む姿がいつも見る天馬くんとは違って、新鮮でとても可愛らしい。
それに、彼女が今選んでいるのは自身の服では無い。
「……ぁ、これ…この前雑誌の撮影で神代が着ていた服か…」
「そうだったかな…? よく覚えているね」
「神代によく似合っていたからな。色合いが普段の神代のイメージと違って印象深かった。オレとしてはこちらの色味の方が神代に合うと思うが…」
「…それなら、その服も着てあげようか?」
「本当か…?! 是非着てほしいっ!!」
ぱぁっ、と表情を綻ばせた天馬くんに、つい口元が緩む。
男性用の服を取り扱う店に真っ直ぐ入っていった時は驚いたけれど、こんなに楽しそうな天馬くんが見られるなら予定と違っても構わない。ショッピングモールに着いてから、彼女はずっとこの調子だ。『あのマネキンの着ている服はCMで神代が着ていたものだな!』と興奮気味に当ててくれる。あまりにキラキラした瞳で彼女がそう言ったものだから、『試着室で着てあげようか?』と言ったのが始まりだ。『着てくれるのか?!』と嬉しそうに言われてしまっては、期待に応えないわけにはいかない。
せっかくなら天馬くんがコーディネートしておくれ、とお願いした瞬間、彼女の瞳が真剣なものに変わった。
(…僕がモデルの神代類だと知ってるみたいだし、この様子だと、CMだけでなく雑誌も見てくれているみたいだね)
数種類ある服の色さえ覚えてくれている。学生の頃に告白してくれたという話は聞いたけれど、僕がモデルをしている間も追いかけてくれていたのだろうか。そこまで想ってくれているというのは、なんだか嬉しいね。
そうなると…、もしかしたら、彼女は僕の仕事の事を考えて『別れたい』と言っているのかもしれない。僕の仕事の為に、僕のイメージを崩さないために。そうだとしたら、彼女の態度に納得も出来る。僕を好きだったのだと過去の事にし、別れたいと言い続ける天馬くんが、時折僕へ向ける熱の篭った瞳の理由が。どう見ても僕を今でも好きでいてくれていると思えるほど緊張して顔を赤らめる天馬くんが、頑なに逃げようとする理由。デートもキスも受け入れてくれて、こんなにも僕を想ってくれている。その想いを隠そうとするのが僕の為だというなら、堪らなく愛おしい。
「天馬くん、あまり何着も持ち込めないから、一先ず二着ほど着てみようか」
「はっ…! そ、それもそうか…、だが、どれから着てもらえばいいんだ…?!」
「時間はあるのだし、片っ端から着ればいいよ。カゴを貸してくれるかい?」
「っ……、すまん…、よろしく頼む」
彼女の手からカゴを受け取って、にこりと笑顔を向ける。ぱちっ、と目が合った彼女は、興奮が収まったのか徐々にその顔を赤らめていった。そんな恥ずかしがり屋な所ですら可愛らしい。こんな天馬くんが見られるのなら、いくらでも着せ替え人形になってみせるよ。
「それじゃぁ、少し待っていてね」と一言残して試着室に入る。カゴの中には沢山服が入っているけれど、まずはどれを着るか…。上から順に手に取って見れば、綺麗に全身コーディネートのセットになっている。それがなんだか可笑しくて、つい笑い声が零れた。
いそいそと着替え、鏡の前で軽く自分の姿を確認する。大丈夫かな。天馬くんにかっこ悪い所は見せたくないし、背筋を伸ばさなければ。
シャッ、と試着室のカーテンを開けば、少し離れた場所に天馬くんがいる。「天馬くん」と名を呼ぶとすぐに僕に気付いて、彼女はこちらへ駆け寄ってきた。
「っ、…さすが神代だなっ! とても似合っているぞ!!」
「ありがとう」
「やはりその組み合わせは正解だったな! これでシルバーのアクセサリーを組み合わせてもいいかもしれん…! いや、ジャケットを先程見つけたやつにするともっとすっきりするのでは……」
「………それよりも、天馬くんのその手の服は…?」
