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    白い桃

    @mochi2828

    @mochi2828

    白桃です。
    リンバス、アクナイ、その他ハマった色々な物

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    白い桃

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    鯉博です。
    やっと書き上がりました。

    鯉は水中より出でて、貴方に寄り添い龍へと至る注意

     リー先生、というか先生の鯉の尾鰭に対して捏造を重ねております
     ネタとして出てくる物の文化を炎国の物などに変換して創作しております、間違いがあったら申し訳ありません

     以上、問題が無い方はお読み下さい。




    鯉は水中より出でて、貴方に寄り添い龍へと至る
     


     
     

     そうですねえ。多分“ロドスのドクター”を目の当たりにして、その声を聞いた時から。ずっと気になっていたんだと思います。
     それから、こっそりと誰にも見つからないように静かに、それはもう大事に包んでしまって。そのまま自分の懐に入れてしまいたい──なんて、どうしようもないことも思ったりなんかして。ええ。貴方とあった最初の頃に、です。……きっと、ですよ? ちょっとドクター、なんで後退りするんですかあ? 思っただけですってば、許してくださいよ、もう。


     
     そう。初めて聞いたドクターの声が、どうしようもなく空虚に聞こえてしまって背筋がどうも薄寒く、落ち着かない感覚に包まれたのを、リーは未だに覚えている。後に、昔の記憶がさっぱり消えているのだと耳にして「嗚呼、通りで」と一人で納得したのも。
     落ち着かない状態でずっと過ごさなくてはならないのか、と憂鬱な気分を抱えてロドスで過ごしたりもしていたリーだったが、そんな杞憂が続いたのはほんの少しの間だけだった。
     というのも、リーが知らぬ間に我らがCEOであったり。己の事務所の子らや知らなかった他のオペレーターと色々な話や経験を積む内に、ドクターの声色や雰囲気がどんどんと穏やかに柔らかくなっていたのだから。その過程を少し離れた距離から見守っていたリーは、心底安堵した。
     彼が纏っていた儚さや、痩せ細ってただ流されるまま終わりを待つだけの老人のような、何とも形容しがたい死の匂いが随分と遠くに行っていた故に。

     そういう訳で、懸念要素という名のフィルターが剥がれた眼でじっくり眺めたドクターは、リーが大層好むタイプの人間である事が解った。
     頭の出来が会話の全てを左右する──なんて事を言うつもりは無いが、やはり何気なく振った話題がポン、と何事もない様子で軽く返ってくると気分が上がるだろう。
     二人が揃ってしまえばぺちゃくちゃと口を動かし続けるのが常になって、ケルシー医師に「(全ての発言を意訳して)煩い」と怒られた事もある。
     諸々の理由が月日と共に積み重なって、すっかり調子が落ち着いたドクターにリーはメロメロだった。自分の上司としても、友人としても。勿論、想いを寄せる対象にもなっている。
     一人になった時、フンフンと鼻歌を鳴らしながら頭の中でドクターの声を再生するだけで、スッと心が凪いで穏やかになるくらいには好きになっていたのだ。

    「これから宜しく、リー」

     ロドスに俺が入職した時に随分下の方から聞こえた、とても穏やかでやらかくて、耳に良く馴染むけれどもどこか空っぽに聞こえるはじまりの声。

    「ねえリー聞いてよ。この間ホシグマがね──」

     何か面白い出来事に遭遇して、是が非にでも共有したいと軽い弾むような調子で口から溢れ出す、ぴょんぴょんと跳ねる音。

    「リーー!! やーっと見つけた! 何サボってんだ君、私だってサボりたいんだぞ!!」

     聞いている此方が愉快になってしまうほどに濁った叫び声を上げた後、ずるいずるいと非難して。けれども次の瞬間にはしょうがない人だ、と俺を甘やかすみたいに和らぐ、とろりと蕩けるようなその口調。

     ──そして。

    「り、りー……?」

     なんで、いるの。
     困惑しているとすぐに解ってしまうくらいに泣き濡れた声を聞いてしまった時。
     心臓がぎくり、と変な形で動きを止めてしまったような、そんな心地になった。ドロドロ胸の内を占めるかの如く沸き出ては、内側で粘つくその感情がドツドツと存在を主張している。
     誰がこの人をこんな目に──否、こんな状態のままで一人にしたのかと。怒りのようで少し違う、普段の自分では余り抱かない類の感情だった。全く持ってこの人は、という思いに逆らわず、ドクターに悟られぬようにひっそりと溜息を吐く。

     普段はアレコレと他人ヒトの名前を気前良く呼ぶ癖に、酷く辛い事が、耐えられぬ何かがあった時は誰の名も呼びやしない。
     目の前で一人寂しく縮こまり、悲しみに暮れる彼を見つけられたのは日頃の行いが良かったからか、それとも虫の知らせという奴か。ちっぽけな虫に成ってしまった覚えは欠片もないが、彼を見つける役目を与えられるならソレも悪くない、などと思うくらいには重症になっている自覚があった。
     兎にも角にも、びしょびしょに濡れてしまっている色白の頬を見て、小さくかつ呆然と薄い口から紡がれた己の名が耳に届いた時に。捨てられたペッローの子供みたいになっているこの人の、精神と身体、その他諸々引っくるめた全てを守る為に何をすれば良いのか、と。
     俺はその時に初めて、考えるようになったのだ。


    ⬛︎

     
     照明輝くロドス本艦執務室より。
     本日も我らが指揮官は、次から次へと生えてくる雑草のように現れる職務にヒィヒィ追われながらデスクと向かい合っていた。
     サボっている訳でもないのに何故だか溜まり始めている、決裁やら何やらが必要な書類をドクターはデスクに頬杖をついて眺めている。ウフフ、と虚ろに笑いながら、とうとうペンをコロコロ転がして遊び、現実から逃げて黄昏ている内に扉が開く音が耳に届いた。
     
