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    yoyo_ryu

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    ロシア画壇で押しも押されもせぬ重鎮となったヴァシリのもとを深夜訪れた異国の客。自分のことを尾形百之助の弟、花沢勇作と名乗る彼の語る数奇な人生とは。

    何度尾形くんの絵を描いても納得がいかず破り捨てているヴァシリ画伯のもとにキャトルミューティレーションされた勇作さんが訪れる話です。
    テッド・チャン『あなたの人生の物語』パロです。

    私の人生の物語夜分に失礼します。ヴァシリ・パヴリチェンコ画伯のお宅でよろしいですか。
    あなたが今お描きになっている絵についてお願いしたいことがあって参上しました。
    驚かれるのも無理はありません。あの絵について、あなたは誰にも口外していないのですから。あなたは戦火で言葉を失われた。その相手、生涯の宿敵とも畏友とも思う者を偲んでの絵画だということを私は知っています。誰にも売る気はなく、どこにも飾る気もなく、ただ自分のためだけに描いておられるのも知っています。何度描いてもうまくいかず、破り捨てる毎日であることも知っています。もしかしたら、これから私のする話がなにかのお役に立つかもしれません。
    立ち話もなんです。入ってよろしいですか。
    自己紹介が遅れました。私の名は花沢勇作。あなたの描いている絵画、尾形百之助の異母弟です。

    尾形百之助の弟にしては年格好がおかしいとお思いでしょうね。私は日露戦争の旅順攻囲戦で既に死んでいます。正確には違いますが、幽霊のようなものだとお考えください。これも今からお話することでおわかりになるでしょう。ロシアンティーを淹れてくださったのですか。ありがとうございます。このあたりの夜は冷える。これが冷める前にすべてをお話します。百之助の、兄様の運命を決めてしまった私の人生の物語を。
    私、花沢勇作は幼い頃神隠しに逢いました。神か或いは物の怪かはわかりませんが、異形のものに囲まれて一時を過ごしたのです。それらは七本の長い腕にも脚にもなるもので樽のような胴体を支えていました。私にもいまだにそれらの名前はわかりません。便宜上、七本腕と呼んでおきましょう。七本腕が私に危害をくわえることはありませんでした。ただ私になにかを教えようとしていました。どうやらそれは彼らの言葉のようでした。七本腕の言葉は奇妙なものでした。話す前から、書く前から、既に結論がわかっているのです。まるで過去と現在と未来が同時に存在しているようなその言語を、ちょうど言葉を習う年頃だった私は学びました。そしてある瞬間、頭が灼けるのではないかという衝撃とともに、膨大な記憶が脳裏に流れ込んできたのです。生まれてから死ぬまでのすべての記憶を私は見、己のものにしたのです。うずくまる私を見て、七本腕たちは私を花沢の家に戻しました。長い時間のように思えたそれは、ほんの数日のことでした。
    言語というのは思考を、なかんずく意識を形作るものです。異形の言語を学んだ私はいわば、過去現在未来のすべてを同時に意識することが可能になってしまったのです。東洋には〈三世の書〉という架空の書物があります。過去現在未来すべてが記入された運命の書です。私はそれを読んでしまったようなものでした。良いことではないかとお思いかもしれません。未来がわかれば危機も好機もわかる。危機を避け、好機をものにすればよいと。でも、もし自分の運命を知ったとき、そんなふうに天邪鬼な行動を取れるかというとそうではないのです。未来を知ることがもたらすのは、知ったとおりの行動をすべきという強迫観念です。自由意志に反するように思えるでしょう。未来を知ったものには自由意志はありません。あるとすれば、たとえ地獄に続いていても一挙一投足に至るまで知った道の通りに歩いていこうという強い意志だけなのです。

