「ハクリ、調子悪いのか?」
「んぇ?」
間抜けな声が出たな、と頭のすみっこの方で思った。
柴さんは『野暮用』で、ヒナオさんとシャルちゃんは女の子同士で買い物とかで、俺とチヒロで留守番の日。どうしようかって話してる時だった。実は最近ちょっと寝不足気味で、別に体の調子は悪くないけど、チヒロはそういうとこによく気づく。凄いと思う。さすが侍!
チヒロはあまり表情が動かないけど、心配そうな顔をして首をかしげてるのがわかった。あまり心配をかけるわけにはいかないので、慌てて手と首を振る。
「いや、ちょっと寝不足気味っつーか! 全然だいじょ……ふ、ぁ……んぐ、」
大丈夫、と言おうとしたところで欠伸が出そうになってそれを噛み殺した。説得力ないなあ。
「夜更かしでもしてるのか?」
「んー、いや、夢見が悪い? みたいな?」
俺はどっちかというとよく夢を見る方なんだと思う。色々見ることはあるけど、ここ最近はいわゆる悪夢を見ることが多かった。よくわからないでっかいのに追いかけられるとか、小さい頃聞いた怖い話(今はもう怖くないよ!)とか、兄さんたちとのこととか、『あの日』のこととか――いや、うん、これ以上はやめよう。
とにかく、なんだか悪夢が多くて、色々目まぐるしかったから体がびっくりしたままなのかも。だからそのうち修まるんじゃないかな。
俺がそう言うと、チヒロは口元に手を当てちょっと考えてた。なんか様になってるなあ。
「……その夢、俺が食べてもいいか?」
「んぇ?」
二回目の間抜けな声が出た。
◆
なんと、チヒロは『まくら』だったのだ!
バース性の中でも一番人口が少ないと言われているそれは、俺も直接見たことはない。以前、俺は関わらなかったけど『商品』の中に『まくら』がいて、それを『付加価値』としていたことがあった。俺にバース性はないから一般的な知識程度しか知らないけど、それぐらい珍しいんだと思う。いや、うん、この話もやめよう。
「俺、『まくら』って初めて会った……」
「俺も、俺以外の『まくら』には会ったことないな」
じっと見つめてたら、チヒロが居心地悪そうにしてたから「ごめん」ってやめた。チヒロは「大丈夫」って返してくれた。やっぱりいいやつだ。
「えーっと、それで、食べる、んだっけ? いいのか?」
「ああ、夢は食事の一つだから」
「それはまあ、知ってるけど……でも、悪夢って食べても大丈夫なのか? 腹壊したりしない?」
「悪夢を食べて体調不良になったことはないな……。ハクリが気にするなら、もしも夢が悪夢じゃなかったら食べないでいいか?」
「え なんの夢見てるかわかるのか」
変な夢見ちゃったらどうしよう! 両頬に手をあてて顔を赤くしたり青くしたりしてると、チヒロは静かに首を振った。
「いや、夢の内容まではわからない。ただ、見てる夢がその人にとって『良い』か『悪い』かわかるだけだ」
「へー! 味が違うとか? 『まくら』ってそうなのかな」
「味とかは特には……俺以外の『まくら』については、俺もよく知らないんだ。知識としてはあるけど、会ったことはないから……というか、話が逸れてきてる」
それでどうするんだ? と聞かれてハッとした。そうだった、俺の夢の話だった。
「んと、じゃあ、お願いします」
「わかった」
軽く頭を下げた俺に、チヒロはこくりと頷いた。
「ハクリが眠れそうなら、今からにするか? 夜まで待ってもいいが」
「ん、眠れる、気がする。昼と夜ってなんか違う?」
「いや、違いという違いはない。ハクリが眠って夢を見ている間に、俺は起きてその夢を食べるだけだ」
どうやら、『まくら』は夢を食べるために起きていなくちゃいけないらしい。それじゃあ夜俺が寝てる間はチヒロは起きてるって? チヒロが寝不足になっちまう、と言ったらチヒロは夢のほうは少食だから少しでいいんだとか。でもやっぱり夜は寝ないとだよな?
というわけで、元々留守番だったこともあってお互い何も予定がないことを確認した後、寝室まで移動して『俺の悪夢を食べよう会』が開催された。
「『会』?」
「いやっ! そこはあんまり触れないで!」
色々初めてだから、ちょっとはしゃぎすぎた……恥ずかしい……。
気を取り直して、寝る準備を始める。って言ってもそのままベッドに横になるだけだけど。あれ?