     ノックもせずに扉を開ける、マナーのなっていない奴は誰か。ドクターがちらりと視線を向けた先には、帽子を上げ軽い会釈をして此方へと挨拶をするリーが立っていて、予期せぬ来客にドクターの瞳が丸くなる。
     そんな部屋の主の表情を察したのか、コロコロ気分良さそうに笑った龍は、何やら荷物を抱えて何事もなかったかのように部屋へと侵入していた。
     君ね、此処は仮にも上司の部屋であるのだけれど? 親しき仲にも──という言葉が脳裏に浮かび口を開こうとしたドクターだったが、もう一つ今のこの状況に思い当たる言葉が浮かび上がって直ぐにキュ、とその口を噤んだ。
     
     朋友之间不言谢。今し方部屋へ入ってきた男から教えてもらった言葉である。
     親しき仲には感謝の言葉は要らぬ、という意味らしいが、成程確かに身をもって体験してしまったようだ。このロドスには様々な国の人間がいるのだから、そこにだけは注意して欲しいと呆れ混じりに息を吐けば、眼前の龍は手をヒラヒラ振ってへらりと相好を崩した。

    「や、リー。せめてノックはしなさいね。私だけだったから良いけれど」
    「どうも、ドクター。手荷物が少し多かったもので、次から気をつけますよ。……お仕事の調子は如何ほどです?」
    「全然終わりゃあしないよ。君が手伝ってくれるって?」
    「はは、相変わらず冗談が上手いですねえ。遠慮しときます、今日の俺は秘書じゃないですし」
    「ケチだなー! この行商人はとってもケチだ!」
    「商人の血が流れてるもんでね、ケチで結構ですよ」

     吝嗇なのが悪いとは思わないが、それを指摘してしまったらこの人は隠されている頬を、ガキのようにぷくりと可愛らしく膨らませ更に拗ねる事だろう。
     ドクターの機嫌を損ねるのは本意ではないし、その為に会いに来たのでもない。さっさと本題に入った方が良さそうだ、とリーは持っていた物を書類まみれになっているデスクの片隅へと降ろして、ぐるぐる肩を回し楽にしてから「贈り物があるんです」と前置きの言葉を述べた。

    「贈り物?」
    「ええ。依頼の関係で彼方此方駆けずり回ったんで、その土産とか……まァ色々ですね」

     リーの言葉にキョトンとしつつドクターは首を傾げる。プレゼントなら少し前にも貰った気がするけれど、と。
     貰ってばかりはどうにも気が引けてしまうのだが、当のリーは気にした様子もなく“贈り物”とやらをドンドン並べていく。楽しげにしている龍その人が、絶対に選ばないであろう包装紙が数個混ざっているのを見て、ドクターは胸が暖かくなる心地になった。
     悪いとは思っていても、何かを贈ろうとしてくれる気持ちは純粋に嬉しくもある。全員が一つずつプレゼントを選ばなくても良いとは思うが。

    「これはウンから。この詰め合わせみたいになってるのは、ワイフーがドクターに渡してくれって言ってたやつですねえ……心当たりあります?」
    「彼女に秘書を頼んだ時にお菓子の話をしたから……もしかしたらソレかもね。会ったら感想伝えなきゃ」
    「そうでしたか、アイツも喜びますよ。んで、これは……アの野郎何てモン渡そうとして──これはナシ! ナシですよ、ドクター!」
    「ええーー?? アは一体何をくれたんだよ……」
    「兎に角、駄目ったら駄目なんで。ああ、こっちの細長い包装のは俺からです。貴方が気にいると良いんですが」
    「ふふ、君がくれた物で気にいらない物なんてあるもんか」

     そう。詳しい日付をドクターは忘れてしまったが、過去に何度もリーから定期的に贈り物を貰っている。確かにオペレーター達が善意で任務先でのお土産を持ってくる事はあれど、リーからの頻度はロドス内のオペレーターをダントツで上回っていた。
     高頻度で物を送る理由はリーが語らないので解らず終いだが、それが始まった日はもう遠くなっていると言えるだろう。その始まりの日を忘れども、贈られた物は全てしっかりと記憶に残っている。定期的に行われる所為で、彼が手荷物を抱えて会いに来た時は「いつも悪いね」なんて言いながらも、リーの事だからまた素敵な物をくれるのだろうな、と勝手に期待しているのだ。

     彼から贈られる物はいつだって素敵で、尚且つ情に溢れた物である──と、ドクターは常々思っている。
     他の人間からの贈り物が宜しくないという訳ではない。ただただリーから贈られる頻度が高い分、どうしても贈り物と言われるとリーの顔が浮かぶようになってしまっただけのことだ。

     ほい、軽い声と共に渡されるソレはいつも同じ物であるか、と言われればそんなことはなく。
     温かで美味しい料理が振る舞われる時だってあったし、ポケットに余裕で入る、小さな子供に与えるような焼き菓子を貰った時もある。「ジュエリーの類は使い所が分かれますし、邪魔になるかと思いまして」と言われた日には、黄色と黒を基調にした、色合いがとても美しい組紐を贈られた。
     一目見て高価な品だと解るソレは、好きなように使って欲しいとのことだったので手渡されて直ぐに、前髪をキュ、と不格好に結い上げて見せたのだが。
     髪全体はもちゃもちゃとしているのに、前髪だけは元気にぴょん、と上がっているドクターにリーが耐えきれず噴き出して、上がった前髪を各々の指で弾きながら、共鳴するように二人でゲラゲラと大笑いしたのだった。

     リーが何を思い考えて、下手をすれば求愛給餌ともとられてしまうような行動をするようになったのかは解りはしない。それでも、とドクターは思う。
     彼が私のことを想い、案じて。私が少しでも“何か”に躓き憂いたのなら、心配は要らないとでも言うようにその憂いをすっかりと取り払ってしまう、そんな贈り物をくれるから。
     いつしか私は、贈り物だけではなく彼という人の事が大好きになっていた。
     正す事が出来る間違いがあれば、叱るのではなく諭すようにやんわり話す人。私が何気なしに寂しさを覚えた時には、自慢である筈の達者な口をすっかり閉じて、黙ったまま尾鰭をくるりと私の腰へ巻きつけ引き寄せて、そっと側に居てくれる美しい龍その人が。
     疲れた時は共に騒げるようなサプライズ──トラブルとも言えなくはないソレを引き連れ、いつの間にか元気が湧いてワハハと笑っているような、そんな馬鹿に誘って一緒にはしゃいでくれる、少し変わっているけれど凄く面白くて頼もしい、出会った中で一等優しいと思える人。そんなリーだから、私は好きになったのだ。

