とある本丸のへし切長谷部の話「何故、主にお会いできないのだ」
へし切長谷部は広間に入るなり不満を口にした。眉間に深い皺を寄せ、ドカりと音を立てて座り長谷部らしくない所作を見せる。広間にはおやつを楽しむもの、折り紙やカルタを楽しむもの、うたた寝するもの…と長閑な雰囲気から一変、独り言にも問い掛けにも取れる言葉に広間に居合わせた刀たちは、顔を見合わせた。
へし切長谷部は顕現してから一ヶ月経つが、未だにこの本丸の審神者と対面した事がなかったから当然の不満と言えるだろう。
「へし切、短刀たちを困らせるものじゃ無いですよ。いつか一期一振が顕現した暁には真っ先に斬られますよ。」
続いて広間へとやってきた宗三左文字が長谷部を諌めた。
座る長谷部を見下ろす宗三は、内番着を纏ってはいるが、たすき掛けをしておらず、女性と見間違うような出で立ちであった。
「長谷部と呼べ。」
長谷部はその一言だけキツく返すものの、その後はすまなかったと広間にいるものに謝った。
「まったく、それにしたって貴方はイノシシですか?いきなり主の執務室に突撃してくるなんて。裏山のイノシシの方がよっぽど身の程をわきまえてますよ。」
顕現してからこの一ヶ月、長谷部は遠征で経験値を重ねた。遠征続きで会うことが叶わないのは仕方が無いと、機会が巡ってこないのは仕方が無いと思っていた。しかし、特となり出陣が中心となってもそれが続くと流石の長谷部も痺れを切らしたのだった。
「何故…何故お会いできないのだ。」
長谷部は苦々しく膝の上で拳を強く握りしめた。
「貴方ほど主に執着する刀は、この本丸では難儀なのかもしれませんね」
宗三が長谷部の横に座った。宗三が腰を落ちつけたのを見て小夜左文字がお茶を持って二振りの元へとやってきた。二振りは小夜に礼を言う。
宗三が本題に入ろうかと言う時に、審神者の執務室の方面からこちらに走ってくる足音が聞こえてくる。
「宗三、大丈夫か?」
振り返るとそこには、何故か学生服のようなスカートをはいたこの本丸の始まりの刀、山姥切国広の姿があった。
思わずという様子で宗三は口元を袖で隠した。
「僕は大丈夫ですけど、貴方が大丈夫ではないようですが?」
笑いを堪えるように少し震えた声だった。
その声に反応して、山姥切国広は慌てて纏っている布をかき集めてスカートを隠した。
「みっ、みるな!!!」
だが、隠したところでより変態度が増しただけだった。
布で隠しきれない足元は白のハイソックスが丸見えだった。
長谷部は目をまん丸にして、山姥切国広の頭から足までをなめるように見つめた。
「…つるつる」
あまりの出来事に、ムダ毛ひとつ無い美脚への感想しか出ない様子の長谷部だったが、「綺麗」という言葉が出なかっただけよかったのかもしれない。
「貴様!!!そのような変態趣味で主の傍に侍っていたというのか!?」
我に返った長谷部が立ち上がり山姥切国広に詰め寄る。
さながらてるてる坊主な山姥切国広は為すすべもなく詰め寄られてタジタジしていると、間に近侍である乱藤四郎が割って入る。
「そこまで!!これ以上続けるならお仕置きしちゃうよ!」
それでも止まらない長谷部だったが、乱が審神者の執務室まで声が届いている事を指摘してやっと止まった。
「山姥切さん、長谷部さんに押されてないで説明しないと!なんの為に広間に来たのかな…?」
乱は腰に手を当て仁王立ちしている。フリルの揺れるスカートで可愛らしいポージングであるが、この本丸で初めて鍛刀された刀としての威厳があった。
「す、すまない…」
山姥切国広は布を深く被り直し、小さくなった。
乱に促されるように、長谷部、山姥切国広の二振りは宗三が座っている辺りに腰を落ちつけた。
山姥切国広は布で顔に影を落としながら、重い口を開く。
「まず初めに、この姿への弁明をさせてくれ。…これは主の為なんだ。」
「貴様…」
長谷部が間髪入れずに話を叩き切ろうとしのを、すかさず宗三が制す。黙ってお聞きなさいとでも言うように睨みをきかせる。
黙った長谷部に安心して山姥切国広は続けた。
「俺達の主は…男性が苦手なんだ。」
