https://www.pixiv.net/novel/show.phpid=16350678
↑の解説という名目の蛇足
①ゲーテの詩「魔王」
一般的に広く馴染みのある解釈(というかあらすじ)と、ちょっと独特で面白いなと思った解釈を見つけたのでそのキメラみたいな感じ。文章としては解釈のつもりは全くないです。
※参考
「魔王 シューベルト」
http://www.worldfolksong.com/sp/classical/schubert/erlking.html
「シューベルト/ゲーテの『魔王』の正体は父親である理由」
https://www.satomichihara.com/bloginjapanese/nz7883blxzf2n2sw6han958mj9r9xr
日本語訳付き シューベルト「魔王」(YouTube)
https://youtu.be/2d4SddVDBZI
②配役と出し切れなかった設定
魔王 : 魏無羨(夷陵老祖)
父親 : 江澄
息子 : 魏嬰(子供)
ストーリーとしては江澄の夢オチ。「江澄の見ている夢」ということは、基本的に全て江澄が生み出したもの。ただ実はこれ、魏無羨の思念(か夢か)と江澄の夢が奇跡的フュージョンを起こして起こっちゃった何か、っていう設定を付けてた。魏無羨視点でも多分夢オチになるんじゃないかな。夷陵老祖の台詞のほとんどは思念魏無羨の台詞だったり。思念を便利に捉えすぎかもしれない。勉強不足……
夷陵老祖が追いかけてた動機は、江澄にしがみつく子供魏嬰を見て「江澄が囚われてるなら助けてあげないと」と思ったから。
思念無羨が夷陵老祖の姿で追いかけることになったのは、「江澄の」夢だから。双傑になりたかったね。
しがみつく阿嬰は、江澄の願望。昔のように、軽口を叩いたりしながら、隣にいたかった。
「すごいな、俺はそんなに執念深いのか」は思念無羨の台詞のイメージでした。そんなに追いかけてきてほしかったのか義弟よ、という感じ。
でも結局は全て「江澄」が生み出した、呼び寄せたものだったり。あくまでもフィールドは江澄の夢の中なので。夷陵老祖が見えない聞こえないのは、江澄の甘えと後悔。阿嬰が頼ってくるのは、江澄の願望。そして、共にたどり着けなかった蓮花塢。
しかし現実には蓮花塢にいたわけで、たどり着けたとも言えるかな。
解説というより本当に蛇足。ここまで長々と、回りくどい文章にお付き合い頂きありがとうございました。