     幼き子が日常で夢描くような可愛らしい感情。過去の記憶を綺麗さっぱり失っているドクターからすれば、初恋とも呼べる仄甘い恋心を胸に抱いたからこそ。
     リーから渡される物は何だって嬉しい、とドクターは胸を弾ませながらデスクの上にある細長い包みを手に取った。そこまでの重さはないソレを自らの前に寄せて、今この場で開けても良いか、と尋ねれば優しい笑みと共に頷きが返ってくる。
     破らないよう慎重かつ丁寧に包装を解いていけば、あまり見慣れぬ形のボトルがドクターの目に映った。パチパチと瞬きした後に眩しそうに目を細めながら、照明に反射するボトルをじっくり眺めていく。
     縦に長い形状ではあるが、全体的に丸みを帯びていて可愛らしい印象を受ける容器。
     透明なガラスで出来ている空洞には、同じく透明度の高い液体──粘度がそこまで強くない為ただの水のように見える物──で満たされている。そして、たっぷりと入った液体の中でゆらゆらと揺れているのは黄色と黒。些細な違いはあれど、おおよそ二種類で分けられるであろう色味をした、美しい花々だった。

     黄色はまだしも黒い色をした花弁が自然に発生するとは思えないので、中に入れられているのは造花なのだろう、とドクターは観察を続ける。
     普通の花より厚みが見られないので、花そのものは恐らく紙で出来ている。薄いからこそ液体の中で揺れる様がより美しく見えるのだろうか。ゆらゆらと揺れる花の間を泳いでいるのは、何処かで見たような配色の、小さいけれど存在感のある一匹の鯉。
     ちらり、と目の前の龍を見て、再び視線をボトルへと戻す。黄と、黒。それから少しだけ入っている、とても淡い黄のような色。蒸栗色むしくりいろ、とでも言うのだろうか。そんな色味で統一されたボトルを様々な角度や距離から眺めて、頷く。うん、リーの色だ。私のデスクにリーが居るようで、何とも言えない感覚が胸の中に生まれていく。
     纏まらない感情の所為で贈り物に対して何と答えようか、と返答に窮している内にリーが贈った物の名前を口にする。確かに見慣れぬ物なので知りたかった事ではあるが、それにしたって少しばかりの猶予をくれたって良いだろう、とドクターはモゴモゴと動かしていた口を拗ねたように突き出した。

    「水中花、って言うんですよ。昔は流行ったもんですが、最近とんと見なくなりましてね」

     水中花。
     水槽や花瓶などの水の中に、紙八手カミヤツデという草で作られた紙で出来た花を入れる、鑑賞目的の花の事──らしい。リーから教えてもらった情報をしっかりと脳に刻みつける。
     夏の風物詩として親しまれていたそうだが、年月と共にあまり見られなくなってしまったそうだ。とても綺麗なのに、と思わないこともないが、流行り物とは得てしてそういう物なのだろう。
     花の他にも、作り物の魚や鳥を入れたりして楽しむのだとか。だから鯉も一匹入っているのか、と納得する。
     
    「流行り物だったのか……。これはリーの色に似ているけど、既製品なのかい?それとも作った?」
    「知り合いが店閉めるってんで、どうせなら記念になるか、と作ってみたんです。中の花は紙で出来ていて、鯉もちょちょいと出来ましてね。いやあ、材料があって良かった良かった」
    「そっか。うん、とても素敵だよ。……記念なのに、貰ってしまって良いの?」
    「勿論! 記念は記念ですが、作ったのもドクターのことを思い出したからなんで」

     うん? とリーの発言にボトルをじっくり見つめていたドクターは顔を上げる。知り合いと話している時に、自分を思い出すことなんてない筈だけれど。
     リーの思惑がわからずに首を傾げていれば、彼は少し笑ってドクターのデスクを指先でコツコツ叩いた。
     書類と仕事に必要な物、息抜き用のマグカップ以外に乗っている物は何もない、面白みとはかけ離れた業務用のデスク。叩いた箇所に肘を置いて頬杖までついたリーは、デスクをざっと見渡してから笑んだ顔を困ったような表情に変えて話を続ける。

    「執務室のデスクの上がとーっても殺風景なのを思い出しまして」
    「殺風景て。執務室だからしょうがないだろ」
    「もっと面白いもの置きましょうよお、息抜きもコーヒーだけってのは悲しいでしょうが。……ま、それはさておき」
    「あんまりな物を置くとケルシーとかに怒られるんだよね」
    「トンチキな物体を置けなんて言ってませんからね? 兎に角、是非寂しいデスクにでも飾って、多少なりともドクターの憩いになればなあ。なんてアイデアが浮かんだのが理由の一つ」

     余計な世話──などという理由で片付けて良い物ではないな、とドクターは思った。
     小言はあれど、やはり自身を想っての事であったので「君は私の保護者か?」なんて浮かび上がった台詞は、しっかり胃の腑に押し込める。二度と出てくるなよ、と念を入れるよう腹部を一度摩ってから、おや? と耳に届いたリーの台詞の最後、その一部を自分の口で繰り返した。

    「一つ? 他にも理由が?」
    「え? あーっと、口が滑っちまった……」

     ドクターが問えば、リーは今まで話していたのが不自然に思えるほど、急にその口を閉じてしまった。
     厚い手袋に覆われている指でポリ、と頬を掻き、どうしてか気恥ずかしそうに視線を外している。今までにも小っ恥ずかしい台詞と共にプレゼントを渡されていたけれど? という眼差しでドクターに見られて漸く観念したのか、一度深く息を吐いたリーはやっとその口を再び開き始めた。