「男性恐怖症ってやつだね」
乱が補足する。
長谷部は堪らず口を開いてしまった。
「そんな事があるのか…?男所帯の刀剣男士だぞ?」
山姥切国広は頷いた。
「主はそれを承知で審神者を引き受けてくれたんだ。主の生い立ちは複雑で、とにかく男が怖いらしい。本当ならば彼女の姉が審神者となる予定だったらしいが、姉は嫌がり逃げたそうだ。放蕩息子ならぬ放蕩娘らしい…。そこで、まだ高校生だが主が審神者となってくれたんだ。未来の為、歴史の為に自分が何か出来るなら…と。」
山姥切国広はそこで一息ついた。いつの間にか、かるたをしていた平野と前田がお茶を入れており、山姥切国広は一口飲むんだ。
宗三は「まったく…いじらしい話じゃないですか」と袖で涙を拭うような仕草をするが、涙など一滴も出ていなかった。「それをへし切は…」「長谷部と呼べ」織田の二振りがやり合っている間に今度は乱が口火を切る。
「主さんは審神者の仕事にとても前向きだよ。だから始まりの五振りから山姥切さんを選んだ。山姥切さんと自分がどこか重なったんだって。二人で成長していきたいって」
そこで言葉を切ると、山姥切国広をサッと横目で見つつ長谷部の耳元で「もちろん五振りの中で比較的美少女顔を選んだってのもあるんだけどね。声こそ低いけど無口だし。」と囁く。容姿について言われることを苦手とする山姥切国広に配慮している事を察した長谷部も小声で「加州清光もいたはずだろう。あれの方が小柄で華奢な刀だろう」と返した。「そこに関しては僕も分からないけど…やっぱり綺麗だからかな。もちろん加州さんも綺麗で可愛いけどね!」と乱が肩を竦めた。
いい加減怪しんだ山姥切国広は二人に疑いの眼差しを向けている。
乱は仕切り直すように手を叩いた。
「そういうわけなんだけど、心が気持ちについてきていないというか……顕現している面子を見て何か思う所はないかなー?」
長谷部は首を傾げる。広間にいる面子を順繰り眺めてみるが分からなかった。蛍丸に骨喰に秋田…分かるのは顕現数が十二にも満たないことと、短刀ばかりである事だった。だがしかし、それは運用初期の本丸にはよくある形だった。馬鹿真面目な刀はうんうん唸りながら思考する。
見かねた乱がヒントを出した。
「ヒントそのいち♡この本丸は冬を迎えるのは二回目」
二年以上の運用の割に二部隊編成ができるか出来ないか…年数の割に顕現数が少ない事に長谷部はより唸る。
「ヒントそのに♡ここにいるみーんな可愛いよね♡」
乱は指ハートで可愛いポーズを取った。
「すまん、可愛いの基準が分からん」
長谷部はこれまた馬鹿真面目な顔で言ってのけるから、乱がお笑いよろしくずっこけた。
宗三は「これだから堅物の朴念仁は…」とやれやれ顔だ。
「もう!長谷部さんひどーい!」
頬を膨らませた乱にかわり、今度は山姥切国広が語り出す。
「ざっくばらんに言ってしまえば、この本丸には、大太刀や太刀など大きな刀種は顕現しない…という事だ。背が高く、男性を感じさせる刀は人の形取れない。本体自体は入手しているが、励起させることが出来ない。例外として大太刀でも顕現できた蛍丸がいい例だ。体躯は短刀達と変わらない子どもの姿だからな。」
この初期刀にしては今日はよく喋ってくれている。始まりの刀としての責任は持ち合わせているいるのだろう。それはスカート姿で十分すぎる程伝わっていると思っていた。長谷部が疑問を口にするまでは。
「それで、顕現して頂けている俺が会えないのは何故だ。何故俺だけが主にご挨拶さえさせて頂けないんだ?他の短刀たちは会えるのに。」
真顔でそんな事を言い出す長谷部を見て宗三
頭を抱え、乱は溜息をつき、山姥切国広は「俺が写しなばかりに…」と布で顔を隠してしまった。
暫しの沈黙の後、宗三が呆れた声をあげる。
「…あなた話を聞いていましたか?その耳はもしかして飾りですか?」
それでも長谷部は至って真面目に答える。
「話は聞いていた。貴様らが女装して許容範囲内だというならば、俺も女装をすればいいだけではないか。主の為ならば、腰巻でもなんでも履きましょう。」