    すべての知識を幼くして有していた私は、なろうと思えばなんにでもなれたでしょう。しかし私の運命は決まっていました。花沢の家は軍人の家系であり、私もそれに倣うという理由をかこつけて軍人となりました。そこで兄様、尾形百之助にはじめて会いました。未来の記憶にある通りの、美しい方でした。あんなに美しいひとは見たことがなかった。そんなひとといつか会う、それが私の悲願であり運命でした。兄様は記憶の通りよそよそしく、私は記憶の通りにしつこいほどの愛情を投げかけました。私の言葉も、兄様の反応も、すべては私の脳内にある記憶のとおりでした。はたから見ればまるで教科書を読んでいるように見えたかもしれません。実際そのとおりだったのです。その頃が一番楽しかった時間でした。同時に、私の行動のひとつひとつが兄様の胸にある不穏の種に水をやり、肥料を与え、私の命運にかかわる思いを育てることも知っていました。
    そうそう、兄様と妓楼に行ったのも楽しかった。兄弟らしいことはなにもかも楽しかった。だって、ずっとずっと会いたかったのです。会う前の長い時間、何度記憶を反芻したでしょう。私は命じられた役を完璧に演じつつ、兄様のことを本当に愛していました。私の脳内にある記憶はすべて事実であり運命であり、私の本当の気持ちだったのですから。
    やがて戦争が始まり、私は連隊旗手となりました。それも私の記憶のとおりでした。私はそこで兄様を抱きしめ、こう言いました。
    「人を殺して罪悪感を微塵も感じない人間がこの世にいて良いはずがない」
    私が兄様に言うことになっている台詞でした。それが最後の無花果の葉、駱駝の背を折る最後の藁、兄様の魂にとどめを刺す最後の釘であることも知った上で、私は何事もなく言い切りました。言い終えたとき、大役を終えた役者のように足が震えたのを覚えています。
    そして私は死にました。兄様に殺されたのです。後頭部から左目に銃弾が貫通したとき、心からの安堵を覚えました。私は私をやりきった。役目を果たした。これでいいのだ。これですべてが運命通りだと。

    私は今、再び七本腕たちとともにいます。私の魂を彼らが引き上げ、そばに置いているのです。だから兄様の魂がどこに飛び去ったかわからない。兄様が死ぬ間際に見た私の姿は幻影です。
    もはや私はなにも感じません。なにも、なにひとつ。すべては〈三世の書〉のとおり、滞りなく進みました。なべて世はこともなし。それでいいのです。
    すべてが収まるべきところに収まって……。
    嘘だ。
    私は後悔している。
    なぜ、あんなふうに振る舞ったのか。
    なぜ、わかっていて兄様を追い詰めたのか。
    なぜ、運命に抗おうとしなかったのか。
    なぜ、なぜ、なぜ、私は、私は!

    失礼、取り乱しました。ロシアンティーも冷めてしまいましたね。そろそろ時間です。私は七本腕から僅かな猶予をもらいました。それが尽きようとしています。彼らはどうやら遠くに行こうとしており、私も同道しなくてはなりません。彼らの認識においては、後悔という感情は存在しません。過去も現在も未来も、あるようにあるというだけなのですから。私は彼らと同じ意識を持っているとはいえ、人間です。これからもずっとこの感情を抱いていくのでしょう。少し、彼らが羨ましくもあります。それでも確かに、この思いこそが私が生きていたというたったひとつの証なのです。
    申し訳ありません。私はあなたに聞いてほしかった。私のように運命に縛られてではなく、純粋に兄様のことを愛してくださったあなたにすべてを託したかった。これは懺悔です。本当なら兄様にしなくてはならなかった懺悔。
    最後のお願いです。
    ヴァシリ様のお描きになっている兄様の絵ですが、兄様を山猫として描いていただきたいのです。いかなる運命の軛にも従わない、高貴な生き物として。
    私にはできない兄様の弔いを、どうかよろしくお願いいたします。
    それでは失礼しました。ロシアンティー、おいしかったです。

    ヴァシリの死後、彼が生前肌見放さなかった『山猫の死』は日本のIT企業に買い取られた。学芸員が額縁を開いたとき、絵画の裏にサインがあるのが見つかった。
    Спасибо, Огата. Спасибо, Юсаку.
    その意味を知るものは、この地上にはもはやひとりもいなかった。
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