    「……笑わないでくださいね?」
    「善処はする。けれど何というか、今更だろ君……」
    「いやいや今回のはまた別と言いますか、自分から言うのと聞かれるのは話が、ううん……。や、言いますよ言えば良いんでしょ」
    「ん」
    「……貴方がふとした時にソレを見て、俺を思い浮かべてくれたらな、なんて考えちまったんですよ。浮かべついでに、連絡をくれたなら。頼って貰えた気がして嬉しくなる、ってね」
    「あえ」

     言ってしまった、と自らの顔を覆うリーをドクターは呆然、といった顔つきで見つめている。
     素面で何て事を言うんだこの男は──と。物理的に顔が隠れていて良かったと心から思った。恐らく己の顔は、とても熱を帯びていてきっと見せられない色をしているだろうから。
     ふう、とこもった熱を全て排出するように息を吐いて、「……ありがとう」と礼を告げる。大事に飾ることを約束するのも忘れずに。それから、リーが珍しくも話してくれた願い事なのだから、もう一つの理由に対しても折角だし便乗しようかな、とドクターは小さくポソポソと言葉を発していった。

    「えっと……君が恋しくなったら連絡するよ。手紙でも伝言でも……どんな物だって」
    「──あ、ええ。ええ! そうして下さい。俺はこう見えて、待つのは得意なんですよ」
    「ふふ、飲みに行く誘いとかもかけてしまおうかな」
    「酒は得意じゃありませんが、貴方と飲む酒は美味いですからねえ! つい飲み過ぎちまう」
    「君の料理が美味しいのもあるけどね」
    「それは良いことを聞きました。……ああ、杯に花を浮かべるのも良いかもしれませんね」
    「うん?」

     花を、酒に?
     うっすらとその図を描きながら、ドクターが今一つ想像がつかないと首を捻っていれば、リーが「説明しますよ」と柔く笑んで口を開いてくれる。
     己が知る炎国や龍門の文化の大半は、リーが教えてくれた物で埋まっているのかも、と思うくらいには彼から色んな話を聞いていた。リーの話は面白いし、口調や声色も聞いていて飽きない、この話だってずっと私の頭に残ってくれるのだろう。ドクターはそんな事を考えてから、簡潔だが分かりやすく解説してくれる優しい声にそっと耳を傾けた。
     なんでも炎国の文化に、酒席での遊びの一環として酒を注いだ杯に花を浮かべて楽しむ“酒中花”という物があったそうで。「これも随分昔の話ですがね。風情があって、中々良いモンですよ」とは、数回やった事があるらしいリーの談だ。
     
     彼の話を聞いて、「確かに綺麗だろうね」なんて感想を返しつつ、ドクターは水中花をデスクの隅に飾っていた。もし私が杯に浮かべるのならきっとこの花達なのだろう、という思いを抱きながら再びボトルをゆっくり眺める。成程、確かに少し華やかになった。
     色味が派手でない分幾らか目にも優しく感じる、とリーに良く似た鯉が揺れるのを見て、ドクターの口からは「ふは」と笑いが漏れていく。
     そんなドクターの様子を見て満足したのか、「俺はこれで。お誘いお待ちしてますよお」と一礼して、リーはアの贈り物だけを抱えて部屋から退出していった。
     おや、とドクターがチラリと時計を見れば長すぎも短すぎもしない、休憩には丁度良いかという絶妙な滞在時間で。彼のやり口が華麗過ぎる故に「おお……」と感嘆の声が出てしまって、慌ててきゅむ、と口を噤む。だって単純に凄いな、と思ったのだ。
     他人に嫌われないであろう距離感を心得ている、と。話をしている最中も、別れ際も相手の心を傷つけない巧みな技術。
     彼のような人になるには、一体何を食べて生きれば良いのだろうか、と考えて──ドクターはある会話を思い出した。その会話もリーとした物かつ、炎国の話なのだが。 

     ある日、何だか腹の中が重いような心地がして、食欲が全然湧かなかった時に「一応薬は飲んでいるんだけど」と、何気なくリーに相談した事がある。
     考え込んでいたリーが、パチンと指を弾いて「胃でも食ってみます?」と軽く放った一言が始まりだった。“同物同治どうぶつどうち”という言葉がある、なんて付け加えながら。
     身体の中の不調な部分を治すには、調子の悪い場所と同じ部位を食べるのが良い、なんて考え方らしく。彼に相談したその日は、恐らく瘤獣の胃であろう煮込みがドクターの前に出されていた。
     しっかり煮込まれていたようでトロトロの内臓はとても食べやすくなり、勿論味の方もドクターが「流石リー!!」と絶賛するほど美味で、感想を受けたリーは嬉しそうにしていた──という出来事に繋がる訳だが、兎に角この言葉も食事と共に彼から与えられた知識の一つである。ドクターは背もたれに身体を預け、キィ、と音を立てる椅子を無視して考え込む。

     現在自分の身体には不調を訴えている箇所はないけれど。もし、今の自分よりも更に良い人間になりたいと思った時、この同物同治の考え方に倣っても良い物なのだろうか。
     例えば。あの人のようになりたい、美しい彼のようになりたい、と思うのなら。そのなりたい人物の“何か”を摂取する事で、少しは近づくことが出来るのだろうか? そんな考えがドクターの頭を過ってから、ずっとその優秀な脳みそ全てをそのことで埋め尽くしていた。
     突拍子もない事を考えているのは自覚している。彼の事を羨んで、妬んでいる訳でもない。
     ただ、彼の優しさが少しでも自分に移ったなら。彼のやらかい声のように、誰かを自分の声で安心させる事が出来たのなら。
     とても綺麗で大好きな、彼みたいな人間に少しでも近づく事が出来たのなら、と──そう思ったのだ。


     ⬛︎

     
     とはいえ、だ。
     幾ら好いた人間だとしても、その人の血肉を摂取しよう! などという思考をドクターは持てなかった。
     そりゃあそう。これこれ、こういった理由があってカニバリズムに興味があります、なんて伝えてみろ。一発でケルシーの元へ報告が行って諸々とんでもないことになるに違いない。私は詳しいんだ、と一人でウンウン頷いた。
     しかし、髪を口に入れるのも何だかなあ、と額に人差し指を当てドクターは唸る、うなる。
     
