「今日はね、贈り物があるんだ」
きらきらとした琥珀色の瞳がテロスを見つめた。テロスはいつもと変わらぬ笑顔のまま、ただじっとルピナスを見つめ返す。
「贈り物……?」
「そうだよ、とても特別な贈り物だから喜んでもらえたら嬉しいな」
声を弾ませてそういう少年に、テロスはもじ、と指を遊ばせた。テロスにとっては彼が自分にしてくれた全てのことが特別な贈り物だったのだが、彼からするとどうやらそうではないらしい。それもそうか、とテロスは心の中でつぶやく。自分やオラクルとは違って、あの胸の悪くなるような匂いがする場所など彼はきっと知らないのだから。健全に愛され育ったこの幼い少年にとって、粘土遊びもお絵かきも星の観察も、きっと日常の一部に過ぎないのだろう。そうして育ったからこそ何も裏のない、純粋で綺麗なただの平等を自分に注いでくれているのだ。
「えっと……これなんだけど、どうかな」
懐から小さな袋を取り出して、ルピナスはその中身取り出す。そしてそれをテロスの手に握らせながら、じっとテロスの覆いに隠れた顔を伺った。
「これは……リボン?」
つやつやとして柔らかい、手触りの良い黄色のリボンがテロスの手に握られている。何を使って染色したのか、少しばかりきらきらとしていた。
「うん。えっとね……ぼくの羽根を使って織った布を、ぼくのツノを砕いて作った染料で染めて……それでリボンにしたの。友だちの証に、どうぞ」
照れくさそうにはにかんで言うその言葉に、テロスはぱちくりと目を瞬かせた。そしてしばらくぼんやりと手元のリボンを見下ろしてから、そろりと口を開く。
「ありがとう、大切にするね」
そう言った少年の顔にはやはりいつもと変わらぬ微笑が浮かんでいたが、喜んでいないわけでは決してないとルピナスはわかっていた。現に、表情に反してその手は心底大切そうに抱え込むようにリボンを包み込んでいる。ルピナスは心底嬉しそうに笑って、その上から手を重ねてテロスと覆い越しに目を合わせた。
「喜んでもらえて、よかった。あのね……、テロスちゃんはずっとここにいるわけじゃないのでしょう?だからね、遠くにいてもこれを見てぼくのこと思い出してね」
ひみつを共有するようにルピナスがそう囁くのを、テロスは黙ったまま聞いている。ぼくたち、友達だもんと続ける自分よりいくらか幼いその顔を、テロスは直視し続けることができずにそうっと俯いた。
ルピナスの愛はどこまでも平等だ。ここにあるのはその、誰にでも等しく注がれる博愛の一欠片であるので、この無垢な少年が自分だけを見ることはない。出会った当初はそれが確かにありがたくて嬉しいことだったはずなのに、今はなぜだかそれがどうしようもなく苦しく感じて、吐息をこぼそうとして開いた唇がわなないた。
「……これは、他の子にも……」
ぴくりとルピナスの耳が揺れる。テロスは唇を閉じ、続きを口にすることをやめた。
「他の子にも?」
「……何でも、何でもないよ」
テロスは薄く笑みを浮かべる。ルピナスはじっとテロスを見つめていたが、しばし考え込んでそっとテロスの手からリボンを抜き取った。心臓が鷲掴みにされたような痛みを感じ、テロスは微かに震える。手の内から消えたリボンを返して欲しいと思って謝罪と懇願を口にしかけ、しかしバビロンにいた頃に培った諦観がそれをやめさせた。ぎゅ、とただ力なく手を握るだけのテロスに、ルピナスはいつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「あのね、結んであげるね」
「……え?」
「えへへ。あみあみも、ぼくちょこっとだけね、できるから。」
驚いて固まるテロスをよそに、櫛はどこかしら、とルピナスは暫く探していたが、やがて諦めてテロスの後ろに回った。柔らかい指先が毛先を掬う為に首筋を撫で、テロスは思わず首を竦めようとする。しかし思い通りに動かない身体は凝り固まるばかりで、そんな固まり切った身体でも心臓だけはどくり、どくりと大きく脈打つのがどうにもいたたまれない。
「テロスちゃんの髪、やっぱりさらさらでとっても綺麗ねぇ」
そう言って笑う少年の、柔らかく高い声が耳朶を打つ。今まで心地よさしか感じなかったその声に、抑制の奥でひどく心を揺すられたような気がして、テロスはまた指先を無意味に動かした。しゅる、と軽い衣擦れの音と共に髪が纏められていく。時折悪戯に指先が地肌を掠めるたびに、ああ今回ばかりは枷があってよかっただなんて思いながら、テロスは細く細く息を吐いた。できた、という言葉と共に、ルピナスが手を離して正面に向かう。背後にあった熱量が移動したにも関わらず、未だに背中が熱い。
「ふふ、ぼくのツノの色、テロスちゃんに似合ってて嬉しいなあ」
ああ、上手く感情を表出することのできない状態で本当によかった。さもなくば、きっと自分は女の子のように頬を真っ赤にして、しかも人一倍目の良いこの子はそれを不思議そうに指摘してくるだろう。いくら感情抑制があるとはいえど、耐えられる自信がない。テロスはそう思いながらいつものように微笑もうとして失敗し、ただありがとう、と絞り出すのが精いっぱいだった。あまり愛想のない顔をしている自覚があって、普段の微笑みですらない自分の表情に泣きたい気持ちになりながらそうっとルピナスを見つめる。ルピナスは視線を感じるときょと、とした後にいつもの無垢な笑みを向けた。それが自分に向けられていることがどうにも嬉しくて、できることならもっと見ていたいと、少し心が落ち着いたテロスは微笑み返しながらそう思う。
そうして、少年と遊んでいるのがオラクルに知られ咎められたのは、その出来事があった翌日のことだった。後日ルピナスは自分ともっと遊びたいと言っていたものの、しかし一方でオラクルからはやはり反対された様子。万が一、万が一にもあの無垢で優しい子が傷つくところは見たくない。そう思ってテロスはテオに頼んでニブルヘルを後にする。あの日に受け取ったリボンからはルピナスの匂いがして、確かに悲しいと感じているのにやはり涙が出ない自分が心底嫌になった。