きらきらと瞳を輝かせ、次いで真剣な顔に変わった天馬くんがぶつぶつとまた何か呟き始める。そんな彼女の手元を見て、思わず口角が引き攣った。
つい先程沢山の服が入ったカゴを受け取ったはずなのに、この数分で彼女の腕にまた何着も服が増えている。どれも僕に合わせて選んでくれたのだろう。選んでくれたのは嬉しいけれど、この数分で何着手に取ったのだろうか。
自分の腕の服を見た天馬くんは、数秒考えるように目を瞬いた後、へにゃりと眉を下げて笑った。
「神代に着てほしいと思ったら、つい手が止まらなくてな」
「っ、……君が喜ぶなら、いくらでも着るよ」
「ありがとう…!」
僕の返答に、鼻が綻ぶ程の笑顔を返され、思わず息を飲む。こんな事で、ここまで喜んでくれるなんて思わなかった。こんなにも良い笑顔の天馬くんは滅多に見れない。いそいそとカゴの中に服を入れてそわそわする彼女が可愛らしくて、困ってしまう。店内だからダメだと分かっているけれど、この可愛らしい天馬くんを今すぐ抱き締めたい衝動に駆られる。
「着替えてくるね」と一言伝え、手が出てしまいそうになるのを我慢して試着室のカーテンを掴んだ。そんな僕の手に、天馬くんの手が触れる。
「あ、神代…!」
「…どうかしたかい?」
慌てたように僕を引き止めた彼女へ顔を向ければ、赤い顔の天馬くんが僕をじっと見つめ返してくる。真剣なその表情に心臓が大きく跳ね、カーテンから手が離れた。
これは、触れていいのかな…。眉尻を下げて何かを言いたそうにする天馬くんが、あまりに可愛らしい。“触れてほしい”と、おねだりされるのではないかと思わされる雰囲気に、喉が音を鳴らした。
僕の手を掴む天馬くんの手を握るために手首をくるりと返して軽く振り解き、すぐにその手を掴み直そうと手を伸ばせば、その手がパッと離れてしまう。そうしてポケットからサッ、とスマホを取り出した天馬くんは、その瞳を輝かせた。
「着替える前に、写真を撮らせてもらってもいいか?!」
「…………ポーズでも取ってあげようか?」
「是非っ! お願いしたいっ!!」
「………」
今までで一番キラキラした顔を向けてくれた天馬くんに、僕はそっと肩を落とした。
―――
(司side)
スマホを両手で大事に持って、ショッピングモールの中を進んでいく。帽子を目深に被った神代は、そんなオレを見ると「そんなに嬉しいのかい?」と問いかけてくる。その問いに こくこくと何度も頷いて返せば、困った様な笑顔を向けられた。カメラロールの中にあるだろう神代の写真を思い返して、つい口元が緩んでしまいそうになる。
「そんな可愛らしい顔をして歩かないでほしいな」
「んむ……」
苦笑する神代が、オレの頬を指で軽く挟む。むにっ、と潰された顔が恥ずかしくて眉間に皺を寄せれば、すぐにその手は離れていった。
神代はすぐオレを“可愛い”と言うが、最近はその頻度が増えたように思う。暁山が手伝ってくれているから、女装は完璧なのだろう。それでも、そんなに簡単に他人を“可愛い”と思ってしまうなら、すぐ他の彼女が出来てしまいそうだ。そうなればお互いにすんなりと別れることは出来るが、きっと寂しいのだろうな。
「良ければ君と手を繋ぎたいのだけど、片手を貸してくれるかい?」
「…ぁ……、…どう、ぞ…」
「ありがとう」
恥ずかしげもなく はっきり“手を繋ぎたい”と言った神代は、にこにことオレに笑顔を向けてくる。そんな神代に、じわりと顔が熱くなった。オレばかり、意識させられて困る。デートだから手を繋ぐのは当たり前。それは分かっているが、慣れないものは慣れない。この、恋人へ向けるかのような神代の優しい笑顔が、尚更オレを意識させる。
差し出した手が握られ、無意識に唇を引き結んだ。
「君が喜んでくれたなら、嬉しいよ」
「すまん…、一人ではしゃいでしまって……」
「ふふ、それなら、後でお返しはしてもらわないとね」