     「倫理に触れないような、丁度良い物でもないのかね」

     言いつつも、ドクターが思いつく物は髪や爪くらいしかなくて。
     いつぞやミッドナイトから聞いた、とてつもなく重い気持ちを抱いたオンナノコみたいだ、と乾いた笑いしか出てこなかった。
     何も本気で実行しようと思った訳ではないが、良い考えだと思っていたのに。そんな、少ししょぼくれた気持ちと共にその思考を脳内から切り取り、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱へぽい、と捨てた──筈だったのだが。
     ドクターの意図せぬ所で、丸めて捨てたその考えを試す事の出来る好機、最高の試金石を発見してしまったのだった。
     
     

     時は夜。場所はロドス本艦にある、リーの私室にて。
     具体的に時刻を述べるのならば、PM.23:00 を少し過ぎた深夜と言っても差し支えない時間帯。此処に滞在しているオペレーターの大体が寝静まっているであろう穏やかな夜に、自身の部屋とは少し違いはあれどすっかり見慣れてしまったインテリアを眺めながら、ドクターはくい、と小さな杯を傾けてとろりとした液体を食道の奥へと流し込む。
     どうしてそんな夜更けにドクターがリーの部屋に居るのかと問われれば、彼の要望通りにドクターがリーに連絡を取り「酒盛りでもしよう!」と誘ったからに他ならない。
     好きな酒を持ち寄って、つまみは温かい方が身体にも良いだろうと出来立てを摘めるリーの部屋で、とトントン拍子に話は纏まり彼の所でちまちまちびちび、思いおもいに飲んでいたのだ。

     目の前にはテーブルに並べられた、ほど良く冷めつつあるつまみを謳う癖に彩りも美しい料理達。酒が入った徳利が近くに一つと、たった今自分が置いたツルツルとした陶器の小さな杯がある。
     酒精が混じった息をふう、と軽く吐いて、ドクターはテーブルの向かいをチラリと見遣った。視線の先には丸まった大きな背中。常に被っている帽子はソファの方へと放られていて、少し硬めな質感の髪がうつ伏せになった所為で見えている項や、重ねられている腕に流れている。
     酒が余り強くは無いと自己申告しているリーであるが、会話が弾む内に楽しくなり過ぎてしまって自制が効かずに、ふとした時には寝落ちている──という出来事が度々あった。今日もそのパターンだ、とドクターはまた酒を呷る。
     向かいで彼が寝落ちていようと、特に不満を抱くことはない。態々つまみを用意して貰っているのだし、自身も酒に強くはないのだから、と。ただリーのペースが上がって、彼が潰れる方が早いだけの話だ。
     それに、彼がウニャウニャと寝言のような声を出して寝ている様を見ているのが自分だけだと思うと気分が良くなるので。
     だって可愛いんだもの、と言い訳を胸の内で呟いてごくり、と口の中の液体を飲み下す。
     ジッとリーを見つめているドクターの視界に、テーブルの上の“何か”が月明かりに反射して煌めくのが見えた。首を傾げながら、酒でも溢してしまったかと“何か”に指を乗せ、雫のようなソレを伸ばそうとして──失敗する。
     液体のように見えた物は酒の雫などではなく、薄い一枚の鱗であった。うろこ、とドクターの口からひっそりとした言葉が漏れ出ていく。

     月の光を浴びて、美しく輝く透き通った薄い鱗。
     少しぼやけるような気がする眼を凝らしてテーブルの上を見てみれば、翳した鱗の一枚だけでなくその他にも数枚、リーの近くに溢れ落ちていた。
     アルコールに侵された脳みそをどうにか回して、ぼんやりとドクターは考える。
     以前くしゃくしゃに丸めた筈の思考が首を擡げて纏わりつくのを、ふわふわとした頭では止める事は出来ず。指の力を抜いて翳していた鱗をぽちゃん、と自らの杯へ返してやった。こういうのを何と言うのだったか、ああそう、リリースだ。自分は鱗の為に正しい事をしたのだ、なんて調子で自らに言い聞かせ、指先を杯の中に突っ込みくるくるかき混ぜていく。
     だって、これはチャンスってやつだろう、とドクターはかき混ぜ続けている杯を黙って見つめる。
     大好きなリーの、優しくて大層素敵な彼の、美しい鱗を服しこの身に取り込めば。

     ──彼の良い所を何か一つでも、宿す事ができるのかもしれない。

     静かに積もる思いを胸に置いたまま、杯の中身を一息に飲み干した。
     明らかに食用には向いていないと解る、硬い質感の塊が喉元を過ぎて行く。今まで味わった事がなさ過ぎる感覚に、けほ、と一度咽せてから指先で滑り落ちて行く鱗の道をつう、とゆっくり辿り終点である胃の腑で指を止める。

    「……意外と、」

     かんたんだったな。ぽつり、静かな部屋にそれだけの短い言葉が落とされた。
     ドクターは、目尻を下げた眼で名残惜しむようにリーを一度だけ見つめ、ポケットに入っていたハンカチを取り出して。二、三と落ちていた鱗を丁寧に包んでから、その鱗ごとハンカチをポケットにしまい込んだ。何だかイケナイ事をしている気分だ、と苦笑しつつある程度の片付けを終わらせていく。
     すっかり深い眠りに落ちている彼を起こさぬよう、その辺に落っこちていたブランケットを大きな背にそっとかけて、「……おやすみ」と返っては来ない挨拶を残し、ドクターは彼の部屋を後にした。


     その夜以来、こっそりとリーの鱗を拾い上げては酒と共に飲み干す、所謂ドクターにとっての“酒中花”が毎夜続けられている。
     当然、あの時ハンカチに包んだ分の鱗の枚数では毎夜分など足りやしないので、偶然見つけて拾った物かそれ以外──アに助けを求め、リーにバレない範囲で用意してもらえるように協力を頼んでいた──で賄っていた。
     正直な話、アに協力要請をするのは後が怖くて仕方がなかったのだが、ウンやワイフーに頼めばきっと「そんな物を何に使うのか」と聞かれてしまう事が容易に想像できる。
     まさか、“貴方達の事務所の所長のようになりたいので、毎夜酒と一緒に飲む分として頂きたいです”などとは絶対に言える訳がない。ないったらないのだ。
     それ故に、「新薬の治験に付き合うから、何も言わずにリーの鱗を拾ったら私にくれないか」「良いぜ」と何も聞かずに快く了承してくれるアが居るのは本当に助かった。その所為で自分の身に明日があるのか解らないのが怖い所であるが。

