終煙怪奇譚:「虚実」目をぱちぱちと瞬かす。
疲れているのかと思った。気のせいなのかと思った。幻覚でも見ているのかと思った。
部屋の隅、言いようもないくらい真黒いそれがじっと此方を見てくる。真黒なのに、なぜかこっちを見てると認識できて。しかもそれがじりじりとこっちに迫り来ている気がして。
だからもう眠る事にした。きっと気のせいなのだから。仕事続きで自分は疲れているからきっとそれが影響しているのだ。
「あ、よかった。やっぱり気のせいだったのか」
休日にそんな出来事があったのだと、同僚が言ってきたのだ。休憩時間も終わりかけ、さっきまで話のネタにと揚々と話していた語り手が、飲み物の缶を捨ててその場を立ち去っていく。
「……なぁ、あいつの後ろの黒いの何?」
そう、自分は共に話を聞いていた隣の友人に訊ねた。
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観測者が居るから怪談は生まれるのだ。
ただし怪談に限らず、観測や認識、理解が出来ないから事実が存在しないとは限らない。多くの者に「非現実」と呼ばれるそれらが存在している事も存在していない事も、人と呼ばれる我々は確定した証明が出来ないのだから。「思考の前に決めていたら」余計に難だろう。
だが残った実が現実的であれ非現実的であれ、何かが起きたなら其処に「何かしらの理由〈事実〉」は存在しているものだ。けれどその実が分かりづらい。
得てして怪奇・怪談とはそういうものである。
勿論「現実的とされる」実もあるだろう。しかし思考の果てに「非現実とされるもの」が実として残ってもおかしくはないのだ。
なぜならば、万物の物事どころか「自分達」の生まれや身体の仕組みの全てといった「人についての事柄」を携えた「自分達」の事ですら、我々は解明しきれていないのだから。そして今ある多くの「思考の果て」も、そうした「非現実」から始まっている。
だが……何を勘違いしたのか、万物全てを知った気になり、その上で踏ん反り返っているのが今の多くの人間達なのだ。中には「思考力と感覚」を「面倒だから、他者に任せれば楽だから」「考える事が恐ろしい」で手放した者も居るだろう。それではもし傍らに「分かり易いもの」が置かれても、理解どころか認識する事も危ういかもしれんな。
傍で耳を傾ける青年へと語り終えると、煙をふかすその男はそう括る。
やがて誰かの物語が記された帳面を棚に戻した。
- 了 -