「そういえば、『まくら』に頭を乗せるってどうすればいいんだ?」
「俺はいつも父さんの夢を食べていたんだけど、腕とか、腹とか……」
「腹」
「ああ……たまに、悪ふざけ、みたいな感じで、体のあちこちに寝転がってきて……」
チヒロがあんまり見たことないような顔してる……。苦労(?)したんだな、とは思うけど、嫌な感じじゃなさそうだから、きっと、チヒロの『いい思い出』なんだろうな。
「でも大体これだったから、これにするか」
ベッドの上でチヒロは正座をすると、ポンポン、と自分の膝を叩いた。
「膝?」
「そう。嫌だったか?」
他でもいいが、と言うチヒロに俺は一瞬だけ考えてから首を振った。腕とか、腹とか、ちょっと思い浮かべて、なんか、ヤバそうな気がしてやめた。
「し、失礼します!」
チヒロの膝、というか太ももの上に頭を乗せるようにして仰向けになる。俺が寝やすいようにって部屋は少し暗くしてたけど、チヒロの顔ぐらいはよく見える。見慣れない角度で変な感じ。でも、こっから見ても、チヒロの顔って――
「……ハクリは目を開けて寝るのか?」
「 いや! 閉じます」
なんで仰向けになったんだ俺……! 慌ててぎゅう、と強く目を閉じる。なんかドキドキしてて、眠れるか不安になってきた。そしたら、目を閉じてるのに視界が暗くなって、暖かい何かが目元を覆った。すぐに、チヒロが手で伏せてくれたんだな、と思ってたら、別の暖かいものが腹の辺りを優しくポンポンと叩いた。
一定のリズムのそれはなんだか心地良くて、気づいたら体の力は抜けてすっかり眠りに落ちていた。
「……おやすみ、ハクリ」
うん、おやすみチヒロ。
◆
ここが何処だとか、なんでここにいるのかとか、頭に浮かびかけた。浮かびかけたんだけど、チヒロの後ろ姿が見えて、「あ、チヒロだ」と思って、その後ろ姿に「チヒロ」って声をかけた。
声をかけたはずなのに、声が出た感じがしなくて、あれ? って思った。どうしようチヒロ気付かないかもって思った。でも、チヒロは振り向いてくれたから、良かった、気付いてくれたんだって嬉しくなって、そのまま駆け寄っていった。
振り向いたチヒロは、見たことないような顔をしていた。さっきのとは違って、落ち着いた……ううん、チヒロはいつも落ち着いてるな。穏やかな? そう、穏やかで、いつも引き締まってる口元も少し緩くって、……笑ってる? うん、笑ってる。見たことないけど、きっと、チヒロは本当はこうやって笑うんだな。
そんな新しい発見と、笑いかけてくれたのがなんだか嬉しくて、むずがゆいのに、心地良くって。
ずっと、ずっと見ていたいと思った。
◆
ふわふわ浮かぶような、急に空から落ちるような、不思議な感覚。俺、何してたんだっけ、と目を開けても、何故か暗くて、あれ?
「ハクリ? 起きたのか?」
「ん……んん? ぇ、ぁ、わッ ぶぇッッ」
目を覆っていたものがなくなって、明るくなったな、と思ったら目一杯にチヒロの顔。なんかもう色々ビックリした俺は、チヒロの膝から転げ落ちた。そして見事に顔面から布団へ。
「ハクリっ! 大丈夫か」
「だ、大丈夫だいじょうぶ……」
顔をさすりながら、もう片方の手を大丈夫だってチヒロの前に掲げる。今の衝撃で色々思い出した。
「えっと……ゆめ、そう、……あれ? 夢食べた?」
「そのことなんだが……」
正座のままのチヒロが、申し訳なさそうに少し目を伏せた。
「夢は見ていたが、ハクリにとって『良い夢』だったみたいだから、食べなかったんだ」
良かったか? とチヒロが伏せてた目をこちらに向けた。良い夢。あれは、良い夢だった。
さっきまで見ていた夢を一気に思い出す。と、同時に、あのチヒロが、目の前のチヒロと重なる。初めて見た、あの、チヒロ。
良い夢。俺の、良い夢。
「~~~~ッ」
一気に顔が熱くなる。チヒロがどうしたのかと声をかけてくれてるけど、それどころじゃない。
俺、俺、なんか気付いちゃったかも……!
◆
その後。
なんやかんやあってパートナーになった二人。
「やっぱり、『良い夢』も食べるのは少し申し訳ないな」
「いいっていいって! 折角パートナーになったんだから沢山食べろって!」
「沢山はいいが……ありがとう」
「へへ、それにやっぱり本物のチヒロのがいいしな!」
「『本物の俺』?」
「あっ」