「…お返し?」
にこにこと笑顔の神代に、首を傾ぐ。
お返しというのは、撮影代という事か? 金なら払うが。世に出回っていない神代の写真が買えるならいくらだって払うぞ。あまり高額では困ってしまうが…。
財布にいくら入っていただろうか、と首を捻れば、くしゃりと頭を撫でられた。くすくすと笑う神代が、オレの頭を撫でながら、「何を考えているか分かりやすいなぁ」と呟いている。
「そうだねぇ、写真の枚数分、君からキスでもしてもらおうかな?」
「んぇ…?!」
「あぁ、場所は口でなくても構わないよ? 僕はいつでも準備出来ているから、今日のデート中にしたくなったら君から声をかけておくれ」
「…っ、……」
さらりとそう言った神代は、とてもいい顔をしていた。悪戯をする子どものような、楽しそうな顔。そんな神代に、オレは声が出てこなくなる。
かなりの服を着てもらって、それぞれ何枚も写真を撮ったから総数が何枚かなんて分からない。それに、そんな条件があるなんて聞いてなかった。後になって提示するのはズルい。お金で解決するものだと思っていた分、お金より厄介な代償に、顔をくしゃりと顰める。オレの方から神代にキスをするなんて、想像するだけで恥ずかしくて堪らない。
うー、と熱い顔に手を当てて唸れば、すっ、と神代がオレの方へ顔を寄せてきた。
「頬でも額でも指先でも、どこでも好きにしていいよ」
「…そ、うは、言うが……」
「けれど、もし唇にしてくれるなら、一回で終わりにしてあげる」
「っ…」
内緒話をするかのように、小さな声で神代がそう言った。唇に指を当て にこりと綺麗に笑って魅せ、『どっちがいい?』と言わんばかりの顔を向ける神代に、きゅ、と唇を引き結んで黙る。選択肢があるようでないその問いかけに、一度唇を開いて そっと閉じた。
ずるい。そんな風に後から条件を提示するのは、意地悪だ。そう言われてしまったら、他に選ぶ道がないではないか。
「破格の対価だと思うけどな?」
「………ぃ、意地悪っ…」
「そんな…、天馬くんの為に頑張ったのだから、少しくらい御褒美があってもいいでしょ?」
繋ぐ手を強く握られ、そっと視線を逸らす。
それが御褒美になるのかは知らんが、確かに破格の取り引きなのだとは思う。なにせ、人気モデルの神代類がオレの選んだ服を片っ端から着てくれて、写真まで撮らせてくれたのだから。世間に出回っていないプライベート写真と言っても過言ではない写真を、キス一つで撮らせてくれるなんて破格なんてものではない。
むぐぐ、と小さく唸れば、神代がオレを手を引いた。前に歩き出す神代に、オレも慌ててついて行く。「心の準備が出来てからでいいよ」と、そう言って笑う神代は女性用の服を取り扱うお店を指さした。「向こうのお店も見ようか」と。そんな神代に、オレはぐっ、と唇を引き結んで繋ぐ手を引き返す。
「…天馬くん……?」
「……ちょっと、こっちに来てくれ」
ぐい、と神代の手を引いて、人の少ない通路の方へ向かう。人目が多いのはさすがに無理だ。休憩スペースの奥、自動販売機の影まで神代の手を引き、くるりと振り返った。何となく察しているだろう神代は、にこりとオレに笑いかけてくる。そんな余裕綽々といった表情に、ほんの少し悔しさを覚えた。人目がないのをもう一度確認し、神代の腕を掴む。
「っ……んーー…!」
一回。たった一回だけすれば良い。そう心の中で自分に言い聞かせ、精一杯踵を上げて背伸びをした。神代の方へ唇を向けて、恥ずかしさに目をギュッと瞑る。心臓が破裂するのではないかと思うほど煩くて、顔は火が吹きでそうなほど熱い。それでも、早く済ませてしまいたくて必死に背筋を伸ばす。
が、予想していた感触は一向に訪れず、つま先がぷるぷると震え出した。何故…、と片目を開ければ、にこにこと笑顔の神代の顔が薄らと見える。
「…と、届かないから屈んでくれっ!!」
