【貴方を護る、盾にはなれないけれど】 朝日奈朔は記憶を無くした状態で路頭を彷徨い、(推定)17歳前後の時に奇跡的に風祭優志郎と出会い拾われ、それから10年もの月日が経った今でも、なんとか元気に生きている。優志郎に拾われ、名前も付けてもらい戸籍ももらった。そして、自身が生きる意味とその役割を与えてくれた優志郎のことを、朔は心から尊敬し、敬愛していた。
自身の主人として、そして兄のような存在として、一生この人に仕えていきたいと思っている。
だが、そんな朔には最近悩みがある。もちろん悩みの種は朔自身のことではなく、主人である優志郎のことだった。
最近、というかここ数年、優志郎が怪我をしていることが増えた。UGNに所属しているならやむを得ず戦闘することもあるから、怪我があっても多少のものなら目を瞑ってきた。だが、最近の優志郎の怪我はあまりにも増えすぎていった。
実家にいた頃は妹である優香に心配をかけまいと怪我をしないようにしていたのに、ある日突然追い出されるように家を出てから、誰かに心配をかけまいとする気遣いもなくなってしまっているように見えた。
朔は優志郎に怪我などしてほしくない。主人なのだから当然だ。主人が怪我をして黙っていられる従者がどこにいるというのか。
それから、朔は極力任務の際には優志郎と共に行動するようにした。戦闘スタイルが単独戦闘型なだけに、主人を護ることなど出来ないが、共に戦い、主人が傷つく前に敵を殲滅すれば何も問題はない。
――たとえそれで、己の身体が傷つき悲鳴をあげたとしても。
「なぁ朔。おまえ最近無理しすぎじゃないか?」
「え? 無理なんてしてないよ? 優志郎さんの気のせいだよ」
ある日、優志郎が朔に問いかけた。答えはわかっていたようなものだったが、僅かな可能性に賭けてみた。結果は予想通りの答えだったが。
今の朔はどこからどう見ても大丈夫な体ではない。
左腕は折れて首から吊っている状態で、頭にも包帯を巻き、服の下にもおそらくいくつもの絆創膏やガーゼがあてがわれているのだろう。
そんな状況でも、朔は決して優志郎と共に任務に出ることをやめなかった。
全長2メートルはあるかという朔のトレードマークにもなっているあの大鎌を右腕一本で軽々と降り回し、敵を次から次へとなぎ倒していく。傍から見れば見た目の怪我に反して元気そうに見えてくる。
けれど、長年一緒にいる優志郎は朔の体が悲鳴を上げ始めていることに気付いていた。だが、問いただせどシラを切ってしまう彼を、止めることなど出来なかった。
「朔、おまえ本当に」
「大丈夫だって。心配しすぎだよ、優志郎さん。一時期の優志郎さん程、仕事も詰め込んでないし」
大丈夫と言う朔だったが、それでも優志郎の心配は留まることを知らなかった。今回異常なまでに朔を心配しているのは、ただ単に仕事量だけの問題ではない。自分の仕事をこなし、その合間に優志郎の任務にも付いてくるから問題なのだ。
「わかったよ……。ただしもうこれ以上怪我するなよ! したら俺にも考えがあるからな」
「はいはい。わかりましたよ」
朔は少し長めのコートを翻して去っていく。優志郎は痛々しいその背中を目に焼き付け、朔に何も起きないことだけを願うばかりだった。
コートを翻して若干拒絶気味に優志郎の前を去った朔は、正直うんざりしていた。何故わかってくれないのか、と。貴方を傷つけない為にはこうするしかないのに、どうして、と思うばかりだった。
朔は馬鹿ではない。
なので優志郎が自分のことを気にかけて心配しているのをきちんとわかっていた。わかっただけで理解した訳ではないが。優志郎に心配されればされるほど、〝主人に心配される従者なんて〟と自身を戒めているのは、優志郎からの心配をわかっていないからではなく、ほとんど無意識によるものだった。
朝日奈家の養子となって受けた従者としての教えのすべてが、今現在の朔を物語っていた。
所変わって支部長室から遠く離れた場所にあるトレーニングルーム。数年前まで名ばかりだったその場所を、朝日奈家当主からの援助金を断り切れない優志郎が諦めて支部の改築・増築へと踏み出したのは記憶に新しい。
そのトレーニングルームの奥には小さな部屋がある。所謂物置なのだが、物置に物を置けるほど物がない現状の第3新東京支部では、その物置を持て余していた。その結果、知らず朔のちょっとした秘密基地になっていた。
なのでこの物置はクッションで溢れ、ブランケットに冷蔵庫まである始末。朔はそこが案外気に入っていて、何かあればすぐに向かうのが習慣になっていた。それは今回も例外ではなかった。
「ゴホッ、ゴホ」
突然の胸の痛みに咳が止まらない。口元に手を当てて、咳が止まるまで待っていれば、口を押さえていた手にべちゃり、と嫌な感触があった。顔を引きつらせながら手を見てみれば、そこには吐き出された血がべったりとついていた。
「うぇ……、まじか……」
手についた血を見て自身が吐血したという現実を受け止めていた朔だったが、口から言葉が漏れた瞬間、背後から物が落ちる音がした。
「え、」
驚いて振り向けば、そこには救急箱を落とした優志郎の姿があった。目を丸くした優志郎の視線は朔の手に向いていて、もちろん、その手には赤い血がべったりとついている訳で。
「あ、あの優志郎さんこれは――……」
言い訳を言い切る前に、朔は優志郎に胸倉を掴まれ、そのまま壁に叩きつけられた。
「……ッ」
治っていない傷が開いてしまったのか、鈍い痛みが走る。優志郎もわかっていてやっているんだろう。
「今、怪我したよな」
「えっ? 怪我っていうか傷が開いた……」
「じゃあ今治ってない怪我全部治りきるまで任務には来るな。リオの世話もしなくていい。いいか、全部の怪我が完治するまで、だ。それより前に任務に来てみろ。俺はおまえの目の前でビルの上から飛び降りる」
強引に傷を開かされて怪我したことにされ、任務の禁止を命令する優志郎。もちろん朔は任務に出ようと思っていたのだが、そこはさすが主人というか、朔が一番恐れていることを軽々と提示してくるあたり、朔のことを一番わかっている。
「……ハイ。スミマセンデシタ」
「大人しく部屋に戻って寝てろ」
そう言うと優志郎は荒々しく物置の扉を閉めて出ていった。
朔は叩きつけられた壁に寄り掛かったまま、ずるずると座り込み、折れていない右手で膝を抱えて一言だけ呟いた。
「どうすれば、よかったんだろ……」
誰に向けたわけでもないその言葉は、朔に答えをくれるわけもなく、虚しさだけが増していくのだった。
おわる
ゆーしろーさんガチギレ事件
これは3年前の出来事なので、この後ちゃんと仲直りして朔は少し頭を冷やすという名目で単独任務に出かけます。
3年経った今、まだ帰ってきてません。