     リーの鱗を摂取するようになってから。彼に近づいている気はせずとも気分がとても穏やかになっていて、まるで薬でも服用しているようだ、とドクターは思っていた。
     続けている内に習慣になってしまったその行為は、ゆっくりと訪れる穏やかさに比例して最初に抱いていたリーへの罪悪感にも似た感情をスルスルと蕩かしていたようで。
     欠片もなくなってしまっソレは最早蕩け過ぎて、リー本人と話す機会があった時に「最近、君が言っていた酒中花みたいに綺麗で大好きな物を浮かべてから、一気に飲み干すのにハマってるんだ」と馬鹿正直に話してしまうほどになっていたようで。
     ドクターのすぐ側で、その二人の会話に居合わせていたアも「言うんだ……」という顔をしていた。何となくドクターの鱗の使用方法を察していたらしい。すまない、普通に言ってしまった、とドクターはそっと口を押さえていたが既に手遅れ、出てしまった言葉は戻らない。
     幸いにもリーは「へえー」だとか「今度一緒に飲む時に見せて下さいよ」だとかを言うだけで深くは追及をして来なかったのだが。

    「見せる事になっちゃった……」
    「迂闊過ぎるよな。はい旦那、次はこれ」
    「これなに」
    「子供用の風邪薬シロップ」
    「わーいシロップ、私甘いシロップ大好き」
    「効果は検証済みお墨付き何だけど、クソまずいのが難点かつ改善点」
    「え芋虫の味がする……」
    「旦那芋虫も食ったことあんの?」
    「ハクナマタタの精神で生きてるから割と」
    「やめろよ……」

     そんな諸々の流れがあって、見せる羽目になるのかと戦々恐々としていたものの互いに予定も合わず、月日だけが大分流れていって。やっと予定が揃って次の日が休み、という日が来る頃には二人ともすっかりと先の出来事を忘れてしまっていたのだった。
     今宵の会場はドクターの部屋となり、リーのようにはいかずとも、とドクターは張り切って手軽に食べられるような物をテーブルに並べていく。リーが持参してくれた料理もあるが、それはそれ。
     何故今回はドクターの部屋で行われるのか。理由は単純、たまたまリーの部屋を訪ねていたウンが、探偵事務所の問題児であるアから取り上げた薬品を誤ってその部屋の中でぶちまけてしまい、片付けの為に彼の部屋が立ち入り禁止になってしまったからである。
     家具などは無事なようだが、床が一部悲惨な事になってしまった、とリーが遠い目をしていたのもあって労りと息抜きにもなるかとドクターが一緒に飲まないか誘った──所までがドクターの私室で酒盛りに至るまでの経緯だ。


    ⬛︎

     
    「んふ、おいひい」
    「ドクター。あんまし詰め込み過ぎると、喉詰まらせますよお」
    「ん、」
    「ふは、鼠みたいになってらあ」
    「ご飯も美味しい、お酒も美味しい。幸せだねえ」
    「……そうですか」

     普段より酒を呷るペースが速い為か、それとも日々の疲れが溜まっている所為か。ドクターの酒の回りが随分良さそうであった。
     常にフェイスシールドで隠されている顔は今リーの眼前に晒されていて、その表情はにこにこくるくる変わり、沢山の色をリーへと見せつける。それを見たリーは「良かったですねえ」と酷く穏やかに笑っていた。とても心地良い、素晴らしい空間が此処にある。
     
     リーもドクターに続いて控えめに杯を傾けながら、以前彼が言っていた言葉をふと頭に浮かべていた。
     そういえば、何かを浮かべて楽しんでいるとか言っていたような、と。
     リーの大きな手には小さ過ぎるような杯がテーブルの上に、こと、と静かに置かれる。ドクターはその動きを、酒に浸ったとろりとした目で追いかけていた。

    「ね、ドクター?」
    「なあに?」
    「此間言ってた、“大好きな物を酒に浮かべて”──ってやつ。もし今持って来てたら見せてもらえませんか? それを呑んでる所を見たいなあ俺」
    「うん? うん……」

     ドクターは眠たげな様子を見せつつも、こくりと頷いてからゴソゴソと自らのポケットを漁っていた。
     細い手が引っ掴んで来たのは、白い布でしっかりと包み込まれた“何か”で。
     頼りない指がモサモサと拙く包みを解くのを、リーは頬杖をついてまったりと見守っていれば、暗めに灯っている照明にきらりと光る見覚えのある物が現れて──その瞬間「は?」とリーの口から疑問の声が上がっていた。 
     
     鮮やかな白に散らばるは己の鱗、見間違う筈もないだろう。髪の毛とは違い、色も形も生きている間に見慣れてしまったソレを違うことなどないと断言出来る。
     それよりもリーが信じられないのは、ドクターの取った行動だった。
     散らばった中の一枚を手に取ったドクターが、明かりに照らしてへにゃりと嬉しそうに笑ってから、指先で摘んでいた鱗を自分の握っていた杯へと落として、流れるように杯の中身を咥内へと──。

    「いやいやいや?! 待って下さい!!」
    「ーー?」
    「くっそ、結構酔ってますね? ドクター、良い子だからその杯を一旦離しましょ、ね?」 
    「なんで?」
    「何でって、貴方が俺の鱗を酒に突っ込んだからですよ。何でそんなモン入れたんだ……」
    「君が教えてくれたんじゃないか」

     拗ねたようにドクターが唇を尖らせながらぽそ、と呟く。教えた──何を?
     リーは、今までに自分がドクターに教えたであろう炎国の言葉やらを脳内に羅列するが、今いち該当するものが出て来ずに困り果ててしまった。
     困り果てついでに「教えた中のどれです?」と苦笑しつつ問いかける。困った様子を隠しもしないのが、相手から話を聞き出すポイントなのだが。今のポヤポヤしたドクターに効果があったのかは、試したリーでも良く解らなかった。

