Disclosure高級焼き肉店の個室。天井のスピーカーから発せられるイージーミュージックと、肉がジュージューと焼ける音が耳元で混ざり合う。トングを置き、何杯目か分からないグラスを空にしてから玉田が口を開いた。
「で、世界中回ってばっかだけど、良い人は出来たのか?」
「へ?」
肉を食べようと開けた口のままで返事をする。
「もう30手前よ、オレたち。そろそろ考えるだろ、結婚のこととかさあ」
確かに、と頷いて、口の傍で止めていた肉を口に入れる。玉田が前のめりになり、上目遣いで此方を見た。
「で、いるのか?」
ゆっくり肉を咀嚼し、喉を鳴らして食道に送り込む。玉田はじっとこちらを見つめて、答えを待つように黙り込んでいる。箸を置いて、玉田の茶色い瞳を見つめ返す。
「いる」
玉田の瞳が僅かに揺れたのち、網上の肉に視線が向けられた。
「へえ…」
玉田が肉を裏返す。グラスの溶けた氷がカランと音を立てる。
「言っとくけど、現地妻みたいなのは…」
「違うって!」
「じゃ、どんな人なんだよ?」
ニヤついた口元が気に入らないが、親友には話していいだろう。一言で言うなれば。
「コーヒー淹れるのが上手いんだべ」
彼女はオレと全く違う考え方のはずなのに、彼女の言葉はコーヒーのようにオレの中に染みていく。
「はあ?コーヒー?」
玉田は一瞬怪訝な顔をしたが、何やら1人でブツブツ言った後に口元を綻ばせた。どうやらこの説明で勝手に納得したようで、前のめりになって聞いていた姿勢を崩して、背もたれに体重を預けた。昔ならもっと掘り下げて訊いてきたはずだ。訊かずとも分かるようになったのか、お互い大人になって、深入りしなくなっただけなのか。
「玉田はどうなんだ?仕事出来る男はモテるべ?」
やっぱ訊くよなあ、と玉田が視線を逸らす。そりゃあ訊くだろう。てっきり、自分の話を聞いて欲しいからオレに話題を振ったのかと。
焼けた肉を皿に上げて、玉田が店員に追加のドリンクを頼んでから、こちらに向き直る。
なあ、こんな話知ってるか、と玉田が人差し指を立てた。
「ジャスってバンドのドラムスは、サックスのことが好きだったって」
「…は?」
今なんて言った?ジャス…?ジャスのドラムス、玉田。サックス、オレ。
「それは、どういう意味で…」
「そりゃ、ラブに決まってんじゃん。ラブラブ。20歳の初心なオレは、大くんのこと愛してたべ」
玉田が人差し指で宙にハートを描く。
「ええーーッ!?」
思わず立ち上がる。十年前の出来事とはいえ、当時のことはハッキリ覚えている。玉田がそんな様子だったこと、なかったはずだ。
「馬鹿!声がでけえよ」
「いや、でもさあ…!!嘘、全然気づかなかったべえ……」
「そりゃそうだ。オレが自覚したのも、お前がドイツ行ってからだし。いなくなって寂しいなーって思って、よく考えたら、もしかしたらお前のこと好きだったかも?って思い始めて。もしジャスやってる最中だったら、音に出るの怖くてやってらんなかったな。あ、今は無いから!そんな気全く無い!」
玉田はそんな衝撃的な事実をあっけらかんと話す。でも、どうして今そんな話を。
「なんで今更、って顔してるな」
そりゃあ、まあ。
レモンサワーを運んできた店員に礼を言い、傍にグラスを置いてから、玉田は目を伏したままでゆっくり口を開いた。
「オレ、同棲始めようと思ってるんだ。前の会社の後輩なんだけど、すごく真っ直ぐでストイックで、いつでも前を向いててさ。……正直、ちょっとお前に似てるんだよ」
頭を上げて玉田が微笑んだが、イマイチ話の内容が頭に入ってこなかった。玉田の笑顔を見るのが何故か躊躇われて、テーブルに目を落とす。
「あーあ、言っちゃった…。悪いな、思い出を汚して」
「いつまで」
玉田が首を傾げる。
「いつまで、オレのこと好きだったんだ?」
いつもの声の調子になるように、発音に気をつける。
「お前がヨーロッパから帰ってくる頃には吹っ切れてたかな。次会う時は、絶対にただの友達として接しようと思ってたし」
笑みを浮かべながら話す玉田の口元を見る。すっかり作り笑いが上手くなったビジネスマンの顔だ。
「それ、本当か?」
「え?」
思わず本気のトーンが出てしまった。一度出ると止まらない。
「オレに恋人が出来てなかったら、言わなかったべ?まだ迷ってるんじゃないのか、自分の気持ちに」
「……」
玉田はハッとして唇をきつく結んだ。視線が交わる。
「それは違う」
ハッキリとした物言いだった。
「お前のことはとっくに諦めてたべ。ただ、もう一度対──」
「だからさあ!」
思わず語気が強まる。
「なんでそう、諦めるとか!オレの気持ちも訊かずに決めるんだべ」
「ハァ!?いやそれは…告白は無理だろ!男同士とか関係なく、そんなことでお前のこと邪魔できるかよ!」
それはそうだ。きっと、玉田に迫られても断るしか出来なかったはずだ。それなのに、その気持ちを自分にそのまま伝えてくれなかったことに無性に腹が立つ。今の形が一番収まりが良いことは自分でも分かっている。
「付き合わせて悪かったよ。オレの中で整理つけたかったんだ。一度昔話にして流してしまえば、また対等にお互いの好きな相手のこととか喋れる仲に戻れるんじゃないかって思って」
玉田は居心地悪そうに視線を下に向ける。そんな顔をさせたかったわけじゃない。だけど。
玉田が指を組みながら口を開く。
「オレはお前と親友でいたいだけだ。さっきの話も、お前は流してくれるだけでいい」
頬に力が入る。自分でもどうしたいか分からない。
「…って思ってたけど、お前はそれで満足しないんだな」
顔を上げると、玉田が優しく微笑んでいた。連絡も無しに仙台から押しかけてきたどうしようもない友人を家に上げてくれた時の、あの顔と同じだ。
「オレのことフッてくれよ。一思いにさ」
自分の中でピースのハマる音がした。自分の手で、終わらせなければいけない。それが自分の責任のような気がした。誰に求められていなくても、オレのエゴがそう言っている。
玉田から目を離さないまま、一、二秒目を閉じる。息思い切り吸って、吐く。玉田もオレから目を離さない。
「悪い。玉田とは付き合えない。これからもオレの親友でいてほしい」
「…ああ」
玉田が右手を差し出す。その手を強く握り返す。あの時とは違う、柔らかい手。
「これからもよろしく」
少し声が潤んでいたことには、気づかないフリをした。火を消しにきた店員に会計の旨を伝える。閉店時間が近づいていた。
「じゃあ、また」
「ああ」
駅前で別れを告げる。今日泊まるホテルは玉田の家とは別方面だ。
玉田が立ち止まってこちらを見つめる。
「やっぱ好きだわ。お前のこと、好きだ。勿論親友としてな」
あの日橋の下で見たような、自然な笑顔だった。胸の中を熱いものが埋める。
「オレも愛してるべ、親友の玉田くん」
「さっきの後にそんなこと言うか?フツー。ま、いいか。もう、電車来るからじゃあな」
軽く手を振って去る背中を見つめる。人混みに紛れて見えなくなったのを確認して、自分の路線へと歩き出す。胸の中に出来た、埋まらない少しの空隙には見ないフリをした。