「っ、ふ、ふふふ…ふふ、……」
「わ、笑うでないっ…!! 神代が言い出したのだろう?! 意地悪をするんじゃない!!」
「……ん、ふふ……、すまない…、一生懸命な君が可愛くて、つい、ね」
オレが苦戦しているのを笑って見ている神代に、かぁああ、とさらに顔が熱くなる。あまりに恥ずかしくて、思わず片手で神代の胸元を叩いてしまった。痛がる様子のない神代は、どこか楽しそうに笑って謝ってくるが、全く悪いと思っていなさそうな所が余計に悔しい。
キスをしろと言ったのは神代の方だというのに、意地悪だ。ぷく、と頬を膨らませたオレの頭を、神代は大きな手で撫でて、ほんの少し膝を曲げた。オレと目線を揃えると、「どうぞ」と小さく言われてしまう。
ニコニコと笑顔の神代に一瞬躊躇ってから、その腕に手を添える。ゆっくりと息を吸って、止め、そのまま唇を神代のそれに押し付けた。
「……、…………こ、これで、いいか…?」
ほんの一瞬、唇に柔らかいものが触れた。逃げるように唇を離し、ドキドキと煩い心臓を両手で押さえる。このままでは、破裂してしまう。痛くて煩いほど鳴り響く心音に大きく息を吸って気持ちを落ち着かせようとすれば、神代はオレの目の前でにこりと笑顔を浮かべた。
「うん、ありがとう」
「…っ、んぅ……」
優しい声音で礼を言われると同時に、神代の顔が視界いっぱいに映り込む。唇が重なって、じわりと熱が伝わってくる。
それに驚いて目を丸くさせれば、神代がオレの肩を掴んだ。くるりと体が半回転し、壁に背を預けるようにして追い込まれる。
「っ、かみ……」
名を呼ぼうとした唇がまた、神代のそれで塞がれた。
ちゅ、と態とらしく音を立てて唇が触れ合い、すぐに離れたかと思えばもう一度重ねられる。あまりのことに視界がぐるぐると回っているような錯覚を覚え、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
“一回”と言ったのに、何故オレは何度も神代とキスをしているんだ?!
「…んっ……、ふ、…ん、んぅ…」
「……、…はぁ…、…」
ゆっくりと触れ合う唇が離れ、神代の吐息が唇を掠める。目の前にある神代の顔があまりに綺麗で、呼吸も忘れて魅入ってしまった。視線がまっすぐオレへ向けられ、ぱちりと交わる。その瞬間、ドクン、と心臓が大きく鼓動し、足から力が一気に抜けてしまった。
へな、とその場に崩れかけるオレを、神代は驚いたように目を丸くして見下ろしてくる。「天馬くん…?!」と名を呼ばれ、手が掴まれた。
オレを支える神代の心配そうな表情にいたたまれなくなり、咄嗟に両手で顔を覆い隠した。
「……いっかぃ…ではない、だろっ…」
「嫌だったかい?」
「………………嫌、とは…言っていない…」
「ふふ。それなら、最後にもう一回させておくれ」
そっと手が掴まれ、ゆっくりと引かれる。オレの機嫌を伺うように軽く首を傾けて顔を覗き込む神代に、唇を引き結ぶ。
そういう聞き方は、ずるい。嫌だと思ったことなんかないんだ。心臓が痛くて、死んでしまいそうな程恥ずかしくて戸惑うが、それを“嫌”とは思えない。
黙ったままでいれば、オレの思いを察したのか神代が顔を寄せてくる。ふに、とした柔らかい感触がして、それがたっぷり二秒程触れ合ったあとあっさりと離れてしまう。ほんの少しの寂しさに きゅ、と唇を引き結んで神代を見つめれば、月のような瞳がオレの方へ向けられる。
ぱちりと目があった瞬間、優しくその瞳が細められた。
「物足りない…?」
「っ……」
いつもより低い声音と、鼻先を掠める吐息の熱に、息を飲む。言い当てられた驚きと気恥しさに顔を逸らせば、長い指先が頬を撫でてくる。
“ダメだ”と頭の中で声がするのに、逆らえずに顔を上げた。
(……戻れなくなる…)
もう一度重なる唇の熱に目を瞑って、そっと神代の背に手を回した。