    「あの、あれだよ」
    「ん?」
    「同物同治……?」
    「ああ! 確かに教えましたけど。 あの話と何の関係が?」
    「君ってば、素敵な人じゃないか」
    「え。…………それは、告白ですか?」
    「……うん。私、君が思ってるより格段に、君のことが好きなんだ」

    「だから、君みたいに素敵な人のを取り入れたなら、私も君のようになれるかなあって」

     そう思ったんだ。ふにゃふにゃした、蕩けた声がリーの鼓膜に染み渡る。
     彼は己を素敵だと、好きだと言った。
     思いも寄らぬ言葉は耳から頭の奥へと伝っていって、終には胸へじんわりと染み込んでいく。それで漸く、リーは彼の告白の衝撃から立ち直ることが出来たのだった。
     込み上がって来る歓びを唇を噛み締めることで抑えつけて、どうにかいつもの調子を繕ってから自身も胸の内を打ち明ける。

    「……俺も、好きですよ。俺に似た貴方ではなくて、今のドクターその人が、俺は大好きです」
    「ほんと?」
    「ええ、こんな嘘吐きません。でもなあ。俺が大好きなドクターの、まっちろい玉の肌に……俺みたいな鱗だの尾鰭だのが生えるのは、嫌ですねえ……」
    「玉の肌て。いつ見たんだすけべ」
    「自分で理性剤ぶち込んだのをすっかり忘れて、浴びるほど酒呑んだ時。ゲロ塗れの貴方を丸洗いしたのって一体誰だと思います?」
    「君かあ〜〜」

     リーの告白を嬉しそうに受け取って、続く台詞をケラケラと笑いながら聞いているドクターを彼は嬉しそうで何よりだ、と目尻を和らげて眺めている。
     まあ、それはそれとして。この良くないは止めさせなければなるまい。なんて考えつつリーは、ドクターの指がかけられている酒の杯をそっと奪い取った。

    「マ普通にばっちいし。喉傷つけたりしても俺が嫌なんで、今日以降は止めましょうねえ」
    「え、ヤダ」
    「ヤダ?!!?」
    「私は君みたいになりたい。例えなれずとも、胸を張ってリーの隣を歩きたいんだ。この綺麗な鱗はおまじないみたいで、なんか安心するから……ヤダ」

     杯を奪うリーの手をドクターはスルスル撫でて、太い腕をかり、と甘えるように引っ掻いている。
     微塵も諦める様子を見せないドクターに、リーは大きくため息を吐いて「こんなモンの何が良いんだか」とぶつぶつぼやくと共に、提案も始めていた。
     
    「酒に沈めるなら花とかのが良いでしょうに。……ほら、蓮なんてどうです? 水中の花といえば、でしょう」
    「……蓮?」
    「おや、嫌いでしたか? 水に咲く花なら蓮が良いんじゃないか、と思ったんですがね」
    「君は私に、蓮を喰め──と言っているのかい」

     くすくすと鳥が歌うような軽い声色で笑っているドクターを、リーは、ん? と不思議そうに見つめる。
     蓮という植物は水底に塊茎を作り、そこから成長して葉と花茎を水面に伸ばしていく花だ。鮮やかな色味を己の鱗よりは遥かに水の中で映えるだろう。別に笑われるような言葉ではない筈だったが、揶揄うみたいに笑われているとどうにも居心地が悪くなってしまう。
     ドクターは気まずそうに身動ぎするリーを見て更に笑い声を薄い唇から溢していた。
     一頻り笑ってやっと落ち着いたかと思えば、愉快そうにしていた声とは打って変わって穏やかに「ひどいなあ」なんて言葉をリーに向けては静かに目を伏せていて。

    「私にまた全てを忘却しろと言う。大好きだ、なんてその口で唄っておきながら、全くまったく酷い男だ」
    「……忘れる? ────蓮喰い、人。あ、いや違いますドクター。俺ァそんなつもりで言ったんじゃ、」

     ドクターの言った言葉を理解した瞬間に、リーは酷く動揺した顔を見せる。彼を傷つけるつもりは欠片もなかったが、ドクターの知識の量を想定してなかったのが良くなかったと言えるだろう。
     
     蓮喰い人ロートパゴイ
     古代ミノスのとある伝承に、蓮の実を食べる一族が出てくる。
     その伝承の主人公はその一族、ロートパゴイが住まう土地に部下と共に漂着し、勧められるがまま男の部下は蓮の実を食してしまうのだ。
     そんな蓮の実は余りに美味な物らしく、彼らは主人公の命令や望郷の念すらも忘れてしまうほどだとか。
     伝承は複数あり、実ではなく花そのものを食べてしまった──など諸説はあれど、その伝承を脳裏に浮かべて、ドクターはまた笑う。

    「ふふ、冗談だよ。そんなつもりがないのもちゃあんと解ってる。炎国、龍門に馴染みがあるような伝承でもないしね。寧ろ、リーがコレを知ってるのに驚いたよ。博識だね、君」
    「……さいですか」
    「それとも。アーミヤ達を忘れる方が先か、君を忘れるのが先か。……試してみるかい?」
    「勘弁して下さい、ほんと……」

     大きな手で顔を押さえて項垂れる男と、それを見て機嫌良く笑う男。
     何も知らない者が見れば酷く重たい空気が流れる場所のように思える部屋は、この場にいる二人からしてみればただただ穏やかで、とても柔らかい雰囲気が漂う空間だった。

     だがしかし。リーとしてはやはり、自分の鱗を摂取し続けるなんて馬鹿な真似はよして欲しいという思い一択である。
     止めて欲しい一心でリーは、ならば此方も、と一つの話を持ち出すことにした。