初期刀と近侍が呆気に取られる中で、昔馴染みの宗三だけが「…これだから」と大きな溜息をついた。
「あなた、それを本気で言っているのだとしたらバグでしかないですね。鏡って見た事ありますか?あなたはどう頑張っても女装しても無理があるでしょう。」
「だからこそ僕達も長谷部が顕現できた事が不思議なんだ。一応顕現して直ぐに主さんにも報告して対面するかお伺いはしたんだよ?でも、いざ会おうとして遠目から長谷部さんの姿を見せたんだけれど…」
乱がそっと目を伏せた。同じ刀剣男士。今代の忠誠を誓う主に会えない気持ちは乱にも、この場にいる全ての刀が痛いほど分かっている。
「長谷部さん。…長谷部さんがそんな刀だとは思ってはいないけど……主さんの事恨まないであげてね」
乱がそう言葉をかけた時だった。気配を察知した全員が固唾を飲んだ。広間の近くまで主が来ているからだ。それは前代未聞だった。この本丸の審神者は、学校と執務室を含む審神者の領域の往復のみで、刀たちの生活領域に足を踏み入れることはなかった。
どんどんこちらに小さな足音が近づいてくる。
あまりの事に全員が動けずにいた。そして、障子の向こうに可憐なシルエットが見え、障子が途切れ、遂に審神者は姿をあらわした。
「…ごきげんよう。」
伏し目がちに刀達に挨拶するその姿は、可憐さと神々しさを併せ持っていた。腰にまで届く美しい黒髪。美しく整えられた髪はサラサラとしており、挨拶した折には耳にかけられていた髪が前に落ちてきた。そしてまた耳にかけ直す仕草は大変美しく、刀たちは思わず見入る。
現世では名門と謳われる女子校の楚々とした黒いセーラー服を見に纏い、所作はどこまでも美しい。良家の子女である事が伺い知れる。
「こんな風に皆さんにお会いしますのは、はじめてですね。いつも私を気遣って下さってありがとうございます。私がこんな体質なばかりに、皆さんにはご迷惑ばかりおかけしていて…特に山姥切国広さんには申し訳がないわ。」
スカート姿の初期刀に目をやり、申し訳なさそうにする審神者の姿は庇護欲を誘い、また純粋さしか持ち合わせていない悪意のない人間であることが伝わってくる。
そして、審神者は少し表情が硬くなった。長谷部を視界に入れたからだった。表情を強ばらせながらも、それでも良家の子女としての教育の賜物なのかその顔には笑みをたたえていた。
「へし切長谷部さん、はじめまして。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。これからもお力をお借りしたく存じます。未熟な審神者ではありますが、どうぞよろしくお願いします。」
サラリと髪が前へ垂れた。審神者が腰を折ったからだ。
長谷部は驚きのあまり、顔を上げさせようと審神者の肩を触れようとした。その瞬間、審神者の肩がビクリと跳ね上がったのを見て寸でのところで、手を引っ込めた。そして、長谷部は片膝をついた。
「お顔をおあげ下さい。こちらこそご挨拶申し上げるのが遅くなり申し訳ございません。へし切長谷部、と言います。主命とあらば、なんでもこなしますよ。」
口上を述べる長谷部の口調はとても優しく、また目線を低くしているのも彼なりの配慮なのだろう。流石忠臣とも言える刀と言うべきか。
最後の一文は「主の為ならば女装だって本気でしますよ」という副音声が聞こえてくるようだった。
その言葉を聞いてか、審神者の硬かった笑顔が少し綻んだように見えた。
この本丸にとってはへし切長谷部のような刀の顕現は異例中の異例だった。彼の顕現を機に、この本丸は少しずつ変わっていくのかもしれない。いつの日かこのスカートと、おさらばする日が来てくれるかもしれないと思う山姥切国広だった。
演練で他の本丸の刀を遠目から見て卒倒した審神者が、長谷部を目の前にして立っていられたのは大きな一歩と言える。ただ、どうしてへし切長谷部が顕現出来たのか…そこにはどのような主の御心があったのか…そういった話題が好きな乱藤四郎にとってはこれからが楽しみな様子で、『 へし切長谷部、執務室突撃事件』は幕を閉じたのだった。