    「俺の鱗やら鰭やらを、綺麗だの何だの言ってくれるのは嬉しいんですけどねえ。そんな俺の鱗が、色も形も変わっちまうとしたら……どうします? ドクター」
    「変わる? ……どうして?」
    「鯉の滝登り、なんて言葉もあるんですよ。鱗だけじゃない、尾鰭やこの身体そのものだって、こーんな大きなバケモンになるかもしれない」
    「……尾鰭が綺麗、鱗が綺麗。そんなのを重要視して、私は君の一部を口に含み始めたんじゃないよ」

     鯉の滝登り。
     この言葉は、龍のことを何気無しに調べようとしたドクター自身で見つけたことがある物だった。
     沢山の魚が河を登ろうと試みるも、鯉だけが登り切り龍へと成長した、という伝説。今でも縁起が良く、炎国でも良く知られている話であろう。
     リーがいずれ河を乗り越え時を経て。その身が龍そのものに変わる、彼の言うような化け物のような姿になってしまうなんて未来が来るとして。
     そんなことで私が憧れる“リーという人間”が居なくなる訳ではないのだ、と。
     
    「君が、リーが。私が今まで見てきた中の何よりも綺麗だと思ったから。そんな君の優しさだとか気遣ってくれる声とか、そういうのに少しでも憧れたから、私は酒中花を飲んだんだ」

     君じゃなきゃ、嫌だよ。龍だとか、恋だとか。そんなのはどうだって良いんだ、ばか。

     目を見開く。上がる瞼とは反対に、寄せた眉はぐっと下がってしまった。
     ぶわ、と目の奥から込み上げてくる物がこぼれ落ちそうになるのを、リーは眉間に指を押し当ててぎゅうと摘むことでその道を塞いでやる。胸の奥に硬い何かが詰まったみたいに熱くなって、喉がぐる、と鳴るのを止めることは難しかった。
     “君じゃなきゃ嫌だ”なんてそんなの──俺も同じに決まってるのに。
     此方が迫り上がってくる何かを堪えている気にも止めずに、ドクターは自分の想いを伝える為に言葉をせっせと紡いでいる。なんて人だと、思った言葉は喉奥に閉じ込めた。

    「いつの日か、君が滝を登るなら。私はそれについていきたい。うん、君になれなくたっていいさ。ただ滝を登れるくらいの鯉に──龍になった君の背に乗れるくらい丈夫になれたらいいな。……構わないだろ?」

     限界だ。顔を覆った指の隙間から、透明な雫がぼたぼたと重力に従って落ちて行く。

     自分が馬鹿みたいだった。
     初めの頃に勝手に抱いていた、庇護欲やらをしまい込んでドクターに──この人に近寄って。勝手に悩んで距離を測りかねて自身を微妙な場所に置いたその内に、いつの間にか入れ込んでしまっていた相手に覚悟を決められて、俺はまた勝手に泣いている。
     この人は、ドクターはきちんと一人で立っていけるのに。見守りながら寄り添ってやろうと決めていた此方が、いつの間にかそっと寄り添われていて。今の今まで気づかなかった自分が本当に馬鹿だったのだからお笑い種だ。

     自分の涙で溺れそうになりながらもリーはその顔を見せぬまま、必死に隠れた口を開いていく。

    「ドクター」
    「なあに、リー」
    「俺が……おれが、いつか滝を登り切るまで。ずっと側に居てくれますか」
    「うん。君が望まなくても其処に居させて欲しい。……その代わり、」

     ──君が龍になれたなら。その時は、きっと私を攫っておくれ。

    「……ご依頼、承りました」




     鯉は水中より出でて、貴方に寄り添い龍へと至る。






     後書き

     この度は初の鯉博小説を読んでいただきお礼申し上げます。ありがとうございました。
     ずっと書きたかったんですが、如何せんネタも何も思い浮かばず。ただただ一緒にいる二人しか出て来なくてひたすらに悔しい想いをしていました。
     今回は、水中花(酒中花)が中国発祥の文化だということで二人にぴったりなのでは?と思ったことが発端です。それから、鱗を飲んでその人になりたいって思うのが良くないか?じゃあお酒に浮かべてもらおう!って変化していったんですね。
     どうしても私の頭では水中の花=蓮のイメージしか持てず、オデュッセイアの蓮喰い人を持ってきてしまいました。
     一応調べたらミノスがギリシャあたりとの文章を目撃したので(古代ミノス語というのあると知りました)ミノスの伝承表記にしております。有識者の方がいましたらここ違うよ!と教えていいただければ嬉しいです。
     それで、リー先生は龍族だけれど尾鰭(尻尾)は鯉なんだよなあ、なら龍門の字もあるし登竜門ネタやりたいよなあ……。となった次第で、捏造もりもりになっております。実際どうなんでしょうね知りたいなあ

     そんなわけでこんな鯉博を書くに至りました。
     私の中の二人が皆様に伝われば幸いです。
     ここまで読んでいただいた皆様には感謝しかございません。ありがとうございました


      

      

     
     
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    Replies from the creator

    白い桃

    DONEカリオストロとか言う男なに?????????
    どすけべがすぎるだろあんなん好きになっちまうよ……
    尚私は巌窟王さんが一人来るまでに何人かカリオストロが重なれば良いかなあと思ってガチャに挑んだんですが……
    結果は250連でカリオストロ7人、巌窟王が1人でフィニッシュとなりました
    おかしいって…二枚抜き二回とかくるのおかしいって……だいすきなのか私のこと…ありがとう……
    伽藍の堂の柔らかな縁注意!

     ぐだお×カリオストロの作品となっております
     
     伯爵や他キャラの解釈の違いなどがあるかもしれません

     誤字脱字は友達ですお許しください

     ぐだおの名前は藤丸立香としていますが、個人的な感覚によって名前を“藤丸”表記にしています
     (立香表記も好きなんですが、作者的にどうも藤丸のがぐだおっぽい気がしてそのようになっております)

    以下キャラ紹介

     藤丸立香:カリオストロの事が色んな意味で気になっている
     カリオストロ:絆マフォウマ、聖杯も沢山入ってるどこに出しても恥ずかしくない伯爵。つよい。最初以外は最終霊基の気持ち
     蘆屋道満:藤丸からはでっかいネコチャンだと思われている。ネコチャンなので第二霊基でいてほしい、可愛い
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